うおっ乳デカいね♡ 違法建築だろ 作:珍鎮
──遂に俺の時代が訪れた。
初詣を終えてからマンハッタンカフェを自宅まで送り届け、家に帰った頃には既に夕方から夜へと移り変わる時間帯になっていた。
こんな遅い時間に誰かから連絡が入るはずもなく、一旦この日のスケジュールは完全なる白紙になった形になる。
という事はつまり、今日この瞬間から翌日の早朝に出かけるまでの約十四時間は、俺は
「……っはぁ、予定がないって最高だ」
帰宅後、荷物をぶん投げて居間に寝転がった。
いつぶりだろうか。
俺が誰かと一緒にいることもなく、おひとり様になる事が出来たのは。
「よーし……風呂に入ったら……」
体を清め、晩の食事を終え、明日の荷物を準備していよいよやる事が無くなったその暁には──お楽しみが待っている。うまぴょい。
「おおぉぉぉっ、今夜はサルになるぞ~ッ」
本当に一体いつぶりなのか。
こうして何も気にする事なく、男ならば誰しもが行う“自分だけの時間”に耽る機会が訪れたのは。
めっちゃあからさまに口角が上がりまくっている。嬉しい楽しい。
──タマモクロスに拾われてから今日この瞬間に至るまで、マジに心臓が爆裂するレベルで延々とムラムラしていた。
一緒に風呂へ入り、密着し、撫でられ手を繋がれ、また目隠しで入浴だの何だのと繰り返して、いよいよ今日の昼のカフェちゃんによる性行為誘発誘い受け激マゾ儀式によって性欲が破裂する直前にまで達していたのだ。危うく死ぬところだった。俺でなければだがな。
今日こそ俺は発散する。
ショタ化したり戻ったり記憶がゴチャついたりなどで精神も身体もバグりまくり、通常の人間の十数倍は大増幅したこのクソデカ三大欲求を、今日中に全てかき消して普通の人間へと戻る。
めっちゃ食ってめっちゃ気持ちよくなってめっちゃ寝る。これだ。これこそ本能。雄としての正しい形。
──サルになるのだ。
性欲の赴くままに行動する。
こうして誰にも邪魔されない状況になれたからこそ、今日という日の全てを俺自身の慰安だけで消費してやるのだ。クソッ!! ムラムラする……。
「な、何をお供にしようかな……ワクワクし過ぎて全然決まらん……たのしい……」
脳内の九割が煩悩に支配された俺は、先に入浴や夕餉を済ませることすら忘却して、そのまま居間で寝転がりながらスマホでネットの海へとダイブしていった。……あれ、このサイトのログインIDなんだっけ。確かメモ帳に──
「……ん?」
心を躍らせながらスマホを操作していると画面上部に通知が届いた。ウソでしょ。
──瞬間、脳内で高速の思考が駆け巡る。
いや、どんなメッセージでも気にすることなく絶対に無視するべきだ。
今の俺は最大級の我慢を超えた先に瀕死となった自らを労わることだけが何よりも最優先の状態なのだ。
このメッセージが例え誰からのものであっても未読無視しよう。
やよいでも諸先輩方でもウマ娘の誰かであろうとも関係ない。
今日この夜だけは、俺の時間は俺だけのものなんだ──!
≪やっほ秋川。いまヒマ?≫
山田。
≪あ゛ぁ゛!?!!?≫
≪なんかキレてる……こわ……≫
≪どした≫
≪急に落ち着かないで≫
≪こちら秋川サービスサポートセンターです! ご用件をどうぞ≫
≪あの、これからキミん家行っていい?≫
…………。
≪山田くんは夜ご飯たべた?≫
≪まだです≫
≪唐揚げを予定しているため、全てが揚がりきるよりも早く到着することをおすすめ≫
≪……ちなみにいつから揚げ始めるの?≫
≪今から≫
≪すぐに向かいます!!!≫
──無理だった。
とてもではないが無視できなかった。
どうやら俺という人間は性欲で親友を蔑ろにする男にだけはどうしてもなりたくなかったらしく、スマホをテーブルに置くとそそくさ調理の準備に取り掛かり始めてしまった。
こればかりはしょうがないのだ。
そもそも最近忙しすぎて山田と遊ぶこと自体があまりにも久しぶりであり、これを投げ捨ててまで一人遊びに興じるという胆力を俺は持ち合わせていないのだ。
だからしょうがなかった。
もう今日は大人しく唐揚げパーティとしゃれこむ事としよう。ムッチムチでジューシーなお肉が僕たちを待ってるよ! ジュワッ。油。
……
…………
「──きて」
んぁ?
