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芥子粒
左馬刻さんに、妊娠したことを言えない女の話。 - 芥子粒の小説 - pixiv
左馬刻さんに、妊娠したことを言えない女の話。 - 芥子粒の小説 - pixiv
5,621文字
短い夢
左馬刻さんに、妊娠したことを言えない女の話。
あなたがいない世界で、生きたい。
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2022年2月9日 15:55



「……1時間後に行く」

 スマホの着信画面を見てすぐに応答すると、喧騒をBGMにして気怠そうに一言だけ告げられる。相変わらず有無を言わさない一方的な言い方だ。私も私で「うん」とだけ言うと電話を切った。20時までにシャワーを浴びなきゃ。軽食も一応準備しておこう。
 碧棺左馬刻と私は恋人でも友人でもない。時々こうやって急に来て、食べて寝て、翌日の昼過ぎに帰っていく。体の関係もあるから、セフレという言葉が近いんだろうけど、それが毎回の目的ではないらしい。最近は何となく、ルームサービス付きで手軽に泊まれる宿泊施設のスタッフぐらいには思ってくれているのかもしれないと感じている。私への関心はほとんどないみたいだから、少し前までは「偶々そこにいる女」という認識かなと予想してたけど、最近の連絡頻度から自分の中で評価を上げた次第だ。



 20時を少し回った頃、玄関の扉が開く音がした。「物騒だな、鍵閉めとけっつってんだろ」って小さく呟いてるのが聞こえた。前に鍵が閉まってたせいで、何も言わずに帰ったでしょ。料理していて気付くの遅くなった私が悪いんだろうけど、1、2分ぐらい待ってくれたっていいのに。そのときも合鍵は受け取ってくれなかったじゃん。

「何か食べる? ……お風呂が先かな」
「ああ、風呂借りる」

 部屋に入ってきた彼の姿を見て入浴を勧めると、目を合わせることもなくまた部屋を出て浴室に向かって行った。



 浴室から出てきた左馬刻さんは、まだ湿ったままの髪を掻き上げることもせず全身の力を抜いてソファーに座った。スプリングがキュゥと鳴って沈みこむと、隣にいる私の体は自然と彼の方へと傾いた。そしてクッションを抱くように造作なく私の肩を抱いて引き寄せる。
 パーソナルスペースにはこんなに簡単に入れてくれるのに、懐には入れてくれない。今日何かあったの、なんて、聞くと機嫌が悪くなることは知ってるから聞けないし、電話での喧騒や乱れた姿からひと暴れしてきたことは明白だった。そして大体そういう日は食事もそこそこにスコッチのロックを一杯呷って、辛味の残る舌で貪るようにキスをして、寝室に連れて行かれる。ほら、今日も。

「んっ……っはぁ」
「いい顔」

そう言って左馬刻さんは私の唇に親指を添えて、溢れた唾液を拭って口角を上げた。
 私はなんでこの人から離れられないんだろう。きっと左馬刻さんは、私がいなくなっても代わりの相手はいくらでもいるから何も困らない。今だって私一人だけとは限らないし。一緒にいる時間が増えても会話だってろくにしないし、寝室以外で楽しそうに笑ってるところも見たことがない。左馬刻さんは、私に興味が、ない。

 寝室に運ばれて、もう一度キスを落とされた。さっきのとは違う、甘いキス。恋人でも何でもないんだから優しくしないでよ。思わずその言葉が口から飛び出しそうになり辛うじて「優しくしないで」だけが言葉になった。左馬刻さんは今日初めて私の目を見て、「いい女だな」と呟いた。目尻を少し下げたように見えたがそれは一瞬で、すぐに赤く鋭い眼差しが向けられる。
 いい女、の前には「都合が」という言葉がついているんだと、慣れた手に下着を脱がされながら気づいた。冒頭の、左馬刻さんとの関係を表す言葉にもしっくり来る。そっか。都合のいい関係、なんだ。悲しいくらいすとんと胸に落ちて、それ以上は左馬刻さんから与えられる快感にだけ集中することにした。



 体の異変に気づいて受診したのは、あの日から数日経ってからだった。医師から告げられたお祝いの言葉に、どう言ったらいいのかわからず棒読みになりながら「ありがとうございます」と返した。もらったエコー写真には白くて丸っぽいもやもやが写っているだけで、医師に説明されなきゃそれが何を意味するのかわからなかった。でも、まだ人の形にもなってないその子が愛おしくてたまらない。私と左馬刻さんの、子どもだ。
 でも。左馬刻さんは私と同じ気持ちにはならない。鼻の奥がつんと痛くなる。彼の職業が何かは知ってるし、恋愛や結婚は一般人みたいに簡単じゃないこともわかってる。私との関係が都合の良さで選ばれていることも。どんなに楽観的に考えようとしても、答えは全部「好きでもない相手との子どもは望まない」に着地した。左馬刻さんの口から「堕ろせ」なんて言葉聞きたくない。私にとっては、好きな人との子どもだ。私の子だ。大切な大切な命に変わりない。親のエゴだと言われても仕方ないけど、この子だけは守り抜きたい。一人で育てていく。
 思考がまとまる頃には、外は薄暗くなっていた。ソファーから立ち上がったとき、ちょうど携帯電話が鳴った。左馬刻さんだ。

