超高齢化社会の到来とテクノロジーの進化という二つの流れが混ぜ合わさることで、ヘルスケア産業の拡大が予測されている。しかし、現状では、経済産業省が定義する“健康保持・増進に働きかける”サービスが未消化に終わっているとの指摘もある。スマートフォンやウェアラブル機器にて計測された人々の健康状態を測定したデータが、次のステップである分析やアドバイスに活かされていないというのだ。異業種参入も相次ぐヘルスケア市場の現状と未来について、2022年2月にソニーネットワークコミュニケーションズとポーラの合弁会社として設立された、SOULAの代表取締役社長、木下直人に話を聞いた。
“データが集まれば、何かが見えてくるだろう”という安易な発想が停滞を生む
経済産業省の予測によれば、2030年には31兆円規模と、ヘルスケア産業の急激な拡大が予想されている。
その背景には、言わずと知れた“超高齢化社会”突入への加速があるのは当然のことながら、その一方で特にIT技術の発展や生活者意識の変化による需要拡大もある。日々の健康状態をスマートフォンやウェアラブル機器にて計測することが日常的になりつつある。以前よりも市場参入が容易になり、異業種企業の参入も活発になっているが、現状では“消化不良”な状態にあると、SOULA代表取締役の木下直人は指摘する。
「各社、睡眠や運動、食事など、それぞれの機能を前面に打ち出し、計測サービスを立ち上げています。しかし、単純に記録するだけのものが多い。それでは真の意味でのデータ活用にはつながりません」
異業種参入により市場が拡大し、多くの企業や消費者の間で健康への意識が高まるのは喜ばしいことではあるが、一定の技術に特化したスタートアップが提供するアプリは、結局、ビジネスとして成立するまでに時間がかかったり、技術の裾野が広がらないという課題があるという。
「また親会社が食品メーカーなど特定の領域に紐づくものも多く、そこで留まっているのも要因だと考えます。確かにビジネスモデル的には多種多様に広がりつつありますが、各社、各サービスがそれぞれ保有するデータがばらばらに存在しているだけの状況にすぎません」
せっかく計測して収集したさまざまな健康情報や運動の情報などといったデータの、“その先の活用法”が見えていない。“データが集まれば、何かが見えてくるだろう”という受動的な分析ではなく、しっかりしたエビデンスに基づき、“意思をもって”分析を進める必要があると指摘する。
「例えば、肌の状態と食事や紫外線の関連性を理解していなければ、意味のある分析を進めることができません。意思を持ってデータを活用して、設計する必要があります。日本は、他国に比べてDXやSDGs対応が遅れているとの指摘がありますが、同じような要因があると思っています。新規事業もそうです。意思を持たずに、何かを進めようとするとだいたいが、つまずいてしまいます。このような状態では、経済産業省が定義する『健康保持・増進に働きかけるもの』のひとつであるアプリとしての目的に到達することは難しいと思います」
意思をもって進めていなかったことで、“各サービスがそれぞれ保有するデータがばらばらに存在しているだけ”という課題感は、実は木下がソニーに在籍していた時代にも身近なところにあった。その苦い体験が新しいビジネスへの意欲につながった。
「当時、ソニーではヘルスケアの事業がバラバラに存在。コロナ前には、100種類以上の運動プログラムの中から、自動的にその人に合ったものが選ばれるという運動に関するオンラインビジネスや睡眠や食事のビジネスもありました。それぞれのサービスとしては評判が良かったのですが、事業としてどうかと見たときに、それぞれが苦戦し、その出口に困っていました」
ソニー内部だけで考えても健康ビジネスはたくさんあるが、技術ドリブンであったり、お客さまのソリューション提供まで繋がっていないものも多くあると感じていた。それは世の中全体を見渡しても同様の状況にあることが見えていた。
「顧客企業の声をたくさん聞く中で、誰もがプラットフォームを独自で作ろうとしているけれど、投資が続かないなど、うまくいっていないところがほとんどということが分かりました。であるならば、私たちが、氾濫する健康データを統合してプラットフォーム化すればよいのではないかという発想が生まれました」
さらに木下の思いに拍車がかかったのが、ポーラとの出会いだった。
