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踊るお札の話

2023年 09月26日 22:33 (火)

 靴箱を開くとそこには万札が5枚、円陣を組んで踊っていた。お札に手足が生えているわけではなく札そのものなのだがそれが垂直に立って左右に揺れながら踊っているのだ。この奇妙な光景にあっけに取られていると数枚の万札がこちらに気づいたのか急に地面に突っ伏して動かなくなった。それと同時にすべての札がその場に倒れた。元の万札に戻ったとも見えるし、何の変哲もない万札のふりをしているという風にも見える。しかし見た目はどうみても普通の万札だ。
 靴箱にお金を置いた記憶はないが、自分の家にあるんだからこのお金は私がもらっても誰も文句はないよな。ちょっと得した気分で万札に手を出す。まるごと電子マネーに変換して貯金しておこうか、あるいは今日はこれで美味しいものでも食べに行こうか。あるいはちょっと遠出して海の観光地を見に行くのも悪くない。観光地特有のぼったくり価格でも気にせずに食べ歩きができるってものだ。色々妄想していたがその瞬間、お札たちは急に立ち上がってものすごい勢いで手元から走り出し、玄関の扉の隙間から一目散に外に逃げていった。
 そんなあからさまに拒絶しなくても良いじゃないか。

小さい太陽の話

2023年 09月25日 18:22 (月)

 クローゼットには1mくらいの小さい太陽が隠してある。あまりにも眩しくて直視すると目が潰れそうなので毛布を掛けてあるがそれでも毛布が透けるくらいまばゆい。良くは知らないがこれは多分ものすごい貴重なものなのだ。明らかに人工物ではない超常的な物質で、これを所有しているなんて知られた日には謎の組織から命を狙われるのは充分に推測できる。だからずっとクローゼットに隠しているのだ。
 しかし厄介なものである。クローゼットを占有するだけで何の役にも立たない。それどころか持ち運んでどこかに移動することもままならない。これを使って何かに活用しようにもとんとアイディアは思い浮かばない。
 そんなわけでこの超常的な物質をクローゼットに放置して数か月たった。最初の頃はクローゼットの扉の隙間から強い光が漏れ出て夜でもうっとおしいくらいだったがそういえば最近はその光も弱まったように思う。あれからどうなったろうとクローゼットを開けてみるとまったく光らない球体が毛布にくるまっていた。
 毛布を外すとみすぼらしい黒ずんだ球体がそこにはあった。かつての神々しさは一かけらもなく、ゴミ山に放置してあった方がまだ自然な見てくれをしていた。完全に冷めており素手で触っても問題なく触れるが進んで触りたいとは思えないみすぼらしさだ。なんだかものすごく残念な気持ちになってしげしげとそれを観察していると下の方に四角いくぼみがあるのに気が付いた。いじってみるとそれは蓋だった。中には液漏れした電池が入っていた。

磁石が体を巡っている話

2023年 09月24日 05:35 (日)

 体の中に磁石が入っていてそれが私の生活に色々と影響している。磁石は食道や胃や腸の中ではなくて、もっと細かく体の隅々まで存在している血管の中に、血と一緒に砂鉄状になってめぐっている。
 体が磁気を帯びているから、私が使うと機械は壊れる。電車に乗ったり鉄橋などを歩くと、体が周りの鉄に引き付けられるため体が重くなる。だから外出するととても疲れる。木造アパートの自分の家に引きこもっている方が安全だ。鉄っぽいものは何でも引き付けてしまうが硬貨だけは引き付けなかった。日本の効果は磁石に影響しない金属を選んで作られている。だから私にはお金に縁がない。
 ―とここまで考えたが、そんなものは下らない空想だ。磁石が体に入っているはずがない。機械が壊れるのは機械音痴だからで、電車で疲れるのは引きこもりだからだ。しかしそれでも悲しいことに、お金に縁がないのは空想ではない。

最小限の人間の話

2023年 09月23日 05:50 (土)

 夏バテのせいか食欲が湧かずにもう三日ほど食べていなかった。しかしさすがに空腹がきつくなってきた。何か食べなければならない。しかしそうはいっても冷蔵庫には何も入っていない。お金の引き落としもできてなくて財布にもろくに金が入っていない。ATMにでも行って引き落とせば済む話なのにそれがとんでもなく面倒くさく感じている。どういう訳か怠惰が生存本能を上回っている。
 タコは自分の足を食うことがある。ふと思い出した。それはストレスゆえかあるいは相当食べるものがなかったのか、詳しいことは分からない。しかしそれでもタコは生き続けるのだ。そうだ私も私を食べればいいではないか。臓器を売って金に換えたやばい人は二つある臓器を優先して切り売りしたという話も聞いたことがある。二つある臓器は片方残せば生きていられるからだ。肺とかがそうだ。私も二つある部位は一つ残せば食べてよいだろう。たとえば腕とか足とか目とか。腕にかぶりついて見たが美味くはない、まずくもない。加熱した方がそりゃあ消化には良くて、生肉なんかは消化にえらく時間がかかるものだ。しかしこの場合その方が好都合だ。胃にずっと残留し続ければ少なくともその間は空腹にはならないからだ。
 最初の数日はそれでなんとかなっていたが次第に足りなくなってきた。そこで思い出したのは胃を半分くらい切除するダイエット方法だ。胃が小さくなればすぐに満腹になって過食をおさえるという理屈だが、私が関心を持ったのは胃は半分にしてもその半分で機能するということだ。そして思えばこれは他の臓器にも言えることだ。つまり自分の臓器を少しずつ食っていけばまだ食いつなぐことができるということだ。
 数日それで耐えてきたがまた苦しくなってきた。もういっそ片方残っている足も腕も食ってしまってはどうだろうか。片足だけ残したところでそれはもう歩けないのだし腕がなくても生きていけないことはない。さらに言えば臓器も絶対に必要な物というのはそう多くない。そりゃあどの臓器も無くなれば生きていくのが大変になるのは当然だがただちに死ぬわけではない。今は背に腹はかえられないのだ。
 そんなこんなで今私は小さな肉の塊になっている。手のひらに乗るサイズの小さな肉塊だ。必要最低限まで切り詰めれば人はここまで小さくなれるものだ。いや、もっと不要なものを取り除けばさらに最小化できるのではないだろうか。不要なもの不要なもの…ここまで思い至ってある事に気づいた。そもそも私は必要なのだろうか。

夢の中で夢を自覚する話

2023年 09月22日 13:18 (金)

 街中を歩いていてふと気が付いた。これは夢だ、今私は夢を見ている。私がこんな時間にこんなところを歩いているはずがない。いつもなら職場で仕事している時間だからだ。だからこれは夢なのだ。
 大抵夢の中で夢を自覚するとその瞬間にすーっと目が覚めてしまうものだが、この時はそうはならなかった。なぜだか知らないがこれはラッキーだ。夢の中なのだから好き勝手に自由なことができる。そう思って手始めにまず空を飛ぶことにした。身をかがめて力を込めると一気に足を伸ばして上に跳び上がる。そこからは空を飛ぶ鳥をイメージしてそれになったつもりで両手を広げた。私は50cmくらい先に着地した。飛んでいない。ちょっと跳躍しただけだ。
 夢の世界は想像力が支配する世界だ。簡単に言えば考えた事がそのまま実現する世界。これは一見楽そうだが実にシビアなルールなのだ。ついつい嫌なことを連想しただけで、楽しいはずの夢が簡単に悪夢にもなりえるからだ。さきほど空を飛ぼうとしたときに鳥を想像してしまったがそれがいけないのだ。ここにリアリストとしての私の性格が滲み出てしまっている。空を飛ぶためには軽量化が必要で、そのために骨の内部がスカスカになる進化をしてようやく鳥類は飛翔している。それに引き換えたら私のような何の軽量化もしていないただの人間が空なんて飛べるはずがないだろう。ついついそう連想してしまった、だから飛べなかったのだ。せっかくの夢の中だというのに私の中のリアリストが邪魔してくる。
 ならば仕方がない。それなら今度はすごく速く走ってみよう。そう思ってこの道を全力で走り始めた。景色が前方から後方へものすごい速度で流れていく。うん、速いんじゃないかな。そもそも普段走ったりなんかしないから通常よりもどれほど速いのかは分からないけれど、これは速いと思う。その証拠にものすごく息が切れて一分と持ちそうもない。
 後ろから通り過ぎた自転車の人に怪訝な顔をされながら私は立ち止まった。地面に倒れこんで少し休むことにした。全身から汗をかいてのどが痛いほど息切れている。私がリアリストゆえなのか、夢の中でかく汗のべたつく感覚さえこんなにもリアルなのだ。
 せっかくの夢の中なのに大したことなど何一つ出来ていない。リアリストはこういう時損だ。自分の能力・体力を充分にリアルに理解しているからこそそれ以上の行動ができないのだ。こうなっては私にできる「自由な事」なんてあとは法律を破ることしかない。信号無視して道路に躍り出ることくらいしかできない。そう決意した瞬間後ろから走って来た車に私は轢かれた。
 そうして今病院のベッドで目を覚ましたのだ。あぁやっぱり夢だったのだな。

天井で目覚める話

2023年 09月21日 17:07 (木)

 朝目覚めると私は天井に張り付いていた。頭上には床が広がっており乱れた布団が床に張り付いている。いつもと変わらない朝の様子だが自分だけ重力の向きが反転しているようだった。
 もしかするとまだ寝ぼけているのかもしれない、これは夢かもしれない。そう思いつつも辺りを見回すといつもの自分の部屋なのに新しい発見があった。天井はまったく綺麗で物が落ちていないのだ。空に向かって物は落ちないのだがらそれは当たり前のことである。しかし足の踏み場もないほど物が散乱している頭上の床に比べるとなんともまあスッキリしたもので、まるで部屋がもう一枚増えたような感覚だった。整理整頓は苦手なのだがこんな感じで部屋がもう一枚増えるならば整理整頓を延期してもっと物を置くことができるだろう。見渡す限り地面から電気の紐が垂れているだけの広々した空間はここで運動会でもできそうな気分だった。
 しかし困った事になった。飯を食う、着替える、外に出るといういつもの行動が極端に難易度の高いものになってしまった。全ての道具は頭上2~3mの地面に固定されているのだ。とても手が届かないしこんな状態で料理などできるものだろうか。さらに言えば問題は外出だ。部屋を出たとたん空のかなたに向かって延々と落ち続けるのではないだろうか。どこかに到達することも無く無限の宇宙に向かってすっ飛んでいく自分の死体を思うと足がすくむ。それはそれは孤独な旅になるだろう。あらゆる知り合いを地球に残して人知れず死んでいくのだ。死体も残さず。
 そうこう考えても着替えて仕事にはいかなくてはならない。私はこんな時でも仕事に行くことを考えている。悲しき習慣の性。人は習慣で生きる。
 急に平衡感覚がおかしくなってきた。何かがおかしいと思っているうちに自分の体は上に向かって地面に叩きつけられた。腰を打ったが大したことはない。どうやら重力の向きが元に戻ったようだ。辺りを見回すといつもの部屋のいつものアングルだ。手早く料理をして飯を食べると着替えをして靴に履き替えた。いつもの動作なのに今日はこんな当たり前が新鮮に感じた。
 意気揚々と玄関のドアを開けると外の様子がなんだかおかしかった。今まさに車が空に向かって落ちていく最中で道行く人も道路に置いてあるゴミ袋も空に向かって落ちていく。ただ一人、自分だけが地面に取り残されて立っていた。皆私を置いて空のかなたへすっ飛んでいく最中だった。

金持ち野郎の話

2023年 09月20日 08:01 (水)

 ベンチに座って電車を待っていると怪しげな二人組がホームに入って来た。身なりのビシッとした金持ちそうな男と、貧相な見た目の貧しそうな男だ。貧相男は金持ち男にへーこらしてしきりに話しかけている。「のどは乾きませんか」とか「お荷物お持ちしましょうか」とかまるで召使だ。二人が現れた瞬間に私は何事か普通と違うことを察したのだが周りの人々にはまるで眼中にないようだった。金持ち男は黙ったまま顎を少し上げて見下すように周囲を見ていたがおもむろに口を開いた。
「そうだな、のどが乾いたかもしれん。何か飲み物を持ってきたら一万円やろう。」
 妙なことを言う奴だと思った。すぐ後ろに自販機はあるのだ。値上がりしたとはいえ缶ジュースなんてせいぜいが200円もしないのだ。それに対して一万円払うのか?貧相な男は血相を変えて「はい今すぐに!」と返事すると自販機で一番安いミネラルウォーターを買い金持ち男に差し出した。金持ち男はそれを受け取ると懐から万札を取り出して貧相男に与えた。この二人の不健全な関係性が見えてきた。
「今日は暑いですね。団扇であおぎましょうか?上着をお持ちしましょうか?」
 貧相男はひっきりなしに金持ち男に何かを提案し続けている。きっと命令に従う度に金をもらえるのだろう。水を持ってくるだけで一万円なのだ。丸一日引っ付いていれば日給でどれほど稼げるのだろうか。私だって金が欲しい。そんなに簡単に稼げるなら私もやってみたい。一瞬貧相男が羨ましいと思ったが、そんなことをしては尊厳を売り払っているような感じがして嫌だなぁと思った。やるにしてもそれは労働と報酬の関係であって主人と従者の関係ではない。人として対等でありたい。
「おや、あんなところに鳩が死んでいるではないか。」
 金持ち男が指さす方を見ると確かに鳩の死体が落ちていた。羽が散乱していて肉が少し見えている。走っている電車に激突でもしたのだろうか。
「この死体を食ったら十万円やろう。」
 スマホをいじるふりをしながら何気なく盗み聞きしていた私の手が止まった。急に何を言い出すんだこいつは。貧相男も動きが止まったようだ。ちらりと男を見るとにやにや笑ったままの顔が引きつっていたがだんだんと深刻そうな顔になった。
「どうした、やらんのか。十万円だぞ十万円」
 金持ち男が追い込みをかけている。貧相男は黙って思案していたが意を決したのか急に鳩の死体を手でつかむと頭からバリバリと食べ始めた。全く異常な光景だった。私は目を丸くしてみていたが周りの人々はこの異常な光景に気づいていないらしい。誰もかれも忙しくて他人のことなどに関心はないのだろう。
 貧相男が鳩を食らいつくすと金持ち男は十万円をポンと差し出した。実になんの躊躇もなく金を払うのだ。これが少しでも渋るようなら貧相男もここまで命令に服従したりはしないのだろう。それくらい金持ち男は金を持っており、貧相男は金を欲しているのだ。私はこの歪な力関係を心の底から嫌悪した。私も金が欲しいがここまであからさまな媚びへつらいも無茶ぶりに応えるなどもしたくはない。
「それにしても退屈だな。ここいらでストリートファイトなんかが始まらんかな。」
「…ストリートファイト?殴り合いの喧嘩ですか?」
「そうだ。例えばあそこにいる大柄な男がいるだろう。見るからに強そうだ。ああいう奴が闘うところを見物したいものだ。」
 金持ち男が指さす方には確かにヤクザ風の男がいた。金持ち男は言った
「あの男を殴ったら百万円やろう。一発殴るごとに百万円だ。さあやれ、ストリートファイトを見せろ。」
 さすがに気が狂っている。相手がヤクザでもそうでなくても同じ事だ。見ず知らずの人にいきなり殴りかかる、人はそれを通り魔という。こんな近くにいたらいつかとばっちりを食らいそうだ。そう思って私はベンチから立ち二人から離れつつも目線は外さなかった。貧相男は硬直している。ヤクザ風の男を凝視して額には脂汗を垂らし、両こぶしを握りしめて力の入った肩がガタガタ震えている。それはもう見るからにヤバイ奴だ。
「本気で殴らなければ金は払わない。手加減した分はノーカウントだぞ。ほら、早くしろ。」
 なんてゲス野郎だ。だがこの状況で止めに入るでもなくそそくさと距離を取る私も褒められたものではない。この後どうなるのかを邪魔せずに観察したいのだ。意を決したのか貧相男は走り出しヤクザ風の男に殴りかかった。
 30分後、現場は騒然となっていた。予想通りというべきか、貧相男はいとも簡単に返り討ちに合い、野次馬が集まる中地面に倒れて気絶している。全身血だらけで腕が逆方向に曲がって泡を吹いている。最初から見ていたが結局一発もまともに殴ることはできなかった。駆け付けた警官にヤクザ風の男は正当防衛だと主張しているがあの様子だと過剰防衛を疑われても仕方がない。
 金持ち男は逃げるでもなくすぐそばでそれを見ていた。しかし警官も野次馬も誰も彼に話しかけなかった。明らかに重要参考人なのに誰も関心を持たないのだ。私は最初から感づいていたがここで確信した。金持ち男は幽霊のように誰にも認知できない存在なのだ。正確には貧相男と私にしか認識できない幽霊だ。でも払うお金は本物だ。貧相男の懐に大金が入っていることを警官もヤクザ風の男も不思議に思っている。
 金持ち男はきっと、ラッキーとアンラッキーを兼ねた妖怪なのだ。上手く扱えば金を引き出せるが、扱いが下手なら今の貧相男のようになる。そしてこれが見えているのは現状私一人だけだ。私ならもっと上手に扱えるはずだ。少なくとも従者のようにはならないし無茶ぶりにははっきりとノーを突きつけてやる。その自信があった。私は意を決して金持ち男に歩み寄った。男はこちらと目が合うとにやりと笑いかけた。