「起きて、秋川」
あ、山田だ。お腹ぽよぽよ~♡
「なんで起きて早々に僕のお腹の肉で遊ぶの……」
まるで添い寝かのごとく隣に寝そべっているからですよ。眼鏡を外してる寝起きのダーヤマくん新鮮だね。
「……俺、寝てた?」
「うん。浴びるように唐揚げを食べまくった直後に爆睡」
「ドカ食い気絶部をしてしまったか……」
「……秋川、なんか声ちょっと高くない?」
「あー……なんだろな、寝起きで喉がバグってるかもしれん。これも唐揚げ暴食の弊害かなぁ……」
つい羽目を外して欲望に忠実な行動をしてしまった事を後悔しつつ上体を上げると、窓の外が明るいことに気がついた。
──思い出した。
スマホで山田に連絡した後、確かすぐに彼がウチへやってきて、すぐさま揚げまくってフードファイトに興じたんだった。
アホみたいにかっ食らいながらウマデュエルレーサーの新弾の話で盛り上がって、その後……何もやってないな。
正しくドカ食いして気絶し、こうして朝を迎えてしまった。最高に気持ち良かったが少々勿体無いことをした気もする。
「秋川、よっぽど疲れてたんだね。床に雑魚寝したあと洗い物とかで多少は音を立ててたけど全く起きる気配が無かったし」
「ろくでもなし子だったか」
「コメントもだね」
「あ、つーか洗い物と片付けしてくれてサンキュな。マジ助かった」
「家事代は五万円でいいよ」
「ぼったくり過ぎかも……」
せっかく山田が遊びに来てくれたのだから、いっそオールしてウマデュエやりまくろうと思っていたのだが──まぁいいか。
彼との時間はこれから無限に続いていくのだ。
遊びに夢中になるのも悪くはないが、今は体調が全快したことを喜ぼう。ビキビキッ♡ むわっ。
「なあ山田、今日はどうする?」
「普通に帰るけど」
「えっ」
そんな薄情なことを言うな! 催眠済みのくせに生意気である。
い、一緒に映画とか見ませんか……。
「ていうか、いい機会だし今日くらいは秋川もゆっくり休みなよ。クリスマスからずっと激やばイベントの連続だったんでしょ? もちろんやらなきゃいけない事とかもあるにはあるんだろうけど……僕としては必要最低限の休息とかじゃなくて、しっかり丸一日を休養に当てた方がいいと思うな」
「それは……まあ、そうか」
山田の言い分は百理ある。
自分で気がついていないだけで見えない疲れが蓄積している可能性もあるし、スケジュールが完全な白紙になったのも久しぶりだ。
……そうだな、休もう。
ダラダラしよう。
頑張らなくていい、と分かった瞬間に身体を動かす気力がブツリと切れた。
もう今日は何もしない。
「ほら秋川、とりあえず先にお布団畳んじゃお」
「はぁー……起きるかぁ」
「メガネどこだろ……」
「枕元にあんぞ」
「ん、あったあった、ありがと。……よし。じゃあ僕──」
とりあえず朝ごはんは一緒に食べるだろうから早く用意してしまおう。
「……?」
「山田ー。白米が残ってるから卵焼きとかでいいか」
「……あ、うん」
俺の卵焼きの味はグルメな相棒のお墨付きなんだぜ。楽しみにしてもらって。
「…………」
「あ゛ぁー……変な体勢で寝てたせいか肩がいてぇな……」
「っ……? ……???」
まず布団を畳んだら押し入れにぶち込んで、歯磨きして顔洗って……着替えはいいか。どうせずっと家にいるし。
いやでも山田をどこまで送っていくかにもよるな。バス停まで行くならダル絡みしてコンビニで駄弁るという手もあるし、その場合は着替えた方がよさそう。悩ましい。あたふた。
「……あの、秋川」
「ん? お前もそっちの布団を畳んでくれよ」
「そ、それはもちろんなんだけど……」
部屋を片付けてテーブルを出さないと朝餉を用意できないため、そそくさ準備しているのだが何だか山田の様子がおかしい。
「どした」
「えぇっと……なんと言えばいいか……」
ハッキリ言わずに口ごもっている彼は怪訝な表情というか、どちらかと言えば混乱しているような顔だ。
「その、とりあえず鏡を見てきた方がいいかも」
「あん? そんなひどい顔してんの俺……」
もしかして寝相で髪が爆発してたりするのかしら。それだとちょっと恥ずかしいかも。
とりあえず山田に言われた通り洗面所へ移動し、鏡の前に立ってみた。
そこには少女がいた。
黒い髪の少女が鏡に映っていた。
「……?」
首を傾げた。
蛇口をひねって水を出し、顔を洗ってから再び鏡を確認した。
「…………?」
やはりというか、そこには少女がいた。
「……???」
長い黒髪の少女が不思議そうに首を傾げている。
──はて。
俺は今、鏡を見ているはずだが。
「……あっ、耳もある……」
ジッとそのまま見つめていると、どうやら少女の頭部には変わった形状の耳があるらしかった。
一言で言えばウマ娘のような耳だ。
なんとなくケツのほうにも手を伸ばしてみると、腰になにやらフワフワな感触を感じた。
振り返ってみると、ズボンの隙間から毛むくじゃらの尻尾のようなナニカがはみ出ていた。
「…………俺、ウマ娘になってる……?」
朝の寝惚けた頭ですら
「まぁ……前にショタ化とかしてるしこういう事もあるか」
「──いや無いよッ!!?」
一旦現状を把握し、あくびをしながら居間に戻ると山田がデカい声で反論してきやがった。うるさいよダーヤマくん。まだ朝ですよ。もう少し淑やかにアクメしろな。
「いやいやいやっ、えと、実際に目の前で起きてるから無いわけじゃないけど! それでもやっぱりおかしいよッ!? なに!? えっ何事!!?」
「るせーな、もうちょっと声のトーンを落とせって」
「どうして秋川はそんなに落ち着いてるんだ……っ!!」
バチクソ動揺しまくっている山田を一瞥しつつ、さっさと布団を片付けて居間の中央に丸テーブルを置いた。
「まぁ一旦麦茶でも飲んで落ち着こうぜ」
「全然まったく落ち着いてる場合じゃないと思うんだけど……キミ本当に秋川なの……」
冷や汗だくだくの山田の前にコップを置き、俺も自分の麦茶を用意して一口飲み、とりあえず一息ついた。
──なんか起きたらウマ娘になっとる。
リアクション取るタイミングをミスって全然驚けなかったが、正直いまの山田と同じくらい驚愕と混乱に脳を支配されている。
いや、なにこれ。
何で?
どういう流れで俺がウマ娘に大変身すんの。
鏡を見たら俺とちょっと雰囲気が似てるだけの全くの別人が映ってて心臓がひっくり返りそうになったんだが。驚懼はもう遅いノロマめが。
「マジでどーすんの秋川ァ……っ!?」
「ちょっ、マジで声がデカい。ヤベー状況なのは俺も分かってっから、一旦声のボリューム落としてくれ」
「う、ご、ごめん。……で、でも、本当にどうすんのそれ……何がどうなってそうなってんの……」
「知らねぇよ起きたらこうなってたんだから」
隣で寝てた友達がいざ眼鏡をかけたらウマ娘だと判明した瞬間の山田の顔はかなり凄かった。宇宙を背景にした猫みたいな顔してた。
「……昨日メシ食ってるときに話したろ? クリスマス辺りからつい最近まで子供の身体になってたって」
「そ、それと似たような現象ってこと……?」
そうなんじゃない。知らんけど。タマお姉ちゃん譲りの知らんけど。
思い返してみれば今の俺は結構真面目に普通の人間の身体をしていない。
ショタレベルに縮んだり、またそれが戻ったりと、普通の人であれば七億パーセント発生しない身体変化に見舞われているので、多少の後遺症程度なら覚悟はしていた。とはいえ、まさかウマ娘に変身してしまうとは予想もしていなかったが。遺憾のイですよホント♡
よく考えれば概念的に怪異と近い存在である相棒に魂魄を譲渡してもらい、半壊したそれをタマモクロスに渡したりしていた為、俺自身が把握できていないやり取りがどこかで発生していた可能性が非常に高い。
──例えばタマモクロスに削った魂魄を分け与えたあの時、逆に彼女の
もしくはあいつの魂魄が混ざりすぎて三分の一くらいウマ化してる、だとか。
マンハッタンと出会って以降、やたら怪奇現象などのオカルト方面の出来事に巻き込まれ過ぎているせいか、流石に俺でもある程度の推測はできるようになってしまった。
ショタになったんだからTSするのも、まぁあり得なくはない話だ。そうはならんやろ。なっとるやろがい! マジでキレたわ。
……まぁ、なってしまったもんはしょうがない。
ショタ化と一緒でそのうち時間経過で治ることだろう。
どうせ期間限定なら思いきって遊んじゃお。ほほ~♡
「ちなみに山田から見て今の俺ってどうだ?」
「……美少女、かな」
「ふふ。照れる」
つまり俺がウマ娘として生まれてたらこんな美少女としてこの世に顕現してた可能性があるって話だ。夢があるね。
──あっ。
「ていうか俺、めっちゃおっぱいデカくね? すげーこれ」
「っ……」
ようやく気がついたがウマ娘状態の俺、胸部装甲がとんでもないことになってる。ダイワスカーレットにも迫る勢いかも。雑魚が……身の程を弁えよ!
