>『続日本紀』の8世紀初めの人口調査記録によると、1300年前の関西地方の中心だった南部の奈良盆地に住んでいた人の80~90%が百済系移民だった。2023-10-10
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ハンギョレは韓国の代表的左派紙ですが、とんでもないデマだなあと思います。百済系移民がそんなにいる訳も無いんですが、元ネタを探ると、多分、続日本紀光仁天皇の宝亀3年(772年)4月20日の坂上苅田麻呂の檜前忌寸の一族と十七県の人民で高市郡は満ちていて、他姓のものは十のうち、一二割程度という奏上なのかなと思います。高市郡内(久米郷・巨勢郷・波多郷含む)で8・9割が東漢(ヤマトノアヤ)氏(坂上氏)の一族というのも誇張だと思われ(なんせ新撰姓氏録で坂上大宿禰は出自後漢霊帝男延王也とし、大噓もいいところなんですが)、高市郡の檜前地域に東漢氏が多かったぐらいなら有り得るのかもしれませんが、奈良盆地の8・9割って、とんでもないデマじゃないですか?坂上氏は漢系を称していて百済系かどうかも不明ですし(アヤ氏を名乗っているので、弁辰安邪国(魏志韓伝)→安羅日本府(欽明天皇紀)の一族の可能性が高いように思います)。それは兎も角、東漢氏の言うことに誇張が多く信頼できないとしても、坂上田村麻呂(苅田麻呂の次男)の活躍は本物でしょうし、記紀や新撰姓氏録の出自も同様に信用ならないとはならないと思います。勿論偽ろうとした不届き者もいるでしょうが、允恭天皇紀にあるように、皇別氏族や天孫降臨に付き従ったことを偽ったのであって、元が渡来人だと読み取れませんし、(偽る元の)皇室の系譜は凡そ本物でしょう。魏志倭人伝に卑弥呼(倭迹々日百襲姫命でしょう)の前の倭国は「その国、本はまた男子を以って王と為す。住みて七、八十年」とあって、記紀の皇室の系譜と一致しますし、何より前方後円墳の実際の位置が記紀の記述と符合し、稲荷山古墳出土鉄剣銘の意富比垝が大彦命を指すと思われるからです。
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