ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

本文

アイヌがアイヌとして生きていける社会へ

印刷ページ表示 更新日:2022年2月7日更新

TOKYO人権 第63号(平成26年8月29日発行)

特集

アイヌがアイヌとして生きていける社会へ

独自の言語や文化をもつ日本の先住民族アイヌ。首都圏に北海道に次ぐ数のアイヌの人々が暮らしていることはほとんど知られていません。また、“アイヌは過去の民族” “アイヌ=北海道”と思っている人も少なくないでしょう。そこで、現在、内閣府に設置された「アイヌ政策推進会議」において議論が進む新たなアイヌ政策について紹介します。

アイヌ民族のたどった歴史

 アイヌ民族は北海道及び樺太・千島・本州北端に先住し、固有の文化を発展させてきました。しかし明治時代になると、蝦夷地と呼ばれていた島は「北海道」と改称され、開拓が本格化し、大勢の和人(注)が本州から移り住みました。政府はアイヌ語や生活習慣を禁止し、伝統的に利用してきた土地を取り上げ、サケ漁や鹿猟も禁止しました。こうした和人社会への同化政策の結果、アイヌの人々は貧窮を余儀なくされました。

 1899(明治32)年に制定された「北海道旧土人保護法」(以下:旧土人保護法)は、アイヌに土地を与えて農民化を促し、「日本的」教育を行うことでそうした窮状から抜け出させようというものでした。しかし生活文化を否定し、和人の開拓民に比べて圧倒的に狭く、農耕に適さない土地を与えるなど、アイヌの人たちの立場に立った法制度ではありませんでした。

 1984(昭和59)年、アイヌの人々は、先住民族としての権利回復を求める「アイヌ民族に関する法律」案を作りました。この時期、国際的にも先住民族の権利をめぐる議論が本格化していました。東京で大規模なデモ行進を行うなど、政府や国会に働きかけた結果、1997(平成9)年に「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」(以下:文化振興法)が成立し、「旧土人保護法」はようやく廃止されました。

なぜ今、新たなアイヌ施策が求められているのか

顔写真の画像1
アイヌ政策推進作業部会メンバー
札幌大学教授 本田優子さん

 2008(平成20)年、国会において「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が全会一致で採択されました。日本政府が公式にアイヌ民族を先住民族と認めたこの決議を契機として、内閣官房長官を座長とする「アイヌ政策推進会議」が発足しました。この会議を通じて国立のアイヌ文化博物館(仮称)を2020年の東京オリンピックに合わせて建設することが閣議決定されました。さらに「北海道外アイヌの生活実態調査」を踏まえた“全国的見地”からの新たな施策が議論されています。

 しかしなぜ今、新たな施策が検討されているのでしょうか。同会議の作業部会メンバーで札幌大学教授の本田優子(ほんだゆうこ)さんはその理由を次のように言います。「文化振興法は国がアイヌ文化の振興に責任をもつという意味では評価できます。しかしそれだけでは不十分なのです」。2007(平成19)年、国連総会において採択された「先住民族の権利に関する国際連合宣言」は、奪われた土地・資源の回復、政治の場で意見を言うことなどの基準を示していますが、文化振興法は、文化の面を取り上げたものであり、アイヌの人々が求める先住民族政策にどのように近づけていけるかが課題だと言えそうです。

首都圏にも多くのアイヌの人々が暮らしている

 北海道に住むアイヌの人口は2013(平成25)年の調査によれば6,880世帯、16,786人です。しかしアイヌの人々は北海道にだけ暮らしているのではありません。1989(平成元)年の東京都の調査によれば、都内には2,700人が暮らしており、首都圏全体では5,000人程度とみられています。これらの調査は自己申告であったため、もっと多い可能性があります。「自分自身がアイヌであることを知らない若い世代もいますし、これまでアイヌであることで差別や不利益を受けてきた当事者にとってみれば“調査に協力しても現状は何も変わらない”という失望感や諦めがあっても不思議ではないでしょう」。(本田さん)

