神室が有栖の手駒、もとい協力者となって1週間と少し。
4月も折り返し地点を過ぎた現在。護は校内においては有栖、神室の二人と、偶に橋本が加わったメンツで過ごすことが多くなっていた。
今の昼食時も、学食の食堂に護の隣には有栖が腰掛け、その有栖の向かいに神室が座っている。
「今のところ、葛城がクラスを仕切っていることに、不満を持っている奴はいないみたい。戸塚なんかはむしろ率先して付き従ってるけど、他の奴らは興味自体薄い感じ」
神室の今の仕事は、主にクラス内の情報収集だ。
神室自身は人付き合いがあまり得意ではなく、このような仕事には向いていない様に思えるが、実のところ有栖に比べれば彼女の対人関係は大分マシである。
話術が上手いため誤解しそうになるが、有栖のコミュニケーション能力は、決して高くない。
基本的に彼女の人間関係は上下関係によって構築されるため、友達付き合いという経験自体が不足している。
身体能力のハンデもあるため、遊びに誘うことを遠慮する者も多い。
故にいくら人付き合いが苦手とはいえ、噂話程度の情報でも集めることが可能な神室の存在は、有栖にとって大いに役立った。
「なるほど。では、他のクラスの動向は?」
「無茶言わないでくれる? 他のクラスのことまで詳しく調べられないわよ」
「そこまで詳しい情報は期待していません。話していて、よく話題に上る方などはいませんか?」
そう言われて、神室は面倒くさそうな顔をしながらも、食事の手を止めて考え込む。
「……女子でよく聞くのは、Bクラスの
男子だと、Dクラスの
男子の方は誰がカッコいいとか、そんな下らない話だけど」
「おや、そのような話でしたら、護君もさぞや話題になっていそうですね」
有栖は揶揄うような視線を護の方へと向けてくる。
「そうなんじゃない? なんかイケメンランキングとか言うのが作られてるみたいだし、あんたも入ってるみたいよ」
「フフッ、らしいですよ護君。よかったですね」
「そりゃどうも」
最早容姿について茶化されるのは慣れたもので、護は適当な返事でそれを流して、黙々と食事を続ける。
そもそも、護にとって自身の容姿を褒められることはそれほど嬉しいことではない。
身近に人外染みた美貌を持つ兄が居る身としては、なまじ顔の造形が似ているだけに自分など単なる下位互換にしか思えないのだ。
「ていうか不公平。なんで私ばっかこんなこと調べさせられてんの。
五条の方が友達多いでしょ?」
「ん、俺この学校じゃ有栖さんくらいしか友達いないよ?」
神室から不満気な視線を向けられ、しかし護はサラリとその言葉を否定した。
「は? あんたよくクラスの連中に話しかけられてるじゃない」
「まぁ、話しかけられはするけど、今のところ誰とも一緒に遊んだりしてないし、橋本君や葛城君とかは、単純に仲良くしたいっていうか、打算的な気がするからなぁ。
それって友達っていう?」
護は自由にできる時間は、ほとんど学校内の巡回に時間を充てているため、遊びに誘われても基本的には断ることが多い。
こういう時、相手の方は勝手に有栖と過ごしたいから断っていると勘違いして簡単に引き下がってくれるのだから、有栖との噂が不本意な護としては皮肉な話である。
あっけらかんとした様子で友達がいないと語る護に対して、神室は憐れんだような視線を向けた。
「拗らせてるわね」
「何が?」
どうやら神室は少し誤解しているようだが、別段、護は友達という単語を特別視しているわけではない。仲の良い相手には普通に使う。
実際、問題があるのは仕事中心の護の生活リズムにある訳で、相手に非があるわけではないが、一緒に遊びに行くこともなく、話すことと言えば事務的な内容ばかりで面白みのない会話。
こういう関係でも、向こうがそれを友人関係と言うならそれを否定する気はないが、護の方からはそれを友人と呼ぶ気も起きない。
「フフッ、私のことはお友達と認めてくれてるんですね」
「そりゃ、そっちが言い出したことだし」
最初に護のことを友達と言い始めたのは有栖の方である。腹に一物抱えているかもと思ってはいるが、本人がそれを望むのならば、別段意固地になって否定する気もない。
ちなみに、人からの誘いは断る護だが、有栖に対しては一人にするのも危なっかしいので、素直に受け入れていたりする。
