最近動画やウェブサイトでの
誤認が多いのが排気量の表現。
オートバイの排気量は、各
排気量ごとの数字で表現され
るが、50と言ったら排気量は
「50cc未満の車両」の事を指す。
400と言ったら排気量400cc未満。
仮に400ccピッタリの排気量
の二輪があったとしたら、それ
は大型二輪免許がないと乗れな
い。
1975年時でホンダのCB400Four
は408ccで、新設の自動二輪
中型限定では乗れなくなった。
そこで急遽ホンダは全く同じ
車体(後席ステップの位置は異)
でボアダウンの398ccのヨンフォ
アを作ってリリースした。
2ストベスパのように100ccと
いうピッタリの排気量の二輪
は珍しい。
大抵は国産車の場合は、排気量
に基づく免許制度に合わせた
車両排気量となっている。
大型自動二輪車以外はすべて
「未満」だ。
なので、最近実に多い誤謬たる
表現の「以下」と表現する動画
配信者やウエブ表記者は明らか
に大きな誤りを犯している。
125のオートバイは125cc未満
の車両を指す。「125cc以下」
ではない。
しかし、なぜかここ最近、その
誤りが非常に多い。「以下」と
排気量を表現するのだ。
それは法的にも数学的にも誤り。
・白色ナンバー・・・50cc未満
・黄色ナンバー・・・90cc未満
・桃色ナンバー・・・125cc未満
・白色ナンバー・・・250cc未満
・白緑枠ナンバー・・・250cc以上
という区分けに日本の車両は
制度化されている。
さらに、普通二輪免許で乗れる
のは「400cc未満」の車両であり、
「400cc以上」の排気量の車両
は大型自動二輪免許を取得して
いないと乗れない。乗ると無免
許運転となり、即免許取り消し。
大型二輪が自動二輪枠の時代は、
自動二輪の中で限定付(中型)
か限定解除(大型)かの規制
だったので、中型限定で大型
二輪を運転してもそれは条件
違反のみだった。
だが、1996年以降は免許が
中型と大型は同一区分では
なく別免許と改正されたので、
中型=普通自動二輪で400cc
以上の大型車両を運転したら
条件違反ではなく無免許運転
となる法改正が成立した。
「未満」と「以下」の概念が
あやふやだと、チューンナップ
でボアアップなどした場合に、
違法行為を犯す危険性がある。
「未満」と「以下」では数学的
概念上も、規制制度の指すとこ
ろも大違いであるので、この間
違いは非常によろしくない。
どうでもいい事ではないのは
法的にもそうなのであるが、
私があえて言いたいのは、そ
の概念のあやふやさは別な危
険をも呼ぶからだ。
速度規制の捉え方などもそれ
にあたる。規制の法令条文が
「未満」なのか「以下」なの
かでは大きく法律行為の実行
で差異が出て来る。
他には、あやふやな概念が及
ぼす目に見えない害としては、
例えば、速度等を含む走行技法
等で「自分の限界値」を自己
判断する時、「未満」と「以下」
では大きく内実が異なってくる。
10段階の判断基準があるとして
自分が今実行している実走行で、
技量の限界点が仮に「10」だと
する。
すると、9.99999.....という10
未満の領域は安全圏であるが、
「10以下」とする10を含めた
それより下というのは、10の
限界点に達しており、安全圏
からは逸脱するのである。
つまり、危険領域に自分が足
を踏みこんでしまっている。
この概念の厳格化は二輪走行
に取り組むときには非常に重
要な幹となるものだ。
理由は、二輪走行というもの
は、技法の取捨選択と実行に
おいて、「知力」を動員させて
実践行動に移すものだからだ。
危険回避案件については、なお
さらその「知力」が必要になる。
二輪を走らせるのに必要なのは
腕力でも体力でも表層的な技術
力でもなく、人間としての知力
だ。知力こそが二輪運転には
一番必要な大動脈となる。
二輪運転のメインストリート
は知力。これは真実だ。
「未満」と「以下」は、二輪