「ふへへ。ぽよぽよ~」
「やめなよ秋川……」
「俺の身体なんだから別に大丈夫だろ。にしても、まさか性癖の根源が自分自身に秘められていたとは……灯台下暗しって感じだな」
「よく分かんない……」
──というか、先ほどから山田の目がチラチラと俺の胸部に吸い込まれ過ぎている。えっちなのはダメ!
おっぱいを見ている男子の視線は女子にはバレバレだ、という話をどこかで聞いたが、まさか本当にここまで露骨に感じるものだとは知らなかった。今後女子と接する時は凝視しないように気をつけよう。
それはそれとして。
「山田?」
「な、なに」
「ちょっと胸を見すぎてますよ」
「ッ!? ご、ごめん!!」
「まぁ謝る事かどうかも怪しいけどな」
ダーヤマくんは紳士なので鼻の下を伸ばしたりはしないが、それでもやっぱり男なのでデカいフワフワには目が行ってしまうのだ。俺も男だから分かる。これは雄なら致し方ない本能なのだ。正体見たり枯れ尾花。
「うぅ、未だに信じられない……こんな美少女ウマ娘さんがホントに秋川なのか……」
「期間限定ウマ娘のノーザンテーストです。ぴすぴす」
ピックアップ期間は予告なく終了する場合がありますのでご注意ください。
「そうだ山田」
「……?」
「触ってみるか。このデカ乳」
「──ッ!!?」
軽い冗談のつもりだったのだが山田がひっくり返っちゃった。今日起きてからずっと忙しないねキミ。
「バカッ!!!!!!!!!」
「ごめんて」
「ももももっと自分の身体を大切にだね……ッ!」
「元々は男なんだけど……」
うぅっ猛き神よ鎮まり給え……! 先ほどから汗かきまくり焦りまくりの山田の緊張をほぐそうと思っての発言だったのだが逆効果だったみたい♡
「……ん? ──あっ」
狼狽し続けている山田を宥めるのも束の間、俺の身体からモクモクと水蒸気のような煙が出てきたかと思えば──ポンっ、と一瞬で男に戻った。こんなあっさり戻れるんだこの状態異常。なんで俺こんな珍妙にして滑稽なの。
「そうやって簡単に接触を許したら相手がどんどんつけあがって取り返しのつかない事態に陥る可能性だって少なくないんだ……!」
「ダーヤマさん」
「秋川は女子になったという自覚が無さすぎて」
「あの、おーい山田。戻ったぞ俺」
「えっ? …………あっ、ホントだ。よかった……」
ホッと胸をなでおろす童貞紳士。せっかくだから触っとけばよかったのに、と言ったらまた怒られるだろうから口は噤んでおく。
普段の俺が山田のお腹で遊びすぎているので、この機にお返しをと考えての発言でもあったのだが、結局彼が紳士すぎて何も起こらなかった。TSした俺が相手でもここまで緊張してしまうのは、流石に女子との至近距離でのコミュニケーションに免疫が無さすぎて逆に心配になってくるが。
「あんまり愉快な体質にならないでよ秋川……変なオバケだけでもお腹いっぱいなのに、こっちの心臓が持たないってば……」
「わるいわるい。たぶん今は回復してる途中だからこういうバグもあるんだよ。ちゃんと治ったらこうはならないから」
「ホント……?」
「保証はできません」
俺よりもっと愉快な連中が周囲にたくさんいるので。カラスと決着をつけるまでは何があっても不思議ではない。今なら舌打ちを衝撃波として放てそう。
「なんなら俺の手伝いをしてもらう都合上、怪異の影響で今度は山田が変身する可能性もある」
「もうこの街で生活するのやめようかな……」
仮に山田がウマ娘になった場合はどんな容姿になるのだろうか。
俺であのデカさだし、もしかしたら全てを征する違法建築の王として降臨するかもしれない。うひょ~なんだそれ♡ 深く憂慮する。
「……もし僕がそうなったら秋川が匿ってね。他の人を誤魔化せる自信ないから」
「まずお前が変身しないように頑張るので安心してもらって」
「い、いや、もちろん信じてるよ? 信じてるけどさぁ……。──うぅ、僕たちの高校生活、いつの間にこんな非日常になっちゃったんだ……」
あ、その嘆きはちょっと巻き込まれ型主人公ポイント高いかも。俺が言いたかった……。
「はぁ……朝から疲れたし僕もう帰るね……」
「メシ食っていかないのか?」
「うん、昨日たくさん頂いちゃってるし。今度は僕が何か奢るよ」
「了解です」
次回の約束が決まって嬉しい反面、もう彼が帰ってしまう事がほんの少しだけ寂しい。
これといった予定が無い日こそ山田と遊んでばかりだったので、一人でやる事などすぐには思いつかないのだ。
ささっと着替えて玄関へ向かう山田についていきつつ、今日の予定を無言で思案していると、靴を履いた彼がふと思い出したようにこちらを向いた。
「ごめん、忘れるところだった。はい秋川、これ」
そう言って親友がカバンから取り出した物は、いつかの日に彼から譲渡された反射材製のマスクではなく、お祭りの屋台で売買されていそうな何かの版権キャラのお面であった。
「なんだこのお面? 誰?」
「キャロットマン知らないの。戦隊シリーズは若手ウマ娘女優さんの登竜門だよ」
「へ、へぇ……」
キャロットマン、キャロットマン──あぁ、なんか日曜の朝にやってるヒーロー番組があったな。
ああいった特撮ドラマはいかに子供時代に視聴しているかいないかで興味の度合いが決まってくると思うのだが、困ったことに幼少期の俺の日曜日は秋川本家による座学と座学と座学だったため、テレビに張り付く暇など微塵も存在していなかった。
「ほら、キミが走るときは正体を隠さないとでしょ。性能面でちゃんとしたコスプレは僕が探しておくから、それまではそのお面を使いなよ」
「おう、サンキュな。……ちなみに山田はこのキャロットマンとかいうの、見てんの?」
「もちろん。あと再来週から放送再開するけど、次回のゲストはゴールドシチーさんだよ」