食用人間の話

2023年 09月19日 17:49 (火)

 「今日からここにお世話になります。」とその女は言った。彼女は自らを食用人間と名乗り家畜として私の家に来たらしい。「食用人間」のことは聞いたことがある。私なんかじゃとても手が出ない高級食品だ。どれも美人に作られており骨と髪以外なら丸ごと食べられると聞く。倫理観を置き去りに、遺伝子操作が成し遂げた食糧危機の救世主だ。改めて見てみると確かにこの女も美人と言える。
 「炒めても蒸し焼きにしても美味しいと聞きます。もしよろしければ生でも行けますよ。そうだすこし味見してみますか?」そういって女は人差し指を私に突き出してきた。これをどうしろというのだ。食い千切れというのか。女は指を差し出したままじっとこちらの様子を窺っている。
 私は沈黙に耐えられなくなって指を咥えてみた。指は想像以上に口の中を圧迫する。見た目の大きさと口の中で感じる大きさには違いがあるのだな。噛み切る勇気はないので舌でつついてみて感触を確かめる。指先の腹の辺りはざらりとして、最も物に触る部分だからか柔らかい印象はなかった。爪のつるつるした感触や骨ばった関節の部分もそれなりに硬い印象で、肉厚とは大分かけ離れた印象だ。これじゃ食べられる部分なんてほとんどないのではないか。しかし確かにあるこの体温がいつも口にしている肉と違った生々しい感じがした。いつも食べている肉は常温のコンビーフだからなぁ。でも別段美味しいとは思わなかった。もしかしたら食用人間を食べる時も塩とか胡椒とかで味付けするものなのだろうか。食べ慣れていない食材だから勝手が分からない。歯を立てることなく口を離すと女は意外そうな顔をしてこう言った。
「あら食べないんですか?体が欠損しても食用人間は栄養採ってれば勝手に欠損部分が再生するんです。だからあんまり気にしなくても良いのに。」
 そうは言われてもまんまカニバリズムである。抵抗無い方がおかしい。せめてこんなにベラベラ喋らないで、全く意思疎通が不可能で、なんだったら死んだ状態で来てくれた方がまだ食料として見ることができる。自分と会話できる家畜を食べられるほど私は食用人間という文化に慣れていない。
「そうですね、相当あごが強くないとふつう指は噛み切れませんよね。それに私はあんまりふくよかな方じゃないから、指は可食部分少なかったですよね。それじゃあ首筋なんてどうです?一番柔らかい部位だからあごの力だけで嚙み切れると思いますよ?」
 そう言って女は目の前で服を脱ぎ始めた。いきなりのことで目のやり場に困る。服の下は不健康そうな白くて透き通る肌だった。よほど日の光に当たっていないのだろう。胸は残念な気持ちになるほど小さかったが形は良い。それに首に浮きでる筋がこりこりしてそうでつい触ってみたくなるほどだった。特に浮き出た鎖骨でできた首元のくぼみはすべすべした肉の器で、そこを型にしてプリンでも作りたい気分だった。女は自信に満ちた目でこちらを見やると顔を斜めにそらして首筋を突き出してきた。
 また沈黙が続く。私が何かアクションしない限りずっとこのままのようだ。意を決して女の首筋にかぶりつく。まるでドラキュラだな。女の言った通り、確かに骨ばった指と比べたら幾分か柔らかい。いくら食用とはいえこんなことされて痛くないのだろうか。しかし女はうめき声一つあげない。さらに歯を突き立てて噛みしめると口の中には鉄の味が広がって来た。出血している。それに驚いて口を放してしまった。女は苦痛に歪んだ顔をしていたようだがすぐに笑顔に戻るとこう言った。
「あらどうしました?食用人間に痛覚はないんですから気にしなくてもいいのに。」
 じゃあさっきの顔はなんだったんだ。明らかに嘘をついている。思えば食用人間は食用として遺伝子操作されているはずなのだ。だからどの個体も肉付きの良いふくよかな体形をしているものだ。そうだというのにこの骨ばった指はなんだ。この肉のない胸は何だ。このうっすら浮き出た鎖骨とあばらはなんだ。この女は食用人間を自称しているだけのただの人間ではないのか。
「まあいきなり私を食べてと言われても抵抗はあるでしょうね。じゃあこうしましょう。しばらくこの家で一緒に生活して、慣れてきたら召し上がりということで、ね。」
 そう言うと女はそそくさと家に上がり込むと一番奥の部屋に陣取って勝手に小さな縄張りを作り上げた。私としても「この女は食用人間ではない」との確信があるためあれ以降傷つけるつもりはない。そうしてなし崩し的に一週間も共同生活が進んでしまった。
 女の首筋には未だに私の歯形が残っている。本当に食用人間ならあれくらいの傷はとうに治っているはずだ。歯形を見るたびに私はこの女の血の味を思い出し。せっかくだからもう少し啜っておくべきだったと考えるのだ。女は相変わらず軽い態度で体を差し出しつつ私は毎回やんわりと断るのだった。

睡眠の権化の話

2023年 09月18日 06:55 (月)

 夜寝ているといびきで目が覚めた。自分のいびきで目が覚めるという事はあるのだろうか。寝た状態で薄目を開けて目を動かすと隣に巨大な生き物がいるのに気が付いた。そいつが眠っていて時折いびきをかくようだ。寝る前は確かにこんな生き物は部屋にいなかった。扉も施錠してあるはずだ。そうするとこの生き物はこの部屋の中で発生したということになる。信じられないことが今起こっている。その生き物は全身もふもふした毛で覆われていて抱き心地が良さそうだった。顔は牛みたいに角が生えているけど、頭も体も全部まとめて丸い餅みたいなシルエットだ。無害そうな印象を受けた。この得体のしれない生き物をなんとかするべきではあるのだけれど私はとにかく眠かった。こいつも寝ているわけだし朝起きてからどうにかすればよいかと私はそのまま二度寝することにした。これは夢かもしれないし、朝起きたらきれいさっぱりいなくなっているかもしれない。
 お腹がすいて目が覚めた。やはり生き物はそこにいた。相変わらずぐうぐうと気持ちよさそうに寝ている。こいつはまるで睡眠の権化だ。こいつが寝ていると自分まで眠くなってくる。しかしどういうわけか深夜に見た時よりも体が一回り小さくなっているように感じた。
 とにかくお腹がすいた。ここまで空腹だと寝てはいられない。そう思い台所に行こうとしたときに生き物のすぐそばに小さい別の生き物が佇んでいるのに気が付いた。牛の見た目は似ているけどこちらはずっと反芻しているようだ。ずっと口をもぐもぐ動かしている。まるで無限に食事しているような印象だった。さながら食欲の権化か。
 人間の三大欲求は睡眠欲・食欲・性欲と言う。なんとなくそんな話を思い出した。それを思えば今この部屋には睡眠の権化と食欲の権化がいることになる。もしかして性欲の権化もどこかこの部屋にいるのではないか。三匹揃ってワンセットが道理だろう。気になってあちこち探してみるが結局のところ見つけられなかった。相変わらずこの部屋には私と2匹がいるだけだ。

奥に広いトイレの話

2023年 09月17日 06:05 (日)

 ものすごく奥に続くトイレだった。右手に個室、左手に小便器が並んだ空間が延々続いている。まさか室内で消失点を見るとは思わなかった。この駅はこんなに広かったろうか。トイレがこんなに広かったら一番奥へたどり着くころにはもうそこは終点駅ではあるまいか。
 興味が湧いた。用を足すのも忘れて奥へ奥へと進んでみる。駅のトイレだというのにそこはかとなく小ぎれいで、まだ誰にも使われていないかのような不自然さがあった。いや、そもそもこの空間が不自然なのだけれど。どこまで歩いても同じ風景が続くばかりなので自分が前へ進んでいないような、動く歩道を逆に歩いているような感覚にとらわれた。もしかしたら自分は一歩だって歩いちゃいないんじゃないか。振り返ると遠くの方に出口が見えた。やはり進んでいる。しかしいつの間にこんなに歩いたのだろうか。出口が豆粒くらいの大きさに見える。
 なんだか怖くなって引き返そうとするのだがこれもちっとも前へ進んでいるように感じなかった。出口は目の前に見えるというのにもどかしい。まるでこの空間が私を飲み込もうとしているようなそんな感じがした。
 「もう無駄だ」ふいにすぐ近くで誰かに声を掛けられた。見渡すが誰もいない。相変わらず無人のトイレだ。しかしそれもよく考えたらおかしかった。それなりに大きい駅のトイレなのに誰もいないのである。気味が悪いので早く脱出したいがさっきの声もまた気になった。誰かがすぐ近くで自分を見ているような感覚がするのだ。キョロキョロと辺りを見回すとすぐ横からすぐ後ろから声がする「お気の毒です」「もう出られんのだよ」「まあここの生活も悪くはないぜ」声の主が分かった。小便器が喋っているのだ。
 気が付けば自分は小便器になっていた。さっきの空間に他の小便器と一緒に並ばされている。なるほどこうやってこのトイレは長く長くなっていったのだな。

空から垂れる象の鼻の話

2023年 09月16日 04:39 (土)

 ぼちぼち東の空が明るくなり始めた。早朝夜明けごろ、なんとはなしに明るくなった空を眺めると上の方から黒い線みたいなものが地面に垂れているのが見えた。ものすごく長い象の鼻が雲から垂れている。気になって外に出ることにした。
 夜明けごろとあって人通りは全くない。走ってる車だって数台見かける程度だが、運転手には車の屋根が邪魔になってあの物体には気づかないだろう。多分今この付近で、あれに気づいているのは私一人だけだ。そう思うとテンションが上がる。これが昼頃の出来事で地域住民皆が知るところになっていたら私は全く興味を示さなかっただろう。それだけ大勢が気づいているなら翌日のネットニュースか何かに載って詳細もそこで分かるはずだ。しかし今はそうじゃない。唯一人私だけが知っている、そこに価値があるのだ。
 象の鼻はもう少し行った先の広めのグラウンドに降りているようだ。はやく間近で見てみたい。グラウンドまで来てみたが誰もいなかった。ぽつんと象の鼻が垂れているだけだ。本当に誰かが気づいていたらこのグラウンドに来ているはずだ。これは本当に私一人だけしか知らないらしい。まずはスマホで撮影しようか。その前に間近であれを観察したい。触って感触を確かめてみたい。
 鼻は地面の匂いを嗅いでいるのかぴくぴくと小刻みに動いている。その様はタコの触手を思わせた。そっと近づいて触れてみるとこちらの存在に気付いたのか一瞬距離を取って後ずさりするように動いた。かと思う急に接近して私に巻きつきそのまま空へ上がっていった。もがく私をよそに鼻はどんどん空へ空へと登っていった。地面が凄い速さで遠のいていく。あの広いグラウンドも豆粒くらいの大きさになってしまった。誰かに助けて欲しかったが残念ながら誰も私がここにいる事を知らないのだ。誰もこの鼻のことも知らないのだ。私はここで孤独に死ぬようだ!急にあたりが霧まみれになって、あぁ雲の中に入ったのだなと察した。
 その日の内にネットニュースでは動画付きで記事が上がっていた。謎の触手にからめとられて空に吸い込まれる人の図。心配することはない、あの時誰かが見て知っていたしこうして今は皆が知るところになったのだ。

小さな手足の話

2023年 09月15日 05:37 (金)

 台所で洗い物をしていると三角コーナーから1cmくらいの小さな腕が生えているのに気が付いた。生ごみがそこそこに溜まっているし水分も十分あるとすればそこから発芽するのは当然のことだ。よく見れば腕の他にも小さな足がたくさん群生している。まるでそこら一帯に肌色の毛が生えているようだ。早々に三角コーナーごとゴミ袋にぶち込むと外へ運ぶ。
 ゴミ袋を運びながら考える。植物というのはしぶとくもまた力強いものだ。種子は目に見えないほど小さく、気づかないうちにそこら中に舞っている。三角コーナーや風呂のタイルの隙間はもちろんアスファルトの土が少し溜まった箇所や壁のひび割れの中にさえ。そうして発芽する瞬間をずっと待っている。栄養と水分と光の条件が整えば人知れず発芽して決して滅びることがない。
 そう思えばさっき見たのは幻想ではなくて確かなリアルだった。今までは目に見えても無意識下にとどまるだけで認識していなかった。ふとした瞬間に意識へ上がってきて知識と繋がることでそれが認識ができたのだ。学校でやった役に立つのか立たないのかわからない勉強も、見方を変えれば世界を高解像度で認識するための知識と言える。それは実質的に役に立たないかもしれないがどおぼろげな霧の中で生きるよりかはずっとクリアかもしれない。でも霧が晴れてより残酷な現実を目の当たりにすることもあるだろう。知らなくてもいいことを知り要らぬ心配をしてその後の人生を歩むのだ。それは馬鹿者では無いけれど幸せ者とは言い難い。
 現に私はいま、道に産毛のように生えた手足を踏みつぶしながら歩いている。靴底は血で真っ赤。赤い足跡が私の後ろに点々と続いている。きっとこの足跡を誰も気に留めたりはしない。知っている人間だけがこの足跡に気づくから。そして知らない方がまた幸せであるのも事実なのだ。

殺人伝書鳩の話

2023年 09月14日 15:50 (木)

 急降下してきた伝書鳩はものすごい勢いで私の心臓を目掛けて突っ込んできた。まるで弾丸。私は寸前で避けたのだが鳩のくちばしは私の右肩に直撃して肉を小さくえぐり取った。今回の攻撃は相手の殺意を充分に感じ取った。回を重ねるごとに攻撃はヒートアップしているが私も負けてはいられない、すぐに報復の準備だ。この殺し合いはあと数ターンの内に決着がつくだろう。私が殺されるか相手が殺されるかだ。
 私は伝書鳩を使って知らない人と文通をしていたのだ。このネット全盛の時代に文通を、しかも伝書鳩でやるという粋な取り組みだと思っていた。だがそんな奇行に付き合う人など誰もいなかった。そもそもお互いにどこの誰とも知れない者同士、伝書鳩という通信手段もまた不安定が過ぎるのだ。それでもようやく見つけたのが今の殺し合いしている相手というわけだ。
 一年くらいは文通を楽しんでいたと思うのだが、些細な口論が今では殺し合いに発展している。切っ掛けが何だったかなんてもう忘れてしまった。今はただ殺意だけがありそれは相手も同じだろう。しかしお互いに顔も名前も住所さえも知らないので伝書鳩に殺人方法を組み込んで送り返すという、ターン制の殺し合いになっていた。ここで重要なのはどんなに頭にきても伝書鳩に八つ当たりしてはならないということだ。相手が送り込んでくる刺客が伝書鳩なら、唯一相手に送り込める刺客もまた、その伝書鳩だからである。
 今回相手は伝書鳩に殺人タックルを仕込んだようだがさらに、くちばしには鉄のかぎ爪が装備されていた。なるほど粋な小細工だ。あのスピードでこのかぎ爪なら上手く行けばあばらの間を縫って心臓を貫くかもしれない。しかし鳩の体重を考えたらその計画は無理がある。だが鉄のかぎ爪は気に入った。私はこの殺法をそっくり応用してやろうと思った。くちばしに致死性の毒を塗りたくるのだ。心臓を貫くことは無理でも皮膚に傷さえつけられればあの毒でじきに死ぬはずだ。今回ばかりは私のほうが一枚上手であろう。私は細く微笑んだ。このターンで決着がつく。
 もし一か月以上経過しても鳩が戻ってこなかった場合は相手が死んで送り返すことが出来なかったということになる。それはつまり私の勝ちを意味する。一か月はいつ返信が来るかずっと身構えていないといけないがそれを超えればようやく枕を高くして眠ることができるだろう。
 私がしているのは殺し合いなのだがここの所妙に血が騒いで以前よりも生き生きしている気がする。常に死が隣にあるからだろうか。互いに死力を尽くして考えるからだろうか。少なくとも死んだ魚の目はしなくなった。よくわからないが相手も同じ気持ちならそれも悪くない。一年間共に文通し、お互いに殺しあうほどの強烈な情を持った二人だ。
 半月後、不意に殺意を感じ取って空を見た。伝書鳩が返ってきている!私はあわてて臨戦態勢に入った。どうやら私の毒は効かなかったらしい。すると相手が次に仕込んだ殺法はなんだ?何が来る?一瞬も油断してはならない。この一瞬で鳩をよく観察して何が飛び出てくるか見極めねばならない!しかしどうも様子がおかしかった。確かに伝書鳩は例のかぎ爪を装備しているがよろよろと力なく羽ばたいて私の目の前で地面に墜落しそのまま死んでしまった。
 見るとかぎ爪には私が塗ったものと違う種類の毒が塗ってあった。察するに相手は私が毒を仕込んだのに気づいてもっと強力な毒を仕込んで送り返したのだろう。だがそれが悪かった。くちばしに塗られた毒はそのまま鳩の体内に入ったのだ。鳩には無害な毒でなければこの殺法は効果がないのである…。毒の知識は私の方が上のようだ。
 しかしもうこれで返信することができない。鳩が死んだことで相手の居場所も永久にわからなくなってしまった。相手はきっと「返信がないからあいつを殺すことができた!俺の勝ちだ!」と確信してその後の人生を歩んでいくだろう。それは実に悔しいことである。だがしかし実際私は死んではいない。相手のぬか喜びをせせら笑いながら私は今後の人生を歩んでいくのだ。それはそれで味のある別れ方だとも思えた。

