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思い出の選りすぐりのシーンだけ、集めてみました。

今日は〜れればOK、のへたっぴいがたまたま撮れた写真①〜と題し、比較的良く撮れたものからピックアップしました。   

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ライバルを持つことは、ある意味幸せかもしれない。

大相撲の世界で現代っ子横綱と呼ばれ、同時昇進した北の富士と玉の海は好敵手だった。

お互い「北さん」、「島ちゃん(玉の海の大関までの四股名だった玉乃島からくる)」と呼び合い、仲が良かった両者は横綱としてライバル。

北玉時代の到来と呼ばれた。
 
ことに玉の海は右四つの形が完成し、無敵を誇った双葉山の再来とも期待されたが、終焉は意外な形で迎えた。

盲腸炎の手術で入院していた玉の海は体調が急激に悪化し、帰らぬ人となった。
現役横綱の突然の死である。 

急な訃報を聞かされたライバル北の富士はその事実を信じがたく、はじめは先代の玉の海が亡くなったものと思ったが、それが真実であることを知り、あまりにも酷いと号泣。多くの人の胸を打った。

何度となく対戦し、勝負がつくとお互いに顔を見合わせ、会釈をするような特別な関係だっただけに、惜しまれる終焉だった。

親友と言うのは作り話と語る北の富士さん。
ただ、カラッとして明るかったという玉の海関のことは本質的に好きだったようだ。

特別な相手が見つかるのは、幸せなことである。