乗りは厳密に概念化させたほ
うがよい。
「どっちでもええねん」という
のは無い。排気量における法
規制の面からも、速度規制の
解釈の面からも、二輪運転で
は最重要要件である知力の面
からも。
道2号線になった。
年代に開通した国道2号線は国道
185号線に指定変更になった。
度となっている。
的根拠があるのかも知れない。
とする為だ。
適法だが、現在ではすり抜け
ていて現場警官の裁量に委ね
ている。
すり抜けしても車の前に
出たら割込み違反として
切符を「適法」に切れる。
かつて国内に多く存在した
二輪車用停止線は、二輪の
すり抜け前並びが前提だっ
たが、それが無い道路で
今それをやると違反となる。
社会構造が見えて来る。
構造というか、カラクリが。
車種ごとに愛好者が集まるオー
男たちのまぶしい休日
1973年の夏頃の映像作品か。
町の風景、人々の服装等が私が
中学生の頃だ。
映像に映るカレンダーを見ると、
月は映っていないが、映った
日付で12日が日曜日であるので、
1973年の8月に撮影されたもの
だろう。
トライアル世界選手権は1975年
から開始された。
日本ではMFJが1973年に第一回
トライアルス全日本選抜大会を
開催した。それの予選大会は
8月の12日だったのだろう。
映像作品を観ると、11月の本
大会決勝と同じ神奈川県早戸川
河川敷だと判る。
当時トライアルという言葉は
存在せず、トライアルスと呼
んでいた。
全国で予選大会を開き、上位者
が本大会決勝に出場できる甲子
園高校野球のような競技大会
から歴史は開始された。
この映像はそのトライアルス
大会の全国選抜競技大会に参加
した若者を撮ったドキュメン
タリーである。
全日本大会本戦決勝は1973年
11月、神奈川県の早戸川の河川
敷で開催された。
翌年から選抜ではなくクラス
分けライセンス保持者の本格的
な選手権大会のレースとなった。
1973年1月のホンダTL125の
登場は国内に革命をもたら
した。
「トライアル」という言葉
さえまだ存在しなかった時代。
今から半世紀前の1973年1月
に122ccで発売された。
後続機は124cc。
ホンダ大ヒットの人気爆発
モデルとなった。
初期型が発売されたのは1973年
の1月だった。
発売当時、TL125の車両本体価格
は152,000円。当時の大卒初任給
が52,700円程だった。
2023年大卒初任給が228,500円。
当時152,000円のオートバイは
現在換算価格だと659,000円程
になる。
私が自分の力で二輪に初めて
乗ったのが、このホンダTL125
バイアルスが登場した時と同じ
1973年の1月だった。小6。
初めて運転したのはホンダスー
パーカブだった。氷屋配達仕様。
その後、クラスメート奴の兄が
ヤマハミニトレを河川敷のオフ
コースで運転させてくれた。
中学生になる頃には、ごく普通
にマニュアルバイクのミニトレ
でいろいろな運転ができるよう
になっていた。その友人の兄は
ミニトレ50と80と白タンクの
500のマッハを持っていた。
私は二輪を運転し始めてことし
で半世紀50年が過ぎた。
日本の歴史を変えたホンダTL125
バイアルス。
この車種が1973年1月に出てから、
白バイ隊員はこの車種を選んで
二輪低速不整地路運転の訓練を
した。
日本の白バイ隊員の技術が1960
年代に比べて飛躍的に向上した
のは、この車種の果たした役割
は大きいのではなかろうか。
1973年の夏休み前、白バイ訓練
施設が近所にあったので友人
たちとよく見に行った。土手上
から見学できた。トライアルス
車ではなく実働白バイでの舗装
整地路走行訓練だったが、初め
て観た時にぶったまげた。
あんな速度で模擬市街地コース
を運転できるの?と。
パイロンなどは4秒台あたりだ
ったのではなかろうか。一本橋
は30秒程だ。もっとゆっくり
時間をかけて白バイでほぼスタ
ンディングの様に静止している