「何……ッ!?」
どうやら俺もその戦隊シリーズとやらをリサーチしなければならない理由が生まれてしまったようだな。長寿シリーズ番組だから今から追うのは厳しいと思っていたが、映画の名演技でハマった推しが出るのであれば話は別だ。ゴールドシチーのツーショット撮影会も応募しました。
「正式名称は……栄養戦隊キャロットマン、か」
「時間あるんだし観てみれば?」
「そだな。ヒマだし」
スマホで確認したところ、いつも起きている時間に放送していることが判明した。日曜日の朝と言えばウマ娘の栄養学の勉強だったな。懐かしいが子供時代の思い出にしては華が無さすぎるな。栄養不足。
とにかく今日のいい暇つぶしになりそうだ。
テレビを見ながらダラダラすれば疲弊しきった俺の身体も十分癒されることだろう。
「じゃあ秋川、またね」
「ん。気をつけて帰れよ」
そんなこんなでヌルっと解散し、居間に戻った俺は一人分の朝食の準備に取り掛かるのであった。もそもそ。
◆
──山田が家を出てから数時間が経過し、時刻が昼に差し掛かった頃、俺は人でごった返している街の中をあてもなくほっつき歩いていた。
これといった予定はないが昼寝するほど眠くもないため、とりあえず散歩でも、と考えて外に出たのだが想像以上に暇だ。
「……ここのカードショップ、年始もやってんのか」
そうしてたどり着いたのは商店街の付近で店を構えているホビーショップであった。
とあるビルの三階に位置しており、規模もそこそこ広く大会も頻繁に開催されているこのカドショは、俺や山田のようにウマデュエルレーサーで遊んでいる学生にとっては憩いの場なのだが、まさか正月から営業しているとは思わなかった。
「そういえば……山田が当てたあのカード、買い取り額どれくらいになってんだろ」
ビルの階段をのぼりながらふと思い出した。
数ヵ月前、俺と山田とアグネスデジタルの三人で映画を観た日のことだ。
あの時彼は新弾のパックの中からとんでもない種類のサイン付きレアを引き当てたのだが、その数ヵ月前の時点で買い取り額が十五万を超えるプレミアカードだったアレは、現在どうなっているのか。
それが気になったのでとりあえずカードショップに寄ってみることにした。
「メジロマックイーンのサイン付き赤シク……十八万、ってスゲェな」
店内の壁に貼ってある買取表の中でも特にピックアップされており、たった二ヵ月ちょっとで更に三万円も額が上がっていることに驚いた。あいつ宝くじ当たってんじゃねえか。
「……メジロマックイーン、か」
件の少女が特別な衣装で凛々しいポーズをしているカードを手に取りながら呟いた。
最近出たばかりのブースターパックで自分のデッキに使う新カードを調べていると、どうやら特定のサポートカードとこの新しいメジロマックイーンのカードを出張セットとして使えるらしい……というのは一旦置いておいて。
俺の関心の対象は、ウマデュエルレーサーというカードゲームにおける強いキャラクターではなく──メジロマックイーンという現実に存在するウマ娘の少女に対して向いていた。
『うふふっ……私もイベントでの作業、誠心誠意努めさせていただきますわね』
あの以前見せてくれた柔らかい笑みを思い出す。
ドーベルの知り合いだからなのか、それとも彼女自身が誰が相手でもあそこまで好意的に接することができる性格の持ち主だからなのかは分からないが、あの少女は俺に対してとにかく優しかった。
──なぜ、なのだろうか。
疑問符を頭に浮かべながら退店し、また目的地も定めずに市街地を彷徨していく。
俺は彼女とどのような関係を築いてきたのか。
ここまであの少女と何をしてきたのか。
今一度、それを思い出してみよう。
メジロマックイーンとの馴れ初め、となると去年の夏まで遡ることになる。
夏合宿の代わりに開催されるイベントの数日前、理事長秘書の駿川さんに呼ばれてトレセン学園へ赴いた時のことだ。
帰り際に偶然隣をすれ違ったウマ娘が危うく転倒しかけたところを、咄嗟のユナイトで助けるというイベントが発生した。
その時に助けたウマ娘というのが、あのメジロマックイーンだったのだ。
初対面時では互いに名乗る事もなく、結局お互いを知ることになったのはそれから随分と後の話で、足を負傷したドーベルを学園へ送り届ける際に彼女の迎えに来てくれたのがマックイーンだった。
だが、以降も俺と彼女にこれといった接点は存在せず。
ドーベルの友人であるという部分と、マックイーンを怪異などの面倒ごとに巻き込ませないためにゴールドシップが俺と連絡を取り合う関係になったという事実だけが、間接的に俺と彼女を辛うじて繋いでいた。
しかし
「……連絡、してみるか」
人混みを抜け、道沿いのコンビニの端へ逃げてから、俺はスマホを取り出した。
いま冷静に頭の中で羅列してみたのだ。
俺はメジロマックイーンに一体何度助けられているのかを。
──いやバチクソ助けられてる。
あり得ないレベルで危ないところを救われており、物理的にも社会的な意味でも彼女のおかげで命を拾っている。ばばんっ! このMTはなにかな~? そうっ! マックイーンとにかく愛してるのMTです。
まず最初は、学校で倒した怪異の攻撃でトレセン学園の大浴場に吹っ飛ばされた時のことだ。
トレセンの廊下で水浸しになって倒れている俺を発見した彼女は『何か事情があるはず』と咄嗟に判断して匿ってくれた。
「あの時は本当に人生が終わったと思ったな……」
マジでどこからどう考えても女子高に不法侵入した男子高校生でしかなかったはずの俺を庇い、無事に逃がすためにゴールドシップに協力を取り付けてくれたのだ。
察しがいい、だなんて次元の話ではない。
