pixivは2023年6月13日付でプライバシーポリシーを改定しました。改訂履歴

栗かぼちゃ
栗かぼちゃ
琥珀色の夜に微睡む - 栗かぼちゃの小説 - pixiv
琥珀色の夜に微睡む - 栗かぼちゃの小説 - pixiv
13,977文字
琥珀色の夜に微睡む
俺は黒が似合うと思う。

お酒飲むならウイスキーかブランデーで悩み、ブランデーが勝ちました。

*実装前での執筆
*誤字脱字は温かい目で(見つけ次第修正します)
*捏造有
続きを読む
3364733523
2023年10月13日 04:11

 空き居室にひっそりとランプを灯して、ブランデーを少しずつ飲む。囚人の就寝時間後だから、警備も日中に比べて少ないため、居房エリアの人通りがグッと減る。
 本来なら与えられている自室で飲みたいところだが、生憎しがない看守の立場で一人部屋をもらえるほどこのメロピデ要塞は広くない。部屋で呑もうものなら瓶の半分以上が他人の胃に流し込まれるだろう。だけど、このブランデーは大切なブランデーなのだ。一ヶ月かけて一人で呑むことが、月に一度しか会えない水の上にいる婚約者と私を繋ぐ唯一の愛情表現である。残念ながら氷も調達できないので、ぬるいブランデーを飲みながら婚約者と会えない空白の一ヶ月を過ごす。


「こんな時間にこんな場所で何してるんだ、あんた」


 あと一杯飲んだら寝よう、とグラスにブランデーを注ごうとした瞬間、私を覆う大きな影ができた。同僚の誰かに見つかったか、と頭の中で言い訳を考えながら見上げれば、我らがメロピデ要塞の管理人――リオセスリがいた。


「お、お疲れ様です、リオセスリ様!」


 慌てて立ち上がり、目の前の上司に敬礼をする。リオセスリはそんな私の態度も気にせず、机の上に置いてあるブランデーの瓶を手に取った。


「これはどこで手に入れたんだ?ここに酒は売ってないだろう」


 メロピデ要塞には多少の生活必需品が売っているが、当然トラブルの種に成りうる酒は売っていないため、看守でも酒は手に入れにくい。そういう背景もあって、こうして陰でコソコソと一人で飲んでいるのだ。

 メロピデ要塞に配属されて半年、この習慣を始めて三ヶ月。水の上にいた頃は、お互いお酒が好きで婚約者とブランデーで晩酌することが習慣だった。突如としてメロピデ要塞に配属されてしまった私に、彼がブランデーを月に一度の逢瀬の時に渡してくれる。月に一度しか会えなくても、同じお酒を飲むことで互いを近くに感じられたらと照れくさそうに言う彼がとても愛おしかった。

 この三ヶ月で同僚にすらこの習慣がバレていなかったのは奇跡に近い。いずれバレるだろうと覚悟もしていた。だが、まさか最初にバレる相手がリオセスリだとは誰も思うまい。リオセスリは日中、囚人の収容やトラブル、水の上とのやりとりをするため書類仕事をする時間がなかなか取れない。そのため、夜は執務室にいることが多いと聞いたことがある。だからリオセスリには一番バレないだろうと思っていたのだ。
 どう言い訳をしようが没収されるに違いない。素直に話すのが一番だ。


「水の上の婚約者と月に一度会うのですが、その時に彼が渡してくれるのです。水の下じゃ手に入らないだろうから、と……」
「なるほどな」


 彼と会ったのはほんの一週間前。つまり、瓶の中身はまだたっぷりと琥珀色の液体が入っている。正直言って、メロピデ要塞に配属されたのは不本意だったのだ。急に人手が足りなくなったからどうしても行ってほしいと言われて、多少の抵抗もしたが一般職員だった私に拒否権があるはずもない。
 不本意な場所、築き上げられた人間関係に入らないといけない孤独、その上暗くて無機質なこの空間で私に縋れるものは彼がくれるブランデーだけ。とはいえ、バレてしまったものはしょうがない。半分以上を横取りされても相部屋の中で飲んでいれば良かった、と溜息をこぼすとリオセスリが瓶を机に置いて、私をまっすぐ見つめてきた。


「一杯ご馳走していただけたら見逃してやろう」


 没収されるものばかりと思っていた私は、一瞬言葉の意味が分からなかった。「無理ならそれは没収する」と畳み掛けられてようやく理解する。


「も、もちろんご馳走いたします!」


 これは私と彼を唯一繋いでくれるブランデー。だが、たった一杯分けるだけで見逃してくれるというのなら、喜んで差し出そう。それにリオセスリにバレた今、同僚にバレたところで「リオセスリ様も知ってるけど」と言って、横取りされることも免れそうだ。