隊員もいた。
クランクも8の字もかなりの高速。
そして、白バイは車体をこすっ
たらいけないのに限界フルバンク
で走る。思いっきりリーンインで。
車体のガードバンパーが路面と
接触してすっころんでいる隊員
も何人もいた。即起こしてまた
走行。
だが、全員が低速も高速度も
完全制御に近い乗り方で運転
していた。高速度とは加速の
意味で。とにかく車を加速させ
る。瞬時に。
自動二輪免許(限定無し)は
一本橋が15秒以上で合格の時代。
その後、1975年10月から自動
二輪は二種に区別され、400cc
未満の中型限定と排気量無制限
の限定無しになり、限定解除は
免許センターでの一発試験のみ
となった。
教習所での小型自動二輪の一本橋
は8秒以上、中型限定は12秒以上、
一発限定解除は15秒以上だった。
一発限定解除は合格させない為
の免許なので、合格までに10回
受験などはざらだった。
車体引き起こしにはタンクに砂
が満タンの古い不動車を使って
いたが、それは当時の自動二輪
中型限定免許の教習所講習でも
砂入りタンク車を引き起こした。
また、中型は卒験では波状路は
無いが、教習では波状路の走り
方も教える教習所もあった。
現在の二輪大型免許の中身が
かつての限定解除時代の中型
二輪の試験内容とほぼ重なる。
現在の大型二輪免許は、実質
昔の中型二輪免許の実力認定
と同じとみれば間違いない。
今の大型二輪免許は驚くほどに
簡単に取得できる。こんなので
よいのか?という程に。かつて
の自動二輪限定解除とは比べ物
にならない。
免許は免許皆伝ではなく、簡単
に誰でも取れるただの通行証の
ように1996年に再改変されたか
らだ。
これはアメリカの圧力による。
ハーレーが売れないのは日本の
超絶難しい二輪限定解除試験
制度のせいだ、と米国国家と
資本が日本政府にねじこんだ
ために、日本はやむなく免許
制度を極めて簡易な制度に
変更した。
なお、二輪操縦運転の技量は
排気量免許=通行証の種類と
は連動していない。誰でも取
れる免許というものが仮に
大型二輪であっても、下手くそ
は下手くそであり、逆に小型
二輪や普通二輪の免許持ちで
あっても、技量の高い者は高い。
よく大型二輪免許を持ってさえ
いれば高技量者であるかと勘
違いしている二輪乗りは世間
に多い。排気量マウントを取り
たがる連中とか、中型から大型
車両に乗り換える事を「ステッ
プアップ」だとか捉えている
連中。
これらは完全なる勘違いの横
滑り転倒思考回路であり、物
事の真実を理解していない。
大学に進学したとて、大学にも
難易度があるように、偏差値
35の大学も偏差値80の大学も
卒業すればどちらも学士の資格
を文科省から付与される。BF
大学などは入試さえ無く、作文
を書けば入学できる。分数の
計算もできないし、中1の英語
さえできない(単語の動詞go
の過去形さえ知らない)。新聞
は文字が多いし読めない漢字が
多いので新聞自体が読めない。
だがそれでも「学士」の称号を
大学を卒業さえすれば取得でき
る。
現実にそれがある。
中1の学力さえなくとも四大卒
だと「学士」になれるという
制度が日本には存在する。
一方で、高度な高等教育を受け
て、最高学府の学生として学術
を学び、最先端医療やアカデミ
ックな研究発展に貢献している
者たちもいる。
かたや分数計算も中1の英語も
できず、新聞さえ読めない学力
だ。
では、それら大学生のどちらも
同じ学力・学識ですか?同じ実
力ですか?という問題と同じで、
日本の今の二輪の免許制度にお
いては、大型二輪免許取得の有
無は真の実力とは一切関係が無い。
二輪の排気量マウント取りたがり
やステップアップ思考の人間は、
偏差値35大卒であろうとも「俺
は大卒だ」と威張りたいような
もので、まるで横滑りなのだ。
実際にそれらは現象として現れ、
新大型二輪免許取得者は、いき
なり扱えない大排気量車に乗り
たがる者も多く、現実的には
