トイレ掃除開始10日で、すでに運気が。
最近、プロフィールの文章を更新した。
トイレ掃除に、どはまりしている。きっかけは、まつぼっくりさんの記事だった(とってもすてきな記事なのでぜひ読んでみてくださいね!)。
あの大谷翔平選手が、目標を達成するために必要な要素のひとつに「運」をあげていて、人が落としたゴミを拾うことで普段から運を拾っているという話は、ここ数年テレビでもよく見かけて、知ってはいた。
そういえば。それに並べて話すのはおこがましいけれど、わたし自身、所属していた運動部の顧問の先生が同じような考え方の持ち主で、日々の練習をがんばるだけでなく、ゴミ拾い、片付け、掃除、あいさつなどを積極的に行うことでここぞというときの運を貯めるのだという指導を受け、実践していたことがある。
「そういえば」と書いたのは、すっかりそれを忘れた大人になってしまっていたからだ。
ここ数年、「んも〜ついてなさすぎる!」と思うことがわんさか降ってきて、もう何も信じてやらない!わたしは運がない!と、地団駄を踏んでいじけていた。もともとは、「運と縁を大切にする」ということを信条のひとつとして生きていたのに、どうせわたしは見放されたのだ!ふん!と、自ら運を拾いにいく努力をしなくなった。するとどんどんやっぱり自分はツイてない、運が足りていない気がする一方なのだった。努力をしているつもりはあるのに、運がないからいい結果にならないと本気で思っていた。
そんなわたしが、先ほどのまつぼっくりさんの記事を読んだ。忘れていたことを、目の前にそっと差し出された気持ちがした(まつぼっくりさんありがとうございます)。
よくも悪くもすぐ影響を受けちゃうわたしは翌日から、さっそくトイレ掃除をはじめた。こんなことを書いたら、よっぽどトイレ掃除をしていない人だと思われてドン引きされるかもしれないけれど、ほんとうにトイレ掃除がきらいで、わたしにとってそれは毎日するものではなかった。そろそろしなければと思うタイミングで。もしくは誰かが来るというタイミングで、しぶしぶやる。そういうものだった。
でもわたしは、運を手に入れると決めた。だから、頭にはちまきでも巻きそうな気合いの入れようで、新しい掃除道具を買いに行き、トイレをピッカピカに磨いた。床も、壁も、ドアノブも磨いた。そうしたらなんだか、心の中の霧がスカッと晴れていくのがわかった。
わたしは毎日磨くようになった。一度ピカピカにしたから、あとはもう楽なもんである。気になったところだけサッとやればいい。外出先のトイレでも自分が使ったあとは周辺をきれいに拭くようになった。ゴミも見つけたら拾っちゃう。だんだん、磨くのがトイレだけじゃ物足りなくなってきて、キッチンも洗面台もお風呂も、果てはベランダまで磨くようになった。
※こんなにどや顔でやってる風に語りながら、歴はまだ10日ほどです。すみません。
がしかし。すでにこの10日間で、わたしってツイてる!と思うことが両手にあり余るほど、起きはじめている。
たとえば。完売になってしまっていた推し活のチケットを人に譲ってもらえた(ミラクル)。子どもの頃から悩んでいたことを解決してくれる本に出会った(すっきり!)。仕事でとても感謝された(こちらこそ!)。noteの通知が何だかたくさん来るようになった(ありがたい) 。力を入れてる創作活動で久々に賞をもらった(今年はさっぱりだったから安堵)。引き出しから9万9000円が出てきた(これはただの忘れん坊)。などなど。
因果関係なんて聞かれてもわからない。気のせいだと言われればそうかもしれない。でも、それでいい。今のわたしは、信じられるものが欲しかったのだと思う。自分はツイてると信じられる何かが。それは人によって違うのだろうけど、わたしにはこの方法がしっくりきている。
「自分はツイてる、きっとうまくいく」と信じて努力していく姿勢。そして、いいできことをどんどん拾っていくというものの見方。わたしは、見失っていたそのふたつを、トイレ掃除によって取り戻しつつある。思い返せば、1、2年前のわたしは不運なことばかり拾ってはその数を数えるようなことをしていた。今回起きたいいことだって、トイレ掃除をしなくても起きたかもしれないけれど、それらを「いいことだ!やっぱりわたしはツイてるから!」と思って拾えたかはわからない。ああトイレの神様。わたしが救われるのだから、わたしは信じる。
ここまで書いたところで、診察室に呼ばれた。今日は、不妊治療のための病院にいる。今日は気になっていた検査の結果が返ってくる日だった。問題なし。これでまた次へ進める。よかった。不妊治療はがんばりが通用しない理不尽な世界であるけれど、だからこそ、味方にできるものはすべて味方にしてやっていきたい。さあ、帰ってまたトイレを磨こう。果報はできる努力をして、トイレを磨いて待とうと思う。
おわり