野良脳髄の話

2023年 09月13日 16:57 (水)

 夜道を歩いていると小動物の動く気配を感じた。この辺は野良猫が多いしたまにタヌキも出るから多分そのどちらかだろう。しかし追いかけようとも大抵はすぐに逃げられてしまうので間近で見たことはない。でもやはり気になってその辺を探すことにした。あわよくば動物の毛並みをなでなでしたいのだ。周囲をうかがうと植木鉢の裏で何かがうずくまっているのに気が付いた。警戒させないようにゆっくりと近づくとそこには脳髄が落ちていた。
 脳髄は呼吸でもするかのようにかすかに動いている。街灯の光を受けて表面がぬらりと光っていた。さっきの小動物の気配はこいつで間違いないだろう。こんな見た目だが意外と素早く走るものなのだなと感心する。付属の視神経から伸びた目玉二つはあっちとこっちを向いてまるで焦点が定まっていないが、まあ視神経には筋肉がついてないからしょうがないか。
 警戒されないようにゆっくりと手を近づける。あんまり早く動かすと攻撃されると思って逃げられてしまうからだ。敵意がないことをその速度でアピールしながらようやく指が脳の表面に触った。思ってたより冷たい。でもぶりぶりした質感で張りも艶もよくその重量感から健康的な印象を受けた。野良とはいえたくましく生きているのだ。野生生物のなんと力強い事だろう。やはり野生との触れ合いは勇気を与えられる。本来の生きるということを実感させられる。だが表面は想像した以上に脆く柔らかかった。守ってくれるべきはずの頭蓋骨から抜け出ているので当然と言えば当然だった。やろうと思えば片手で握りつぶすことだって難しくはないだろう。そんなことはしないけど。
 思えば脳髄に触るなんて初めてのことだ。それも野生で生きている脳髄だ。知識としてはそんなのもいる事は知っていてもいざ触れ合うとやはり認識は変わってくる。こんなにもか弱くこんなにもむき出しな生き物はなかなか無いだろう。数分間脳髄を触っていたがその内私は立ち上がって家に帰ることにした。今日は大変満足した。私もこの脳髄のように生きるのも悪くないとすら考えた。
 翌朝家を出ると道路で脳髄が車に轢かれて死んでいた。多分昨日触れたあの脳髄だろう。脳漿が飛び散って体はボロボロに砕け散り元のサイズの半分くらいしか残っていなかった。無残な光景だ。しかし野生で生きるとは常に死と隣り合わせだ。それ相応の覚悟を持って生きた者の壮絶な最期をまざまざと見せつけられているようだった。やっぱり私は今のまま、この体のこの頭蓋骨に収まって外の世界を怯えて見ながら過ごすしかない。

セクシー野菜コンテストの話

2023年 09月12日 20:35 (火)

 ある村では毎年セクシー野菜コンテストが開かれている。セクシー野菜コンテストとは、その年その村で出来たエッチに見える野菜を持ち寄ってどの農家が作った野菜が一番エロいかを競うというイベントだ。
 男子小学生並みの発想だがこの村では結構マジメに開催されている大イベントだった。この村にはこれくらいしか娯楽がないから農業に関係ない村人も大勢が関心を示し出資する。つまり大金が動くのだ。だからこのイベントで優勝すれば向こう一年間の富と名声が手に入る。この村に生きる農家にとってこれ以上の名誉と実利はないのだ。
 どの農家も「恥ずかしい」と言って大っぴらにセクシー野菜を育てることはない。しかしどの農家も裏ではちゃんと遺伝子操作を繰り返し毎年高クオリティのセクシー野菜を作ってはイベントに持ち寄るのだ。この村で優勝を狙っていない農家など一つもなかった。農家ごとに遺伝子操作の技術は代々オリジナルのものが伝えられており、そのノウハウを他の農家に漏らすことは勘当ものの蛮行であった。それくらいセクシー野菜作りというのは魂の込もったものであった。
 このイベントは世界的にも有名になり、「ニッポンの奇祭」として近頃は海外からも観光客が押し寄せるほどになっていた。もはやここまでくれば立派な観光資源であり村の財政を支えているといって過言ではなかった。
 村役場ではまさかこんな村の恥部が最も効果的な村おこしになるとは思っていなかった。しかしそこは柔軟な村役場、これを切っ掛けに海外向けのPRをバンバン打っては観光客の呼び込みに成功し村は観光都市として豊かになりつつあった。イベントはまさに村を過疎化から救う救世主たりえていた。柔軟な村役場は敢えて恥部を晒すことで本格的な都市化を夢見ていたのだ。
 重要なのは審査員である。大金が動くから間違いがあってはならず公平さと純粋さを兼ね備えた人々に託されていた。それは男子中学2年生だ。「どれが一番エロいか」を選ばせるのにこれほどの適役はいない。さらにいえば賄賂や大人の汚い政治的な思惑なども全て無視して、曇りなきまなこと下半身でどれが一番エロいかを見定める純真さがあった。審査員をする中学生は毎年代替わりすることも審査の公平性を担保していた。この審査は何者にも侵されることのない絶対的なものなのである。だがこれが今回の事件の一因となった。
 ある年開かれたセクシー野菜コンテストで事件が起こった。壇上にセクシー野菜が並ぶ中一つだけ水着の美女が横たわっていたのだ。聞くとこの女は「私は野菜を自認しているので野菜です!」と言い放ったのである。
 会場は騒然となった。こんな世迷言通じるはずがない。何より日夜遺伝子操作を繰り返してこの日のためにエッチな野菜を作り上げてきた農家の方々が報われない。農家が激しく怒るのは当然である。野菜と美女どっちがエロいかなど誰が選んでも答えは決まっているからだ。
 美女の親父は「俺が作った正真正銘の野菜だ!文句あるか」とまるで恥知らずなことを言っている。この父娘の挙動を見る限り娘の方はなんだかよく分かっておらず言わされている感じが半端ではなかった。完全にこの父親に操られて金を錬成する道具と化している。だから美女の言う「野菜の自認」など嘘っぱちであるのは誰が見ても明らかであった。会場ではブーイングが巻き起こっていた。
 しかし村役場の思惑は違った。自認の多様性が拡大する昨今である。海外からも注目されているこの舞台を考えるとこれを無下に却下することは得策ではないと考えた。そこは柔軟な村役場、ここでこの女の主張を認めれば「この村はSDGsに配慮した先進的な村だ」と世界に宣伝することができるのだ。これは「エッチな野菜で盛り上がっている変な村」という消えがたい印象をぬぐい去る最善手と考えたのだ。
 避難殺到・大混乱の会場で村役場は「その女の主張を認める」との声明を発表した。農家達はさらに激怒・落胆しブーイングが加速した。しかし次第に審査員の中学生らに視線は集まっていった。そうなのである。政治的思惑も大人の汚い賄賂にも屈しない、純粋無垢な中学生のエロ心だけがいつもこのイベントを取り仕切って来たのである。大人がどれだけワーワー言おうとも全くの無駄なのである。12人の中学生は審査に取り掛かり小一時間して発表の時間になった。清らかな澄み渡るハスキーボイスが会場に響き渡る。12票全部獲得の満場一致で美女が優勝した。
 翌日美女が殺されているのが発見された。殺したのはきっとどこかの農家であろうことは誰にでも予想が付いた。美女の親父は血相変えて訴えてでるが困ったのは村役場である。なぜなら彼女は野菜でありそれは公に認められたことなのだ。だからこれを殺「人」事件として取り扱うのは彼女の人権を踏みにじることになる。それはSDGsのアピールにもならないのである。
 しかしそこは柔軟な村役場、落ち着き払って親父にはこう言った。
「お気の毒です。器物破損として警察には連絡しておきますね。」

電車ごっこの話

2023年 09月11日 15:48 (月)

 夕暮れ時、道路に白いチョークで落書きしている子供を見かけた。自分も子供の頃にはそんなのをやった記憶がある。懐かしく思って眺めているが、この子供がチョークで描くのは線路ばかりだ。しかもとても長くて道路のずっと向こうから続いている。それに所々二つに分かれたり三つに分かれたりと複雑でまるで迷路だった。
 もう一人子供が現れた。その子供は段ボールを被って「がたんごとん」と言いながらレールの上を歩き始めた。他愛のない電車ごっこ。一人はレールを描きもう一人はレールを行く。大人から見たら「それの何が楽しいの?」と理解に苦しむようなことを子供は嬉々としてやるものだ。何とはなしにその奇行じみた遊びを見ていたが奇妙なことが起こった。Y字のレールに差し掛かった電車の子供は二人に分裂したのだ。段ボールも含めて丸ごと増殖している。今はレールを描く子供も含めて三人がその場にいる。レールは地面から離れて建物の壁にまで続いていた。それに対して電車の子供は壁に対して垂直に吸いつくとレールに沿って壁を歩き始めた。夕日の刺す街はずれでとても奇妙な光景が展開されていた。
 電車の子供はいつの間にか20人くらいまで増えていた。きっとY字の交差点を何度も通ったのだろう。増殖する電車の子供に気を取られていたが、レールを描いていた子供がいなくなっているのにこの時気づいた。だがそうこうするうちに電車は進む。レールを先回りして辿っていくとレールは一本に収束されているのが分かった。だから皆この道を通ることになる。しかしその先レールは途中でバラバラになって途切れていた。分裂したり壁を垂直に歩いてまでレールに忠実であった子供達である。果たしてこのレールをどう進むのだろう。ちょっとワクワクして待っているとそこに差し掛かった子供は粉々になって霧散していった。
 急なことで驚いた。しかし後ろからは続々と子供はやってくる。文字通り列をなして途切れたレールに差し掛かり順番に粉々になっていった。見る見るうちに子供たちは数を減らす。やがて最後の一人になってしまった。全員が粉みじんになるのだろうか。しかし最後の子供はレールが途切れているのを見つけると段ボールを脱ぎ捨ててポケットからチョークを取り出すと地面にレールを継ぎ足し始めたのだ。
 やがてそこに別の子供がやって来た。傍らに捨ててある段ボールを被ると「がたんごとん」と言いながらそのレールを歩き始めた。レールは自分で描けるけどそこを走るのは別の誰かなんだな。

洗剤ドリンクバーの話

2023年 09月10日 04:22 (日)

 夕方の3時頃に一人でファミレスへ行くのが趣味と言えば趣味だった。この時間帯は全く混んでいないので数時間長居していても全く気がとがめない。サラダバーとかドリンクバーで安く抑えて読書に耽ったりスケッチブックに落書きして過ごすのだ。学生の頃なら深夜から明け方にかけて友人とよくそんなことをしたものだ。未だにこんなことをしているのはあの頃が懐かしくて記憶をリフレインしたいからだろう。今は一緒にやる友達が一人もいないのが悲しい。
 いい年して酒は飲まない性質だった。私にはコーラが未だにご褒美で、ドリンクバーでもこればかりだ。しかしどういう訳かこのファミレス、ドリンクバーの機械がそっくり別のに入れ替わってしまったらしい。どこにも「コーラ」と書いていないばかりか定番の「メロンソーダ」だの「爽健美茶」だのの表示がない。その代わり「アリエール」とか「サンポール」とか「アタック抗菌EX」とか書いてある。これは洗剤のドリンクバーなのか?試しにグラスに注いでみるが確かにこの色この匂い、飲み物のそれではない。試しに少しだけ舐めてみるがすぐに吐き出してしまった。
 グラスに次いだ「アタック抗菌EX」をもってテーブルまで戻る。捨てようにも流してよい場所が見当たらなかったのだ。テーブルには目玉焼きハンバーグがすでに運ばれていたが、ハンバーグの横に置かれた洗剤入りのグラスはどうにも食欲を減退させる効果があるようだ。
 この辺も少しずつ変わってきている。あっちにあったレストランは潰れて今はドラッグストアが建っている。向こうにあった喫茶店は潰れて今はラーメン屋が建っている。偶然にも長居できる店はどんどん減ってきていた。こうなっては私はますます家に引きこもりがちになってしまう。普段と違う環境で長居するのが良いのだ。自分の家ではだめなのだ。でも仕方がないことだ。
 急に周りがざわめき始めた。ドリンクバーの方で客やスタッフが集まり始めている。何かあったのだろうか。そりゃ洗剤ドリンクバーなんてやってればうっかり飲み込んで具合が悪くなる人もいるだろうに。野次馬心が働いてそっと見に行った。一番奥の方でグラスを手に持った子供が倒れている。
 その瞬間私は早々にお会計を済ませて逃げるようにその店を後にした。状況はなんとなく察せられる。子供のやることだ。ドリンクバーの全部のジュースを混ぜる定番の遊びを洗剤ドリンクバーでもやったのだろう。きっと塩素系洗剤と酸性洗剤を混ぜ合わせて塩素ガスが発生したに違いない。「混ぜるな危険」の表記を軽く見てはいけない。店から離れながら私はまた一つ長居できる店がなくなったことを残念に思っていた。

増える段ボールの話

2023年 09月09日 05:11 (土)

 研究室前の廊下にはいつも段ボール箱がうず高く積まれていて、ただでさえ日当たりの悪いこの近辺をより暗く狭くしていた。週に2~3回しかこの校舎のこの階には来ないのだけれど、来る度に箱が増えているのが分かった。
 研究室内にも入りきらないものなのだろうか。一体何が入っているのだろうと中を開けたことがあるけれど分厚い資料集が入っているだけで興味を引くものは何もなかった。そしてこんな紙ばかり入っているものだから箱はどれもものすごく重いのだ。人通りもほとんどないこの一角のことだから特に気にする人もいなければ私も大して気にはしていなかった。
 ある日その廊下を通ると箱がひとりでに動いていた。真っ先に思ったのは中に人が入っているということだ。しかしいい年してこんな馬鹿な遊びする者がいるんだろうか。それに人が入るにはあまりに小さすぎる。犬とか猫とかが入って動いているケースも考えられたが近寄って開けてみるとそこには資料集が入っているだけだった。見間違いかと思い隣の箱も開けてみたが中身は同様。こんな重いものがひとりでに動いていたのかと考えると不思議でならなかった。
 箱の中のそれは相変わらず興味をそそるものではなかったが、後ろから段ボールを被せられるのに気づかないくらいには見とれていたらしい。誰がこんないたずらをと、抵抗もしたがすっかり箱の中に収納されてしまい私は身動き一つ取れなくなってしまった。
 体は動かない。声も出せない。箱の中でただじっとしていたが誰かが近寄って来る音がしてべりべりとふたを開ける始めた。そこには見覚えのある学生の顔がこちらを覗き込んでいた。明らかに私と目が合っているのだがそいつは特に興味を持つこともなくふたを閉めてどこかへ行ってしまった。きっとあいつには私が資料集に見えていたのだろう。
 なるほど箱が増えている理由が分かった。たぶんそれに比例して学校に来なくなった学生の数も増えていたのだろう。私には友達がいなかったのでそれには全く気付かなかったが。

長いナメクジの話

2023年 09月08日 16:36 (金)

