やってしまった痛恨のエラー 野球人生が変わるきっかけに 我孫子東
気負いはなかったはずだ。いや、2年生として初の夏の大会で、確かに少し緊張していた。
昨夏の千葉大会3回戦。千葉敬愛(四街道市)と戦う我孫子東(我孫子市)は八回裏、この試合最大のピンチを迎えていた。
1―0でリードしていたが、1死一、二塁。長打が出れば1発逆転される。
エースが投じた4球目。右翼手山本力哉(現3年)の前に、詰まり気味の打球が転がってきた。
この試合、ライトへの球は3回目だ。前2回の飛球はいずれも問題なくキャッチできていた。
「三塁で刺すぞ」。何度も練習したパターン。練習通りにすればミスはしない。左手のグラブで捕りやすいよう、白球の右側へ回った。
ただ、捕球体勢がいつもよりやや早かったかもしれない。白球がグラブ越しに転がっていくのが見えた。「やってしまった」
後逸の間に、一、二塁走者が生還。逆転された。「自分のせいで3年生の夏を終わらせるのか」
試合は九回、山本自身の中前打などで我孫子東が追いついたが、延長タイブレークでサヨナラ負けした。
引退する主将は山本にこう告げた。「エラーを忘れず、ベスト16の壁を破って欲しい。お前が引っ張れ」。あのエラーを自分の成長に生かせ――そういう激励だった。
あれからもうすぐ1年。元々「常に真面目。いつも通りの練習をコツコツとこなせる」(坂本賢司監督)という山本の姿勢は、さらに変わった。昨夏まで登校時間はまばらだったが、毎朝4時に起き、始発電車で通う。朝は外野手として守備練習にも励む。
183センチ、77キロの体格を生かした得意のバッティングは特に力を入れてきた。スイングの力をあげたいと体重も1年で8キロ増やし、1日の素振りの回数も増やした。一振り一振りが本番のよう。「常に戦っている顔」(主将の梅沢我道)で振る。打率は3割を超え、3月からの練習試合では計15本塁打を記録。揺るがない自信をつけた。
守備も打撃も妥協はしない。山本は静かに言う。「一番勝利に貢献できる人間になりたい」
あのエラーはずっと心に残っている。当時は無風で条件は悪くなかった。気持ちの面なのか、技術面が足りなかったのか。今でも答えは出ていない。
ただ、あのエラーがあったから、先輩たちの思いを背負う覚悟ができた。「今では、誰もができるわけではない経験をさせてもらえたと思っている。まさに野球人生を変えたプレーです」(宮坂奈津)