曖昧な楽園 読み込まれました

監督インタビュー

監督:小辻陽平

聞き手:月永理絵

■前作『岸辺の部屋』の経験から生まれた、初長編『曖昧の楽園』

――小辻監督は、元々ENBUゼミナールで映画作りを学ばれたんですよね。

 はい、教員の仕事をしながらENBUゼミナールの映画監督コースに通い、2012年に卒業しました。卒業制作の先生は熊切和嘉さんだったんですが、結局その作品は撮りきれなくて、2014年に、当時の仲間たちに声をかけて、自分にとって初めての監督作品となる短編『岸辺の部屋』の制作に入りました。それを完成させられたのは2017年になってしまいましたが。

――完成までに3年という時間がかかったのは、どうしてだったんでしょうか?

 自分がどんなものを撮れたのか、見つめ直すことに時間が必要だったんです。『岸辺の部屋』では、いわゆる即興という形式を取り入れてみたいと思いつき、撮影に入る直前に用意していた脚本を一度忘れることにしたんです。おおまかな設定だけ決めて、実際にそこで何をするかは完全に俳優さんにお任せしました。ただ当時は即興というものが自分にとってどんな意味があるのか、映画の中で自分がどういうものが見たいのかわからずに感覚的にそうしていたので、うまくいかないところもありました。

――即興をやろうとしてうまくいかなかったから今度は別の方法で、というわけではなかったんですね。

 今回の映画を作るにあたって、自分が撮りたい映画はどんなものなんだろうと言語化して行った時に、映画で見出したいことと即興というものが改めて結びついたんです。そこに自分なりの映画のあり方が見つけられたというか。そこで前回は思いつきで進めてしまっていたところを、今度はそれを意識的なアプローチでもって作ってみようというのが『曖昧な楽園』での試みです。そのために、今回はざっくりとした脚本を事前に用意して、俳優さんとリハーサルや対話をしながら脚本の改稿を進め、撮影現場でも常にその時その場所でできる即興を取り入れながら完成していったという感じです。

――そもそも、なぜ即興だったのでしょうか?

 『岸辺の部屋』で俳優さんに完全にお任せして撮影した時に、自分では全く想像もしていなかった瞬間に出会える楽しさを知ったからです。俳優さんの演技やカメラポジションなど、全て自分がコントロールして映画を作ることにあまり面白みを感じません。予想もしていなかったことに出会えることが、自分が映画を作る上での醍醐味なんです。

■俳優たちとのリハーサルと即興のありかた

――最初に用意した『曖昧な楽園』の脚本はどのようなものだったんでしょうか?

 まず自分一人で断片的な脚本を第二稿目までは書き、次に俳優さんを募って対話をしながら少しずつ脚本を変えていきました。
 クラゲ編の方は第二稿の段階でほぼ今の形に近いものでしたが、達也編は当初まったく別のストーリーでした。社会への怒りを抱えながら交通調査員をしている達也が、ある日カプセルホテルで拳銃を拾い、交通調査用カウンターで数えるように撃ってもいい人間をカタカタ数えながら歩いていくという、かなり暗い話でした。
 二稿目を書き終えた時点でこれはちょっと違うなと気づいて、達也の母親を登場させようと思いつきました。実は、他の俳優の方々はネットでの募集を通してキャスティングしたんですが、達也の母親役を演じた矢島康美さんだけは、僕から直接出演依頼をして決めた方なんです。「まだ脚本には書かれていないけれど、これは達也と母親の話にしたいんです」と矢島さんに出演を依頼し、彼女と相談をしながらつくっていたのが達也編の物語です。

――他の俳優さんたちとはどのように作業をしていったんですか?

 まずは役柄と俳優さん自身との接点や差異を見つけるために、最初の打ち合わせでしっかり話をして、その後はリハーサルを通して対話を重ねてきました。目指していたのは、俳優自身でもあり、役柄でもあることが、どちらも自由に存在できるような状態です。
 リハーサルでは、「まずはここに書かれたセリフは一旦忘れて、この設定のなかで自由にやってみましょうか」と俳優さんたちにお願いしました。といっても、俳優さんに全てを委ねるのでなく、その都度俳優さんから出てきたものを見て、僕もまた自分の中から出てきたものを返していく。そうした共同作業を繰り返していく中で、映画がより広がり深まっていくのを、リハーサル中も撮影中も感じていました。

――俳優さんたちは、即興でやることに対してどう反応されていたんでしょうか?