 細長いナメクジが地面にいるのに気が付いた。ぬめぬめした黒っぽい棒のように見えるが確かにナメクジだ。新種だろうか。今は霧のように雨が降っていて数m先もよく見えない。その良く見えない道の向こうまでこのぬめぬめは続いていた。今は家に帰るところである。ちょうど良いのでこれを辿りながら家に帰ることにした。
 先端はどうなっているのだろうか。どこまで続いているのだろうか。全部で何mあるのだろうか。未知の生物を目の当たりにして私は少しテンションが上がっていた。それこそネッシーとかツチノコとかそういう分かりやすいUMAの方が嬉しいけれど、これもこれで乙なものではないか。捕獲してしかるべきところに届ければ学名をつける権利くらいはくれるかもしれない。辿っていくうちに5mmくらいあったナメクジの幅は段々と太くなっていき今じゃ10cmくらいまである。多分さっき見えていたのはしっぽに近い部分なのだろう。そうなると頭の部分はもっと巨大かもしれない。徐々に幅は太くなり今は30cmくらい。
 家に至るまでに曲がり角はいくつもあったが不思議なことにナメクジは全て帰路に沿って曲がっていた。このまま辿れば自分の家の近くに頭の先端があるかもしれない。実に都合の良い話だった。だが家の玄関まで来て驚いた。ナメクジの先端、頭が玄関の扉に張り付いているのだ。幅は1mくらいあって透明な粘液でそこらじゅうがべとべとだ。頭の先端からは二本の巨大な触手が出ていてそこらへんを触りまくっているのだがその度に透明な液体がそこらへんを濡らしている。
 なぜこいつはここに張り付いているのだろうか。まさかこの家に入ろうとしているのではないか。気持ちが悪かった。見た目も気持ちが悪いがその行動も不可解で気持ちが悪かった。扉を開けたらこの怪生物は進んで中に入っていくかもしれない。体をうまく折りたためば全長全てが家の中に入るかもしれない。しかしそれは絶対に避けたかった。さっきまで未知の生物ではしゃいでいた気分が吹っ飛んでいた。とにかく扉からこのナメクジをはがしたかったがどうしても触る気にはなれなかった。
 ナメクジには塩だ。ふとそう思い立った。急いでコンビニに行き塩を10袋くらい飼って戻ってみるとナメクジは忽然と姿を消していた。後に残るのは透明のべたべただけ。あんな長い生き物が数分で消えるものだろうか。道中にも透明な液体は残っていたが肝心の本体は確認できなかった。扉に付いた液体は早くもカピカピに乾き始めていた。

戸棚おばさんの話

2023年 09月07日 16:06 (木)

 台所の戸棚を開けると中に人が入っていた。知らないおばさんだった。おばさんは何か言うでもなくただじっとこちらを見下げている。その目はこちらを責めるような、批難するような目つきだった。
 「あんた誰なんだ」
 そう言ったがおばさんは全く反応しない。ただただ頭上からこちらを見定めている。居心地が悪くなってきた。ここは私の家だ。不法侵入して居直っているおばさんの方が明らかに場違いなはずである。なのにこの目で睨まれているとなぜだかこちらの方が場違いな感じがする。うっかり女子トイレなんかに入ってしまったらこんな目で睨まれそうだ。
 いたたまれなくなって戸棚の戸を閉じた。閉じる瞬間までおばさんはこちらを睨んでいた。なんなんだあのおばさんは。警察に電話だろうか。いや、待て待て。見間違えの可能性はある。次に戸棚を開けたら人なんてそこにいなくて、人の顔に似たなにかがそこにあるだけかもしれない。もう一度戸棚を開けてみた。
 相変わらずおばさんはそこにいた。相変わらず目の力でこちらを威圧し続けている。戸棚が高い位置にあるのも相まって常に見下されているのも心的に負荷がかかっていた。勇気を振り絞っておばさんに言ってみた。
「け…警察、呼びますよ…!」
 おばさんは全く動じない。目線は少しもブレることなくまっすぐこちらを見据えている。むしろ私の方が目を合わせられなくて視線が空中を漂ってばかりだ。こちらの方が挙動不審で職質されるレベルだ。なぜ私の方が責められているのだろう。
 意を決して力ずくでおばさんを引きずりだすことにした。不法侵入のおばさんとはいえ一応女性なのだ。女性の体を無遠慮に触るのは憚られるので顔を掴んだ。ぐにゅりと生暖かい感触がした。これは、ゾッとするほど人間だ。しかし高い位置にあるからか点で力が入らない。おばさんも引きずられまいと踏ん張っているのか石のように動かない。小一時間格闘したが結局引きづりだすことはできなかった。私は諦めた。その日は戸を閉めてまた後日に保留することにした。
 あれから数日経った。結局おばさんは未だにそこにいる。思えば私も台所の戸棚を開けることなんて滅多にないのだ。気にしなければどうということはない。何か盗まれるとか食材を勝手に食われるといった実害はないのだし。
 ただたまに、戸棚越しにおばさんに睨まれているのを思うと身が震える。

頭の中の鯉の話

2023年 09月06日 15:29 (水)

 頭の中の鯉は大きく育ち、頭蓋骨の中をびちびちとのたうち回る。
 鯉は普段は大人しいのだけれど、ここの所ひどく暴れまわるようになった。大きさも以前に比べて大きくなったかもしれない。うろこが頭蓋骨の内側にざりざりと擦れてストレスになる。いや、イライラしているから鯉がのたうち回っているのか、鯉がのたうち回っているからイライラするのか、判別がつかない。鯉がのたうち回るたびに目や鼻から頭の中の汁が溢れれだしてきてこれはそこそこに辛いのだけれど、やっぱりイライラの方が上回る。
 いっそ頭の中から鯉を出してしまった方が楽のなではとも考える。しかしどうすれば出せるのかが分からない。仮に出せたとしてそれ以降私は何を考えて生きていくのかがわからない。全く違う自分になってしまうのではないかと思うと少し怖い。鯉は指針である。頼りない指針である。
 私は実際の所自分の頭に入っている鯉を見たことがないが、きっと色は趣味の悪いピンク色なのだろう。そう思えてならない。でもきっと他の人の頭にはそんな鯉は入っていない。黒だったり赤と白のまだらだったりと高級な色形をしているはずだ。そして大人しく優雅に泳いでいるに違いない。あまりにも明鏡止水でほとんどの人は頭の中に鯉が入っていることすら気づかないだろう。私はそれを羨ましく思う。
 今日も鯉がのたうっている。私はいつまでこうなんだろう。

顔のらくがきの話

2023年 09月05日 10:33 (火)

 暇だったので手元の文房具で遊んでいた。ボールペンで消しゴムに顔の落書きだ。小さな白い消しゴムに点二つと線一本の単純な落書き。その見てくれは小動物的なかわいらしさがあった。我ながら粋な落書きだと思った。その顔を見つめていると消しゴムは急に口を開いて喋り始めた。
「使われれば使われるほどに私は死に近づくのです。」
 急に言葉を発したのにも驚いたが可愛い見た目で死の話をし始めたことにも驚いた。あっけにとられている私をよそに消しゴムはなおも喋るのだが「体が削られていくのは痛いのです辛いのです」とネガティブなことばかり言っている。なんだか怖くなったので顔の部分を机に押し当てて強めにこすり始めた。消しゴムは絶叫して辞めてくれと叫んでいたが次第に声は小さくなり元の物言わぬ消しゴムに戻った。きっと顔をかたどったインクが消えたから喋ることもなくなったのだろう。
 試しに机にも顔を描いてみたら机は喋り始めた。「長い間使っていただきありがとうございます。」すぐに洗剤を使ってインクを落とす。どうやら無生物に意識を備えるインクであるらしい。日本には付喪神という考え方があるがああいうものを強制的に発現させる効果なのかもしれない。これは面白いものだ。他の物にも顔を書いて何をしゃべるか見てみたい。しかしこれはボールペンのインクだ。表面のつるつるした所には書けないし、一度ついたら消すのには苦労する。そう考えると試せるものというのは意外と限られてくる。スマホはつるつるしているからダメだし、お札は消せないからダメだ。
 ふと思い立った。ボールペンを分解して中のインクだけ出せれば少なくとも表面の材質の問題は回避できるのではないか。さっそく分解してみた。インクは水性のようでボールペン内部の管をハサミで切ればそこから滴るはずだった。
 しかし切るところを間違えたのかインクは派手に飛び出てしまう。そして傍らにいた柴犬の顔に滴った。ちょうど両目の上に一本ずつ線が描かれる形になった。それがなんともハの字の形の眉毛のようで犬の顔を強制的に情けない表情に作り変えてしまっている。そのあまりにも情けない顔で私は噴き出して小一時間笑い転げていた。
 犬は不思議そうに私を見るばかり。一切喋り出すことはなかった。

浮かぶコーンポタージュの話

2023年 09月04日 15:12 (月)

 私の頭の後ろの方にはコーンポタージュが鍋に入った状態で浮いている。私が右を向けは左に、左に向けば右に移動するので私はあまりその存在を意識することはなかった。だが確かにそこには鍋が浮いている。自分で確認することは難しいのだがコーンポタージュは大抵いつもそれなりに温かくてそれなりに美味しいらしい。私は味見したことさえないのだけれど。
 コーンポタージュは私の心持ち次第で温度が変わるようだった。何かに熱中しているときは段々加熱していく、感情に高ぶりがあれば突沸する。逆に興味がない時、何にも心動かされない時、情熱を失った時コーンポタージュは徐々に冷めていく。
 そのような特性だとは聞く。しかし後ろに手を伸ばしても届かない。鏡で見ることはできても味までは分からない。だから実際どうでも良いと考えていた。確認できないものは存在できないも同義であったからだ。これは物体が分子の塊でできてて分子は原子からできてるという理屈をそのまま信じるかどうかというのに似ている。説明されても実際それを目で見て確認することは普通できない。確認できないからリアリティを持ってそれを受け止めることができない。信じようと信じまいと実生活においては特に影響もないわけだし日常生活は続いていく。だからコーンポタージュは普段は意識の外にあってたまに顔を出す知識といった程度のものだった。
 しかしコーンポタージュは最近、冷めた上に蒸発して固形化しており、カビは生えていないものの食えたものではないらしい。「らしい」というのはやはり自分では確認しようがないからだ。しかし人からそう言われては気にしないわけにはいかなくなる。確かに最近何かに感動することはなくなっていた。海に浮かぶクラゲみたいになんの意思もなくただ漂っている。それで生活できてしまうのがそもそもまずいのかもしれないがそれが私の現在であった。
 あつあつコーンポタージュに戻さねばならない。それは具体的に何をするべきなのか、そんなことは分からない。しかし何かしないわけにはいかなかった。とりあえずギャンブルを始めることにした。熱くなるといえばギャンブルだからだ。そしてギャンブルといえばポーカーだ。
 良いカードが出た瞬間にコーンポタージュは突沸した。これじゃポーカーフェイスもクソもないな。

セミ爆弾の話

2023年 09月03日 03:06 (日)

 私はつまらないTVを見ていたが何気に外が気になって窓の向こうを見た。公園にはベンチに一人老人が座っていた。老人は特に何をするでもなく佇んでいる。
 またTVに目を向ける。相変わらずCMばかりでつまらない。ほとんどの時間をCMに費やしているのではないかと思われるほどに。公園では先ほどの老人が猫を抱きかかえていた。
 この一瞬で、どこから猫が出てきたのか分からない。しかしまあそんな事もあるだろう。この辺は野良猫が多いのだ。TVに目を向けるとつまらない漫才をやっていた。世の中の人はこれで笑うのだろうか。理解しがたい。公園に目を向けると老人はセミの死体を抱きかかえていた。
 猫ほどの大きさのセミだった。こんなデカいセミがいるものなのか。というよりもさっき猫に見えてたあれは実はセミだったのかもしれない。見間違えということはあるだろう。そんなに注意深く観察していたわけではないし。TVにも老人にも大して興味はないのだ。セミはひっくり返ってピクリとも動かなかった。
 TVがあまりにつまらないのでチャンネルを変える。しかしどこも似たり寄ったりのつまらない番組だった。それでも今はTVくらいしか見るものがないのだ。退屈だ。退屈だ。外を見ると老人はベンチから離れたところに立っていた。
 さっきのセミはここからは見えない。多分セミ爆弾だったのだろう。セミがひっくり返っているから死んでいるものだと思って近づくと急に動き出して飛び回るあれだ。夏の風物詩。油断していたときなどは特にびっくりさせられる。多分老人もびっくりしてベンチから離れたのだろう。
 TVのチャンネルを変えながら結局ニュース番組にたどり着いた。かといって興味深いことなど話していない。スポーツニュースなど私は興味がない。公園では先ほどの老人が二人してベンチに座っていた。
 老人が二人である。しかも服装から人相から腰の曲がり具合まで全く同じの老人だ。まるで増殖でもしたかのようだった。奇妙な光景だが老人二人は特に喋るでもなくただ地面を眺めて佇んでいた。よく似た二人が一堂に会する。珍しいこともあるものだ。TVでは相変わらず興味のないニュースを垂れ流していた。ぼんやりそれを眺める。
 ボンッという音が外から聞こえて公園の方を向いた。老人は一人でベンチの傍らに立っていた。もう一人の姿が見当たらない。見当たらないがさっきの破裂音はもう片方の老人が爆ぜた音なのだと思った。よく見ると赤いものがベンチの周りに点々としている。老人爆弾だったのだろう。そう、セミ爆弾みたいなものだ。
 TVでは少子高齢化のニュースが流れていた。

もふもふの話

2023年 09月02日 06:16 (土)

 会社に行こうと玄関を開けたところで目の前に巨大なもふもふが鎮座していた。触ってみると体温と僅かな鼓動を感じた。確かに生きているようだ。こんなデカいもふもふした生き物は見たことがない。見たところどこにも顔や手足が見えない。こちらに背を向けているからかもしれない。
 なんにせよ出入り口を閉ざされている形になっており外に出られない。このままでは遅刻確定だ。とにかくこれをどかさなければならない。何とかドアの外へ向かって押し出そうとするがぐんにゃりもふもふするだけでびくともしない。しかしなんともまあ触り心地の良いもふもふだ。さっき起きたところなのに触っているともう眠くなる。押し出すついでにそのもふもふに体全体をうずめてみた。とても気持ちが良い。これはあれだ。「となりのトトロ」でサツキとメイが大トトロに飛びついていたがあんな感じだ。子供の頃に自分もやってみたいなぁと思ってたがこんなところで夢が叶うとは思わなかった。ふと気づけば体をうずめて2分くらいそのままだった。あまりに気持ちが良すぎて一瞬眠っていたようだ。
 その間にもふもふはゆっくりと家の中になだれ込んでいるようで扉は閉まらなくなっていた。最悪玄関から出るのは諦めて窓から外に出て仕事に行こうと思ってたがこうなってしまってはそうもいかない。玄関の鍵を閉めないまま仕事には行けないのだ。なんとかならないかとそのもふもふを引っ張ってみると意外にもあっさりとそれは引きちぎられた。別に血が出るでも肉が見えるわけでもない、生き物も痛がるでもなくそこに鎮座している。手の中には生きたクッションがある。そうか、どういう理屈かは分からないけどこれは分離できるタイプの生き物なんだ。
 ぶちぶちともふもふを手でちぎっては部屋の中に運び入れる。これを繰り返すことでようやく玄関の外が見えてきた。もう遅刻は確定だが欠勤することはないだろう。部屋の一角にはもふもふが集まって巨大なクッションが形成されていた。仕事に行かなくちゃならないと考えつつもあそこに飛びついたらさぞかし気持ちが良いだろうと考えてしまう。いやすぐにでも飛びつきたい。「人をダメにするソファー」というのがあるがまさにそんな感じだ。もふもふに体をうずめていると不安や焦りや気分の悪さは頭の中から消滅してしまいただただ安らぎと安心が手に入る。それはこの世の煩わしさ全てを忘れ得るものだった。数分後、私は部屋の中でもふもふにうずもれていた。会社には適当に体調不良とかで欠勤する旨を電話して、今日一日ずっとこのもふもふと戯れる所存であった。
 考えてみればなぜ働くのか。お金を得るためだ。なぜお金を得るのか。食うためであるし、好きなものを買うためであるし、将来への不安のために貯蓄するためだ。そう、結局のところお金は不安・不満を解消するために要るのだ。だが今この状況はどうか。このもふもふに埋もれている以上私は全ての不安と不満から解放されているのだ。だったらお金など、働きに出る必要などないではないか。あらゆる人々が生きている時間のほとんどを費やして働いてお金を稼いでようやく手に入れる平穏を私はすでに持っている。この部屋はせせこましく煩わしい人間生活からは完全に開放された解脱の境地である。そう、このもふもふさえあればあとはもう何もいらない。このままもふもふし続けて一生を終えるのも悪くない。いや本望だ。
 一日中もふもふし続けて深夜ふと気が付いた。このもふもふって実際何なんだろう。もしかして、もしかしたら麻薬なんじゃないか。ゾッとした。共通する点は多かった。人をダメにする、依存性が高い、人を快楽漬けにする、社会生活が送れなくなる。心配なのは人体への影響だ。今のところは大丈夫かもしれないがいつまでもこんなことをしていてはさすがにまずい気がしてきた。頭の中がハッピーになっていようと客観的にはただの怠け者であり落伍者だ。社会の最底辺でいずれ忘れ去られるカスのような存在に成り下がる。
 目が覚めた気がした。このままじゃまずい。つらくても社会に復帰しなくてはならない。そう思い立つと私は一晩掛けてもふもふを隣の家の玄関に運び込んだ。きっと私の家の前にあったもふもふもこうして別のところから運ばれてきたのだろう。次の人も同じように別の人へ送るのかあるいは自分の番で最後にするのか、それは分からない。

崖ダイブの話

2023年 09月01日 04:18 (金)