「なら、それを持って執務室に来い。ここだといずれ他の奴にバレる」
「いや、でもこんな夜更けにお邪魔するのは……」


 ご厚意はありがたい。だが、婚約者のいる身として夜中に男性と密室に二人というのは抵抗がある。無論、リオセスリが私に手を出すなど到底思えない。場所柄のハードルが高いとはいえこの見た目に紳士的な態度、女には困ってないだろう。


「安心しろ、婚約者がいるような女に手は出さない。もし手を出すようなことがあれば、俺を訴えればいいさ」
「なるほど……はい、分かりました。その時は訴えさせていただきます」
「おいおい、冗談だろ」


 そう言って肩をすくめるリオセスリを見て、思わずふふ、と笑みがこぼれる。しまった、とリオセスリを見上げれば同様に笑みを浮かべていた。どうやら、私が思ってるより怖い人ではないらしい。「行くぞ」とコートを翻して、執務室へとリオセスリが歩き出した。慌ててブランデーとグラスを持って追いかける。

 こうして、リオセスリと私の秘密の晩酌が始まった。





 今日の持ち場は生産エリアの監視役だ。囚人にパーツを渡して、機械に異常がないか、囚人たちがトラブルを起こさないか見張っている。


「公爵様、お疲れ様です!」


 少し離れたところから、同僚の声が聞こえた。そちらを振り返ればリオセスリがこちらへ歩いてくる。


「お疲れ様です」
「ああ、今日もご苦労さん」


 そう言ってすれ違いざまに私の肩をポンポン、と叩いて行った。
 これが晩酌の合図だ。私のひっそりとした晩酌がバレてから三ヶ月。何故か週に一度から二週間に一度ほどのペースでリオセスリとの晩酌が習慣化された。私の勤務日を当然把握されているため私の夜勤がない日、且つリオセスリの仕事が立て込んでいない時にこうして誰にもバレないようにお誘いがかかる。

 密室に男女で二人きり。言葉にすればなかなか官能的な響きだが、リオセスリは宣言通り指一本も私に触らない。私はソファに、リオセスリはテーブルを挟んで執務机の前から移動してきた椅子に。絶妙な距離感でそれぞれが用意したブランデーを飲む。
 初めて二人で飲んだときに――多少酔っていたのだろう――このブランデーが逢えない間の婚約者との唯一の繋がりなのだと話せば、それは一杯貰って悪かったとリオセスリが謝った。見逃してもらうために分けたのだ、何も悪くないと伝える。それからは互いに自分でお酒を用意し、つまみはそれぞれ持ち寄れる時に持ち寄るようになった。執務室に入ってしまえば、同僚にバレないという安心感がありがたくてリオセスリの厚意に甘えてしまっている。

 勤務時間を終え、夕飯を食べ終わってからしばらく。囚人の就寝時間を迎えて、いつも通り彼からもらったブランデーを持って、バレないように執務室へと向かった。


「ああ、来たのか。少しばかり仕事が残っててな、先に飲んでてていいぞ」
「そうなんですか?珍しい。では、お言葉に甘えて」


 こうして三ヶ月、共に晩酌することでリオセスリへの態度も最初に比べてものすごくゆるくなった。
 初めての晩酌の時に、粗相がないようにとあまりにもガチガチの私に「晩酌の時くらいリラックスさせてくれ」と様付けすることすら禁止された。気持ちは分からなくもないが、上司であり身分も違う。最初はおおいに戸惑ったが、多少の失言をしたとてリオセスリは大して気にしていないと分かってから態度がゆるくなるのは早かった。


「ふふ」
「今日はえらくご機嫌だな」
「ええ、三日後にやっと彼と会えるんです。しかも今回は一泊できる権利をもぎ取ってきました!」


 ふふん、と笑う私を見てリオセスリはやれやれと肩をすくめた。
 シグウィン看護師長が目ざとく体調不良者、長時間労働者を見抜き、こっぴどく怒るために看守たちでローテーションを組んで休みを取っている。とはいえ、トラブルが起きれば緊急で対応しなければならないし、ここメロピデ要塞は慢性的な人手不足だ。まとまった休みを取ることは非常に難しい。
 この間、休み返上で体調不良になった同僚の穴埋めをしたために、今回の二連休を取れることとなった。


