某氏は、別のタレコミがあったと詭弁を弄しますが、この女性が告げ口をしたコメントがあったことは事実でした。
だからと言って、私がこの女性を嫌っていたということではありません。
当時、この女性は、お仕事を持ちながら癌になられたお母様の介護をされていたから応援させていただいていました。
ですから、むしろ好感を抱いていました。
その成り行きから、この女性が精神薬を飲み始めたことを心配して、私の精神薬で受けた被害をお伝えしました。
これは悪意からではなく親切心からでした。
もちろん病気の種類によっては精神薬が必要な方もいらっしゃることでしょう。
が、昨今は安易に精神薬を処方しすぎると、私は自分の体験から、この敬愛をする女性にその毒牙にかからないようにお話させていただいたのでした。
実際、精神薬が欠かせないブロガーさんのお話をお聞きしても精神薬の副作用は恐ろしいと思いますから、私の助言は間違ってはいなかったと思っています。
薬は毒にもなります。
それを製薬会社は隠して、効能ばかりを喧伝して売ろうとします。
精神薬の儲けは、製薬会社のドル箱であるということは後で知ったことでした。
製薬会社はあらゆる手を使って薬を売り込むことに血眼になっています。
その毒牙に引っかからないようにという老婆心から私はアドバイスさせていただいたのでしたが、それが私に対する誹謗中傷の発端になりました。
私は、自分の体験談をさせていただいただけでしたから、今でも悪いことをしたとは思っていません。
が、どうしても必要と思われる方は自己責任でお飲みになれば良いだけのことです。
私はヤブ精神科医に向精神薬を処方された後、急に薬を変えられたことにより離脱症状が起こり、生死をさまよいました。
私はその女性に、そんな目には遭ってほしくなかったのでした。
それを、その女性は悪意に受け取られたのでしょうか。
その後、某氏から耐えられないほどの激しい誹謗中傷を受けました。
たまりかねて作り替えたブログを、その女性が某氏に教えているコメントを私は見てしまったのです。
それに怒った私が詠んだ歌がタイトルにした歌でした。
歌にはポエットM氏の言われる魂鎮めの効用もあります。
私は、それを実践したまでです。
また歌というものは総じてデフォルメして詠うものです。
ですから日常の会話からすれば、少し極端に見えるところも歌にはありますが、魂の真実を詠います。
逆に言えば、魂の真実の詠えていない歌は、どんなに美辞麗句が並べられていても駄作ということが言えます。
歌ではありませんが、正義感の強い一心さんが私を救ってやろうとの強い思いから某氏のことを糞爺と勢いづいて呼んだことは正義感が言わせた言葉でしたから、やはり間違っていなかったと私は思います。
実際私は、その言葉によって救われました。
その言葉は、殺されかけていた私に対する救急の言葉でした。
一心さんが優しくて思いやりのある人であることは多くの人が認めていることです。
それを責める人達は、某氏の誹謗中傷記事がどれだけ酷いものであったかを知らない人達です。
誹謗中傷記事の内容を知りながら某氏の味方をする人は私に対する嫉妬心を抱いている人なのでしょう。
私は嫉妬されるようなものなど持ち合わせていませんが、そうとしか考えられません。
人がどんなことに対して嫉妬するかは、摩訶不思議なところがありますから考えられないことではありません。
現在、某氏やこの女性の支持をしている人達は、某氏の誹謗中傷記事を知らない人か、あるいは私を嫉妬している人かのいずれかだと思います。
それから私がコメントの取り消しをお願いした時に私を罵倒した同窓生は行きがかり上、某氏やこの女性の味方についていると思われますが、私は咎め立てはしません。
🍀
いったい誰が、こんな面妖なことをしているのでしょうね。