 夏休み。友達らと一緒に川に遊びに来ている。保護者と呼べる者など一人もいないゆえここは小学生の天国だ。魚取ったり潜水したり石投げしたりと皆思い思いに遊んでいる。やがて崖から飛び降りる遊びを誰かが思いつき皆一様に列を作って順に飛び降り始めた。
 これはちょっとした度胸試しだ。小学生男子の世界は事にこういう所が重要だったりする。度胸のない奴だと思われてはそれ以降なめられてしまうし、ここでダイブできなかった奴を自分は忘れないだろう。男の世界は力関係で成り立っているのだ。別に大した度胸試しではない、崖から水面まで1mそこそこしかないし川底も結構深いのだ。逆にこれをダイブできない方が問題があるレベルだ。それに度胸試し云々の前にこれはこれでちょっとしたスリルがあって楽しいものだ。ダイブしてはまた崖を登り列についてまたダイブする。これを皆して繰り返していた。
 しかし何周かしているうちに皆あることに気が付いていた。ダイブするうちに崖がちょっとずつ高くなっているのだ。おかしな事ではあるのだが確かに同じ場所から飛び降りているのに水面が遠のいている。今は目測でも大体5mくらいにはなっている。初回の五倍だ。皆それに気づいてはいるが一人もそれを指摘する者はいなかった。これを指摘することはビビっていると同義だからだ。男の世界ではなめられてはいけない。気づこうが気づかまいが平然とダイブできる奴がかっこいいのだ。
 何周しただろうか。もはや水面は遥か遠くにある。10mは越えているだろう。人間は何mまでなら死なずにいられるのか小学生で知る者はいない。しかし前回飛び降りた時の衝撃はなかなかの物だった。まだ水面に当たったところがひりひりと痛い。次はさすがに無傷では済まないかもしれない。これまでに何人もダイブを諦めて川岸で観戦に回る者が続出して、今残る挑戦者は自分を含めて三人だけだった。崖の下では観戦者らがこちらを見上げて「早くダイブしろ」と野次を飛ばしている。脱落しておきながらえらく態度のデカい奴らだ。
 前にTVで見たある実験を思い出す。スイカを海面に落としその衝撃を調べる実験だ。何mを越えた時からかは覚えていないがスイカは水面で粉々に割れたのだ。あまりに高いところから落ちると水面とはいえアスファルト並みの硬度になってしまうのだ。実に恐ろしい光景だった。スイカの赤い中身が四散する様が砕ける頭蓋骨を連想させた。
 流石に自分は怯えていた。遠く眼下の水面がアスファルトに思えた。砕け散るスイカが頭から離れない。足が震えて動かない。それを見た後ろの少年は鼻で笑った。順番を飛ばして自分の横を勢いよく走ってダイブした。みるみる小さくなっていくその少年は下の方に落ちていって真っ赤な血しぶきに変化した。人間が砕けるのを初めて見た。しかし川岸では騒ぎになるでもなく「早く次の奴ダイブしろ」と怒声が飛び交う。気づけば川岸は人で埋め尽くされている。その辺の通りすがりの全く関係ない人まで観戦に来ては「早く飛べ」と野次を飛ばしている。流石にどうかしている。
 まごついている自分を置き去りにしてもう一人の少年は崖をダイブした。やはり豆粒のように小さくなったと思ったらパッと赤く四散して川に流されていった。確実に生きて帰れるとは思えない。周りからなんと言われようと自分は諦めることにした。来た道を引き返す。川岸からはブーイングが聞こえてくるが知ったことではない。命あっての物種だ。
 川岸までもどってくるとそこは酷く閑散としていた。人っ子一人いない。さっきまであった人だかりは影も形もない。ふと気が付いた。そもそも一緒に遊んでいたあの少年たちは何だったんだろうが。友達だと思っていたけど自分は一人の名前すら思い出せない。狐につままれた気分だ。今は冬だ。川遊びするような季節でもないし自分は小学生でもない。いい年した大人なのだ。自分はなぜ一人でこんなところにいるのだろうか。
 あの時ダイブしていたらどうなっていただろうか。

暴走するトロッコの話

2023年 08月31日 06:01 (木)

 朝家を出ると目の前にはすでにトロッコが到着していた。底が見えないくらい高い場所に我々は住んでいて、むき出しの鉄骨とトロッコのレールだけが無数に視界には見える。方々あっちこっちに小さい箱状の物が浮かぶように設置してあってそれぞれが独身者の家だ。どこまで続くとも知れぬメガストラクチャーの一角に我々は住んでいる。最初は不便に感じたが結局は自分の家と仕事場を往復する毎日でそれ以外に行き場はない。それを考えると必要最低限で効率的な生活と言える。
 トロッコは三両編成で一番後ろだけすでに人が乗っていた。毎日同じ方面へ行く人だ。言葉を発することなく軽く会釈して自分は一番前に乗り込む。トロッコはゆっくりと加速を始めた。家から仕事場まで直通一本道だ。寄り道は一切しない。このトロッコにはブレーキすらついていない完全な自動運転だしそもそも寄り道しようという発想も我々にはない。毎日が代り映えのない同じ事の繰り返しである。最近じゃ自分はこのレールや鉄骨のように建物の一部なんじゃないかとも思えてくる、しかし別段それについて悲しみも喜びもなかった。
 レールは上へ下へ右へ左へ体全体を大きくくねらせて進む。最初はこの挙動に慣れなくて随分辛い思いをした。毎回吐きそうなほど酔ったし、スピードがすごいものだからいつ脱線して奈落に落ちないとも限らず怯えたものだった。しかしもう慣れたものだ。どのタイミングで体をどっちに傾ければ酔わずにいられるか体が覚えている。毎日何年も乗っているのだ、ジェットコースターのような乱暴な走りにも体と心が順応、あるいは麻痺している。二つ後ろにいる奴もきっとそうだろう。一度も話したことはないが。
 しかし今日は妙だった。トロッコは仕事場で止まるのだから徐々にスピードが落ちていくものだが今日はまるでスピードが落ちない。仕事場の前で急停車でもしたら随分と体に負荷がかかると思い身構えていたがトロッコは仕事場の前を当たり前のように全速力で通過した。困ったことになった。遅刻する。
 これを暴走というのだろうか。こんなことは今までに一度もなかった。それにこのトロッコにはブレーキすらついていないのだ。我々にはこのトロッコをどうしようもできない。見知らぬ風景がすごいスピードで前から後ろへ飛んでいく。このままどこへ連れていかれるのか分からない不測の事態で急に不安になってきた。後ろの奴も焦っているようだった。しかしそれでも我々には一言の会話もなかった。
 トロッコはこちらの意思などまるで無視して尋常じゃないスピードで爆走している。どこかで飛び降りた方が良いかもしれない。ここからでもレールを歩けば少なくとも始業時間にはぎりぎり間に合うだろう。遅刻しないで済むのだ。しかし飛び降りた時やレールを歩く際に命の保証はどこにもない。見誤ってそのまま奈落に転落することも考えられるし、レールを歩いているときに別のトロッコが正面から走ってくるかもしれない。空中に浮いたレール上では避ける場所などどこにもないのだ。だが今確実に言えるのはこのまま乗ってたら遅刻は絶対に回避できないということだ。
 振り返ると後ろの奴はもうそこにいなかった。判断の早い奴だ。上手く飛び降りできたのだろうか。あるいは奈落に落ちていったろうか。自分にはそこまで早い判断は下せなかった。少なくとも曲がり角でスピードが落ちた時とか、飛び降りた際に勢いあまって転げ回っても奈落に落ちないほどのスペースがある場所でなきゃ飛び降りる決心はつかない。
 私がまごついている内にトロッコは見知らぬ場所を爆走する。巨大な工場が煙を吐いている。集団宿舎がまるでハチの巣のように釣り下がっている。廃墟化した建物に小さい木が生えている。普段見かけない光景なのに何故だか懐かしい感じがした。特に工事中のレールは初めて見たのだがずっと見ていたいくらい興味がそそられるものだった。あのレールはどこへ繋がる予定なのだろうか。あのレールを走ることになったら今の自分の生活はどの程度変わるのだろうか。あぁ思えば自分の毎日のなんと退屈なことか。ちょっとレールを外れるだけでこうも風景は変わるのだ。そんな当たり前のことにこの時ようやく気が付いて、もっと別の場所を見て回りたいとさえ思うようになっていた。それでもやはり仕事場に遅刻していることはどこまで行っても気がかりではあった。
 やがてトロッコは徐々にスピードを落として止まった。ここは停留所でも何でもないレールのど真ん中である。挙動の分からない奴だ。私はトロッコから降りるでもなくその場で思案していた。これからどうしようか。少なくともこれを降りるのが先決だろう。今からでも仕事場に向かって歩くのだ。レールを歩くのは危険だけれど遅刻は遅刻だからな。頭では分かっているがその気にはなかなかならなかった。なぜやりたくもない仕事のために命を張らねばならないのか。
 それよりもこのままどこかへ爆走していったほうが案外楽しんじゃなかろうか。トロッコは自動運転だ。私の責任はない。いうなれば私は被害者なんだからな。しかし都合悪くもトロッコは止まってしまっている。どうせならもっと爆走して取り返しのつかないところまで行ってくれたらよかったのに。なんとも中途半端な奴だ。こんな所に私を連れてきて一体どうしたいのだ。腕組みしてトロッコの中で考えていると急に向かいからレールのきしむ音が聞こえた。正面から何かが走ってくる。トロッコだ。
 それでも私は逃げるでもなくトロッコから降りるでもなくその場に居続けた。足が震えていて動かなかったのもあるかもしれないけど、一番はこのまま死ぬのも悪くないと思ったからだ。仕事場に戻るのもいつもの生活に戻るのも今の私にはなんの価値も感じられなかった。そもそも価値など感じていなかった。他にも可能性があったけどそれにありつくことはできなかった。私にとってそれだけ分かればそれで充分な心地だったのだ。
 轟音を響かせてトロッコは迫りくる。正面衝突は免れない。その後はトロッコも私の体もバラバラになって奈落に落ちるだろう。目を閉じてその時をただ静かに待った。

靴の話

2023年 08月30日 15:38 (水)

 空に巨大なUFOが現れた。高いビルから順番に破壊光線を当て破壊の限りを尽くしている。街はパニックで逃げ惑う人々が波のように押し寄せていた。自分も早く安全だと思われるところに逃げなければならない。
 その時ふと気が付いた。靴の紐が解けている。このまま走っては紐を踏んずけてこけてしまうかもしれない。ものすごく危険だ。私はしゃがみこんで靴紐を結ぶ事にした。周りではあっちのビルもこっちのビルも炎上している。逃げ惑う人々は冷静さを欠いて暴徒のようだった。まさに地獄絵図の様相だ。しばらくして靴紐を結び終えた私はこれで安心して走れると思った。
 その時ふと気が付いた。靴紐の蝶々結びは最後の結びの前に一回ではなく二回紐を回すと解けにくくなる事に。昔そんな豆知識を教わったのだ。確かにこれから全速力で走って逃げるのだ。走っている内に振動で紐が解けないとも限らない。ここは二回紐を通すべきだろう。私はしゃがみこんで紐を結びなおした。周りではあっちにもこっちにも倒れて動かなくなっている人がいる。このパニックで負傷しているものと思われる。もしかしたら死んでいるかもしれない。あっちこっちで将棋倒しが起こっていたから無理もない。パニックとはとても恐ろしいものだと思わせる光景だった。それはまさに地獄絵図だった。しばらくして靴紐を結び終えると私は立ち上がってその場から逃げようとした。
 その時ふと気が付いた。目の前に靴屋があるのだ。このパニックに乗じてあっちの家電量販店でもこっちのコンビニでも暴徒が火事場泥棒をしている。自分もまさかその気分に充てられて盗みを働こうとは思わない。しかしこれから走って逃げるのだ。今のぼろい靴よりも新品のちゃんとした靴で逃げた方がそりゃあ良いに決まっている。このパニックで店員がいないことは明らかだが、レジに万札でも置いておけば一足くらい持って行っても誰も文句は言わないだろう。火事場泥棒と比べればかなり律儀な方だ。早速店に入ると私は手ごろな靴を選び始めた。外では巨大なUFOから小さなUFOが蜘蛛の子を散らしたように大量に出てきて逃げ遅れた人間を各個撃破し始めていた。まさに地獄絵図。この世の光景とは思えないほどだった。手ごろな靴に履き替えて万札をレジに置いた私は早速走って逃げようと外に出た。
 その時ふと気が付いた。この靴はサイズが合ってない。ちょっと大きい分には別に構わないのだ。がぽがぽするだけで走れないことはない。それに今は緊急事態なのだ。ちょっとサイズが大きい事くらいどうってことはない。しかしサイズが小さいのには我慢ならなかった。サイズの小さい靴を無理してはいていると足にとてつもないダメージが蓄積されていくものだ。ここはもう少し大きめの靴を選びなおすべきだ。私は再び店に入った。外では小型UFOから降り立った宇宙人が殺人光線で手当たり次第道行く人々を攻撃している。怪我して動けなくなっている人も戦う意思のない丸腰の人間も問答無用。まさに地獄絵図の様相だった。サイズの合う新しい靴を履いた私はレジにもう一枚万札を置いて店を出た。早く走って逃げなくてはならない。
 その時ふと気が付いた。向こうから一人の宇宙人がやってくる。まっすぐこちらを向いてずかずかと歩み寄ってくる。まさに地獄絵図だった。宇宙人は言った。
「お前。いい加減にしろ。」
 その時ふと気が付いた。その宇宙人の靴紐が解けていることに。

中空の死体の話

2023年 08月29日 21:03 (火)

 道を歩いていると死体が落ちていた。しげしげと眺めてみるが動かないしつついても反応がない。体温ないし脈もなかった。これが死体か、初めて見る。死体の斜め上にもまた別の死体が浮かんでいた。どういうわけか空中に倒れる形で静止している。さらにその斜め上にも死体が浮かんでいた。死体は空に向かって段々に浮かんでいてまるで階段のようだった。死体の階段は雲の上まで続いているようだった。
 奇妙な光景に圧倒されていると階段の先から誰かが降りてきた。黒い服を着て大きな鎌を持っていた。そいつは私に向かって「お迎えに上がりましたよ。」と言った。これが死神というやつか。
「私は天国に行くのかな。もしかして地獄かな。」
「どちらにも行きませんよ。あなたはこの階段の一部になるんです。」
 予想外の返答に面食らった。どちらにも行かないとはどういうことか。階段の一部とはどういうことか。詳しく聞いてみるとこれは天国への階段であるらしい。天国行きの人間はこの死体達を踏み台にして天国まで歩くのだ。しかしまだまだ工事中で素材になる死体が足らないようだ。死神は上からの命令で死体を集めて階段を作っている最中のようだった。確かによく見るとこの死神は筋骨隆々でガテン系のようだ。
「その死体は私でなくてはならないのか。」
「いや、別に。天国行きの者じゃなければ誰でも良いんだけれどね。たまたまあんたがそこにいたからさ。」
 ということは私は天国行きじゃないのか。別段ショックでもなかったが。
「ちなみに私が死体になったらそのあとは具体的にどうなるんだろうか。」
「なに単純な話さ。死体になったお前を担いでこの階段の上まで行く。途中で途切れているところがあるからそこに投げ入れる。するとお前の死体は空中に静止してそのまま階段の一部になるのだ。今日の仕事はそれで終わり。さあ早く死体になりなさい。」
 私は素早く死神の後ろに回り込んで大きな鎌を奪い取るとすぐさまそれを死神の首筋に突き立てた。死神は死体になった。
 個人的に自分が死ぬのは構わない。天国に行けないのも構わない。この先の人生に未練もないしこれまで高潔な人生を歩んでいたとも思えないからだ。しかし他人が天国へ行くための踏み台になるのは嫌だった。かといって天国への階段が未完成なのも悪い気がした。だから自分の代わりにこの死体を補充することにした。どこからも文句はないだろう。死神の重い死体を担いで階段を上る。足下の感触はぐんにゃりとしていてあまり気分の良いものではなかった。

天井から下がる釣り針の話

2023年 08月28日 19:10 (月)

