偽名の名刺を何枚も使い分ける、自衛隊「謎のエリート集団」の正体
渋谷・新宿・池袋・品川のアジトに出勤首相も防衛大臣も知らないところで、海外にも展開する秘密組織が存在する。しかもそれは、旧日本軍の伝統を継ぐ極秘組織だ。身分を偽装し、彼らは今日も国内外でスパイ活動を行っている。
金大中拉致事件でも暗躍
〈私は嘘と偽の充満した自衛隊の内幕を報告して先生の力で政治的に解決して頂きたいのでこの手紙を書きます〉
自衛隊の秘密情報組織「別班」の存在が初めて明らかになったきっかけは、'73年8月8日の金大中事件だった。東京・飯田橋のホテルグランドパレスから、韓国大統領選の野党候補、金大中が拉致された。
このとき拉致のため張り込みを担当した興信所の所長で、元3等陸佐の坪山晃三が、「別班」メンバーだったと評論家の藤島宇内が指摘したのである(『週刊現代』'73年10月18日号)。
「陸上自衛隊に、秘密の情報部隊なんてあるわけがない。事件に関与したのは、公然防諜部隊である調査隊だろう」
多くのテレビや新聞はそう考えていた。
ところが、事件から1年半後、共産党衆議院議員の松本善明宅に一通の手紙が届く。別班関係者からの内部告発だった。冒頭で紹介した一文に続いて手紙にはこう書かれていた。
〈内島二佐が別班長で、私達二十四名がその部下になっています。私達はアメリカの陸軍第五〇〇部隊と一緒に座間キャンプの中で仕事をしています。全員私服で仕事をしています。仕事の内容は、共産圏諸国の情報を取ること、共産党を始め野党の情報をとることの二つです〉
共産党の機関紙「赤旗」はチーム取材を開始、別班員24名の名簿を手に入れ、実態の解明を進めた。手紙はこう続く。
〈私達が国民の税金を多額に使って、コソコソと仕事をしているのに高級幹部はヤンキーとパーティーで騒いでいます。本当に腹が立ちます。自衛隊を粛清してください。私達がここで仕事をしていることは一般の自衛官は幹部でも知りません〉
一通の手紙をきっかけに別班は、公の存在になるかと思われた。また、その後、元別班員の著作も出版され、別班が在日米軍撤退後の情報収集活動を担うために設立され、「ムサシ機関」や「小金井機関」など名前を変えながら存続してきたことも明らかになった。しかし、今日に至るまで防衛省は一貫してその存在を否定し続けてきた。
自衛隊の闇組織「別班」は今でも存在するのか。自衛隊幹部や元別班員への取材でその謎を明らかにしたのが、『自衛隊の闇組織 秘密情報部隊「別班」の正体』(講談社現代新書)の著者で共同通信編集委員の石井暁氏だ。
「市ヶ谷の防衛省には、偽の看板をつけた部屋があり、そこには別班長と、数人のスタッフがいます。『別班』は、陸上自衛隊にある情報部隊の一つ、指揮通信システム・情報部の『別の班』のことで、組織図に載っていませんが確かに存在しているのです」(以下、「 」内は石井氏の発言)
別班の隊員たちが出勤するのは、渋谷や新宿、池袋、品川のマンションの一室にある「アジト」だ。2~3人がグループになってそこを根城にし、朝鮮総連の関係者に会い北朝鮮情報を集めたり、外国からの旅行者を買収して外国の情報を取ったりしている。収集した情報は報告書としてまとめられ、上にあげられる。別班員は数十人いるとも言われるが、OBにもその正確な規模は分からない。別班の実態は経験者にすらつかめないほど謎に包まれているのだ。彼らの生活には多くの制限がある。