 募集段階ですでにこういう形でやりたいとはお話ししていたので、戸惑いなどはそんなになかったように思います。ただ実際に現場に入ってみて、リハーサルで想像していたものとはまた大きく変わってくることもありました。ロケ地の空間や撮影現場の周りの状況、時間の変化みたいなものにも俳優の演技は大きな影響を受ける。演技って本当に繊細なものだし、映画を撮影することは、今この瞬間一回きりしか起こらないものにカメラを向けることなんだと、撮影を通して実感しました。

――具体的に、現場で大きく変わった場面はありますか?

 完全に俳優さんにお任せしたシーンは、クラゲの最後の登場シーンです。あそこは僕もどうしていいか最後まで悩んでリハーサルもしなかったシーンなんです。そうしたら現場でリー(正敏)さんが「ちょっと僕に任せてもらえますか」と言ってくれたので、「じゃあお任せします」と。僕はその撮影のときに録音部の手伝いでマイクの棒を持って作業をしていたので、演じているリーさんの顔がほとんど見えなかった。でもそこで鳴っている音だけを聞きながら、これは何かすごいことが起きている、と感じました。実際に撮影した映像を見たら本当に素晴らしいシーンに仕上がっていた。あそこは完全にリーさんさんがつくってくれた場面です。
 達也編の最後のシーンは実は二回撮っているんです。ワンテイク目では、達也がなんだか醜く見えてしまって、「もうちょっとライトな感じでお願いします」と、達也役の奥津裕也さんに演じ直してもらったんです。でも後々、録音の中島(光)君に「なんで一回目をNGにしたの?」と言われてハッと気づいたんですね。要するにあの場面で僕は、自分自身の醜いところを突きつけられたようで達也を直視できなかったんだ、と。裕也さんも後から、「僕は達也=小辻監督だと思って演じていました」と言ってくれて。改めて撮ったものを見直して、これはやっぱりワンテイク目がOKだなと確信できました。脚本はあったものの、あの場面も裕也さんが僕のコントロールを超えてつくってくれたシーンだなと感じています。

■ロケーション場所と登場人物たちの造形

――ロケーションがまた素晴らしいですよね。最初に映る団地はまるで宇宙基地みたいで驚きました。

 あそこは川崎にある河原町団地です。大谷幸夫さんという建築家の方が手がけた有名な団地で、昔偶然訪ねたときから、絶対にいつかここで映画を撮ると決めていたんです。ただ、河原町団地はホールや共有部分以外の部分は撮影NGだったので、部屋の中はやはり神奈川にある二宮団地で撮りました。

――今回の物語は、実際の風景から着想した部分もあるんでしょうか。

 そういう部分もあるかもしれませんね。静かな時間が堆積していく、みたいな印象は、最初に河原町団地を見たときにすでに感じていました。
 達也と母親が住んでいる部屋は、脚本の段階で「すりガラス状のドアで仕切られていて、テレビの光が透けて見える部屋」と設定していました。とはいえ、なかなかそういう構造の家が見つからなくてTwitterで募集をしてみたところ、お一人だけメッセージをくれた方がいたんです。その方の家に行ってみたら、すりガラスではないけれど足元に少し隙間がある仕切りがある構造になっていた。逆にその方が面白いなと感じて、お借りして撮ることに決めました。あの構造によって、母息子の二人の会話がより効果的になったと思います。達也が交通調査をしている道路は横浜の石川町。ここも以前に偶然見つけて、いつか映画で使いたいと考えていた場所の一つです。

――クラゲ編では、宇宙基地のような団地が舞台で、そこに戦争の話が絡んできたりと、まるで近未来を舞台にしたSF映画のようにも感じたのですが、監督としては二つの物語の時代設定はどう考えていたのでしょうか。

 一応どちらも現代の話として考えていたんですが、自分が思いもしない見方をしてもらえるのは嬉しいですね。戦争については、ウクライナとロシアとの戦争が自分の中では本当に大きな出来事で、これはなんとか映画に取り入れたいなと思っていました。ただ実際に戦争を体験していない自分が戦争のことを語ることはできないので、あのような間接的な表現にしました。

――そもそもクラゲや雨が何をしていた人なのかとか、彼らの背景のようなものは、劇中ではっきりとは描かれませんね。

 俳優さんたちとは、それぞれの役の個人的な背景や情報を共有してはいましたが、それを画面に映す必要はないかなとは当初から考えていました。背景をあまり明確にしたくないなという思いがあって。

――一方で達也編はクラゲ編に比べると、彼の育った家庭環境や親子の関係性がもう少し具体的に見えてくる気がします。交通調査員の仕事もすごくリアルに見えましたが、もしかして監督自身、あの仕事の経験があるんでしょうか?