「婚約者様には伝えてあるのか?」
「いえ、伝えてないです。忙しくて手紙も出せなくて……」

「それ大丈夫なのか?あんたこの前会った時になんだかよそよそしかったって言ってただろ」
「ぅ゙、でも今回一泊できるので色々頑張る予定なんです!久しぶりに手料理振る舞ったり、一緒に晩酌したり、あとはまあ色々……」


 実を言えばこの間の休みに、彼とは休みが合わなかったので新しい下着を買いに行った。一日休みの逢瀬でもそういうことをする日もあるが、時間に限りがあるゆえに消化不良になることが多々あった。だがしかし、今回ばかりは違う。リオセスリの言う通り、前回会った時に少し彼と距離を感じた。やはり水の上と下では距離が違う。会える日も制限されるし、会話をしても生活圏の違いをまざまざと感じさせる。それを今回の一泊で埋めたい。


「色々、ねぇ……」
「なんですか、その顔。私だってやるときはやるんですよ」


 その言葉に書類から目を離し、にやにやしながら私を見てくる。


「あんたに婚約者がいなければ、確かめさせてもらうんだがな」
「またそんな冗談言って……早く仕事終わらせて晩酌付き合ってください」


 はいはい、と軽い返事をして書類へと目を戻した。その10分後にいつも通り私の正面へ椅子を移動させる。ブランデーと愛用グラスを持ってきて、ようやく晩酌の席へと着いた。グラスにブランデーを注ぐリオセスリに合わせて、私も自分のグラスに注ぐ。

「人手不足が解消されれば、あんたを水の上に返すんだがそう上手くいかなくてな」
「お気になさらず。水の上に戻ったら結婚しようって言ってるんです。彼だって分かってくれてます」

「それはめでたい話だ」
「心が全くこもってないじゃないですか。そうなったらちゃんと心のこもった祝福の言葉を待ってますよ」






 そして三日後。新しい下着を身につけ、精一杯のおめかしをして水の上へと来た。待ち合わせ場所であるカフェ・ルツェルンに着き、紅茶を一杯頼んで席へ座る。待ち合わせ10分前の彼を待つこの時間が好きだ。今日はどこに行こうか。折角だし劇場に行くのもいいし、幸い今日はとてもいい天気だ。散歩するのもいいだろう。そうして夕飯前に彼の家へ行って手料理を振る舞って、いつものブランデーで晩酌をしよう。
 紅茶を飲みながらそんなことを考えていると、足音が近づいてくる。見上げれば彼がいた――彼の同僚、私にとっては元同僚の女も隣に。


「……久しぶり」
「ひ、さしぶり……えっと、どうしたの」


 今日はデートじゃなかったっけ、と彼に言えば酷く気まずそうな顔で目を逸らされた。隣りにいる女も俯いたままで、ざわりと嫌な予感がした。雲一つない気持ちいいほどの青空に不釣り合いな、重たい空気が流れる。


「話が、あるんだ」


 彼の腕に添えられた女の手と反対の手が、お腹をさする。一つの推測が頭をよぎったけれど、そんなはずはない。もしそうだとしたら、ずっと前から裏切りていたことになる。彼は、いつだって私に誠実で優しくて、月に一度の逢瀬では惜しみなく愛を伝えてくれていた。彼にそんなことはできない。

 どんなに心で否定しても現実は残酷なものだ。


「……彼女のお腹の中に俺の子供がいるんだ」

「嘘、そんなの……おかしいじゃない」
「ごめん、本当にごめん……だって寂しかったんだ、こんなに好きなのに月に一度しか逢えないなんて……」
「それは私だって同じ、ずっと寂しかった……でもしょうがないじゃない」


 ごめん、と私の顔も見ずに彼がもう一度言った。もうどうにもならないのだと痛いほど分かった。呆然と立つ私の目の前で、ぐすぐすと女が泣き出す。今泣きたいのは私の方だ。さっきのさっきまで、どこに行こうか、どう過ごそうかと心躍らせながら考えていたのが馬鹿みたいに思えて、乾いた笑いがこぼれる。


「……そうね、月に一度しか会えない水の下の女より、いつだって会える水の上の女の方がいいよね。

どうぞ、水の上に住む者同士お幸せに」





 奇跡的に空いていたホテル・ドゥボールの客室になんとか辿り着いて、荷物と別れ際に無理やり渡された結婚式の招待状を放り投げてベッドに身を沈めた。
 あの状況で結婚式の招待状を渡すあたり、私が思っている以上に神経の図太い女だったらしい。本当に私が行くと思ってるのか、白々しい。きっとあそこで泣いたのも演技だろう。
 あり得ない状況が過ぎて、涙すら出てこない。稲妻の娯楽小説よろしくな展開に一周回って笑い転げたいくらいだ。こんな状況になって、前回の逢瀬でのよそよそしい彼の態度に納得した。本来なら別れ話でもするつもりだったのだろうか。優しい彼は隣で楽しそうに笑う私に切り出せなかったのかもしれない。それは今となってはあまりにも残酷だけれど。