全く乗りこなせていない。事故
も多発している。
それはそうだろう。低排気量車
で充分に技量を積む事をすっと
ばして、基本も何もできていな
いまま高出力で車重のある大型
車に乗るのだから。最低限の
基礎学力さえなくとも入学卒業
できる大学卒のように。
そして、普通二輪も今は取得が
超簡単なので、技量の低い人た
ちが大勢いる。
だが、下手度でいったら大型
免許保持者のほうが多い。
ほぼ全員が腕を伸ばして突っ張
り、ガチガチ硬直で、足はだら
しなくつま先外向けでただステッ
プに足を載せているだけ。
車両に乗っているのではなく、
載せられているだけ。
それで大排気量のハイパワー
モデルを公道運行している。
それは、事故も減らない事だろ
う。
一方、1975年免許制度改定に
より、自動二輪のうち中型免許
は広く一般化し、1970年代80年
代には多くの若者が二輪免許を
取得した。若者は乗りまくって
いた。暴走族の違法性はともか
く、習熟度においては現代とは
比較にならないほどに乗ってい
た。
奇しくも暴走族(1973年に誕生。
1978年12月の道交法改正まで
がピーク)対策として施行した
1975新免許制度だったが、少年
や若者たちは中型免許で二輪に
乗った。
全く免許制度改訂などは事故減
少や暴走族対策には効果が無か
った。
1970年代の暴走族は、土曜の夜
に1チームで二輪200台、四輪
400台(四輪のほうが多かった)
ほど集結し、街道を信号無視で
暴走する。巡行時速100km/h程で。
それが何チームも土曜の夜には
都内を走り回った。
もう「首都騒乱」の様子だった。
何万台という車両が土曜の夜に
都内を席巻するのだ。その後の
暴走族ではない珍走団のような
ちんたら走りではなく、速度を
出す暴走で。スラロームなどは
60km/h以上でやっていた。
ただし、「コール」などは存在
しない。あれは珍走団特有だ。
白バイ隊員の走りを直に見たら、
目から鱗落ちの乗り方だった。
二輪というのはこうやって乗る
のが本当なのか、と友人たちと
言い合った13才の初夏だった。
ちょうど1年前の同じ頃には
街では天地真理の「ひとりじゃ
ないの」がよくかかっていた頃
だ。
その年のその初夏の頃は麻丘
めぐみの「私の彼は左利き」が
ヒットしていた。
ホンダTL125バイアルス。
俺の周り、なんか知らないけど
MT-07乗ってる奴結構いるな~。
あれかな。
昔、RZはよく乗られていた、と
いうのと似てるのかな。
シティ派が多いのかねぇ。
かく言う私もRZ乗りだったし、
うちのメンバーのこやつもだ(笑)。
こんときゃたまたまオフ車250
だけど。
だけど、面白い現象がある。
うちのメンツ、メーカー別に見
てみると、圧倒的にカワサキに
乗ってるのが多い。
これはたまたまだろうが、何だか
面白い。
それと、大型二輪免許持ってて
も中型二輪を転がしているのも
結構多い。
気分次第なんでしょうね。
選択肢として、あえて中型400や
250に乗ったりしている。
ある奴が言い放った。
「でけえ排気量乗りたいだけ
ならダンプにでも乗ってろ、
てやつさ」と。
そこまで言うかとは思ったが、
確かにそれは言えてる。
そういえば、例えばMT-07とか
は免許区分は大型だが、排気量
も車格も中型に近いミドルだも
のなぁ、今や。
750cc未満が大型二輪の国内認可
最大排気量基準だった時代は遥か
遠くになりにけりだ。
YAMAHA MT-07乗りが多いと
いう事は、きっと面白いオート
バイなんでしょうね。
XSR700も面白いのか、欧州から
2年遅れで日本国内で発売された
時はドワッと売れたみたいだ。
おいらの存在もXSR700誕生には
一枚噛んでいたという俺自身が
今でも信じられない実話もある
けどさ(笑)
まあ、MT-07、XSR700はエンジン
が面白いのでしょうね。
07乗りの友人が言う。
「このバイク、賢いよお」と。
そうなの?
