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楽しいが虚しい、とは?

私たちは何のために生きているのか

趣味を持つ事は素晴らしい事ですが、果たして本当にそれが幸せに繋がるのか今日のコロナウイルスによるイベントの中止・自粛の中で「何のために仕事しているか分からない」と嘆く人達をたくさん見てきますと分からなくなってきました。


そこまで余暇活動がないと生きていく価値も、働く価値も見い出せないのか?という疑問が浮かんできたのです。


私自身も野球観戦、パン作り、麻婆豆腐研究、ギターと色々上げたらキリがないくらい趣味は多い方でそれらが様々な経験や人との出会いを生み、人生をより豊かにしてくれている要素であると思ってはいます。

野球選手のプレーを見て、宝塚を鑑賞して、元気をもらう。素晴らしいことだと思います。ただ、本当に自分自身が楽しんで趣味をしているのか思い返してみたら?大きく首を縦にふれる人は少ないのではないでしょうか。

私が学生の頃はバイト代の大半を野球に使っていました。イースタンもよく見に行ったし大好きな審判目的で球場に通いつめていました。そんなに野球を見て本当に楽しかったのかと言われたら、途中から球場に行くのが義務のようになってしまって、野球のためだけに私は時間とお金を消費している感覚に陥ってしまったのです。

観戦している時は楽しんでいるのに何か時間を無駄に使っているような。でも自分がしていることに価値がないとは思いたくないがために「楽しいんでしている」と自分に言い聞かせていました。この言い様がない、やるせない気持ちを芸術家の岡本太郎が1954年に記した『今日の芸術』という本の中で『楽しいが虚しい』と見事に言い表しています。

どんなに野球観戦が楽しくとも私たちはただの見物人に過ぎないし、自分というものは一切関係していないからいくら趣味を持っても心底満足することができない。66年前に書かれた本ながら今日の社会と何一つ変わっていないということが分かります。学生の頃の私のまま、今日を迎えてしまっていたら私も同じように『何のために生きてんのかなぁ』って思っていたことでしょう。

あなたもこの本が気に入るかもしれません。"今日の芸術~時代を創造するものは誰か~ (光文社知恵の森文庫)"(岡本 太郎 著)

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自分自身とも向き合う

社会人になって仕事をしていく内にどうしても出来ないことが出てきて悩んで、調べてみたらADHDという脳の特質があるということが分かってから自分自身と向き合うことが多くなってきて、私はどうしたら普通の人並に、いやそれ以上に物事をこなせるようになるためにはどうしたらいいのか?考えてSEになることを選択したり、ただでさえ他人より凡ミスが多くなってしまうこの脳を疲れさせないために睡眠時間をちゃんととるようになりました。

病院で診断された時はショックでしたが、私にとって自分自身と向き合う大きなきっかけになったのです。

それからは自分の生活を第一に考え、余力があった時に野球観戦をするようになりました。観戦試合数自体は減っているけれどもただ目標もなく漠然と球場に通っていた時よりも楽しく野球観戦出来ている気がします。もちろん、今回開幕が延期になって非常に残念だとは思いますが、読書したり麻婆豆腐を作ったり頑張って仕事をしたりしている繰り返しが行えることだけでも貴重で幸せなことなので一日一日に満足して暮らしているので「まあしょうがないよね」ってなってます。

私のように転職を決意したり、「やりがいのある仕事を見つける」といった大それたことをしろという訳でなく、どうかこの期間は「何のために働いているか分からない」「面白くない」と嘆く前に、


「こんなことを言われたら自分は怒るんだ」


「こんなものを食べたら自分は幸せな気持ちになれるんだ」


といった分析をしてみることをおすすめします。何か困っていることがあればどうすれば解決出来るのか考えるだけでも良いです。イベントが中止になって余ってしまったお金の一部を自分に投資してみるのもありです。何か小さなことひとつでも良いので趣味にかける情熱を自分自身にも向けてみる期間にしてみたら、日々の生活が生き生きとして見えるようになるのではないでしょうか。

#スポーツ #エッセイ #プロ野球 #趣味 #野球 #岡本太郎

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Python初心者。SE4年目。日々のプログラミングの備忘録と日常の感想を書きます。 プロ野球審判出場記録アプリを作成しています。
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