 折角の二連休だったが、ホテルに泊まらないで水の下へ戻ってリオセスリのもとへ行こうかと一瞬思った。きっと彼は事情を話せば慰め、私に優しい言葉をかけ、一晩中話に付き合ってくれるだろう。だけども、それは私と彼の晩酌仲間のルール違反な気がして。何より彼とのふわふわとした束の間の休息をこんなことで汚したくなかった。
 答えの出ない気持ちに心を占領されていく。食欲もないし、いっそ風呂に入ったら少しは思考回路が鮮明になるだろうか。溜め息をついて、浴室へと向かう。水の下に戻ったらこんな広い湯船に浸かる機会はしばらくないだろう。だが全く気分は上がらない。お湯を溜めながら服を脱ぐと、鏡にうつる下着姿の自分が目に入った。彼の好みに寄せた薄い桃色の下着。お店で試着した時も、今日身につけたときもキラキラして見えていたのに、なんだか酷くくすんで見えた。




 二連休が終わり、三日が経った。飽きるほど泣いて目が腫れた、なんてこともなく一滴の涙もこぼれないから誰に何も気づかれず普段通り働いている。ただ、夜はうまく眠れず食欲もない。ウォルジーさんに「少なめで」と頼んで出てきたお弁当も残してしまう。とはいえ悲壮な空気感を出して悲劇のヒロインぶりたくもないため、誰にもバレないように過ごしている。
 今日の担当場所で見回りをしていると、目の前からリオセスリが歩いてきた。あれからリオセスリとはまだ一度も話していない。私が水の上で婚約者――もう元だが――と逢った後は必ず一週間の間をおいて晩酌に誘われるから、まだ約束をするには早い。だから今日はこのまま、上司と部下としてすれ違うだけだろう。
 そう思って「お疲れ様です」と敬礼をすれば、いつものようにねぎらいの言葉と共に肩をたたかれた。晩酌の誘いの合図。どうやら法則は私の思い込みだったらしい。
 リオセスリと話したい気持ちが湧き上がるが、今はお酒を飲みたくないどころか目にするのも嫌だった。どうしたって、水の上の彼を思い出してしまう。


この日、初めて私はリオセスリとの晩酌の約束を破った。


 次の日、同じ職場で働いているのだからどうしたって会ってしまうだろう。会わないように避けても、メロピデ要塞の管理人であるリオセスリから逃れられるわけがない。朝から憂鬱な気分で、それでも会わないように要塞内の見回りをしていた。
 何も問題もないことを確認して通路を曲がると、シグウィン看護師長と鉢合わせる。どうやらシグウィン看護師長の巡回の時間になっていたらしい。私の存在に気づいたシグウィン看護師長と挨拶を交わす。直後、小さな手で思いのほか力強く制服を引っ張られた。


「すっごく顔色悪いじゃない!ご飯は食べてる?ちゃんと眠れてないんじゃない?」


 ファンデーションとコンシーラーで誤魔化したつもりだったが、流石メリュジーヌ。同僚は騙せてもシグウィン看護師長を騙すことは到底無理だったらしい。予想できていたことだったので、なるべく会わないようにしていたのだが、運が悪かった。完璧に体調不良の原因を言い当てていくあたり、その特性はやはり本物なのだと感心してしまう。
 すぐに医療室で横になって!と連行されそうになった時、背後から私を引き止めるように大きな手が肩に回った。


「看護師長、悪いが彼女に少しばかり用があってね。お借りしたいのだが」
「だめよ公爵、この子はすぐに休まないと。今は仕事させないで」
「仕事はさせないさ。話があるだけだから、話が終わったらすぐに寝かせる。それで問題ないだろ?」


 今日はとことん運が悪いらしい。会わないように避けていた二人にこうも巡り合ってしまうとは。言い合いをしている二人に挟まれて、いい加減頭痛もしてきた。この状況を終わらせるにはどうしたらいいだろう、とぼんやり考え始めるとふわりと体が浮いた。
 驚いて体を硬直させている間に、暖かいものに包まれる。状況把握のために顔を動かすとものすごく近くにリオセスリの顔があった。これは俗に言うお姫様抱っこかと理解した瞬間、顔に熱が集まる。