俺は賢いオートバイよりも頭悪い
オートバイのほうが好きだけどな。
手を焼くやんちゃ坊主のような
オートバイのほうが。
自動運転を望んでいるのではない
ので、そういう不完全さがある
オートバイのほうがいい。
ほら、『火の鳥』で古臭い旧式の
ロビタが子どもたちに人気があっ
たように。大人たちはその現象が
なぜなのか理解できなかった。
最後ロビタは人間に叛乱して
ロボットなのに集団自殺したが。
あれは半世紀以上前の漫画だったが、
手塚先生は未来の危機を予見して
いたと強く感じる。『火の鳥』は
どの編もまさしく箴言に満ちた
作品だった。
シャシフレームやステムによって
二輪は味が変わるが、やはり決定
打は心臓たるエンジンだ。
例えば2ストなんてエンジンが面
白くなかったらあんなの乗らない
よ(笑)
燃費も悪いし、煙も吐くし。
だけど、2ストエンジンは果てし
なく面白い。方程式の無い未完成
なエンジンだからなおさら面白い。
可能性の塊みたいなもので、その
存在自体がワクワクさせてくれる。
特定勢力によって殺されちまった
けどさ。
環境問題?
それは関係ない。それは作られて
創作されたものだから、CO2云々
とかも。原発推進の時の意識操作
と全く同じ。小出し規制も意味が
ある。金融資本にとっては。
オイルマネーの仕込みと支配構造
を知れば、事の真相が解るよ。
ただ、排ガス支配は日米よりも
欧州がイニシアチブ持ってるね。
よく似合うと思う。
快速バイク。
パワーも昔の2スト50のスポー
ツモデルに近く、6.3PSある。
車重も70kg程で、とても軽い。
つまり、速い。
同型エンジンのジョグなどは
俊足スクーターだった。
この2ストビーノは、スタイル
はレトロだが、走りは俊敏だ。
現行ビーノは車重80kg超えで
馬力は4.5PSで4スト。トコトコ
ゆっくりバイクになっている。
この個体は黄色ナンバーを取得
しているので、原付オマケ免許
では乗れない。
務化されている原付の二段階右
折も無い。普通に交差点の真ん
中まで出て右折できる。
情に合わない法律を圧力で変更
させなかった。
屋でしかなく、全員もれなく交
通社会の発達などには興味が
無かったので、原付の社会的
不具合規制に対して先進的な
先進国の議員としての目を向け
る事は皆無だった。
のである。
原作。
ビィーンと走って、停止した
時にベンベンベンというのは
2ストの独特の音(笑
時々ベンベンではなく、ベン
ベベンベンベンとかになる。
これは4ストビーノ。ヤマハ
ブランドのホンダ製。
ベンベンビィーンではなく、
ストトンブーンという音がする。
叶わない事がある。
それは、全免許取り消しになって
欠格機関が過ぎてから免許を取り
直さないと、もう二度と原付免許
は取れない、という事。
免許証に「大自二」と記載されて
いても、原付には乗れても原付
免許は免許無し状態から新たに
取らない限り「原付」とは免許証
に記載されない。
そして、普通車や自動二輪免許を
持っていると50cc以下の原付Ⅰ種
車両を運転できるので免許証の
種類欄に原付が記載されはしない。
つまり、原付免許は無いのに原付
が乗れる。オマケで。
そして、普通車や自動二輪免許
を持っていると、原付免許は取
ることができないのだ。
しかし、バリ伝のあいちゃんで
さえ原付免許を持っていた。
たぶん、グンは持っていない。
原付免許は、免許取り消しに
ならないと一生取る事はでき
ない。そして、その免許種類は
免許証に記載される。
原付免許があるかないか、オマケ
で乗れるのか、最初に原付免許を
取得して公道デビューしたのか。
この違い。
今、原付Ⅰ種の50cc未満の免許
制度が改訂されようとしている。
自動二輪(50cc以上)の免許枠
のうち、小型自動二輪(50cc~
125cc未満)までを普通自動車
免許に付属させて運転可能と
するような新免許制度だ。
これ、大量に事故が増えると
思う。
買い物ミニバイクの50cc未満の
原付は車の付属でも乗れる。
そして、1970年代中期に主婦層
と若い女性層をターゲットとし
て原付Ⅰ種バイクが空前絶後の
