ガブリエル・フォーレはフランス南部、ミディ=ピレネー地域圏のアリエージュ県、パミエで教師だった父の元に五男一女の末っ子として生まれた。幼い頃から教会のリード・オルガンに触れるうちに天性の楽才を見出される。
9歳でパリのニーデルメイエール古典宗教音楽学校(1853年開校)に入学、カミーユ・サン=サーンスにピアノと作曲を師事した。
1865年に卒業したのち、旅行先のレンヌにて教会オルガニストの職を得た。
1870年、フランスに戻ったときには当時勃発していた普仏戦争において、歩兵部隊に従軍志願している。
その後はパリのマドレーヌ教会でオルガニストとなり、1896年にはマドレーヌ教会の首席ピアニストに任じられ、またフランス国立音楽・演劇学校の教授にもなっている。1871年にはサン=サーンス、フランクらとともにフランス国民音楽協会の設立に参加している。
万人に親しめるという感じの組曲「ドリー」Op.56は1893~1897年の作品。https://youtu.be/tWM7aaoImUE
「シシリエンヌ」Op.78は1895年頃の作品。
ちなみにフォーレは生涯の中で複数の愛人を持つという、いわばフランスらしい私生活を送っていた一面もある。
フランスというのはヨーロッパの大国であって、他国との力関係において、どんな分野においても劣ることはないと思われるのであるが、ポピュラー音楽だけは大したことないと言える。シャンソンなど所詮ローカルな存在である。バッハの時代から、同じような音楽は作られたりしていたが、そのレベルはドイツ・オーストリアより一段も二段も下、という状態がずっと続いていた。その後ロックなどで世界的に大成功しているアーティストは見当たらない。これはなぜなのか。総じてゲルマン系は、ドイツ・オーストリアの古典音楽から最近北欧に続々出現しているアーティスティックなヘヴィ・メタルに至るまで、音楽的才能に事欠かない。ゲルマン系に対する語としてラテン系、と言われるが、フランスは中途半端なラテンという感じであって、ラテンとひとくくりにされては沽券にかかわる、という感じである。