「は、え……!?」
「あんた軽すぎないか?これじゃあ看護師長に怒られて当然だな」
「お、降ろしてください!自分の足で歩けます……!」
「あんたと話すためにはこれしかないんだ、大人しく捕まっててくれ。じゃあな、看護師長」


 そう言うやいなや、ものすごいスピードで動き始めた。ヒッと小さく悲鳴を上げてリオセスリにしがみついた。こんなの振り落とされる……!止まってほしいと声を上げたところで無意味だろう、というか声を上げることすらままならない。背後からシグウィン看護師長の「公爵!」と怒った声が響き渡った。




 執務室に着くと、優しくソファに降ろされる。道中、同僚にも囚人にも見られた。折角、最近は同僚とも仲良くなってきたのにリオセスリとの関係をあれそれ噂されて距離を取られることだろう。勘弁してほしい。
 私を降ろしてすぐ、無言でティーカップを準備し始める。今は紅茶を飲む気分ではないが、出されたものを拒否することはできない。ぼんやりと準備が終わるのを待っていると、目の前に出されたティーカップには紅茶の赤ではない、透き通った薄黄色の液体が入っていた。


「これは……」
「安眠とリラックス効果があるお茶だ。あんた休み明けからずっと顔色が悪いだろう。昨日、あんたがここに来たら酒じゃなくてこれを飲めと言うつもりだった」


 どうやら、いつもより早いお誘いは晩酌ではなく、私の身を気遣ってのことだったらしい。それは公爵の気遣いを無碍にしてしまい申し訳ないことをした。大人しく出されたお茶を一口飲む。ほんのり甘くて、優しい味がした。


「おいしい……」
「そりゃあよかった。……それで、水の上で何があったんだ」

「……全部、お見通しですね」
「休み中に何かあったのは明白だろう。それに、あんたにそんな顔させられるのは一人しかいないんじゃないか?」


 そう言われて、ぽたりとティーカップに雫がはねた。それは一度こぼれたら次から次へと溢れてきて、自分でも止められなかった。だから避けていたのだ。リオセスリと話したい気持ちの反面、この優しさに触れたら悲しみ、寂しさ、悔しさ、何もかも曝け出されてしまうんじゃないかと怖かった。ずっと強張っていた心が緩んで溶け始める。
 ひとしきり私が泣き止むまで、リオセスリは隣でずっと背中を叩いてくれていた。大きな手が温かくて、ずっと本当は泣きたかったんだと自覚させる。その手が背中から頭に移り、ゆっくりと撫でられる。気持ちよくて、人の温もりが心地よくて、そのままゆっくりと目を閉じた。






 ペンが紙の上を滑る音で目が覚めた。ここどこだっけ、と辺りを見渡せば執務室だと気づいた。どうやらあのまま寝てしまったらしい。いつだって薄暗いこの部屋で、今が夕方なのか夜なのか分からない。今何時だろうかと体の上に乗った何かを掴みながら体を起こす。どうやら、リオセスリがいつも背負っているコートをかけてくれたらしい。執務机に向き合うリオセスリを見れば、少し物足りなさを感じた。


「おはよう、お嬢さん。よく眠れたか?」
「おかげさまで。今は何時でしょうか」
「22時10分てところだな。ゆっくり眠れたみたいで何よりだ」


 なんと10時間近く寝ていたらしい。通りで頭と体がスッキリしているわけだ。その間、私はリオセスリの書類仕事を手伝っていたことになっているらしい。心遣いに感謝しつつ乱れた髪を手ぐしで整えながらソファに座り直す。その間に座っていた椅子とともにリオセスリがテーブルを挟んで、正面へと移動してきた。テーブルにはすでに昼見たものとは違うティーポットといくつかのお茶菓子が並んでいた。「それで、」と私の話を促すあたり、これから長時間話を聞いてくれるらしい。
 ここまでの醜態を晒して面倒をかけたのだ。あれだけ泣けば涙も枯れ、少しは冷静に話せそうだ。早速注いでくれたお茶を一口飲み、リオセスリと向き合った。


「彼、婚約者が私の友人と、浮気していて……子供ができたそうです」

「事実は小説より奇なりと言うが、それはなかなか……」
「寂しかったって。月に一度しか逢えないなんて無理だって。こんなに好きなのにって浮気した人が言う台詞だと思います?私だって同じ思いしてたのに」