 いえ、僕自身は経験していないんですが、道で交通調査員の方たちを見るたびに、この光景を映画にしたいなと思っていたんです。惹かれたのはまず指の動きですね。淡々とした動きから生まれるカタカタカタっていう音や、黙ってずっと前を見つめている感じとか、そこに何か映画的なものを感じ取ったんです。

■二つの物語が二つのままで一つの映画になってほしい

――映画の中で、達也編とクラゲ編はまったく交わらないものとしてあるんですよね。

 はい。ただ途中、迷ったことはありました。やっぱりワンカットだけでも二つの話を繋げる何かを入れようかなって。達也と雨が電車の中ですれ違うシーンを入れるとか。でも色々考えたすえに、やっぱりバラバラなままで行こうと決めました。

――どうしてそこまで、別々の二つの物語という構成に魅せられたんでしょうか?

 元々は一つの映画に二つの物語が独立してあることで映画がより豊かになるんじゃないかという勘みたいなものでしかなくて。それを実験するつもりで撮影に臨んでいたので、映画が出来上がってみてようやく「どうしてこんな構成にしたんだろう」とじっくり考え始めた感じです。
 映画って、遠く離れたもの同士をつなげる力があると思うんです。まったく違う二つのカットがぶつかって自然と一つにつながるように、まったく違う物語同士を、不完全なままで一つの映画に並べてもいいじゃないか、二つの物語が二つのままで一つの映画になることがあって欲しいと。映画を辻褄の通った物語という枠に縛られたくないという、反物語的な思いが根っこにあるんだと思います。

――二つの物語をつなげるには編集の力も大きいですよね。

 そこは完全に、編集を担当してくれた妻の小辻彩の力です。前回の『岸辺の部屋』を完成させられたのも、彼女が撮影した素材からなんとか作品に仕上げてくれたおかげです。映画内の時間感覚や上映時間含め、編集における判断は基本的に彼女にすべてお任せしています。一つだけお願いしていたのは、「できるだけそれぞれのカットを長く使ってほしい」ということ。僕はそれぞれのカットや俳優の芝居を長くじっくりと見るのが好きなので、その長さはなるべく生かしてほしいと考えていました。

■影響を受けた監督と映画作品

――小辻監督が映画を作るうえで影響を受けたと感じられる映画や監督はいらっしゃいますか?

 大好きな監督は、エドワード・ヤン監督、アピチャッポン・ウィーラセタクン監督、ラヴ・ディアス監督、ジム・ジャームッシュ監督などたくさんいるんですが、蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)監督の映画との出会いは、自分にとって本当に大きなものでした。なかでも特に好きなのが『愛情万歳』(1994)。マンションの一室のお風呂場で李康生(リー・カーション)が女装をするシーンが大好きなんです。20代の頃、教員の仕事をしながら夜中に一人ビデオでこの映画を見ていたとき、お風呂場の場面で自分と強烈にリンクするものを感じたんです。僕自身はゲイではないし女装への欲望があるわけではなかったけれど、夜な夜な家で映画を見ている自分と、何者でもない者として一人夜中に羽を広げている彼の姿とがつながった気がしたというか。初めて、映画のなかに自分と似たような人がいると実感できたんです。

――たしかに、『岸辺の部屋』『曖昧な楽園』と、小辻さんが映す家や部屋のありかたはツァイ・ミンリャン監督の映画と強くつながる何かを感じますね。

 もう自分では意識できないくらい血肉になっているんだと思います。他に、映画を作るうえで勇気をもらったのは、諏訪敦彦監督の著書『誰も必要としていないかもしれない、映画の可能性のために』(フィルムアート社)。そもそも『岸辺の部屋』を脚本なしで撮ってみようと考えたのも、諏訪監督の『2/デュオ』(1997)からの影響が大きかったように思います。

――最後に映画のタイトルの意味についても、よければ教えていただけますか?

 「楽園/パラダイス」ってタイトルに入っている映画が大好きなんです。『憂鬱な楽園』(ホウ・シャオシェン、1996)や『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(ジム・ジャームッシュ、1984)、『パラダイスの夕暮れ』(アキ・カウリスマキ、1986)とか。そんな単純な理由です(笑)。あえて理由を見つけるとしたら、自分のどこかに「映画とは自由な楽園なんだ」という思いもあったのかもしれません。

――なるほど。でもどういう「楽園」か、というときに、「曖昧な」とつけたところに、小辻監督の映画の核となる部分が現れているような気がしますね。

 そうですね。先ほど、物語から離れた映画作りをしたいという話をしましたが、身の回りの人生で起きる現実の出来事は、いつも唐突で、色々な視点や見え方を含んだ曖昧で複雑なものだと思います。だから、映画の中でも物事の全てが理解できて完結しているようなものを作ることはしたくない、という思いがあります。そうしたところに、自分なりの映画の向き合い方があるのかもしれません。

banner