人気で売れたので日本のバイク
ブームがその数年後に到来した。
二輪車が国民の足となったのは
ミニバイクが爆発的に売れた
からという歴史があった。
趣味ではなく実用バイクとして
のスクーターの普及があった。
思うにバイクブームの下火と
いうのは、バイクブームの火付
け役が原付50のスクーターだっ
たように、1970年代~90年代の
バイクに乗った主婦層が高齢化
によって買い物バイクに乗らな
くなった事が最大の要因では
なかろうか。年齢的には現在
70代~80代中半あたりまでの
主婦層。私の親の世代層。
それにプラスで、自動二輪に
乗っていた若い男女も高齢化
で二輪を下りた、と。
そんな気がする。
台数増えれば事故も増える。
1980年代のミニバイクブーム
(ブームというよりも一つの
社会現象。誰もが乗った。実に
多くの国民が原付バイクに乗っ
た。買い物、通勤、通学で二輪
に乗った)の時代でも原付二輪
の事故はとても多かった。
原因は以下に集約できるだろう。
・学科のみで実技なく取れる免許
・普通自動車の免許で乗れる
要するに、バイクに全く乗った
事がなくても、自転車に乗れる
のならば誰でも免許を取って
合法的に公道を運転できたのだ。
そうした簡単免許だったから
事故も急増したのだろう。
それと同じで、単純に排気量を
スライドさせて125cc未満まで
の車両をオマケ免許で運転でき
るようにしたら、また二輪事故
が増加すると思いますよ。
「ゆるキャン△」の原作第1巻で
志摩リンの母親が「免許取り立て
なんだから車には気を付けなさい」
と言ったのは極めて的を射るもの
だ。
単独事故よりも、他車両との衝突
や接触の事故のほうが人身被害が
甚大だからだ。
そして、リンは高校生だ。
18才未満だと普通車の免許は取れ
ない。
普通車の原付オマケ免許ではなく、
原付の免許を取ったのだろう。
バリ伝あいちゃんのように。
つまり、学科試験のみで取れた
免許だ。練習や慣れはぬぁんと
公道で実地訓練だ。
事故の確率はとても高くなる。
お母さんのかけた言葉の重みは
そうしたところにもある。
かといって、危険を回避したい
からと二輪を忌避している人た
ちは、殊更に安全を求める。
そして、「危険」である二輪を
嫌う。
二輪に乗る者たちは、危険を
自らの力で回避して前に進む
心を持っている。
それにより、自分の存在と生
命の尊さを噛みしめる。
その決定的な違いが二輪に乗る
者と乗らない者の間には線引き
がされている。
ゆえに、人の世は二種類の人間
がいる、という定理が存立する
のだ。オートバイに乗る奴と
乗らない奴、という。
極言すると「危ないから刃物で
ある包丁は使わない(包丁を危険
として嫌う)」とする人間と、
「安全に注意して適正に刃物たる
包丁を使って料理を作る」という
人間に真っ二つに分かれるのと
構造は同じだ。
世の中、人間は二種類だ。
青い瞳のステラ 1962年夏...
1962年といったらこの翌年だ(笑)。
1961年4月、新宿御苑にて。
生後1年未満0歳児。
生まれて初めて二足で立ち、
歩行した瞬間を撮影された。
あんたに教わったちょっといかし
たステップではなかったろうが。
いきなり立ってトットットと
歩き始めたという。
私はハイハイを一切しなかった
らしい。
母の手作りの幼児服を着ている。
翌年の1962年に、私は生まれて初
めてオートバイに乗った。
とてもよく覚えている。
当時の二輪初乗車の状況を母に
話したら「よく覚えてるね」と
驚いていたが、記憶というものは
映像的視覚的なものだけでなく、
音の記憶としても心に刻まれる。
映像と音は刻まれたらなかなか
消えない。
臭いの記憶はそれらよりは薄いが
匂いの記憶も存外残る。
1976年頃の国道17号中山道志村
坂上駅付近は、なぜかパンケーキ
を焼く匂い、植物性のカストロール
2ストオイルが焼けたサーキットと
同じ甘い匂いで充満していた、等々。
私の名は、日本語とイタリア語を
ミックスすると「良いオートバイ」
である(笑)。
あるいは「幸せの自動二輪」。
I was born to ride.