 「ごめん」と謝る婚約者と、その隣でぐすぐす泣く女の姿が鮮明に思い浮かぶ。まるで自分たちが被害者だと訴える姿に、ふつふつと怒りが湧いてきた。私だって、できることならいつでも会える距離にいて日常を分け合いたかった。


「しかもですよ、メソメソ泣いてたくせに別れ際に結婚式の招待状を渡してきたんです」
「それは随分と面の皮の厚い方たちだな」
「でしょう?大切な友人だから来てほしいって、そっちから信頼関係壊しておいて白々しい」


 睡眠を取ったことで少し食欲が回復したため、サクサクとクッキーをいくつか食べる。久しぶりの糖分に少しだけ溜飲が下がった。招待状は最初破り捨ててしまおうかと思ったが、視界にも入れたくなくて早々に鞄の奥底へと仕舞い込んだ。あの鞄も彼からのプレゼントだったか。そのまま捨ててしまうのも悪くないと考えたが、同時にそれを渡してくれた時の彼の笑顔が脳裏に浮かんで胸がツキリと痛んだ。


「しかし、こんなに素敵な淑女を傷つけるなんてその男は随分と趣味も悪ければ見る目もないらしい」
「……お褒めの言葉ありがとうございます」


 ティーカップに入った何杯目かのお茶を飲み干す。もう日付も変わる頃だろう。10時間近く寝たお陰で眠気はさっぱりだが、リオセスリはそろそろ寝ないと明日に響くだろう。これ以上迷惑をかけるわけにもいかない。


「そろそろ自室に行きます、ご迷惑おかけしました」
「もう少しゆっくりしていってもいいんだぜ?」
「リオセスリさんこそ早く寝てください、看護師長に怒られますよ」
「それは勘弁願いたい」


 リオセスリにとってもシグウィン看護師長に怒られるのは避けたいらしい。くすくすと笑って、執務室を出る。
 まだ彼を思い出すと胸が痛むし、全く納得はしてないけれどリオセスリに話すことで少しは心が落ち着いた。今日は久しぶりに穏やかな夜を過ごせそうだ、と足取り軽く自室へと向かった。





 今日はパル・メルモニアに書類提出のために水の上に来ていた。ついでに茶葉とアフタヌーンティーのテイクアウトをリオセスリに頼まれている。専門店に向かう途中、ふと呼びかけられて振り返った。後ろにいたのは元婚約者と共通の友人だった。そして、件の花嫁とも顔見知りである。


「久しぶり、私が水の下に行って以来かな」
「それぐらい経つかも。ていうかねえ、あれどういうこと?」


 随分と剣呑な態度で詰め寄られる。「あれ」と言われれば一つしかない。話せば長くなると伝えれば、「じゃあお茶しましょ!今日は私の奢り!」と強引に腕を引っ張られた。リオセスリからついでに休憩を取ってこいと言われているので、30分くらいなら問題ないだろう。断らせる気のない友人に観念して後をついて行った。




「なにそれ!信じらんない!」
「仰る通りで。私も現実にこんな事あるんだと感心しちゃった」
「感心するところじゃないでしょう?」


 一ヶ月前の一連の流れを話せば、目の前の友人は私以上に憤慨してみせた。皮肉にも同じカフェの同じ席で今アフタヌーンティーをしている。たったの一ヶ月前。だというのに随分と昔のことのように思えるくらい、もうなんとも思っていなかった。これも以前より頻度の増えたリオセスリとの晩酌のおかげだろうか。晩酌と言ってもあれ以来、私に出されるのはお茶だけれど。あの日、リオセスリに抱えられて執務室に連行される私をメロピデ要塞の看守、囚人のほとんどに見られたからか、リオセスリは隠すことなく私を晩酌に誘うようになった。勘弁してほしい、同僚とはあの日以来なんとも言えない距離を感じている。


「来月結婚式するって急に招待状を渡されて。いざ招待状を見てみたら花嫁の名前があなたと違うじゃない?みんなどういうことって戸惑ってたのよ。まさかこんなことになってるとはね」
「ああ、その招待状私ももらったのよ。捨てるの忘れてたわ」

「…………遂に頭もイカれたってこと?」
「そうみたいね、大切な友人だから出席してほしいって」


 顔をひくつかせて「こんな馬鹿だとは思ってなかった」と吐き捨てた。私もそう思う。元婚約者は同級生の中でも大人びていて聡明な人だった。思い違いだったみたいだけど。


「……ねえ、まだ招待状捨ててないって言ったわね」
「まあ……だって見るのも嫌で」

「復讐しましょうよ。うんと綺麗にしてこんな良い女振ったのもったいなかったって思わせるの。私援護射撃なら得意よ?」
「ねえ、ちょっと楽しんでない?」
「バレた?だってこのままじゃあ、あなたきっと引きずるでしょう。あんな男に少しでも囚われるなんてもったいない」