あの時の俺は彼女にとって、ただ一度転びそうなところを助けてくれただけの相手でしかなかったのに、聡明なメジロマックイーンは裏表のない真なる慈愛の手を差し伸べてくれたのだ。もう感謝どころではない。貞操を捧げます。人生を捧げます。有料は脱ぎます。
あれ以外にもメジロマックイーンには何度も助けてもらった。
怪異と戦い疲弊しボロボロの状態で商店街付近に落下した俺を見つけ、救急車を呼んでくれたりだとか。
本来自分たちとは無関係な高校の合同イベントに参加し、見返りの一つも求めることなく協力してくれたり、だとか。
この年末年始に起きた騒動のことも踏まえると、挙げればキリがないほど救われている。
マックイーンは誇張抜きで俺の命と尊厳を守ってくれるばかりか、様々な行事においても手を貸してくれた本当の恩人なのだ。
「……忙しいだろうし、とりあえずメッセージだけにしとくか」
当たり障りのない文章を打ち込み、電話だけでも出来ないか、という旨のメッセージを送信した。
彼女に救われたこれまでの事実を、今日この瞬間まで、ハッキリとは自覚できていなかった。
自分のことや他のウマ娘たちの事ばかりで、メジロマックイーンという個人に対して深く考えることを放棄していたのだ。
なにを考えているんだ、俺は。
マンハッタンと違ってオカルト現象の内情は知らず。
やよいや樫本先輩と違い俺の過去なんぞ知る余地もなく。
山田のように同じ高校でもなければ、デジタルのように共通の趣味もなく、またドーベルやサイレンスのようにバイト先で共に長く過ごす時間があったわけでもない。
そんな接点が少なく微妙に遠い距離感の俺なんかを、必死に繋ぎ止めようとしてくれた。
ハッキリと目の前で自分の知らない事象が発生していたとしても、決して狼狽えることはなくひたすらに“善意”を持って強く手を差し伸べてくれていた。
俺にだけではない。
同じメジロ家のドーベルも、足の不調を度外視して無茶をしようとしていたサイレンスにも、目に映る困った友人全てに、だ。
そうする事が出来るほどの、親しい相手を決して見捨てないという信念に基づく強さと、自らが果たすべきだと信じた責務を最後まで全うする気高さを、メジロマックイーンは持っている──ようやっとその事に気がついたのが今日だった。
まさに本物の淑女と呼ぶに相応しいそんな高潔で優しい少女に何度も助けられておきながら、この秋川葉月とかいうドアホは『暇だから散歩するか』などとのたまっていたのだから信じられない。
もうとっくの昔に失望されていて、好感度なんてマイナスのさらにその下まで突き抜けているのかもしれないが──それでも気づいたのなら今すぐにでも行動しなければ。
「……ん。返信、もうしてくれたのか……?」
スマホが着信のバイブレーションを知らせてくれた。とんでもない激多忙ウマ娘なので最短でも返信は一週間後とかそこら辺だと予想していたのだが大外ししてしまったようだ。
ちなみに俺は『時間があるときに少しでいいので電話できませんか』といった旨の内容を、なるべく丁寧かつ馴れ馴れしくならない言葉遣いで送っている。
本来なら礼儀正しくメジロさんと呼ぶべきところを彼女からの要望で"マックイーンさん"と友人のような距離感で呼ばせてもらっている分、礼儀作法に関しては細心の注意を払って接していきたい。
≪ぁっの≫
アプリを開くと妙な文字列が送信されていた。ドーベルもそうだったがメジロ家のウマ娘はどうして誤字を消さずに送信してしまうのだろうか。心から愛おしい。毎晩交尾しましょう。答えろ!
≪申し訳ございません 何よりもまず どうか謝罪をさせてください≫
謝られるような事などされた覚えはないが、会話を円滑に進めるためならこちらは頷く他に選択肢はない。
≪お屋敷でタマモクロスさんとご一緒に居られた際、顔も確認せずに通報してしまい誠に申し訳ございませんでした≫
≪俺の通報に関しては気にしないでほしい アレに関してマックイーンさんは何も間違ってないよ≫
≪ですが……≫
≪こっちこそ、本当に申し訳ない。匿ってもらった形とはいえ、ほぼ普通に不法侵入だった 本当にごめん≫
≪いえ、いえ、私が いえあの、それよりもまず、お電話の件なのですが≫
お互いに謝り倒す謝罪コンボが発生し、どう考えても俺の方が謝るべき事項が多いこの状況を察してか、話題を切り替えたのはマックイーンのほうであった。その判断力の早さアンナプルナ。高潔でシゴデキで最高の女だな。ね、マックちゃんキスしよ~よ。
≪秋川さんさえよろしければ、今すぐにでも可能です≫
≪本当? ごめん、時間を割いてくれてありがとう 手短に済ませるよ≫
かなり他人行儀というか、友達の友達みたいなやり取りになってしまっているが、現状彼女に対して可能な最大限近い距離感のコミュニケーションがコレなのだ。早く恋人になりたいね。
コンビニの外壁に背中を預けつつ、メッセージアプリ上部の受話器アイコンをタップし、早速メジロマックイーンへ向けて愛のコールを発信した。
『──もっ、もしもし、メジロマックイーンです……っ!』
「もしもし、秋川葉月です」
ご丁寧な自己紹介にはこちらも同じように返す。世の常識です。ね。
ていうか声が可愛くない?
「突然の連絡で申し訳ない。マックイーンさん、時間は大丈夫?」
『えぇはいっ、全く問題ありません……っ』
あら~あまりにも緊張していてかわいい。
「よかった。ごめん、急な連絡で驚かせてしまって」
『いえ、その、私は大丈夫ですので……』
「ありがとう。……それで早速本題なんだけど、今回連絡したのはマックイーンさんに伝えたい事があるからなんだ」
『つ、伝えたい事……私に……』
はい♡ 恋バナしない?
