黒川あかねから有馬かなの状況について連絡が入った時、俺はすぐに行動を起こした。
有馬かなの事務所が雇用契約している産業医への根回し、都内の各病院に勤めてる知り合いの医師や看護師へ万が一の場合が起きた場合の情報提供など、俺が医者としての立場を利用できる状況を出来る限り整えた。
それでも俺が介入出来る病院に有馬かなが入院するかどうかは運の要素も大きかったが、何も行動せずにただ待つだけでは運は味方をしてくれたりはしない。
「あ、あの、私ずっと雨宮さんにお礼を言いたくて、それで」
「話は横になっても出来るよ。さ、ちゃんとベッドに横になって」
予想した通り、有馬かなの労働時間は法律で定められた限度を上回っていた。
業界の悪習が完全には払拭されていないとはいえ、芸能界にもコンプライアンスが叫ばれている現代では、事務所側の責任問題に発展する。
今この病室には居ない事務所のマネージャーと有馬かなの母は、別室で俺が今回の件に関する情報の入れ知恵した病院の医師に叱責されているだろう。
「えっと、それと、後は」
「分かってる。君がずっと頑張ってたのはテレビや映画で見てたよ。でも、頑張りすぎると今日みたいに倒れちゃうって事を分かってくれたよね?」
俺がそう言うと有馬かなの顔が僅かに曇った。自分が原因で今日の撮影で迷惑を掛けたと思ってるのだろう。
「大丈夫。君が迷惑を掛けた訳じゃない。現場のスタッフも出演者達も君を心配してくれてる。だからこそゆっくり休んで良いんだ」
「本当ですか?私のせいで撮影が遅れたって思ってる人もいるかも」
有馬かなは責任感が強い。そこが裏目に出た事が今の状況に陥ってしまったのだが、それを利用した周りの大人こそが糾弾される立場だ。
「そう思う人も確かにいるかもしれない。でも、そんな人の為に君が犠牲になる必要は無いんだ」
「でも、その所為でスタッフに嫌われたら私に仕事をさせてくれなくなるかも。そうなったら私は今の事務所に居られなくなるかも」
有馬かなは自分が必要とされない事を極端に恐れてる。常に周りから期待や評価されてるからこそ、それを失ってしまうのが何よりも怖いのだろう。
「確かに、今回の一件で君の事務所は有馬かなの売り方を見直すだろう。それが必ず良い方向になるとは俺も断言できない。君の事務所は子役専門の事務所だから君が成長したら契約を更新しないかもしれない」
「……」
有馬かなは黙って俺の話を聞いていた。実際に自分より年上の子役が契約を切られてお払い箱になる姿を見た事があるのだろう。
「だからもし、君がどこか別の事務所に移らないといけない時が来たら、苺プロはいつでも君を迎え入れるよ。有馬かなみたいな良い役者を他所の事務所に取られたくないからね」
「かなちゃん、大丈夫かな」
かなちゃんが数日前に入院したって聞かされて、私は自分が不安に思ってた事が当たって動揺を隠せなかった。
かなちゃんは今日の撮影に来るってスタッフさんは言ってたけど、出来ればもう少し休んでて欲しいのに。
「おはようございます。今日もよろしくお願いします」
かなちゃんの声だ。良かった。無理して元気を出してる声じゃない。
過労で倒れたって聞いたのに、少し休んだだけであんなに元気になれるなんて、やっぱりかなちゃんは凄いや。
「おはよう、かなちゃ……ん?」
「どうしたのよ黒川あかね。私の顔に何かついてる?」
私の目の前にいるのはかなちゃんの筈だけど、その顔は今まで見た事が無いくらいにやけた顔をしていた。
「ううん、何も付いてないよ。何日か前に撮影現場で倒れたって聞いたから心配してたから」
「アンタが私を心配なんて10年早いのよ。10年……10年経てば確実ね」
そう言ってかなちゃんは顔を両手に当てて、もっとニヤニヤし始めた。いくらかなちゃんのファンの私でも少しだけ引いちゃったから、一体何が有ったのか聞くのが少し怖いけど聞いてみる事にした。
「ね、ねえかなちゃん? もしかしてだけど、雨宮さんと何かあったの?」
私にかなちゃんの入院の事を教えてくれたのは雨宮さんで、電話では大丈夫だったって言ってたけど、明らかに今のかなちゃんの様子はおかしい。
「あ、分かっちゃった?実はね……私、永久就職先が決まったみたい」
なんだ、ビックリした。かなちゃんは何も変わって無かったみたい。
かなちゃんは将来凄い女優になるのが夢だって言ってたから、永久就職ってきっと役者の仕事を一生続けるって意味……。
「じゃないよね!?一体何があったのかなちゃん!?」
「アンタ心理学勉強してるんでしょ?自分で考えたら良いじゃない」
前にかなちゃんが雨宮さんに恋愛感情持ってるのって聞いた時は、かなちゃんは言葉や態度ではそんな筈無いって言ってた。けど、今のかなちゃんに同じ質問をしたら、絶対に即答するって確信持って言える。
分からない。恋愛感情って心理学の本を読んだだけじゃ理解出来ない。
私がかなちゃんの事をもっと理解すれば、どうしてそこまで雨宮さんを好きになったのかが理解出来るのかな?
「ねえかなちゃん、今度休みが取れた時で良いんだけど、私と一緒に付き合って欲しい所が有るんだけど、駄目かな?」
「私にそんな暇……は、事務所の人に言えば作ってくれるかもしれないけど、折角のプライベートを誰かの付き添いに使うのも」
そう言うと思ったから、私はかなちゃんが絶対うんって言う台詞を言う事にした。
「そっか。そうだよね。かなちゃん忙しそうだし、苺プロの事務所に行く用事は私だけで行くから」
「行く!!いつ行くの!?今日?それとも明日!?」
「えっと、取り敢えずスケジュールの都合を合わせてから決めようよ」