送料込みで1000円台の激安
CNマシンでの製作と分かる
全長163ミリ。
刃長75ミリ。
「良いナイフ」である。
ある時期、通常装備はこうで
あった。
これはベトナム戦が終わった
数年後の環太平洋戦線でもこう
だった。
ナイフの携行方法は肩のサスペンダー
に装着したやり方もあった。
これはハンドルを上にしているが、
この向きについては各人の好みだ
った。
私などはこの人がやっているような
グリップハンドル下向きが使い勝手
が良かったので、一時期そうしてい
た。
これは明らかに戦闘用のコンバット
ナイフの携帯の仕方であり、一般的
なアウトドア(特に国内)での携行
法としては対外的に問題もある。
私の場合、アウトドアのキャン
ピングなどでは、通常はジャン
パーやブルゾンで見えないように
覆っている。
使う時には出して使う。
このように。
右側に吊る場合は、こうして
いる。
一般的にキャンプやナイフの使い
方の解説書などで書かれている
このような保持方法は私は採用
していない。
理由は邪魔になるからである。
これは、やってみればすぐに
わかる。
なので、右に吊る場合はこうし
ている。正面からは見えない。
かがもうがしゃがもうが座ろう
が、一切邪魔にならない。
スーツでこういうのは無い(笑)
バックサイド保持はよく実銃ピス
トルなどでも行われるようだ。
こういう感じ。
ただ、これは私はあまりやらない。
理由は明白。
ストラップ装着と同じく、戦闘用
携行であるように思えるからだ。
そうしたナイフ保持携行方法は、
私は国内ではやらない。
ナイフをストラップに装着して
実動してもよいのは、銃も銃剣
も所持して仕事をしている自衛
隊員等の法執行機関に属する人
間が職務上行なうことだけが許
されると、私は解釈している。
というか、関連法令がそうなっ
ている。彼ら法執行官の場合は
「正当な理由」により常備携行
していても法的には何ら問題が
ない。
一般民間人も「正当な理由」が
あればナイフを携帯しても構わ
ないのだが、それは釣りの現場
や、キャンプ場でのことだ。
まして、キャンプなどでも、己
一人のソロキャンプやブッシュ
クラフトでない場合には、ナイフ
は戦闘ポジションなどに装着す
べきではないと私は考える。
これは対外的な対人コミュニ
ケーションの問題として。
かといって、ポケットナイフだけ
ではアウトドアでは用が足りない。
どうしても10センチ前後のブレード
長さの物が必要となってくる。
特にこのようなミリタリータイプ
のコンバットナイフの携行には
必要以上に気配りが大切だと思う。
ただ、ナイフの場合、「隠し持つ」
ということが一般的シーンでは
犯罪性を帯びる法規定となって
いるので、常に見せておく必要
が法解釈としては成り立つが、
このような使い勝手の良い状態
で保持して人の多いキャンプ場
をウロウロするのはよろしくは
ないと思われる。
こうなると、まるで西部開拓時代
のサロンにいるギャンブラーだ。
となると、少し大きめのフォール
ディングナイフが汎用性が高くな
る。
特にクリップが付いているタイプ
は非常に便利だ。
しかし、固定式のフィクスドナイフ
=シースナイフは、フォールディング
ナイフには無い頑丈さを備えている。
これは何ものにも替えがたい。
となると、究極は、ちょっと短めの
シースナイフがいいんじゃない?