「ちょうどポーラと肌解析の事業を始めたタイミングでした。ポーラは肌データを1,750万件(2022年8月時点の数値。現在は2,000万件を突破)ほど蓄積していました。他の大手化粧品メーカーとも付き合いがありましたが 、それほどまでに肌のデータを大事にしている会社はほかにありません。そういった背景も手伝い、新会社を設立するときに最初に出資を仰ぎました。ちょうどポーラ内でも肌のビッグデータとライフログを掛け合わせたサービス領域をもっと拡張できないか、と検討が進み始めた段階でした。その流れの中で両社の思いが重なっていきました」
木下の動きは非常に速かった。新会社を立ち上げやすい環境が整っていたのも、木下の背中を押すひとつの要因となった。そもそもソニーグループ自体、これまでいくつもの新しい事業を作ってきているという土壌があるため、“新しいことを始めること”に対する理解がある。あらゆる条件と環境が整い、SOULAという会社が誕生した。
「これまでの課題や市場の活性化を考えると、社内完結ではなく、さまざまな外部パートナーとの協働が必要だと感じていました。戦略的に組む相手を探すためには、新規事業ではなく会社を設立する必要があります。私自身、自分の人生の半分に到達したこともあって“世の中にない全く新しいもの、社会的意義のあるものをやりたい”という思いも生まれていましたし、早く成長し、付加価値をグループに還元したいという思いもありました」
行動変容と結果を繋げる、4領域の相乗効果を重視する「SOULA pie」
停滞していたヘルスケア産業に一石を投じるかのように誕生したSOULA。そのビジネスの基軸のなるのが「SOULA pie(ソウラパイ)」というアプリだ。
「SOULA pieは、食事・運動・睡眠・肌ケアの4つの領域を組み合わせながら、より良い生活習慣を身につけるためのサポートをするヘルスケアアプリです。利用者の目的や意欲に合ったプログラムを選ぶと、日ごろの取り組みや成果を確認しながら、少しずつ生活の改善に取り組むことが可能です」
「SOULA pie」には、AIや画像解析、エレクトロニクス開発で獲得した知見・経験など、木下がソニーで培ってきた技術が集約されている。そこにPOLAが保有してきた肌とライフスタイルの関係性から導き出される情報が加わり、技術の裾野が広がっている。
「『SOULA pie』がさらに進化を続けると、例えば太ったり、病気になったり、老いていくときに、“自分に合った生活習慣は何か?”をパーソナライズ化できるようになります。その中で、いくつかのセグメントが作られると思いますが、その人に合った構造化された情報やサービスを提供できるようになると思います。もっといえば、遺伝も関係してきますし、生活環境や地域性など様々な要素も紐づいていきます。また代謝など人によっても違ってくるため、だからこそ自分のことを知るためのデータは必要で、それを正確に返していきたいと思っています。だからエビデンスにこだわっています」
医療従事者にも協力を仰ぎ、監修に入ってもらっているのもそのためだ。
「監修の山岸昌一先生は、老化の原因物質とされるAGE(終末糖化産物。Advanced Glycation End Productsの略)の権威です。老化の定義は、タンパク質が劣化することですが、身体中にあるタンパク質が糖化し変異するとAGEに変わっていきます。そうなるとタンパク質とは異質なものになり、身体に悪影響を与えていきます。また、食べるものにもAGEが含まれていて、今回は簡易AGEスコアというものを作りました。また従来であれば血液を抜かなければ測れなかった血糖値についても、食事からGL値(炭水化物を摂取したときの血糖値。Glycemic Loadの略)の上昇値を指標化し、『SOULA pie』の機能に追加しています」
さらに重視すべきは、行動変容だという。
「行動変容には、気付く・認知する→自分事として捉える→実際に行動に移す→日常に定着する、というプロセスがありますが、その中でも行動に移すのが一番難しい。なので、きっかけを作ろうと考えました。アプリでは、33のプログラムから、その人にとって取り組みやすいプログラムを選べるようにしました。例えば、運動が難しい人であれば、食べ方を変えるプログラムを選択できるようにしました。やりやすいところからやっていく、行動のきっかけをつくるのが重要です」