 朝目が覚めてぼんやり天井を眺めていると、天井から釣り針が垂れ下がっているのが見えた。天井はよく見るとなんだか波打っているように見える。水中から水面を見上げたらこんな感じに動くのだろう。そして同心円状に波紋を波立たせている中心からまっすぐ下に細い線が垂れ下がっておりその先に釣り針がついているのだ。釣り糸は右へ左へと音もなくするすると動いては部屋の空間に釣り針を漂わせていた。まるで獲物が掛かるのが待ってられないと言わんばかりだ。
 あれは何だろうか。まだ寝ぼけているのだろうか。でもとにかくあれに捕まってはいけないような予感はしていた。針に引っかからないように注意深く起き上がるととりあえず着替えることにした。着替えて朝食を食べて仕事に行かなくてはならない。この妙な現象についてはそのあとじっくり考えよう。
 急に背中にちくりと痛みが走った。釣り針はまだ目の前で垂れ下がっている。まさかと思い振り返ると似たような釣り針が二つも三つも垂れ下がっている。そしてさっきの痛みは確かに釣り針に引っかかった感触だ。誤算であった。釣り針は一本だけではなかったのだ。よーく目を凝らさないと見えないがよく見れば10も20も針が浮いているのが見えた。ここで後づさったのがいけなかった。さらに死角から2~3本も針が食い込んでくる。そして暴れれば暴れるほどにどんどん針が突き刺さる。獲物が掛かったのを察してか、天井を見ると待ってましたとばかりに束になって釣り針が入ってくる。大量に投入される針によって天井は大荒れに波打っている。
 結果ものすごい数の釣り針が自分の体に突き刺さることになった。まるで磔に掛かったようだ。無理に力を加えれば皮膚を破って針を外すこともできるだろうがそれはとても痛いし一本外している内に追加で十本くらい刺さりそうな気がした。だからもう体の力を抜いて抵抗せずに事の成り行きを見守ることにした。
 糸は何かの意思を持って動き始め自分の体はそれに連動して動き始めた。もはや操り人形だ。これから自分は何をさせられるのだろうかと思って黙って見ているとなんと自分は着替えを始めた。そして簡単な朝食を作るとそれを食べるように体を動かし始めた。操られなくてもこれは自分がやろうとしていたことである。いつも自分がしている行動である。
 それに気づいた途端操られていることそれ自体がどうでも良くなってきた。どちらにせよ同じ事だからだ。思えば今まで自分の体には針がついていないと思っていただけで、針は昔から依然としてそこに刺さっていたのではなかろうか。

風呂場のダルマの話

2023年 08月27日 23:36 (日)

 風呂に入るとどでかいダルマがそこに鎮座していた。せまい風呂場につっかえるがごとく入っていて入口よりもでかい。一体誰がどうやって入れたのか。ともかく早く風呂に入りたかったので何とかこれを引っ張り出す必要があった。
 素材は木製のようでそれなりに固い。多分分解できるはずだ。小さなパーツを大量に運んできて中で組み立てたのだろう。入口よりでかいのはそういうことだ。しかし手間ばかりかかる割にこんな何の意味もないことをするのは何者なんだろうか。そう思いながらなんとかダルマを回転させてどこかにつなぎ目がないか探す。ダルマはずっしりと重く回転させるのにも一苦労だった。風呂場の床が多少削れているような感覚がする。
 ダルマの後頭部のあたりに何かを見つけた。半透明のプラスチックかゴムでできているようで、ビーチボールの空気を入れる部分に似ている。何とはなしにそれを取り外してみるとぷすーっという音とともにそこから空気が流れ出てきた。それとともにダルマはだんだんとしおしおになっていきみるみる小さくなっていった。どうみても固い木製に見えたし実際にそれなりの重量があったのにダルマは今や座布団くらいの大きさにまでぺしゃんこになってしまった。

深夜に入ってくるなにかの話

2023年 08月26日 02:48 (土)

 寝ているとノックの音がして目が覚めた。午前三時。今のは何だろうと布団の中でぼんやりしているとまたノックの音が聞こえてきた。玄関の方だ。こんな時間に訪問者?私の部屋から騒音でもしてクレームを入れに来たのだろうか。もしそうならその騒音で先に私が起きているはずだ。こんな時間にやってくる友達だっていない。なんだか気味が悪い。またノックの音が聞こえてきた。幽霊だろうか?怪談じゃあよくあるパターンだ。眠いのでこのまま無視しても良いのだけれど扉の向こうに何があるのかは多少なりとも気になった。
 そろりそろりと足音を立てないように扉に近づく。とりあえず覗き穴から外を見てみるだけでもしてみようと思った。この時に覗き穴から猛烈な勢いでアイスピックが突き出てくることが予想された。ホラー映画じゃよくある演出だ。先端恐怖症者にはすこぶる心臓に悪い。実際そんなことないとはしてもやはり得体のしれないものに対峙しているのだ。恐怖心が先に立つ。斜めからゆっくりと穴を覗く。
 向こうには誰もいなかった。蛍光灯に照らされた廊下が見えるだけだ。しかし扉に張り付いていればそこは死角になる。すぐ下かあるいは左右か、もしかしたら上かもしれない。斜めから穴を覗いて可能な限り見ようとするけどどうにも何もいないようだ。息を殺して扉に張り付いているのだろうか。それはそれで怖い。そいつと私は扉一枚隔ててお互いにへばりついているのだ。
 寝ぼけていたのかな。音なんてなかったのかも。そう思った直前に目の前の扉からまたノックの音がした。目の前で急に鳴り始めたのだ流石にビビる。ビビッて硬直していたが確かに幻聴ではなく音はある。扉が僅かに振動しているからだ。今扉を勢いよく開ければ扉に張り付いている何かを押し出すことができるはずだ。不意打ち気味に扉でタックルすればそいつはすっ転んで身柄を抑えることができるかもしれない。
 次にノックがしたその瞬間に一気に鍵を開けて乱暴に扉を押し開けてやった。「ぎゃっ」と小さく声がして確かに扉越しに何か重量のあるものを押した感覚があった。小さいが黒い影みたいなものが動いた気配もあった。手ごたえあり。すぐさま回り込んで扉の裏側を見る。しかしそこには何もなかった。おかしい。この一瞬で逃げたのか。不可解ではあるけど廊下はただだだっ広く伸びているだけで人の気配はなかった。
 仕方なしに扉を閉めて鍵を閉める。なんだかよくわからないけど寝なおすことにする。そう思って部屋に戻ると何か違和感を覚えた。物の配置が少し動いている。ごみ箱が倒れている。まさか、さっきの小さい奴は部屋の中に逃げて隠れているのではなかろうか。気味が悪い感覚だ。最悪なことに部屋の中は散らかっていてあれくらい小さな人ならいくらでも隠れられる箇所はある。今更になって扉を開けたのを後悔し始めた。とにかく家探しをする。もう眠いし明日も早いっていうのにこのままじゃ気持ち悪くて眠れない。しかし1時間しても何も発見できなかった。
 だんだんと眠気もピークに達してきてなんだかどうでも良くなってきた。小さい何かが部屋に入っていようが盗られて困るほど高価なものは置いていない。食べ物を食われるのはさすがに困るけどペットを飼ってると思えばそれも良いかもしれない。一人暮らしの寂しい我が家だ。腹をくくって布団に入るとなんだか生暖かかった。さっきまで誰かが入っていたかのような温かさ。そうかここに隠れていたのかもしれない。そうは思ったけどなんだかもうどうでも良くなっていた。小さい何かと一緒に布団に入り同棲するのも悪くない。そんな風に思うに至っていた。

ボウリングのピンの話

2023年 08月25日 07:40 (金)

 裏路地を通って家に帰る時、道の向こうにボウリングのピンが立っているのに気が付いた。ボウリングのレーンの奥で立っているのと同じように綺麗に三角形に配置されている。なんだか異常な雰囲気を感じた。一つも残さずにぴかぴかに磨かれて艶やかに光っているからだ。人通りの少ないこんな裏路地で、その綺麗さが異様さを引き立てている。
 何だか気味が悪くて私はそこに立ち尽くしてしまった。近づいてじっくり見る気にもなれない。すると後ろから来た歩きスマホの人が私の横を通ってずんずん奥へと歩き去っていった。その人は歩きスマホで前が見えていないのか知らないがまっすぐに歩いていくとピンに足を取られて盛大にすっころんだ。ピンは全てバタバタと倒れた。「ストライクだ」そう思った。
 歩きスマホの人は人が見ている前で盛大にすっころんだのが恥ずかしかったのだろう。すぐに立ち上がるとそそくさとその場を後にした。あとにはまた整然と配置されたボウリングのピンが立っているだけである。おかしい。いつの間に元通り配置されたのだろう。さっきの人が配置し直したそぶりはない。気が付いたら元通りなのだ。いよいよ気味が悪くなってきた。するとその時後ろから自転車に乗った人がそこそこの速さで私の横を通り過ぎていった。
 自転車の人はボウリングのピンが見えていないかのようにそこへ突っ込んでいった。そして予想通り自転車はピンの辺りで盛大にすっころんだ。そしてバタバタとピンは全部倒れた。「またストライクだ」そう思った。
 自転車の人はすぐに自転車に乗りなおすと急いでその場を後にした。やはりすっころんだのを人に見られるのは恥ずかしいものだ。そして気が付けばまたいつの間にかボウリングのピンは整然と再配置なされていた。私はその道を諦めて別の道を経由して家に帰ることにした。
 あれはなんだったんだろう。とにかく近づくと確実にすっころんでストライクしてしまう不思議なピンだ。そしてそれは何度でも起こる。人には見えていないが幸い私はあのピンに気づくことができてさらにそれを回避できた。なぜ私だけに気づけるのか知らないがこれは単純にラッキーである。これからは気づいたら人に教えてやらんことも無い。そう思いつつ帰宅して部屋を開けた。部屋には一面中ボウリングのピンが所狭しと整列していた。

部屋に入ってくる風船の話

2023年 08月24日 17:13 (木)

 休日ということで真昼間から昼寝をしている。すると外から巨大な赤い風船がこちらに寄って来た。窓全部を覆うくらいの巨大な風船だ。つやつやとテカっていてなんだか現実感のない風船だった。外は良く晴れた夏らしい陽気だった。
 風船はぶりぶり言いながらこの部屋に入ってくるようだ。見た目以上に柔軟性があって針を刺しても割れないという直感があった。私はそれを眺めながらも寝転んだ状態を維持していた。多分夢でも見ているんだろうと考えていたからだ。依然として風船はぶりぶり言いながら部屋に入り込んできていて、風船によって作られた空気の圧が全身に掛かり私は今床に押し込まれている。爪を立てても風船を割ることはできないだろう。こんな状態でも私は心配などしていなかった。本気出せば部屋から出ることは余裕だと考えていたからだ。
 むしろ部屋を出てみようか。今日はこんなに良い天気なのだ。外に出て雲でも眺めたら楽しいだろう。逆に考えればこのまま寝ていれば良い天気の日を昼寝ごときで棒に振っていた所だったのだ。
 しかし得体のしれない風船に押し出されて外に出るというのが気に食わない。こうなっては意地でも外に出たくなくなるのだ。ひねくれ者である。そうこう考えるうちにどんどん風船は部屋の中に充満していき今や私は真空パックみたいに床にへばりついている。それでも外に出ていく気にはならなかった。自分の意思で外に出るとの、外に追いやられるのでは全然意味が違うのだ。
 夏の空は好きだ。入道雲は立体感があって二つと同じ形はない。空に生じる巨大な立体造形物は時間と共に形を変えそれらが無数に次々と流れてくる。まるで天然の巨大美術館。時間を忘れるほど眺めてしまう。そして今年はまだ夏の雲を眺めていない。今日は良い天気で雲観察にはもってこいの日だろう。しかしそうであってもひねくれ精神は頑として外出を拒否した。
 結局日は落ちて夜になってしまった。風船は今や力なくしぼんでいる。私は床に寝転びながら今日一日一体何を頑張っていたのかと虚しい思いで天井を眺めていた。

へそに生えた植物の話

2023年 08月23日 12:02 (水)

 風呂に入った時にへそに何か違和感を覚えた。私は出べそではないのだが何かがへそから出てきている。よく見るとそれは1cmくらいの植物の芽のように見えた。こんな所に植物が生えている。スイカの種を飲み込むと腹の中で発芽するという話を子供の頃に聞いたことがあるがそういう類なのだろうか。まさか。
 ぶち切っても良いのだがそんなことしても無駄な気がした。植物の生命力は侮れないからだ。雑草を根絶するには根ごと、正確には草と根の間の成長点ごと刈り取らなければまた再生して生えてくる。これの場合成長点はどこなのだろうか見た目に反して腹の中まで埋まっていないとも限らない。しかし不思議とお腹が痛くなったりはしていないのだし私はこのまま放っておくことにした。
 一人暮らしの寂しい生活だ。犬とか猫とか飼いたいけど世話するのは難しい。それゆえ植物でも育ててみようかななんて思わないこともないけれど、結局日当たりの良いベランダに放置してその存在を忘れてしまいそうだ。でも腹から直接生えているなら忘れることは決してない。ちょっと癖の強いペットだと思えば十分に許容範囲内だった。思えば犬も猫もフンをするし、躾けに失敗したら手が付けられなくなる。それというのは癖の強いペットの範疇だ。それに比べたらこの腹から直接生えてる植物も大して変わりはしないのだ。
 そう決めた日を境に日に日に植物は成長した。今や12~13cmといったところか。成長するほど私は大ぐらいになり疲れやすくなった。明らかに養分を吸われている。なんだか大丈夫じゃなくなってきた。歩く姿も頼りない。そう思っていた矢先に私はふらふら歩いていたせいで交通事故にあってしまった。
 足を骨折したが幸いにも一週間くらいの入院で済みそうだった。しかし私が気になったのは医者も看護師もだれも私の腹から生えている植物に気づかないことだ。なんたる藪医者。日がな一日動くことも無くベッドで横になっているからか、ここに来て植物は一気に成長を始めた。もはやその見た目はブロッコリーとか桜の木を彷彿とさせるいで立ちで病室の一角を植物が占領している。木が天井につっかえている。入院はすでに一か月を過ぎているが未だに回復は遅々として進まなかった。当然である。養分を全部木に吸われているのだ。
 植物は花を咲かせ今や満開。ピンク色の花弁はまさに桜にそっくりで私は毎日一人花見状態であった。下からそれを眺めながら綺麗だなぁなんて場違いなことを考えていた。医者は予測通りに回復しない体を随分心配していたが当の私は毎日花見気分で、疲れはするけどあまり気は病んでいなかった。
 しかしそこから数日で花は散り葉桜になり、葉も散って枝桜になったかと思ったら早々に枯れ始めて木は倒壊した。なんとも一瞬の命。はかないものだ。枯れ木が抜けた後は大きな穴が残るでもなく元通りのへそがそこにはあった。私の体はすぐに回復を始めた。あぁやはり、あの植物に随分と栄養と時間を吸われたものだ。それでもあの植物が枯れて倒壊したのは随分と寂しく感じたものだった。手がかかるペットほどペットロスも激しいのかもしれない。

牛の話

2023年 08月22日 21:17 (火)

 家に帰ると巨大な牛の顔がご対面した。顔に続いてもっと大きな体が部屋には収まっていている。一体どうやって入ったんだろう。出入り口よりもこの牛の体の方が大きいように見えるのだが。とにかく牛特有の臭いで鼻が曲がるがそれでもなんとか中に入って部屋の様子を確認することにした。元々狭いワンルームだが牛がほとんどの空間を占領している。体がつっかえて身動きが取れないようだが幸いにも牛は暴れることもモーモーうるさく鳴くことも無くただただ反芻を繰り返している。大人しいものだ。
 なぜこんな事になっているのか検討がつかない。牛を仕込んだ奴がこの辺にいるでもないし牛に問いただしても人語を解さない。部屋には鍵が掛かっていたわけだから元から部屋に入っていたのだろうか。まさか、牛を入れた覚えはない。とにかく夜も遅かった。とりあえず今日は寝て明日の朝になんとかしよう。寝ようにも当然布団など敷くことはできない。牛と壁の狭い空間に斜めに立つ感じで毛布に包まる。寝て起きたら牛がいなくなってくれたら良いなぁとか考えていた。
 翌日、牛は消えることも無くそこにいた。一晩中牛の臭いを嗅いでいて慣れたのか、今はあまり臭いとは思わない。それにしてもこの牛はこのままどうなってしまうのだろうか。今は草を反芻しているようだがそれを消化しきったら何を食べるのだろう。ここから出る事すらままならないのに。私が牛の心配をしても仕方がない。とにかく部屋はせまっ苦しくて仕方がないしとりあえず外に出て交番に行くことにした。電話しても信じてくれなさそうだからだ。
 町を歩いて早々に変なことに気づいた。ここは田舎って訳でもないのにあちこちに牛がいる。結構な数の牛が堂々と車道で寝そべっていたり町のあちこちを歩き回ったりしている。そして人間の姿も自動車も一つも走ってはいない。人間がすべて牛に置き換わってしまったかのようだ。
 110番に電話したが予想した通り全くつながらなかった。電話口の向こうで牛になった警官が草を反芻しているのが想像された。町のどこに言っても牛牛牛、牛だらけ。本当に人間がすべて牛に置き換わってしまったのだろう。まあ百歩譲ってそれは良いとしても、私一人がその流れに乗れなかったのが残念でならない。皆が皆牛になったのなら自分も同じように牛になってしまえば何の問題もなかったというのに。一人だけ取り残されてしまった。
 ここまで考えてふと気にかかることがあった。人間がすべて牛に置き換わったというのなら私の部屋にいたあの牛は誰なのだろう。私は一人暮らしのはずだったが。昨日のことを細かく思い出してみる。そもそも私はどこにから家に帰って来たのだろう。昨日は仕事はない日だったはずだ。そういう日は大体私はどこに行くでもなく家でだらだらしているだけのはずだ。それにあんな夜中に外に出る用事が思いつかない。コンビニに行くことはあるかもしれないが、あの時点でコンビニ店員も牛になっていたのではあるまいか。そうつまり、部屋にいたあの牛は私だったのだ。部屋に鍵が掛かっていたのにもこれで納得がいく。そうすると今ここで思案している私は一体誰なんだろうか。