 言わんとすることは分かる。普段何気なく過ごしていても、不意に彼との思い出が脳裏に浮かんでは胸が痛む。別れて一ヶ月経った程度で忘れられるような軽い関係ではないと少なからず私は思っていた。とはいえ、この引っ掛かりを一生持ち続けるなんてまっぴらごめんだ。


「それとも、もう気になってる人がいる?」
「……いないわよ、まだ一ヶ月しか経ってないのに」


 私を慰める大きな手のぬくもりを思い出した。だけど、すぐに振り払う。そんなんじゃない。ただ、弱っている時にそばにいてくれた優しさに甘えているだけだ。それ以上でもそれ以下でもない。





「というわけで、結婚式に行こうと思うんです」
「……随分とアグレッシブな友人がいるんだな」


 頼まれたおつかいの品を執務椅子に座るリオセスリに渡しながら宣言をした。当然ながらリオセスリは「正気か?」と疑いの眼差しで私を見てくる。そりゃ突然破談してきた元婚約者の結婚式に行くなんて正気の沙汰じゃない。きっと「アグレッシブな友人」にあてられているのだろう。


「サクッと行って、綺麗サッパリ忘れてこようかと」
「なるほど?好戦的なのは嫌いじゃないし、それであんたがまた傷つかないなら俺は止めないさ。恋人役が必要ならいつでも呼んでくれ」
「またそんなこと言って……ちゃんと一人で行ってきます。

……恋人役はいりませんが、一つお願い事しても?」


 書類に目を通していた顔が、私を見上げる。こうしてリオセスリを見下ろすのは新鮮だ。顔一つ分背の高いリオセスリを見下ろすなんてなかなかない。改めて見ると、なかなか整った顔をしている。前から美形だと思ってはいたが、こんなにカッコよかっただろうか?元婚約者と別れる前は思っていなかったあたり、自分が思う以上に盲目的だったらしい。


「結婚式の夜、晩酌に付き合っていただけませんか?」


 思えば、私から誘うのはこれが初めてかもしれない。立場と仕事の関係で私から誘うことは困難だった。この人が夜な夜な私達の預かり知らない「仕事」をしているのは薄っすらと知っている。そちらの都合も分からないのだ、彼から都合の良い日に誘ってもらうほうが調整しやすい。
 私の言葉に目をまんまるにしたあと、盛大に笑い出す。次に目を丸くするのはこちらの番だった。血の気の多い囚人たちをまとめるメロピデ要塞の管理人もこんな風に笑うことがあるらしい。


「もちろん、喜んで付き合おう。極上の酒を用意しておく」
「あら、公爵様の選んだお酒なら間違いないですね。楽しみにしてます」





 かくして、その日は訪れた。
 新しいドレスに美容院でヘアメイクをしてもらった。自分をいい女に見せるにはプロの手を借りるのが一番だ。コツコツとヒールが石畳を叩く音を鳴らして、件の会場にたどり着く。私の背中を押した友人が、笑顔で手を振ってくれた。



「そんなわけで、会場にいた私の知り合いたちに少しさみしげに笑って見せて『いいの、距離にはやっぱり勝てないよね……彼が幸せならそれで……』と最後にハンカチで目元を抑えてきました」


 「二次会の会場の空気はすごいことになってると思います」と笑えば、リオセスリはブランデーを私のグラスに注ぎながら苦笑いをした。


「あんた、なかなかしたたかな性格してたんだな」
「ふふ、お陰様でスッキリしました」


 今頃、援護射撃の得意な友人のおかげで元婚約者と花嫁の信頼は地に落ちていることだろう。裁判が娯楽と化しているこのフォンテーヌで訴えなかったのだ。こらぐらいの復讐かわいいものだろう。
 リオセスリに注いでもらったブランデーをありがたくいただく。飲んだ瞬間に今まで飲んでいたブランデーとは比べ物にならない舌触りに思わず正面にいる彼の顔を凝視してしまった。


「極上の酒を準備しておく、と約束しただろ?」
「……ごちそうさまです」


 値段は聞かないでおこう。およそ、私の薄給で払える額なわけがない。折角、リオセスリが厚意で用意してくれたのだ。ありがたく味わわせてもらおう。


「本当に訴えなくてよかったのか?この状況なら確実にあんたの勝ちだろう」
「嫌ですよ。四六時中、元婚約者とその新妻と同じ空間で過ごすなんて勘弁してほしいです」
「それは違いない」