「……キミには数えきれないほど救われてきた。遅くなり過ぎてしまったけど……改めて礼を言わせてほしい。──いつも助けてくれて本当にありがとう、マックイーンさん」
謝辞に加え実際に頭を下げた。相手に見えているかどうかではなく、心からの誠意を声に出すためにそうした。
もはや一周回ってただ堅苦しいだけの態度になってしまっている可能性も少なくないが、それでも馴れ馴れしく軽薄に接するよりはこの方が百倍マシだと思ったのだ。おい! 嫁になるか? オイラの嫁になるか。
『…………ぁ、えぇと……』
どう聞いても明らかな困惑声。これは完全に引かれてますね人生終わり。鐘の音が聴こえる……。
『わ、私、秋川さんがそこまで仰ってくださるような……その、大きな何かをした事があったでしょうか……?』
あたりきシャカリキ山椒の木。
「たくさんあったよ。以前学園で匿ってくれた時とか、救急車を呼んでくれた事とか……もっと言えば、今年の年末年始はウオッカちゃんやライスシャワーさんと一緒に
ついキモめな早口になっちゃった。もっとクールにカッコつけて応対するはずがボロボロになっている今これを乗り越えたらどれほど強い人間になれるのだろう。
『……た、確かに自分の意思でこの街に残ったのは事実ですが……その、私が行方不明に陥っていた秋川さんを発見できたという話でもありませんし……』
確かにマックイーンが直接俺を見つけてくれたわけではないが、それはそれ。
「それでも、今があるのはキミのおかげなんだ」
『私、の……?』
タマモクロスの導きでトレセンまでは辿り着けたが、あの時の俺は正真正銘ガチの記憶喪失だったため、サンデーという唯一の手がかりだった名前も人違いで終わってしまったあのタイミングでマックイーンと出会っていなければ、きっと何も思い出せずお姉ちゃんとこの街を延々と彷徨い続けていたことだろう。
マックイーンがトレセンにいてくれたからこそ、ここまでの全てが繋がったのだ。
ライスシャワーが府中に残れる手段を与えてくれたから、彼女の話と写真から秋川葉月という名前と本来の姿を思い出せた。
憔悴していたドーベルを熱心に励まし続けてくれていたからこそ、俺が屋敷へ訪れた際に問題なく彼女とコミュニケーションを取ることができた。
それら以外にもまぁなんやかんやいろいろあったが全てひっくるめてメジロマックイーンは、一言で言えば
「……ごめん。改めて俯瞰して気づいたけど、いきなり電話かけられて礼なんか言われても困るだけだよな。突然のキモ・電話、失礼しました……」
『ぇっ、あ、いえっ、そんな! 申し訳ございません、私も少々狼狽し過ぎて言葉遣いが変になってしまっていましたっ。その、お礼を伝えてくださった事は素直に嬉しいのです。ただ……えぇと……つい驚いてしまって……』
「いや、それは俺が──」
『いいえ私が──』
お互いに一歩引いた距離感で会話をしているせいか、気がつくと二人ともエンドレスに謝り倒すループに突入してしまっている。
この調子で電話を続けていたらこの先また二度三度とコレを繰り返してしまう事だろう。それでは駄目だ。でも俺たち似た者同士みたいでほっこりしたかも。子供作ろう。
「と、とにかく、まずはお礼をさせて欲しいんだ。どんな事でもいいからマックイーンさんの役に立ちたい」
『……お礼、ですか?』
「ああ、俺に可能な範囲であれば何でもするから……本当に、何でも言って欲しい」
『……なるほど』
そう小さく呟いた後、マックイーンは考え込むように黙ってしまった。
この電話のタイミングから会話の内容まで何もかもが唐突なので、彼女からすれば友達の友達が急に連絡してきて急にキモい要求をしてきている状況でしかなく、一旦静かに勘考する状態になってしまうのは致し方ないことだ。
待ちます。ずっと待ちます。好きになってくれるまで待ちます。
「あの……ごめん、急かすつもりじゃなかったんだ。雑用でも命令でも何でも大丈夫だから、マックイーンさんがその気になった時にでも連絡してくれ。俺は本当にいつでも問題ないから──」
『秋川さん』
「あ、はい」
そろそろ自分の事ばかり話すのも大概にしとけよカスといった雰囲気で、メジロマックイーンは強めの声音で俺に待ったをかけた。腹を切ってお詫び致します。大変申し訳ございませんでした。
『……この度のお話、要約すると秋川さんが私のお願いを聞いてくださる──という認識で合っていますでしょうか?』
メジロマックイーンは予想以上に飲み込みが早く、まだ緊張を含んだ声音ではあるが半ば確信をもった雰囲気で確認をしてきた。流石メジロのウマ娘は状況判断が的確だな。凄く冴え渡っていて美人ですよ。
「その通りだ。どんな事にでも、何度でも俺のことを使ってくれ」
『つ、使うという表現は些か……んんっ、とにかく! そういうお話であれば一つお願いがございます。……ふぅ』
とても分かりやすく深呼吸を一度挟み、少女は遂に“お願い”の内容を語る。
『後ほど、こちらのアプリに位置情報を送信いたします。そこでお待ちしておりますので、明日の十時半頃にお越しください』
「わかった、十時半だな」
メジロマックイーンが口にしたお願いは、現時点ではまだお願いではない。
指定の場所へ指定の時間に向かう事でようやくクエストの内容が判明する類のイベントだ。
『……お聞きしたい事や、私からお話ししたい事も山のようにありますが……やはり電話ではなく、直接会ってこそだと思いますので』
「そうだな、全くその通りだ。……顔を合わせる機会をくれてありがとう、マックイーンさん」
『い、いえ。それでは……明日、お待ちしておりますわね』
その言葉を最後に彼女の通話は終了した。
もしかすると指定された場所で『てめぇ同輩のドーベルに心配かけさせやがって』とキレ散らかしてメジロの使用人たちにボコボコにされる可能性も少なくはないが、何であれ俺は彼女と直接話をしなければならない立場なので今更逃げるわけにもいかない。明日はプロポーズするくらいの覚悟を持って彼女との対面に臨もう。
「──おっ、もう位置情報が送られてきた」
メジロマックイーンの指定する場所とはいったいどこなのか。喫茶店や適当な公共施設だったらセーフ、よくわからん巨大倉庫や埠頭付近であれば死確定だが。
高鳴る鼓動を感じつつ恐る恐るリンクをタップし、表示された場所は──