選択したプログラムごとに、実施すべきルーティンが提示されるヘルスケアビジネスに従事する者にとって、身体のメカニズムや人間の行動原理をどう見るかというのは永遠のテーマだが、SOULAはこれらに真っ向から取り組んでいる。
「分析や、データを扱うことが得意なのは、そもそも出自が“モノを作ってきた会社”だからこそ。ものごとの本質を突き詰めることや、考えることが好きなのかもしれませんね。システムだけでなく、考え方そのものを世の中に広めていきたいという思いがあります」
SOULAには“思い”が共有できる多種多様な企業と一緒に作りたいヘルスケアの未来がある
あらゆる健康的知見やエビデンスを飲み込みながら、アジャイル的にバージョンアップを繰り返し、スピーディな進化を続ける「SOULA pie」を基軸に、SOULAという企業の進化も着実に進んでいく。目指すべき世界観は大きい。同社が世の中に放ったメッセージは、「ヘルスケアサービスのあり方を次の段階へ」というものだ。
「これからのヘルスケアは、本気でセルフケアをする人を増やしていかなければ成功しないと考えています。医療はそこまで一人ひとりに手厚くありませんし、現時点におけるそれぞれの健康情報レベルでは必要なものを自分のために選び取っていけません。そのために記録アプリが出ていますが、記録の見方が分からない人がたくさんいます。社会も企業も生活者も、セルフケアに自己責任を感じなければいけない時代が来ていると感じます」
だからこそ、自らが気づき、行動を変える人たちにために、きちんと情報を届けられることを、企業や社会全体が背中を押す必要があるという。
「これまでは健康診断の結果を鵜呑みにするしかなかったのですが、世の中に記録アプリがたくさん出ていて、たくさんの人が自分を知るという手段を得ることができました。それはとても良いことだと思いますが、次に必要なことは“何をするか”で、今回私たちはプログラムに対してルーティンをいくつか設定していますが、それは“これをすればあなたの生活が変わる”というメッセージです。自分を知ると一歩踏み出せる。それが行動変容の初期のやり方だと思うので、そこから世の中に健康な人を増やしていきたいと思います」
世の中全体で背中を押すためには、「SOULA pie」をベースとした、さまざまな企業との協業が必要だ。
同社はすでに社員食堂を運営する会社や、食品メーカーなどと協業を進めている。協業パートナーとの対話の中で気づいたニーズや、生まれたアイデアを吸い上げることでプロダクト自体も進化するし、パートナーシップも加速する。人の生活や活動に関する多様なデータの掛け合わせにより、その先にある新たなソリューションが生まれる可能性が高まる。
「各方面でさまざまなニーズが生まれていると実感しています。協業パートナーのデータと弊社のデータを合わせることで、そのパートナーの新しいビジネスを創出する可能性があると考えています。正しいことができていて、それを推進する仕組みができていれば、理解もされるし共感もされます。そして各々のアプローチで集まってきてくだされば、ひとつの大きな世界ができあがっていく。困難も多いと思いますが、思いがある企業と一緒に“意思”をもって活動すれば、必ずやヘルスケアの次の段階へと、突破できると確信しています」
SOULAが示しているのは、変わろうとするきっかけなのだろう。それは個人が健康的な生活習慣を意識する“きっかけ”であり、企業が自社のデータを、さらに価値あるものにするための“きっかけ”なのかもしれない。俯瞰して考えれば、活気を失った日本全体が健康的な活気を取り戻す、大きなチャンスを生み出しているようにも思える。
SOULA
https://soula.co.jp/
きのした・なおと◎SOULA株式会社代表取締役社長兼執行役員CEO。コンサルティングファーム等を経て、SOULA株式会社設立前のソニーグループ各社にてバッテリー・テレビ・スマートフォン等のエレクトロニクス事業の変革・黒字化やモビリティー事業の立ち上げ等に貢献。その後、ソニーネットワークコミュニケーションズ株式会社にていくつもの新サービスの立ち上げ・リリースに尽力し、ヘルステック事業を統括。ヘルステックサービスの価値向上に向けて、2022年2月SOULA株式会社を創業。