埼玉県児童虐待条例が撤回に追い込まれました。
なぜ、こんなことになったのか?
一言でいうと、「雑」だった、ということだと思います。
理念は悪くはなかったが、条文の作りの「出来が悪かった」。
これにつきます。
一方、埼玉県議の会派「無所属県民会議」が対案を出しており、それは、「著しく配慮に欠く放置(=炎天下の車内放置)などを見つけた場合には積極的に通報をお願いする」など、規制すべき問題行為のみを虐待行為とし通報義務を課す、丁寧な規定ぶりとなっていたようです。
自民党が、この県民会議の修正案を採用していれば、断念にまで追い込まれることはなかったはずです。
実は、同じ構造が、国でもあります。
法務省法制審議会が出した「共同親権を実現する民法案」のたたき台がそれです。
moj.go.jp/content/001401
この案も、極めて「雑」なため、法律として成立したら、社会は大混乱に陥ります。
多分、家族制度や結婚制度自体が完全に破壊されます。
社会を破壊する威力をマグネチュード(M)で例えれば、埼玉県の児童虐待条例がM6に対し、この法務省法制審案はM10くらいでしょう。
多分、日本は二度と立ち直れません。
このように破壊力は全く違います。
しかし、両者の問題の構造は同じです。
なお、この埼玉県児童虐待条例案も、この法務省の「共同親権推進法案」も、推進しているのは「自民党左派」(私が自民党福島(瑞穂)派と呼ぶ人たち)で、同じメンバーです。
president.jp/articles/-/747
なぜ、彼らが、こんな「雑」な案を作るのか?
それは、「我々は、良い規制を定めようとしているんだから、多少『雑』でも文句いうな」という彼らの独善性が背景にあります。
さらに、「自分たちは、議会の多数派だ。人々は我々を支持しているんだ」という驕りも、彼らの独善性に拍車をかけていると思います。
自民党は、今回の児童虐待条例の失敗から学び、共同親権については、その独善性を捨ててほしいと思います。
法務省法制審案が、いかに、我々の生活・幸せを破壊するものなのかは、その内容を国民が正しく知れば、すぐ分かります。
そうなって、廃案に追い込まれる前に、適切な対案を受け入れるのが賢明だと思います。
そして、埼玉県の無所属県民会議が出した対案にあたるのが、民間法制審案です。
手前みそで恐縮ですが、丁寧に作っています。
子どもの連れ去りも正当性がある場合は許容しつつ、きちんと親子の関係が切れることがないよう手当しています。
DVのおそれがあるケースについても、第三者が面会交流の支援をすることで、元夫婦間での直接のやりとりがないようにしつつ、親子の関係が切れることがないよう手当しています。
児童虐待のおそれがある場合は、監視付き面会交流を課し、虐待が行われることがないようにしつつ、親子の関係が切れることがないようにしています。
このように、民間法制審案は対立する法益を共に保護するよう、物凄く丁寧に調整しています。
しかし、法務省案には、そのような配慮が一切ない、乱暴な案です。
自民党が提案した児童虐待条例が、子どもの放置を問題とし、それに対処しようと親の行動を制限する事で、その親が働くのを辞めざるを得なくなる事にまで想像が及ばなかったのと同じです。
極めて「雑」なのです。
oyako-law.org/swfu/d/kaisei_
自民党福島派の方々や、法務省に出向している裁判官らは、その法務省案の問題点を、意図的かどうかは知りませんが、隠した上で、ピント外れの主張をしています。
その事は、自民党埼玉県連の作成した児童虐待条例案に、自民党福島派の皆さんが主張している内容を重ね合わせてもらえば、すぐにご理解頂けると思います。
例えば、児童虐待条例案について、「県民会議が出してきた対案は理想主義的であり非現実的。しかも、少数派の彼らが言っている案が成立することはない。であれば、多少、不十分であっても、まずは、この現実的な自民党案を成立させることが重要。その後、少しずつ修正していけば良いではないか」という主張をする者がいたら、皆さん、どう思いますか?
きっと「そう言う話じゃないだろう。お前達が提案している内容の方がよっぽど非現実的だろう」と怒るでしょう。
それと同じようなピント外れの主張を、自民党福島派の方々や、法務省に出向している裁判官らは、法務省案を正当化する理由として主張しているのです。
彼らは、そのような詭弁を弄して、自民党埼玉県連が作った児童虐待条例より「雑」で、我々の社会を根底から破壊する桁違いのマグネチュードを持つ法律を通そうとしています。
決して騙されないでほしいと思います。
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