「……遊園地?」
府中から少し離れた場所に位置している、一見すると至って普通の遊園地であった。
これはどういう事なのだろうか。
大事な話をするはずなのに、向かう場所がそこそこ大きな普通の遊園地とは。
全く知らない秘境を指定されるよりも遥かにワケが分からず、思わず俺は返信を入力してしまった。
≪ごめん、マックイーンさん≫
≪はっははい≫
何で文面でこんなに焦燥が読み取れるんだよ。落ち着いて打て。
≪一つだけ確認させてほしいんだけど、この位置情報は合ってる?≫
≪ここです!!!≫
≪普通の遊園地だけど、間違いない……?≫
≪こちらまでお越しください!!!!!!!!!!!≫
勢い。
ここまで断固としてミスではないと主張している以上、明日俺が向かうべき場所がこの遊園地である事は間違いないらしいが……まぁ、いいか。
結局会えば全てが分かる。
あくまでコミュニケーションを取る機会を求めたのこちらからなのだ。必要以上の詮索はやめておこう。
≪変な確認してごめん 明日は宜しく≫
≪はい……よろしくお願い致します……≫
テンションの落差がベルちゃんみたい。メジロのウマ娘ってメッセージアプリ使うとみんなこうなるのかな。一方気品はあるときた。おもしれー女たち。
──そんなこんなで明日のスケジュールが予定された俺は、道すがらおしゃれな外観すぎて普段は忌避していたセレクトショップに寄ってから帰宅した。
比較的庶民派なドーベルよりも若干お嬢様度が高いように感じるメジロマックイーンと行動を共にする際、高貴な彼女のそばにいて恥をかかないよう衣服だけは上等なものを用意しようと考えての事だ。
とはいえ、やたら黒い服ばかり着用するようなファッションセンス皆無な俺に、安すぎずしかし高級感が前面に出過ぎて浮くようなものでもない所謂
で。
家に帰ってからようやく一つ思い出した事がった。
「……そういえば、昨日からずっとムラムラしてたハズだよな、俺」
朝からウマ娘に変身したり令嬢とラブラブ電話したりですっかり忘れていたが、こうして家に一人でいる状況になった瞬間に眠っていた性欲がグツグツ湧いてきた。ウチの葉月はスゲーんだ。こんなん持て余してたら社会の損失だって。
「とりあえず掃除しとくか」
もう明日の朝まで一人遊びに興じたいところではあったが、唐揚げパーティで若干散らかっている自室が目についた。
一人暮らしかつ俺のようなズボラな人間であれば本来はあまり気にしなくてもいいところだ。
しかし、この家はもう俺だけの空間ではない。
もちろん合鍵を預けたやよいや樫本先輩の事もあるが、それ以上にあいつが帰ってきたときに文句を言われるのが癪なのだ。
てなわけで整理整頓をはじめ、数十分ほどで大体が片付き始めた頃、箪笥の奥からある物を発見した。
「ん。……手紙?」
それは白い手紙であった。
ご丁寧に封筒の中にしまわれており、裏を見ると【ハヅキへ】と書かれていることが分かった。
どう考えても唯一の同居人であるあの少女から俺へとあてられた手紙だ。
「サンデーのやつ、いつの間にこんなもの……」
いつも四六時中そばにいたので、こういった隠しアイテムの存在は非常に稀だ。俺が寝ている間にでも書いたのだろうか。
シールを剥がして中身を取り出すと、二つ折りの紙に注意書きなる警告文が記載されていた。
「んだコレ……」
相棒からの秘密の手紙という存在に対して僅かな高揚感を覚えつつ、その注意書きへ視線を落とした。
【もし私が一緒にいるときに掃除か何かでコレを見つけた場合は、見なかったフリをしてそっと戻してください】
今は一緒にいないのでそっと戻す必要はなさそうだが、俺が一人の場合のみ読むことを許される手紙とは、些か物騒な内容な気がしてならない。
これを読んだことでヤバい何かが発生するのであれば、一旦待ったをかけて考えよう。
「……すぐ戻ってこられるなら読まない。まだ迎えに行けないなら読む、でいいか。……やよいに連絡しよう」
決めてすぐに愛する従妹に電話をかけた。学園が休みでも忙しい理事長は果たしてこんな急な電話に出られるのか。
『もしもし、葉月?』
僅か一コールで応答してくれてしまった。ちょっと興奮気味かな? よーしどうやら洗脳は完了したようだな。
「突然すまん、やよい」
『ううん気にしないで! 理子ちゃんの運転で府中に戻ってるところだから』
「そ、そうか。……ところで聞きたい事があるんだが、いいか?」
『了承ッ』
やよいが秘書の駿川さんではなく樫本先輩と出かけていた理由も気になるところではあるが、時間を取ってくれたので先に俺の用事を済ませてしまおう。
「俺の相棒の話は以前したよな。あいつを連れ帰るためにはお前といつも一緒にいる
やよいの頭の上に普段から乗っている猫ちゃんこと先生は、夢の案内人というよくわからんファンタジー職業についている。
そして以前ショタ化していた時に夢の中で彼女は“葉月が戻ってこないと迎えに行けない”といった旨の発言を残していた。
つまり俺が戻ってきたという事はあいつを連れ戻せる状況になった──はずなのだが、先生からは今日に至るまで何も連絡がないのだ。
『あっ、ちょうどその事で私からも連絡しようと思ってたの』
「どういう事だ?」
『えっとね、先生曰くサンデーさんは夢の境界の……深層領域? ってところにいるかもしれないんだって』
また新しいワードが出てきたものの、あいつは目の前で消える直前に“もっと深い場所へ落ちるかも”と言ってたので何とか飲み込めた。どうやらまたヤベー所にいるらしい。
『それで普通の人間が深層領域に落ちるためにはいろいろアイテムが必要らしいから、理子ちゃんと一緒に素材を買い集めてたの』
「アイテムって何を買ったんだ? サンデーのための物だし、あとで金額分渡すよ」
『でも、理子ちゃん曰くこういうのは大人の役目だって……理子ちゃん、葉月がコレ買った分のお金返すって。──あ、うん』
「先輩は何だって?」
『お黙りなさい、だって』
「は、はい……」
理子ぴんに凄まれてしまったら俺はもう何も言えない。大人しく今回は頼らせていただこう。
『そうそう、買ったものは……水、炭素、アンモニア、石灰にリンと』
「なんか人体錬成できそうな材料ばっかだな……」
『とにかく全部混ぜたら深層領域行きの片道切符が完成するらしいよ』
「そうか……え、片道切符?」
