「ダサい」という言葉は江戸
時代からあった。
元は「田舎(だしゃ)い」と
いった。田舎っぺの事だ。
昭和末期手前の1970年代時代
にも「ダサい」「ダセえ」は
東京を中心に多く若者たちに
使われた。地方には無かった
のでは。地方はそもそもが田
舎だから。
そして、四輪や二輪のくそダサ
仕様はチバラギと呼ばれて東
京都民から馬鹿にされていた
茨城千葉の田舎に多かった。
東京の暴走族は洒脱でいかし
た仕様とファッションであり、
竹槍マフラーや出っ歯エアロ
や天井カウルのようなチンド
ン屋みたいなのは皆無だった。
カウルを着けるにしても低く
ヨーロッパカフェ仕様のよう
に着けていたし、セパハンが
大流行の後にはクールスハン
ドルと呼ばれた上に上がって
真下に曲げ下ろした特殊なハ
ンドルが東京では流行した。
また、手が逆手に跳ね上がる
絞りハンドルはプレスが始め
て暴走族も導入したが、主と
して都内よりも埼玉のほうに
多かった。都内はセパハンか
コンチハンかクールスハンド
ルだ。
旗棒も都内最速のプレスを
真似して都内の暴走族は採用
していた。
基本的に劇画『あいつとララ
バイ』に出て来るZ2仕様が
東京都内と横浜の暴走族の
スタイルだった。
チンドン屋のようなくそダサ
以外なにものでもないお笑い
仕様などは、東京と横浜には
存在しなかった。恥ずかしく
て走れないから。あんなので
は。
カッペは普段からダサくて、
ドカン、ズンドウと呼ばれた
スカパンのような高校制服で
はなく、モンペのようなボン
タンという妙ちくりんなズボ
ンがカッコいいと思ってか履
いていた。カッペはボンタン、
都内はズンドウ(幅広ストレ
ート)だった。
都内のツッパリは革靴も磨き
あげていたが、だサイタマあ
たりのカッペは運動靴に踵を
踏みつぶした物を履いていた
りした。川越の田舎あたりは。
モンペみたいなズボン履いて。
その後、1978年に真の暴走族
が消滅して以降、暴走もせず、
ちんたらだらだら走って騒音
だけをまき散らすいわゆる珍
走団がチバラギとトツィグィ
あたりから発生して全国に広
がった。
彼らは暴走族ではない。
街道で150km/h程出して集団
暴走しないのだから「暴走族」
ではない。騒音族であり珍走団
だ。
そして、何よりもカッコがくそ
ダサで話にならない。
現在ある旧車會というものが
暴走族をリメイクしたものでは
なく珍走団再現仕様であるのは、
旧車會なるものが田舎に多い
事にも原因があるように思える。
暴走族を知らず、珍走団しか
知らないのかも知れない。
単車200台、四輪400台で1チー
ム。それが何チームも土曜の
夜に都内を蹂躙して爆走暴走
するのが暴走族である。数万
人が土曜の夜に都内を走り
まわった。それが暴走族。
それ以外やそれ以降の時代の
紛い物はいわゆるカッペ珍走
団のお仲間だろう。
暴走族はとにかく速度を出す
のだ。大集団で。
当然二輪はTON-UP仕様になる
し、四輪はまるでレーシング
マシンのような改造を施して
いた。それが暴走族。
珍走団仕様でスピードなど出
る筈がない。
音だけ空ぶかしでコールとか
言っていきってるのも暴走族
が存在した時代には無かった。
コールなどは見てくれだけの
中身無しで、はっきし言って
くそダサのカッペ丸出しだ。
実際にカッペほどやってる。
だが、ダサ坊たちは、自分が
ダサダサな事には全く気付か
ない。
だから、それだからこそ余計
くそダサなのだが。
上掲画像のような珍走団仕様
をカッコいいと思っている時
点で頭おかしい。
先日、渋谷ハチ公前スクラン
ブルで人垣に突っ込んだバカ
もくそダサ仕様の四輪で土浦
ナンバーだった。
イバラキから渋谷に何時間か
かけて出て来たみたいだ。
そういうの東京の超人気番組
「ぎんざNOW!」放送の頃の
半世紀ほど前から始まった。
いわゆる東京がおのぼりさん
で埋まるような状況開始だ。
そして、原宿代々木公園ホコ
天で踊っているローラーや
タケノコ族はチバラギ、だサ
イタマ、グンマー、トツィグィ
から何時間もかけて電車で出
てきているイナカモンたちだ
った。都民たちではない。
原宿ローラーが観てても何と
も垢ぬけない何かを感じさせ
たのは、それは中身がカッペ
だったからだ。つまり、ぶっ
てても中身はイモ。ナリナン
のヤザワみたいなもんだ。
コスチュームも取ってつけた
ような感じの「着せられ感」
があり、踊りもくそダサだっ
た。まともなローラーは代々
木公園ではなく別な場所にい
た。
てことで、「ダサい」の代名詞
の代表格の王者は珍走団だ。
そして、珍走団以外では、「流
行を着る奴」が一番ダサい。
着ている物がダサいのではなく、
その質性、感性、ライフスタイ
ルがくそダサい。
« 広島県の鳥 ~アビ~ | トップ |