というところに落ち着く。
このモーラナイフは売れに売れて
いるが、売れに売れているだけの
理由はある。
非常に「良い」ナイフだからだ。
これは使ってみればすぐに判明す
る。
私も食わず嫌いでモーラを使う
前は「モーラかぁ」と思っていた。
評判などは当てにならないと
思っていたからだ。
だが、モーラについて、使いも
しないでとやかく言ったり思っ
たりすることはできないと思った。
買った。
使った。
金額からしたら、史上最強最高の
ナイフであると強烈に感じた。
モーラはそうしたナイフだった。
この優れたナイフが2000円未満
で購入できるとは驚きだ。
モーラは、コンバットナイフとの
共通性がある。
それは「ハンドルが太い」という
ことだ。
細目のグリップは操作性が向上す
るが、力技でナイフを使う時に
手の中で不安定になる。細目の
ハンドルグリップは、細かい作業
を行なう場合には非常に適してい
るのだが、グイと力を入れて截ち
割るような作業には向いていない。
これも実際にフィールドで使って
みれば即座に判明する。
ハンドルが細いモデルは、フェザー
ひとつ作る上でも非常に使い勝手
が悪いのである。
細い部分と太い部分を併せ持つ
このタイプなどは、そのあたり
が非常によく考えられている。
大きくも小さくも長くも短くも
使える。(これ刀法の業界表現
なのでよくお分かりにくいかと
思うが、要するにどうにでも使
い手によって使えるということ)
スキニングホールディング。
チョッピングという使用法でも
手の内がビタリと決まるハンドル
の形状。
刃筋はビタリと立って決まる。
細かい作業にもバッチリ対応する。
見た目は良くないが、私が今まで
ナイフを57年間(ナイフは5歳の
時から使っている)使い続けて来て、
一番汎用性の高さで優れているのは
この形状のナイフだと私自身は感じ
る。単なるスキナーではない。
このブローニングとハットリの
二つは、非常にブレードが美し
いラインでセミケーパーのポイ
ントがドロップしているところ
も使い易いのだが、ハンドルが
細すぎるのがアウトドアでは難
点となる。
しかし、この形状でハンドルグ
リップを腹膨らみで太くしたら、
もろにモーラのシルエットにな
る、というこの現実(笑)
モーラナイフはよく考えられている。
今のところ汎用性カテゴリーでは
トップクラスでは。
ただし、モーラには最大の欠点
がある。
それは、ソングホールが不存在
であるので、ストラップが付け
られないということである。
実はこのストラップは、ランヤ
ードとして、アウトドア活動で
はとても重要な役割を果たすの
だ。
従って、アウトドアナイフで紐穴
が無いナイフは、それだけでガク
ンと利用利便性、紛失防止、脱落
防止等の対策が欠如してしまう事
になるのである。たった穴一つで。
アウトドアナイフにソングホール
は絶対に必要だ。
歴史的な名品のガーバーにして
も、唯一にして最大の欠点は、
ランヤードを通す穴が無かった
ということだ。
その後の現代ナイフであるG.サカイ
などは、そのあたりをよく研究して
オリジナルナイフのデザインを起こ
している。(真ん中がG.サカイ)
いずれもブレードは3.75インチ。
私にとってはこれがベスト・オブ・
ベスト長だ。
(上:オールドガーバー 下:G.サカイ)
しかし、サカイのこのモデルは
とうに廃番・・・・。
あちらを立てればこちらが立た
ず。ナイフ選びはむつかしい。
「取りあえず」というのだった
ら、断然モーラナイフをお薦め
する。激安であるし。
北欧の本物、本格派。紐穴がな
いことだけが欠点だが、かなり
良い。
「物凄く良い」というのは別物
のナイフになるが、使い倒しの
実用ナイフとしては、私はモー
ラをお薦めする。
G.サカイのこのモデルよかったん
だけどねえ・・・。標準でスタッ
グだったというのがアダになった
か。スタッグをまだインド政府が
輸出許可していた頃の製品だから
なぁ。
このブレードでもう少しフクラを
ふっくらと丸くラインを取って、
そして片刃ではなく両刃にして、
ホローグラインドではなくフラッ
トにしたら、史上最強ナイフにな
るように思えるのだけど。
ハンドルも適度に太くて非常に
使い易い。
G.サカイのナイフはファクトリー
メイドの量産工場物なのに、と
ても使える。
こうしたカスタムナイフ並みの
品質の製品も時々出すが、すぐ
に売り切れる。
これも廃番もの。
美し過ぎるバード&トラウトの
フィッシング用だ。
フライ・フィッシングなどに
とても似合いそうだ。
このトラウト&バードのように
手の込んだカスタムナイフと同質
のファクトリーナイフは、今の時
代もう作り得ないかもしれない。
80年代の品質の良さは、ナイフ
だけではなく、バイクでも同様の
ことがいえる。技術の進化云々で
はない。1980年代はすべての日本
製品が極めて高品質だったのだ。
このトラウト&バードの携行
スタイルはこうである。
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