鏡の自分を殺す話

2023年 08月21日 12:27 (月)

 部屋にあるでっかい姿見をぼんやり眺めていると、鏡の中の私がぬるりとこちら側にやってきた。多少驚いたがそいつは特に何をするでもなくただぼんやりしている。鏡はもう普通の鏡に戻っているらしく、二人の私がそこには映っている。それにしてもどこからどう見ても自分そのものだ。見た目がそっくりなのは当然なのだが、このやる気もなくただただぼんやりしていて覇気がないのも含めて私そっくりだ。だがそれを見ている内にだんだんと気が滅入って来た。まるで「お前は所詮この程度の物なのだ」とまざまざ見せつけられているかのようで、ダメの見本を直視させられているようで気が滅入るのだ。
 だから私はこいつを殺すことにした。鏡から出てきた私は特に抵抗することも無く殺されるに身を任せていた。まるでこちら側の世界には殺されるために来たかのような無抵抗っぷりだ。だがここで終わりではない。次の日もその次の日も鏡からは一人ずつ私は出現し、私は毎日私を殺す日々が始まったのだ。
 毎日毎日こんなこと繰り返している内にだんだんと変化が訪れた。鏡から出てくる私の目つきがだんだんと恐ろしいものに変わって来たのだ。きっと、私の中で「私とはこういうものだ」という私像が凶暴なものに変化してきたからだろう。それこそまさに人殺しの目つきだ。そしてそれを余すことなく映すのだからまさに鏡である。
 ある日私は鏡から出てきた私に殺されてしまった。その時も歴代の私と同じように私は全く抵抗をしなかった。元々生きることに目的が見いだせなかったからだ。どこかで死にたがりな気持ちが働いているし歴代の私が無抵抗に殺されていたのも多分こういう気持ちがあったからだろう。そういう訳で鏡から出てきた私は私を殺して私に成り代わったわけだが相変わらず無気力でぼんやりしていた。そうしてそいつは次の日鏡から出てきた私に無抵抗にも殺されてしまいそれがまた毎日続くようになったのだ。
 でもこれはある意味幸せなことかもしれない。虚無で無意味な人生をたった一日過ごすだけで終わらせることができるからだ。あとは鏡から出てきた私にこれまでの全てをなすりつけて一日で退場できる。目的のない人とはこういう思考になる。そして鏡から出てくる私がすべてその思考なので滞りなくこのループは続いた。足並みを乱す私は一人も現れなかった。
 しかしある日鏡は粉々に砕けてしまった。私は慌てて新しい姿見を買ってきて部屋に配置したのだが、その鏡は特に何も起こらない普通の鏡だった。二度と鏡から私が現れることはなかった。いくら鏡を眺めてもそこには覇気のないぼんやりした顔の私が映し出されるだけなのだ。

指紋を走る車の話

2023年 08月20日 05:09 (日)

 自分の指の表面をよく見るとそこには指紋が走っていてグレートキャニオンみたいな細長い谷が何重にも並んでいるのが見える。そしてその谷の下を黒い車が爆走しているのも見える。各谷に何台も車は走っておりまるでレースでもしているようだ。それぞれが煙を上げて爆走し所々で壁にぶち当たってクラッシュしたり谷が合流しているところで別の谷の車と正面衝突していたりする。
 手のひらもよく見れば手のしわや指紋に至る小さなくぼみに大量に車が走っていてむず痒い思いだ。手の甲にも爪の中にも全面いたるところに車は走っている。あまりにも小さいくて重力の影響が少ないのか、あるいは手と一体となっているのか、手を振っても水を流してもなかなか手から離れていくことはなかった。そしてそこかしこで交通事故を起こしてはあちこちで炎上大破している。なるほどだから私の手は荒れているのか。

熱い部屋の話

2023年 08月19日 05:51 (土)

 部屋の中がものすごく暑くて目が覚めた。異様な熱気だ。熱帯夜とかいうレベルではない。布団は汗でぐっしょりと濡れていて、置いておいたペットボトルはぐんにゃりと溶けかかっている。机に置いておいた輪ゴムは液状化してへばりついている。急いで窓を開けるが、今日は風がないのか全く吹いてこない。それでも外はまだマシな気温だと察して部屋を出る。確かにこのアパートから数歩外に出ると常識的な夜の気温であることが分かった。夏とはいえさっきまでの高温に比べたら涼しいと思えるほどだ。このアパートだけが異常に高温なのだ。確かに壁に触れると火傷しそうなほど熱い。
 ふと気づくと建物の下の方に円いレバーが付いているのに気が付いた。こんなものはここに付いていなかったはずだ。それでもどこかで見覚えのあるレバーだ。それを回してみるとジーっと音を立ててチンッと音がした。そしてさっきまでずっと聞こえていた機械の低い稼働音が聞こえなくなった。これはオーブンだ。建物がいつのまにかオーブンに作り変えられている。そして今OFFになった所のようだ。夜風が吹き始め建物は徐々に冷め始めた。
 これで安心、部屋に戻って寝なおそう、とはならない。またいつ誰がこのレバーを回すかわかったものではない。とりあえず夜も遅いしこれをねじ切ってから寝なおそう。後のことは朝になってから大家と相談しよう。そう思って何とかレバーをねじ切ろうと四苦八苦。チャチな見た目に反して意外にも頑丈だ。力いっぱい引っ張るとONの状態でレバーはねじ切られてしまった。またあの機械の低い稼働音が聞こえてくる。しまった。しかしOFFに戻せない。レバーをねじ切ってしまったからだ。
 結局どうすることも出来ないのでそのままクソ暑い部屋に戻って寝なおすことにした。朝になってからなんとかしよう。

5kg分死んだ話

2023年 08月18日 15:14 (金)

 一日一時間のジョギングを始めて早半年、体重は目に見えて減っていっている。毎日体重を計っているが元の体重からしてかれこれ5kg分くらい減ったのだ。それなりの達成感がある、その一方でこの世から自分自身が5kg分消滅したと見ることもできる。その5kg分って一体どこへ行ったんだろうか。死んだのだろうか。死んだ5kg分の私は今頃どこで何をしているのだろうか。そう考えると痩せることがそんなに良い事とは思えなくなってきた。元々肥満だったからジョギングを始めたわけではないのだ。ただ運動不足だと思ったから動き始めたに過ぎない。その途端5kg分消滅するとは誰も思わないだろう。でもジョギングをやめることはしなかった。人は習慣で生きる、一度定着した習慣はそう簡単に剥がれない。
 そんな事を考えながら生活するうちにだんだんと体重が増えているのに気が付いた。0.5kgや1kgくらいなら誤差の範囲、よくある事だ。しかしこれが2kgや3kgになったら無視できない。このままどんどん体重が増え続けて、元の体重の2倍にでもなったら二人分の私がこの世に存在することになるのかもしれない。
 ならないでしょ。

プレス部屋の話

2023年 08月17日 16:32 (木)

 夜中にふと目が覚める。何だか部屋に違和感がある。横になった状態のまま目だけ動かして周りを見渡す。なんだか天井が下がっている?うちの部屋はこんなに天井が低かったろうか。それでも眠さに勝てなくてそのまま寝入ってしまった。
 朝になってまた目覚める。天井はさらに低くなっていた。立ち上がると頭が天井につっかえるので中腰で部屋の中を移動する。不思議なもので部屋の高さは半分くらいになっているのに高めの本棚や壁に貼ってあるポスターは特に倒れることも壊れることもなく無傷でそこにある。扉だってつっかえることなく問題なく開閉できる。不思議なものだ。これは目の錯覚だろうか。それとも私の体が巨大化しているだけだろうか。いや、その線はなさそうだ。
 中腰のまま料理して飯を食って着替えて歯を磨いて外に出た。外に出てようやく背伸びができる。朝っぱらからずっと中腰は流石に腰に来る。
 一日働いて部屋に戻ってくる。玄関開いたら目の前は壁だった。一瞬で今朝のことを思い出して「そうか、天井はあのまま下がり続けて今はこうなっているのか。」あんな不思議な現象も一日働いている内に忘れていた。
 一面壁に見えるが地面すれすれの所に1cmくらいの隙間がある。随分天井の低い部屋になったものだ。そこに指を突っ込んで思い切り上に引き上げると少しだけ天井は上に戻った。思いのほか融通は利くらしい。だが手を離すとまた徐々に下がっていく。この隙間に体を入れて中で生活することもできないことはないだろう。しかしそうまでしてこの部屋で暮らしたいとは思わない。

見えない太鼓の音の話

2023年 08月16日 06:24 (水)

 家で寝ていると太鼓の音で目が覚めた。もう深夜の2時か3時である。にも関わらず外の遠くの方から音がする。察するに大勢で太鼓を叩いているかのようだ。しかしこの時期この辺で祭りはないし、あったとしてもこんな時間に太鼓を叩くだろうか。太鼓の音はポコポコと調子が良くずっと聞いていても悪くはないがなんだか不気味ではあった。家の前には道路が通っていてその道の先から太鼓の音が聞こえてくる。だからしばらく待っていれば太鼓の集団がこの道を通るのを見られるだろう。だんだんと音は近づいてきた。まさに今目の前で太鼓の音は鳴っている。しかしどういう訳かそこには何もいない。ただ閑静な住宅街の夜の道というだけで、太鼓の音が鳴っていること以外は何も変なところはない。やがて太鼓の音は家の前を通り過ぎて小さくなっていった。まるで見えない太鼓集団が通りかかったかのようだ。
 また別の日、電車からある駅に降りたところであの太鼓の音が聞こえてきた。こんな人行きかう大都会のど真ん中で祭りなんてやっているわけがない。キョロキョロと辺りを見渡すがそのような集団は見えないし、なによりここでキョロキョロしているのは私だけだった。多分この音は私にしか聞こえていない。見えない太鼓集団は私のすぐ近くまで来た後そのまま通り過ぎて駅の出口へと向かっていく。気になる。あの音に付いていったらどこにたどり着くのだろうか。他の誰でもない、私一人にだけしかあの音を聞かせていないというのが特に気になる。しかし私が行こうとしてた出口は正反対の方向だ。私は無視することにした。
 歩きながら考える。あの超常的な音は私を誘っているのではなかろうか。魅力的な誘いだ。退屈な日常には飽き飽きしている。だからこそあれに導かれた先に待っているなにかも絶対に非日常なことで、それは私を退屈させないこと請け合いだろう。しかしだ。今この状況も十分に非日常的だ。見えない太鼓集団が街中を練り歩いているしそれに気づいているのは私一人だけなのだ。それにあれに付いていってその先で何かを見た場合、もう二度と太鼓の音は聞こえないのではという直感もある。言ってしまえばあれは電話のコールのようなものだ。ひとたび受話器を取ってしまえばもう二度とコールはならないのだ。無限に待たせれば無限にコールは鳴るのである。
 そんなわけで私は太鼓の音を追わなくなった。太鼓の音は数日おきに聞こえては私の目の前を通り過ぎる。私はたまに現れるそれを心のどこかで楽しみにしつつ日常を送るのだった。

黄金の猫の話

2023年 08月15日 18:33 (火)

 帰り道に金色の猫を見かけた。夕日に照らされているから金色に見えるのか、それとも金色に着色されているのかはわからないが、猫は住宅街を縦横無尽に歩いていく。何にせよあんな猫は見たことがない。もっと近くで見たかったので追跡することにした。
 金色の猫はやはり猫らしく道なき道を行き塀の上を歩き人間には通れない穴をくぐる。その度に見失うのだがこの辺の地理には自信がある。それにあの目立つ金色だ。出てきそうなところに先回りすればそうそう見失うことはない。なるべく猫の死角から後を追うことでようやく動きを止めるところまでやって来た。そこは住宅街の中に唯一ある小高い丘の草の上。強く夕日を浴びて黄金の毛はより一層輝いていた。猫は草の上で寝そべっている。
 近づいてそっと手を近づけるが特に警戒されることも無く撫でられるに身を任せていた。噛まれたり引っかかれたりされるのが怖くて普段は動物に近寄ろうとも思わないのだけれどこれは予想外。金色関係なく猫と戯れるのはそれはそれで楽しいものだ。随分撫でたが手に金色の塗料が付くことはなかった。やはりスプレーなどで着色されているとかではなく地毛が金色のようだ。こんな珍しい生き物がいるんだな。猫は最初から警戒などしていなかったがだんだんと腹を見せて甘えるようになっていった。
 不意に一陣の風が吹いて草が揺れた。冷たい風だ。気が付けば辺りは大分暗くなっている。日が沈んだのだ。思えば帰宅途中だったのに猫を追って随分遠くまで来たものだ。ふと手元を見ると金色の猫はいなくなっていて代わりにどこにでもいるふつうの猫がそこにはいた。一瞬混乱したがさっきまで猫を撫で続けていたのだ。そんな一瞬で入れ替わるはずがない。このふつうの猫がさっきまで金色だった猫に違いない。やはり夕日に照らされて不思議と金色に見えていただけだろう。そう思うと途端に金色でも何でもないふつうの猫に興味が無くなって来た。
 私は立ち上がって家に帰ることにした。腹を見せて甘えていた猫は急に手が引っ込んだので驚いてこちらを数秒見つめていたが、何かを察するとどこかに歩き去っていった。

公衆電話のコールの話

2023年 08月14日 05:32 (月)

 森の中のアスファルトの道を歩いている。真新しく破損のない道路ではあるが交通量はまったく無くて、かれこれ一時間は歩いているが自動車にも人にも一回もすれ違うことは無かった。そもそもなぜ自分はこんな所を歩いているのだろうか。そう考えているとすぐ横にあった公衆電話が鳴り始めた。
 公衆電話なんて久しぶりに見た。携帯電話が普及して以降はほとんどが用済みになって撤去されたと思っていたからだ。たぶんこんな山奥で電波が届かないからこそ未だに撤去されずに残されているのだろう。それにしても不気味な感じがする。公衆電話が鳴ること自体珍しくてなんだか怖いのだが、こんな山奥にポツンとある公衆電話に一体誰が何のために電話を掛けるのだろうか。気になったので電話に出ることにした。するとこちらが喋る前に電話口の人が話し始めた。
「あんた誰だい。」
 まったく唐突である。そもそもお前こそ誰だと聞きたいのだが電話口の人はなおも語り掛ける。
「あんた誰だい。」
「そういうあんたは何なんだい。あんたが掛けてるのは公衆電話だぞ。」
「そんなことは知っている。それで、あんた誰だい。」
 全く話が見えてこない。少なくとも間違い電話ではないらしい。そしてこいつは意図してこんな誰もいないような山奥の、鳴っているのに気づかれたとて必ず取られるわけでもない公衆電話にかけているらしい。こいつは飽きもせず語り続ける「あんた誰だい。あんた誰だい。」答えようとしたときふと自分が何者なのか知らないことに気づいてしまった。
 「あんた誰だい。」なおも問われ続ける。自分の名前が思い出せないわけではない、当然知っている。しかしかといって名前を言ったところでなんの回答にもなってはいない。自分はいったい普段何をしている人なのだろうか。何が目的で何をしている人なのだろうか。どういう経緯でこの山奥にいてなぜ道を歩いているのだろうか。こういう仕事なのだろうか。それにしては何の装備も持っていない。散歩なのだろうか。暇だからこんなところを歩いているのだろうか。じゃあ帰る家は一体どこにあるのか。自分は帰り道さえ知らない。目的も何もありゃしない。なおも言う。
「あんた誰だい。」
 完全に答えに詰まってしまった。
「それを知りたいのは他でもない自分なのだ。」
 とっさにそう答えてしまった。
「あんた不思議なこと言うね。自分が誰なのか知らないのかい。記憶喪失なのかい。」
「いやそうではない。名前だって憶えている。しかし、あんた誰だい何なんだいと聞かれると答えようがないんだ。私は一体何なんだろう。何をしている人なんだろう。何しにここまで来たんだろう。分からない。」
「そこは公衆電話であって懺悔室でもなんでもないんだぞ。人生相談なら他でやれい。」
 電話は切れてしまった。リダイアル機能はないので受話器を置くしかない。公衆電話を出てまた歩き始める。自分は一体何なんだろうか。どうして生きているんだろうか。知らないというよりは思い出せないに近い。もんもんとしながら歩いているとまたコール音が聞こえてきた。遠くの方にポツンと公衆電話があってそれが鳴っている。今度は走ってそこまで行くと受話器を上げた。
「あんた誰だい。」
 同じ奴が電話を掛けている。
「さっきも言っただろ。それを一番知りたいのは私の方だ。」
「ん?あんたさっきの奴か。そこにはあんたしかいないのかい。」
「どうやらそのようだ。誰もいないんだから電話に出てもらえるだけありがたいだろ。」
「ふざけるな。じゃあ今日はもう電話する意味ないじゃないか。もう切るからな。」
「ちょちょちょ、ちょっと待ってくれ。あんたなんでこんな所に電話かけているんだ。」
「そりゃ楽しいからに決まっているだろう。そんな誰もいないような山奥にある公衆電話、不気味で不穏な公衆電話。それのコールを取るような奴だ。きっと普通じゃない奴に決まっている。そういう危篤で特殊で度胸のある奴と話す。楽しいじゃないか。一体そいつがどんな奴なのかとても興味がある。でもお前には興味がない。あんたは何でもないからな。」
 そう言われて電話を切られてしまった。確かに。自分は何者でもないな。公衆電話を出て自分はまた歩き始めた。