顔写真の画像2
アイヌ政策推進会議メンバー
関東ウタリ会会長 丸子美記子さん

 北海道外に暮らすアイヌとして政策推進会議のメンバーを務める、関東ウタリ会会長の丸子美記子(まるこみきこ)さんは、北海道美幌町で両親が共にアイヌである家系に生まれました。子どもが差別の対象にならないようにと母親はアイヌ語や民族文化を教えることはなかったと言います。しかし「北海道の和人なら私を一目見ればアイヌだと分かりますから、“あ、イヌが来た”といった差別的な言葉を受けてきました」。道外に出ればアイヌ差別はないと、家出同然で上京。そして和人の男性と結婚して家庭を持ちました。しかし「本州の人はアイヌのことをまったく知りませんから、私を見て外国人だと思うのです。“日本語がお上手ですね”と今でもよく言われます。日本国籍をもち、日本語で育ち、納税もしているのに、日本人として扱われない」(丸子さん)。そんな現実に東京で直面したのです。さらに丸子さんを苦しめたことは「二人の子どもも学校で“外国人”みたいだからと、いじめにあわせてしまったこと」だと言います。

道内と道外で差別する国のアイヌ政策

 首都圏に暮らすアイヌの人々が求めていることの一つに「道内と道外の不平等の解消」があります。

 1974(昭和49)年から始まる“北海道ウタリ福祉対策”によって、「生活館」の整備、相談員の配置、住宅資金の貸付、進学資金の補助など、アイヌの人々の生活向上のための施策が行われています。しかし、「アイヌにとって生活館は活動の拠点として大切な場所ですが道外にはありません。住宅資金貸付も進学資金も道外に暮らす私たちは全く受けられないのです」(丸子さん)。なぜなら北海道と国が予算支出するこの対策の対象は、北海道に暮らすアイヌに限定されてきたからです。「すべての国民は法の下に平等であるはずなのに、アイヌに対する施策は道内と道外を差別しているのです」。(丸子さん)

 推進会議で実施した道外アイヌの実態調査によれば、年収や生活保護受給率は一般に比べ高率で、大学への進学率は低く、経済的理由による進学断念や中退が多いことが明らかになりました。これは道内のアイヌのおかれた状況と同じだと言います。こうした結果を踏まえて、国は道外アイヌに対する相談事業をはじめとした新たな施策を始めています。

“差別の解消”がゴールではない

 『アイヌってかわいそう』とよく言われると丸子さんは言います。「でもね、私はアイヌに生まれたことは誇りです。かわいそうと思う前に、アイヌのおかれた現状の理不尽さを理解してほしいのです。和人の理解と協力がなければ、現状は変えられないのですから。日本人に同化することが幸せなことだといわれ、土地も文化も言語も奪われ、アイヌは端に追いやられた。残ったのは無知で野蛮な民族という差別だけ。アイヌは日本の近代化の犠牲者です。国はアイヌが失った権利を回復する責任があるのです。アイヌを先住民族と認めたのに、国はアイヌのことを教えようとしないし、日本人は知ろうとしないのです」。(丸子さん)

 「アイヌは縄文人にルーツを持つことや、大陸や本州と活発に交易をしてきた側面は知られていません。それに“アイヌ民族はもういない”“少数の人々が伝統文化を守って生きている”と思っている人が多い」と本田さんは言います。アイヌがたどった歴史と現状が正しく理解されなければ、「新たなアイヌ施策が始まったとき、きっと“なぜ少数のアイヌにだけ”というバッシングが起こるでしょう」。(本田さん)

 アイヌの人々の人権尊重とは“差別の解消”がゴールではないと本田さんは強調します。「自分はアイヌを差別をしていないと言う人がいます。しかし、私たちは日本語を母語として当たり前のように話すことができるのに、アイヌの人たちはそれができない状況が続いている。享受している権利が全く違うのです。私たちはこの〈無自覚の特権〉に気づかないといけません。差別をなくすことは当たり前です。そのうえで、アイヌがアイヌとして生きていける状況を日本社会は保障する責任があるのです」。

(注)和人:アイヌ以外の日本人のこと

インタビュー/林 勝一(東京都人権啓発センター 専門員)
編集/脇田 真也

アイヌの方々のための相談事業

アイヌの方々のための相談事業の画像

(公財)人権教育啓発推進センター

全国のアイヌの方々のための相談
電話のほか、来訪によるご相談も可能です。
詳しくはこちらをご覧ください。

http://www.jinken.or.jp/archives/7812<外部リンク>

東京都人権プラザ

人権相談 アイヌの人々「電話」及び「面談」でお受けしています。
詳しくはこちらをご覧ください。

人権相談のご案内​


写真展チラシ

東京都人権プラザ展示室 企画展
宇井眞紀子写真展

アイヌときどき日本人 TOKYO 1992-2014

会期:
2014年8月1日(金曜日)から11月28日(金曜日)まで

詳しくはこちらをご覧ください。
​企画展 宇井眞紀子写真展 アイヌときどき日本人 TOKYO 1992−2014