 というのも理由の一つだが、それ以上に手続きやら裁判やらで時間を取られるのが面倒だった。このまま水の下で働いていれば、水の上に住む彼らと会うことはほぼないだろう。それに、このメロピデ要塞で働くのも以前ほど嫌いじゃない。少し前に異動願は取り下げてもらった。
 リオセスリが用意してくれたブランデーは随分と飲みやすく、その上一ヶ月ぶりのお酒だ。多少酔ったのだろう。普段なら絶対に言わないのに、他愛もない会話の先にうっかり口を滑らした。


「新しい下着買いに行かなきゃ……」
「……は?」


 彼にしては珍しく素っ頓狂な声を出した。そりゃそうだ、突然目の前の異性の部下が「下着を買いたい」なんて言い出したら私だって少しばかり動揺する。久しぶりの酒、復讐してきた開放感で完全に頭のネジが緩んでいた。


「いやあの、少し前に買ったんですけど、元婚約者のために買ったんです。曰く付きになったので捨てようかと」
「あんたが言ってた『色々頑張る』って、そのことか……今日もそれなのか?」

「セクハラですよ」
「あんたからこの話題を振ったんだ。どちらかというと俺じゃなくてあんたに適用されると思うんだが?」


 それは確かにそうだ。「勿体ないんで今日も着けてますけどぉ」ともはや恥も外聞もないと開き直って言った。だってあの一回ぽっきりしか着けてないのだ。この下着高かったんだもん、勿体ない。それを聞くやいなや、突然リオセスリが立ち上がってソファの隣に座ってくる。驚きながら、少しばかり距離を取るように座り直すと、背もたれに腕をかけて半ば私に乗り上げるように距離を詰めてきた。


「あんたに似合ってるかどうか、確かめようか」
「もうやだ、冗談やめてください」
「冗談なんかじゃないさ、俺はずっと本気だった。あんたに婚約者がいたから冗談にしといてあげたのさ」

「またそんな…………


あれ、どうしよう」


 じゃあ、今まで流してきた戯れ事は全て冗談ではなかったということだろうか。そんな馬鹿な。そもそも私はリオセスリとそういう関係になるつもりはないと断る理由を探せば、あることに気づいてしまい、途端に顔に熱が集まるのを感じた。


「……今、婚約者もいなければ恋人もいないし。リオセスリさんが優しくて素敵な人だってもう知ってる……お酒の好みが合うことも、趣味が良くて見る目があるらしいことも。


断る理由が見つからない、です……」


 そう言った瞬間、ギラリとさながら獲物を見つけた獣のように薄氷の瞳が光ったのを見て、下腹部が疼くのを感じた。もう十分な近さのはずなのにリオセスリはなおも体を近づけてくる。倒れ込みそうになるのを、後ろ手をついてなんとか耐えた。背もたれにかけていない、もう一方のあの大きな手で下腹部を撫でられる。


「あと確認が必要なのは『身体の相性』、か?」
「 ……もっと素敵な口説き文句はないんですか」

「おっと、これは失礼」


 おどけながら私の手を引いて自分の身と同時に体を起こす。流されるままにほとんどゼロ距離――彼の腕の中にすっぽりとおさめられて、恭しく手をとられ手の甲にキスをされる。なんてキザな、だけど彼がすると様になるのだから敵わない。

――そんなことを思うあたり、すでに盲目的になっているのかもしれない。



「もう一度チャンスをいただけるかな、レディ」


「……そうですね、もう一杯付き合っていただけたら」
「お安いご用だ」

琥珀色の夜に微睡む
俺は黒が似合うと思う。

お酒飲むならウイスキーかブランデーで悩み、ブランデーが勝ちました。

*実装前での執筆
*誤字脱字は温かい目で(見つけ次第修正します)
*捏造有
続きを読む
3364733523
2023年10月13日 04:11
栗かぼちゃ

栗かぼちゃ

コメント
作者に感想を伝えてみよう

関連作品


ディスカバリー

好きな小説と出会える小説総合サイト

pixivノベルの注目小説

  • オンタリオに着くまでは
    オンタリオに着くまでは
    著者:ピクルズジンジャー
    〈第5回百合文芸小説コンテスト〉新潮文庫nex賞受賞!奴隷のケイラの逃亡計画

関連百科事典記事