「──もしもし」
「……どうした?」
「え?」
「何かあったか」

いつもなら一方的に要件を伝えて切るくせに、私の声を聞いて何かに気づいたらしい。恐ろしい洞察力だ。

「えっと……、実は体調悪くて。ごめんなさい、今日は」
「わかった」

左馬刻さんの誘いを断るのは初めてで、慎重に言葉を選んでいる最中に、切られてしまった。そういう人だって知ってるけど、その潔さに「都合のいい女」失格なんだと言い渡された気がして、胸の奥がきゅっと苦しくなった。いつもは気にならないのに、ツー、ツー、という不通音が耳に残って離れなかった。



 それから何度か左馬刻さんからは連絡があったけど、その度に「体調が悪い」だとか「予定が入っている」だとか言って断り続けた。体調が悪いのは本当だけど、一度くらい疑ってもいいのに左馬刻さんは「わかった」と言って電話を切る。嘘だって気づいてるのかもしれない。でもそれ以上踏み込まないところを見ると、やっぱり都合のいい女の方がいいんだろう。ここ数ヶ月は連絡してくることもなくなった。
 半年以上会ってないうちに、私は少しずつ強くなったのか、前みたいにめそめそ考えることもなくなった。髪も切ったし、お腹も大きくなったし、今左馬刻さんに会っても気づかれないかもしれない。動けるうちに準備をしようとベビー用品を買いに出かけた。

 ショッピングモールに来れば目当てのものは全部買えた。流石に両手いっぱいの買い物袋は重くて、お腹に力が入るのは良くないし、ベンチを見つけては休憩しながら帰ることにした。ベンチに座ると、みなとみらいのショッピングモールを行き交う人々が目の前を通り過ぎていく。青空の下でみんな楽しそう。自然と目に入るのは、仲良さげに寄り添う夫婦や笑顔の親子連れ、大きなお腹の女性の横で荷物を持つ男性の姿だった。────自分で選んだ道だ。この子と幸せになるんだから、めそめそしない。そう自分に言い聞かせて、息を整えて立ち上がった。
 立ち上がると、視界の端で人の波が乱れているのがわかった。何かを避けるようにして歩く人、立ち止まって見る人がいる。大道芸でもやっているのかと思い、通り過ぎようとしたとき聞き覚えのある声がした。

「うちのシマで何してる」

低く響く声。左馬刻さんだ。一瞬自分に向けられた言葉かと思い、思わず石になったように息が止まるが、違うらしい。左馬刻さんの前には、目を泳がせて額から汗を流した男が力なく猫背気味に立っていた。見た目が変わった私に左馬刻さんが気付くはずない(気づいても興味はないだろうから何もしない)と思うけど、その場から立ち去りたかった。今は会いたくない。やっと何でもない他人になれたんだ。このままお互い知らないところで、関わらないで、あなたのいない世界で、生きたい。お腹も足も重たいし、両手の荷物も重いけど、出来る限りの速さで走った。
 妊婦って走れるんだなってなんだかおかしく感じていると、後ろの方で誰かが叫ぶ声がした。まさか気づかれた? いや、そんなはずない、なんて思っていると急に背中を誰かに押された。待って、目の前は大通りへ出るために降りる階段。咄嗟に荷物は両手から離したけど、手をつく場所も手すりもない。歩き疲れた足に踏ん張る力なんてなく、大きなお腹で重心が前にあるせいで、前のめりに落ちて行くのは簡単だった。不思議とその瞬間、スローモーションのように宙に浮く自分がわかって、この子だけはとお腹を両手で庇った。

「おいっ!」

全身に痛みを感じて、動けない。呼びかけに薄目を開けると、左馬刻さんが見えた。

「クソがっ。絶対逃すな、追えっ」

左馬刻さんの怒号と同時に、周りに何人かいた黒いスーツの男たちが同じ方向に走っていく。

「お前、その腹、────」

左馬刻さんが何か言ってる。でも水の中のように音がくぐもってよく聞こえないし、視界もだんだん暗くなってきて左馬刻さんの顔の輪郭すらよくわからない。それに生温い液体が額を流れる感覚がして気持ち悪い。意識を手放す直前、空耳かもしれないけど左馬刻さんが私の名前を呼んでくれてる気がした。

 