カーテンに遮られる町の話

2023年 08月13日 23:29 (日)

 空に白いものが浮かんでいるのが見えたが最初は誰も気にしなかった。風に飛ばされてるビニール袋にも見えたし新種の気球にも見えたが、何にせよそれはあまりにも遠くにあるので遠近感がつかめない。遠近感がつかめないから大きさの目安もなかなかつかなかった。やがてその白いものはするすると下の方に降りてきてその姿をはっきりさせた。バカでかい白いレースのカーテンだ。上も横も果てしなく大きくて、若干風に揺られながらもそれはこの町に降り立った。この町の南北にまっすぐのびる大きな道路に沿うようにレースのカーテンは降りてきた。
 所詮はレースのカーテンなので潜り抜けることは造作もない事だった。ただただ東西の移動がうっとおしくなっただけで向こう側も若干すけて見える。特に光が当たっている側は向こうから丸見えで、午前中は西側から東側が良く見えたし東側から西側はよく見えない。午後になるとその関係は逆になった。実際これは鉄のカーテンなどではない、風が吹けば揺らめく薄い生地の布に過ぎない。
 しかし同じ町だというのにど真ん中をこんなもので遮られてお互いに向こう側がなんとなく遠のいた気持ちになった。距離的には変化はないのに気持ち的に遠くなったのだ。カーテンをくぐって移動するとなんだかまるで外国にたどり着いたような気持ちになる。こんな物理的分離の仕方でも精神面では大きな分離を生み出していた。
 そしてこのカーテンは絶対に撤去することができなかった。どれくらい上空から垂れ下がっているのか分からないので回収ができず、カーテンなのだから端の方から折りたたむこともできるのかと何度か試みられたが結局それも上手く行かなかった。素材はレースでも総重量はもの凄く重いのだ。やがて分断された町はなんとなくそのまま適応してお互いがまるで別の町のようになったまま何年も経過した。白かったカーテンは風雨で汚れてだんだんと灰色に汚れていき所々ほつれて破れてみすぼらしい見た目になった。もはや町のど真ん中をボロ布が通っているというより、ボロ布を境界線にした二つの町と言ったほうがしっくりくる。
 ある日ボヤ騒ぎが発生して火がカーテンに燃え移った。よく晴れて乾燥した火だったのであっという間にカーテンは炎に包まれた。空一面を火が天に昇っていく様はそれはそれで幻想的で物珍しい光景だった。終わらない花火大会みたいな火事は一晩中続いた。火が燃え広がるほどにレースのカーテンは短くなっていった。そして火事は朝方に自然消滅した。
 朝日に照らされた町は数年ぶりにカーテン越しではなくなっておりいつもよりクリアに見えた。こんなにも遠くまで見渡せたのも久しぶりの事だったが急に隣の家とを隔てる壁がなくなったようで何だか町全体がよそよそしい雰囲気になった。

見覚えのないスーパーの話

2023年 08月12日 05:07 (土)

 いつも無計画な節約をしているので、食料の買い出しにおいて「いくらまでなら使って良い」という具体的な目安がない。ただただ無駄なものを買わずになるべく安いものを取る、安いほど良いという大雑把な買い方しかしていない。だからいつものこのスーパーが急なリニューアルしたことには面食らった。
 店の場所も内装も変わらないのにラインナップだけがまるっきりごっそりと別の何かに入れ替わっているのだ。たとえば野菜だ。見たことも聞いたことも無い名前の野菜っぽいものが陳列されている。緑に塗った紙の束に見えるものや、赤い電球のような妙につるつるして硬そうな房状の球体、あるいは真っ黒で細長い扇子のようなものがある。到底私の知っている野菜ではないがすべてビニールに包まれて陳列されているのを見ると食べ物っぽく見える。しかしそれにしても値段がどれも高い。前までの相場の1.5倍は高い。単純に私が物を知らなくてこういう野菜も世の中にはあるのかもしれないと思わないでもないが、それにしても値段が高い事には納得しかねた。このスーパーは急に高級食材を専門に扱うようになったのかもしれない。ここまで見覚えのないものしか陳列されておらず軒並み高値なのだからその可能性は高い。
 パンのコーナーもやはり不穏だった。茶色く塗った水風船のようなものがビニールに包まれて陳列されている。パッケージには見慣れない外国(?)の文字。どれも美味しそうに見えないが一番気になるのはやはり高い値段だった。いつも雑な節約をしてきたのでいくらまでなら許容範囲なのかというのが分かっていない。一度家に帰って収支を確認しないと予想もつかないがそれは面倒くさいしなにより出戻るのが億劫だった。
 店内を見回った。どれもこれも見覚えのない食材ばかりでやはりどれも高かった。しかしその中で唯一前と変わらないものがあった。それはアルコール類だ。
 私はお酒を全く飲まない。下戸ではないが禁酒しているわけでもない、単純にお酒の美味しさが分からない子供舌なのだ。何度も試したことはあるが「酔っぱらって気分が良い」という感覚もついぞ掴むことはできなかった。だからお酒飲むくらいならジュース飲んでた方がコスパが良いという考えに至る。それゆえ人との付き合いでたまに飲むことはあっても一人で飲むことはまず考えられなかった。一生死ぬまで禁酒しろと言われても私は難なくそれを実行できるだろう。そもそも飲みたいと思ったことがないからだ。
 そしてこのスーパーにおいて見覚えのあるのはアルコール類だけとなっている。「ほろよい」とか「氷結」とか「スーパードライ」とか。ほとんど飲んだことがないそれらパッケージでこんなに安心したことはなかった。値段も多分前と同じだろう。得体のしれない高価な食べ物と、知っていうだけで全く好まないお酒。この両天秤は案外簡単に決着がついた。
 私はお酒だけを大量に買って帰ることにした。家に帰ってからきっとすぐに後悔するだろう。お酒でお腹は膨れない。

海辺のミラーハウスの話

2023年 08月11日 03:48 (金)

 誰もいない海辺を歩いている。シーズン中にも関わらず海水浴客が一人もいないのはこの辺の海で毒のあるクラゲが出没したからだろう。注意喚起の看板があちこちに建っている。当然私も泳ぐ気はさらさら無くてただ砂浜を歩いていたいだけだった。しばらく歩くと海の家がたくさん集まった移動遊園地のような場所が現れた。すっかり廃墟化していて店はやっていないどころか誰もいない。裏寂しい感じだ。
 その中の一つにミラーハウスがあった。大きな鏡を使った迷路のアトラクションだ。興味深く、なんとはなしに足を踏み入れる。流石に廃墟化しているとあって入口付近の鏡は汚れていたり割れていたりで迷路然とはしていない。だが奥へ進むにつれて鏡はだんだんと綺麗になっており20mも歩くと本来の姿を取り戻したかのように綺麗な内装になっていた。鏡面は磨き上げられてここが廃墟だとはとても思えない。
 しかしミラーハウス特有の空間だ。どこまでも空間が無限に広がっているように見えるが道かと思ったら壁、壁かと思ったら道の難しい迷路になって来た。もはやここまでくると無事に戻れるのかが分からない。私はだんだんと不安になって来た。もしかしたあここを出られないかもしれない。鏡を割って直進も考えたが鏡は絶対に割れなかった。
 地面に砂が落ちているのに気が付いた。海辺の砂だろうか。砂は線を描くように一方向に進んでいる。前に来た誰かが撒いていったものかもしれない。これを辿れば出口に出られるかもしれない。周りがものすごくきれいなのにそこだけ不自然に砂が落ちているのは気になったが辿っていくと確かに出口に付いた。ミラーハウスの外では人が大勢いて移動遊園地は繁盛しているようだった。海水浴の客も多くいるらしい。
 さっきまであんなに閑散としていたのに、私がミラーハウスで迷っている内にどこからか人が押し寄せてきたのだろうか。不思議に思うけれどこういう雰囲気も悪くない。私はまた砂浜を歩き始めた。遠くの方で救急車が集まってきており小耳にはさんだ話によると毒のあるクラゲが出没したらしいとのことだった。

止まった時計塔の話

2023年 08月10日 05:11 (木)

 町のど真ん中には大きな時計塔があって、いつからそこに建っているのか誰も知らないのだけれどランドマークのような存在として知られていた。しかしその時計は最近止まってしまったようだ。ここに来てこの時計塔の管理人がそもそも不明なことが分かって来た。管理する者が不明ないのだから時計を直すのにお金を出す者もいない。町のど真ん中に堂々と廃墟がそびえたっていたことにこの時ようやく町の人々は気づいたのだ。
 結局役人が1人派遣された。時計を直すお金は税金から出すにしてもとりあえず中の様子を見てから依頼は出さなくてはならない。誰も気にしていなかったが確かにこの時計塔は下の出入り口は廃墟然としていて、中は荒れて落書きなんかも散見される。多分町の不良やホームレスが度々出入りしては荒らしていたのだろうことが予想された。しかし不思議なことに階段の上は全くの手つかずであり人の踏み入った痕跡は一つも見られなかった。
 確かにこの辺りは背筋がぞくぞくすると役人は思った。世の中には人が本能的に近寄りたくない場所というのが確かにある。それは町の中にぽつんと取り残された手つかずの林の一角であったり、なぜか誰も陣取ることのない花見のスポットであったり、荒れ放題の廃墟の中で落書き一つない妙にきれいな一室であったりする。するとこの時計塔は二階以降がすべてそれだ。役人は嫌な感じがずっとしているのだが、これも仕事だし中の様子をちょっと見るだけという仕事としては簡単な部類なので仕方なく歩を進めた。
 表から見て時計盤のすぐ裏辺りにやって来た。大きな歯車や振り子のようなものがそこにはある。本来ならばこれがコチコチと動いて時計を動かすのだろうがいまは死んだように止まっている。奥の壁には窓のように開いた穴があってそこから町の景色を見ることができた。何とはなしにそこから顔を出すと町の様子がえらく古いことに気が付いた。それはまるで明治かそこら辺の時代。近代的な建物など何一つなくほとんどが民家と田畑しかなかった。驚く役人はいつの間にか過去の時代に自分が今来ていることを悟った。
 その時時計の長針がものすごい速さと強さで役人の首に差し掛かった。役人の首は長針と壁に挟まれてまるでギロチンのようにして切断されてしまった。この時代の時計塔はまだ動いていたからだ。切断された役人はそのままよろよろと倒れこみ後ろの稼働している歯車に挟まってすごい力でバラバラになってしまった。歯車の方も異物が色んなところに詰まってしまい結局その動きを止めてしまった。
 こうして時計塔の時計は止まってしまったのだ。

歴代のごみ箱の話

2023年 08月09日 03:22 (水)

 暇を持て余したので倉庫の中を物色している。暗くて大きな倉庫の中には色んなものが入っているが私はそこでゴミ箱を見つけた。確かに昔使っていたゴミ箱だ、懐かしい。そして中にはその当時のごみがそのまま入っていた。ゴミ箱にまで入れたのだからそのままゴミに出せば良いのに、なぜそのまま保管しているのか。甚だ疑問ではあるが私はその中に興味がわいた。ゴミというのはその人の生活ぶりを如実に表すものだからだ。
 中には古い手紙や小学生の時に読んでた漫画雑誌、昔のポケモンカードや、ルールはよく分かってなかったけど見た目がかっこいいという理由で集めてた遊戯王カードとかもあった。懐かしい。当時の記憶がありありとよみがえる。ふと見ると他にもゴミ箱が置いてある。こっちのゴミ箱には昔描いた絵が束になって押し込まれていた。下手糞な絵だ。描き始めた初期の頃のものだろう。デッサンとかそんなことに興味はなくてただ頭に浮かんだ空想を出力するのに躍起だった。こっちのゴミ箱にはノートが紐に縛られて入っている。出力した空想は絵のみならず文章を書かせるに至りその数30冊分くらい。今見たら中二病全開のいわゆる黒歴史ノートというやつだ。確かにゴミ箱にダンクしたくなる代物である。わざわざこんなものを保管しておくとは、誰かに見つかったらと思うと恥ずかしい。後で燃やしておかなければならない。
 それにしてもこの倉庫はゴミ箱だらけだ。そして進むにつれてそれはだんだんと最近の年代に近づいているのがわかった。この辺りからゴミ箱がイカ臭くなっていくのもその予想を裏付けた。ティッシュの山の中には昔買ったけど結局ほとんど使わなかった画材や、気まぐれに一冊だけ出して以降続かなかった同人誌、ちょっとだけ手を出しただけで全く使わなかった3DCGのソフトなんかも入っている(CGソフトなんてアプリケーションなんだから物体ではないのに確かにそれはそこに捨ててあるのだ)。私はこれまでの人生で色んなものを得てきたが同時にいろんなものを捨ててきた。その捨ててきたものがここには保管されているのだろう。なんと未練なことだろうか。このまま遡っていけば最新のゴミ箱には何が入っているだろうか。そんなものは簡単に予想が付く。そこには自分自身が捨ててあるのだろう。わざわざそんなものを確認するまでもない。
 私はこの倉庫から出ようと思ったが出口は見当たらなかった。この倉庫はそれ自体が大きなゴミ箱なんだろう。なんという予定調和。でも出ようと思えば出られるはずだ。なんとなくそう直感する。問題なのは私自身そこまで必死にここから出たいと思っていないことだ。出たところでやることが思いつかないのだ。だから暇を持て余してこんなところまで来てしまった。ちょうど良い機会だ、過去に捨ててきたものを振り返りながら出た後のこと考えるのも悪くはない。

窓のノックの話

2023年 08月08日 05:05 (火)

 布団に入ってうつらうつらとしている。私は眠りに入るのが早いのであと2分もしないうちに完全に眠りに落ちるだろう。そんなことを考えていると窓の方からコンコンとノックの音が聞こえてきた。ここは5階である。ちなみにベランダもない。一体何がノックしているのだろうか。薄ら寒いものを感じたが私はここでふとひらめいた。実はこれはもう夢の中なのではないか。
 もしそうならこんな不思議現象は納得である。そして夢の中であるならばなんでもやりたい放題だ。試しに空でも飛んでみようかと起き上がって窓へ歩く。カーテンを開けてみるとやはりそこには何もいなかった。さっきのノックは気になるけど夢の中なら不可思議なことをいちいち気にしてはいられない。窓を開けて窓枠に足をかける。夜の空気がすっと部屋の中に入ってきてた。それは鳥肌が立つほど冷たかった。
 ここで我に返った。これが夢ならこんな冷たいリアルな皮膚感覚はありえない。これは現実だ、夢じゃない。あやうく投身自殺するところだった。危ない危ない。それに本当に夢の中なら布団からこの窓のところまで浮かんで移動もできたはずだが私はそれができずに歩いてきたのだ。やはり夢だ。思い直して布団に入り寝なおすことにした。相変わらず窓からはコンコンと音が続いている。これが現実だとして、じゃああの音は何なんだろう。律儀にも窓を閉めた時に一緒にカーテンも閉めてしまったからここからじゃ何が起こっているのか見えてこない。
 私はふとひらめいた。このままこっそり部屋を出て一階まで下りて自分の部屋を外から見てみれば何か分かるかもしれない。音をたてないようにゆっくり立ち上がると玄関の所までやってきた。相変わらず窓からはノックの音が続いている。急げば30秒くらいで一階まで下りられるはずだ。玄関の戸を開けると夏特有のムッとする熱気が押し寄せて強い日差しとセミの大合唱がお出迎えした。正に夏真っ盛り。
 音をたてないように急いで一階まで走る。この一瞬だけでもう全身汗まみれで。あまりに太陽がまぶしくて目がつぶれるかと思うほどだ。自分の部屋を外から見上げたがそこには誰もいなかった。おかしい、聞き間違えとかそんなレベルではないはずだ。ふと思い立って壁を伝って5階までよじ登ると自分の部屋の窓までやってきた。ここにこれば何かわかるかもしれないと思ったのだ。しかし特に手掛かりになりそうなものは見つからなかった。相変わらず直射日光にじりじりと焼かれている。私はあの時の冷たい皮膚感覚を懐かしく思った。
 何の気なく試しに窓をノックしてみた。中に誰もいないのは分かっているのだが。しかしノックした瞬間に急に内側のカーテンが勢いよく開かれた。部屋の中には私がいてばっちりとこちらと目が合った。今は昼だろうか、夜だろうか。