『うん』
それだと向こう側へイキっぱなしになってしまうのだが、帰り道までは面倒見きれねぇぞボケという話なのかもしれない。文句を言うつもりは毛頭ないが実際問題どうしようか。
『なんか先生も実際には行った事無いみたい、深層領域。だから帰り方までは分からないんだって』
「……まぁ行き方が分かってるだけありがたいよ。先生にもお礼言っといてくれ」
ぶっつけ本番で生きるか死ぬかの選択などこれまで何度もやってきたのだ。どうせ何とかするしかないのだから、落ちた後のことは向こうで考えよう。やーるきでてきたもう。
『ふふ、でも安心してね。今回は先生も葉月についてってくれるらしいから。きっとちゃんと帰ってこられるよ』
ああ、やよいが終始平気そうな理由はコレか。確かに身内の中で一番オカルトファンタジーに精通してる人が同行してくれて、且つその人物が幼い頃からそばにいてくれた相手となれば安心して送り出せるというものだ。
おそらく先生がよほど念入りにやよいを説得してくれたのだろう。こんなにサポートが手厚いとは生意気な女だ。路傍に咲く花のように美しい。
「あぁ、すぐ戻ってくるよ。色々ありがとうなやよい」
『当然ッ。私はトレセン学園の理事長なので、大切な生徒の親友となれば助けるのは必至ッ』
マンハッタンカフェにとってあの少女は確かに親友、もっと言ってしまえばもう一人の自分に等しい存在だ。
決して俺のためではなく、あくまでトレセン学園の生徒の心を救うために動いているというのがやよいらしいというか、理事長としての誇りと責任感を感じる。美人でシゴデキで言うことなしにも程があり。
『あ、そうだ。アイテムの調合には少し時間がかかるから、深層領域に向かえるのは最短でも明後日かも。葉月も無茶なことはしないで、当日までゆっくり体を休めてね』
「了解しました、秋川理事長」
『あと明日の夜はそっち泊まるからね』
「それは何?」
突然の宿泊宣言なんかもありつつ通話はそこで終わり、どうやらサンデーを迎えに行くまではもう少し時間がかかるらしいことが判明した。
「……じゃあ読むか」
あいつが不在で、かつすぐに会えないのであればこの手紙は確認しておくべきだ。もしも大事な情報が書かれていたら先生にも共有しなければならない。
というわけで、いよいよ二つ折りされている紙を開き、彼女の直筆であろう文面に視線を落とした。
【これを読んでるという事は、何らかの事情でハヅキのそばに私がいない状況になっている、という事だと思います】
こんな事もあろうかと用意してました、と言わんばかりの先読み能力だ。もしかすると家の中を探せばもう二つくらいは置き手紙が見つかるかもしれない。案外マメな性格だったんだなアイツ。
【とはいえ何でそうなっているかは皆目見当がつきません。なのでヒントなども残せません。ごめんなさい。ヤバそうな状況であれば先生を頼ってください】
あくまでも俺が孤立した場合の状況のみを想定した手紙、という事なのだろう。今のところ怪異のかの字も出てきていない。じゃあ何の手紙なんだよこれ。
【唯一分かる事は、私がいないので
そりゃそうだろお前以外に俺と夢の中であんな事やこんな事をするやつなんていてたまるか。サキュバス?
【なのでムラムラしてると思います】
まさにこの掃除が終わった瞬間に一人遊びをしようと考えていたのでそれはそう。先読みされ過ぎててムカついてきた俺のこと理解し過ぎ。葉月理解度検定一級取得。
【私が不在なのは余程の事態だと考えられます。ハヅキも体のどこかがバグっていてもおかしくないと思います。そんな状況でムラついていたらカフェやベルちゃんたちが心配です】
まるでお前がいなくなった途端に理性が溶けて知り合いの女子の誰かしらに襲い掛かる変態みたいな言い方じゃねえか。ぶっ飛ばすぞアダルト向け幽霊モドキが。
【というわけでちょっと困っているであろうハヅキの助けになればと思い、サポートアイテムを用意しておきました。手紙が入っていた封筒の奥にSDカードが張り付けてあると思うので、パソコンでそれを開いてみてください。続きの文もテキストファイルでそちらにあります】
と言った文章で手紙自体は締めくくられており、言われるがまま封筒を調べてみると確かにセロテープでSDが張り付けられていた。
「なんだよサポートアイテムって……」
ぶつくさ言いつつノートパソコンを起動し、SDをぶち込んでみると本当に一つだけファイルが入っていた。
中にはテキストファイル以外にもう一つ謎のフォルダが存在している。なんこれ。
そちらが気になってしまった俺は手紙の続きの文章を確認するよりも先に、その名称が変更されていない新しいフォルダをダブルクリックしてみた。
そこには──
「……………………………」
──フォルダをそっ閉じし、爆速でテキストファイルの方を確認する。
【私の自撮り写真を集めておきました】
……。
【ガマンできなくなった時はそれを使ってください】
…………。
【ハヅキが好きそうな服やコスプレは私のお小遣いの範囲で通販にて揃えました。タンスの左下に入っていますが、なるべく開けないでくれると助かります】
そういえば一ヵ月前くらいに謎の荷物が置き配でウチに届いていた。
【ちなみに下は水着です。流石にヤバいかなと思ったので】
自覚しながらやってたらそれは紛うことなき確信犯じゃねえか。
【写真に使ってる衣服は現実の物かつちょっといい値段なので、私が戻っても夢の時みたいにシワができるような使い方はなるべく控えてくれると助かります】
なんだと思われているんだろうか俺。マジでなんだと思われてる?
【おわりです。もし他に着せたい衣装があったらそっちで勝手に買ってください】
──という一文で手紙は終了してしまった。
俺の手元に残ったのは、やたら俺の趣味趣向を把握しきった相棒の若干危うい自撮り写真のみ。
……。
…………。
「………………帰ってきたらマジで覚悟しとけよアイツ……」
結局全てを見透かされた挙句コレを使ったら実質的に負けだという事を悟った俺は、手紙とSDを封筒の中へしまい元の場所に戻すのであった。分かったもうムラムラしてるとか知らん。あいつを連れ戻してくるまで絶対に何も発散しないし帰ってきたその日に何もかもぶつける。俺の高潔な精神を弄びやがって……いかがなさるおつもりか? ヤーるきでてきた。えいえいむん!