 目を開けると、白い天井が見えて、ピッ……ピッ……と無機質な音が鳴っている空間に、病室で横になっているのだとゆっくり理解した。ハッとしてお腹に手を当てて確かめたかったが、自分の腕とは思えないくらい重くてそっと添わせることしかできなかった。

「気ぃついたか」

少し離れたところから左馬刻さんの声がした。

「悪ぃ、巻き込んだ。覚えてるか」
「……何かに押されて階段から落ちた」
「クソ野郎が逃げるときに突き飛ばしたんだ。頭打って少し縫ったが、頭ん中は今のところ心配いらねぇらしい。医者が言ってた」
「……あの」

一番聞きたいことを口にしようとすると、椅子に座ってた左馬刻さんが私の顔の横に手をついて身を乗り出した。

「腹のガキは元気だとよ。てめぇの頭より腹守りやがって、そんなに大事か。相手は誰だ?」

一気に捲し立てられて気押されそうになるが、やっとの思いで「……誰でもいいじゃない」とだけ返した。今更興味を示したのは、養育費の請求とか慰謝料とかが気がかりなの? それともただの好奇心?
 面白くなさそうな顔をして左馬刻さんは私に問い続けた。

「結婚、すんのか」
「……しない。1人で育てるよ」
「相手は知ってんのか」
「言ってない」
「あ? 言えない理由でもあんのか」
「……子ども出来たって言ったら『堕ろせ』って言われそうだったから」

 自分で口にしたら急に目頭が熱くなって視界がぼやけてきた。弱いところ、見せたくないのに。胸までかけてあるシーツを手繰り寄せて顔を隠そうとしたけど、左馬刻さんに阻止されてしまった。抵抗しようと腕に力を込めると、その腕ごと引かれて上半身を起こされた。そのまま背中と後頭部に腕を回して私を支える形になる。つまり、抱きしめられていた。

「俺にしとけ」
「……どうして」
「ガキも俺が面倒見る」
「なんで、子ども好きじゃないでしょ」
「次、俺の前から消えたら許さねえ」

全然話が噛み合ってない気がする。さっきから抱き締める力が強くてちょっと痛いし、頭もズキズキしてきた。少し休ませて、と左馬刻さんの胸を押すけどびくともしない。こんな左馬刻さんは見たことなくて、されるがまま固まっていると、耳に唇を寄せられた。

「一生俺から離れるんじゃねえ、側にいろ」

息を吸ったあと、好きだ、と小さく添えて、左馬刻さんはそれ以上何も言わなくなった。
 沈黙の中、耳元では左馬刻さんの息、胸元では左馬刻さんの心臓の音が響いていた。もう限界だった。大粒の涙が溢れてきて止まらない。それは頬を伝い、左馬刻さんのシャツを濡らしていく。

「信じられ、ない」

ただの都合の良い女だったでしょ。なんで今更。言いたいことはたくさんあるのに言葉が出てこない。
 うまく呼吸できなくてしゃくり上げてしまった私の背中を、左馬刻さんは赤ちゃんをあやすように優しく叩いてくれた。何も言わずに私が選ぶ言葉を待ってくれている。

「この子、産んで、いいのっ?」
「お前のガキなら面倒みるっつってんだろ」

顔を上げて、左馬刻さんの目を見つめると、怖いくらい真っ直ぐで透明な視線とぶつかる。その言葉を信じたくなった。今背負っているものを左馬刻さんに預けたい。

「左馬刻さんのっ、子、だから」
「……今、なんて」
「左馬刻さんと、わた、しの、子ども、なの」
「……そうかよ」

あっさりとした言葉とは裏腹に、左馬刻さんは髪をかき上げたまま額に手を当てて動かなくなってしまった。表情は手に隠れて伺えない。でもしばらくすると、くつくつと笑う声が聞こえてきた。

「あ? じゃあなんで黙って逃げた?」

と思ったら、次は脅すように声を低くして鋭い目に睨みつけられた。

「面倒くさいって思われるのが、怖くて」
「俺様を鬼か悪魔だと思ってんのか」

すぐに否定できずにいたら手が目の前に翳された。デコピンでもされるのかと身構えたが、その手は額を通り過ぎ頭上で止まった。ぽんと頭に置いた手でわしゃわしゃと髪を乱しながら「死ぬほど優しいだろうが」って言う顔は、今まで見た中で一番穏やかだった。



 それから1ヶ月後、私たちの赤ちゃんは肌も髪も睫毛も真っ白で、真っ赤な瞳を持って生まれてきた。それはもう、碧棺左馬刻の子どもだって証明するぐらい。そんな我が子と、我が子を大事そうに抱える左馬刻さんが愛しくて愛しくてたまらなくて。ふたりがいない世界では生きられないと思った。
                                                                                                                                    

左馬刻さんに、妊娠したことを言えない女の話。
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