そのせいで、周囲からの誤解が余計に深まっているわけだが。
「……結局、あんた達ってどういう関係な訳?」
「だから、友達」
「ですね」
二人のやり取りをみて、何やら意味深なものを感じた神室だが、二人の返答は至極あっさりとしたもの。
親しげなようで淡白にも見える関係に、神室は奇妙な物を見ている気分になった。
「あの~、ちょっといいかな?」
ふと、会話が途切れたのを見計らったかのようなタイミングで、横から三人に対して横から声がかけられる。
同時に振り向く三人。するとそこにはストロベリーブロンドと中々珍しい髪色をした女子が立っていた。
「隣の席いいかな?」
その女子からの問いかけに、護は表情には出さぬまま僅かに訝しんだ。
食堂の中には他にも広くスペースの空いた席があり、わざわざ見知らぬ相手の近くに座る必要もないはずだ。
つまるところ、この人物は何らかの意図をもって近づいてきたということ。
どうするのかと有栖に対して視線を送ると、彼女はにこやかに微笑んでそれを了承した。
「ええ、構いませんよ」
すると、その女子はあけすけな笑顔を浮かべながら礼を言った。
「ありがとう!」
そう言って、女子生徒は有栖と向かい合うような形で神室の隣に腰を掛けた。
「えっと、せっかくだから自己紹介した方がいいよね。
私は1年B組の
先ほど神室から聞いた話題にあった女子の名前。いかにも快活そうな性格の彼女を見て、護は内心で、確かに交友関係が広く目立ちそうな人柄だと納得した。
「これはご丁寧に。私は1年A組の坂柳有栖と申します」
「同じく、五条護です」
「……神室真澄」
有栖と護は普通に自己紹介を返すが、神室は一人無愛想に名前だけを名乗った。
「うん。三人ともよろしく!」
「ええ、こちらこそ。よろしくお願いします」
よろしくと言いながら微笑む有栖だが、それを見ていた護と神室にはそれが獰猛な捕食者の笑みに見えた。
ともあれ対話に積極的なことに変わりないので、護は有栖に会話を任せて大人しく食事を続けることにする。
神室もまた、興味が無いとばかりに黙々と箸を動かしている。
「いや~、実は坂柳さんと五条君のことは噂で聞いててね、一度話してみたいと思ってたんだよ」
「噂ですか。他のクラスの方にも広まっているとは、どのような噂でしょうか?」
横で味噌汁を啜りながら、護はまた彼氏だ彼女だの噂かと呆れた気持ちで耳を傾けた。
そこから否定を述べる一連の流れすら簡単に想像できてしまうことに、何やら物悲しい気持ちが湧いてくる。
しかし、一之瀬から放たれたのは予想の斜め上を良く言葉だった。
「絵本の中から出てきたようなお姫様と、それを甲斐甲斐しくお世話する王子様がいるって。他のクラスの友達も皆言ってたよ?」
その瞬間、護は脳内で兄が腹を抱えて笑い転げる姿を幻視し、持っていたお椀を握りつぶしそうになった。
(……王子ってなんだ、王子って)
多少目立っている自覚はあったが、姫と王子などと呼ばれているのは予想外である。
(いや、そういえば、橋本君もそんな呼び方してたか)
てっきり橋本だけがふざけて言っているのかと思っていたが、そうではなかったらしい。
あるいは、橋本が発端になって広まったのか。
(ここが外部と断絶されてて、初めてよかったと思ったわ)
万が一にも兄にこのことを知られようものなら、向こう一週間どころか一生ネタとして揶揄われかねない。
『ウチの
知り合いにそのように吹聴する姿が容易に想像できる。
「そのように呼ばれているとは、少し気恥ずかしいですね」
有栖は呑気に返事を返しているが、護としては自分の知らないところで黒歴史が、勝手に生産されていることに、戦々恐々としていた。
(人の噂も七十五日か……)
どうにか噂を鎮静できないかと一瞬考える護だったが、むきになって否定して回ると、奇異の視線を向けられかねない。
仕方なしに、自然に鎮静化するまで待つしかないかと、諦めることにした。
「坂柳さん達は知らなかったんだ?」
表情には出さずに打ちひしがれている護の横で、一之瀬と有栖の会話は続く。
「噂など、案外当人の耳には入りにくいものですよ。こちらも一之瀬さんの噂でしたら耳にしていますが」
「私の?」
実際は、先ほど神室の話で名前だけ聞いただけなのだが、有栖はさも以前から知っていましたという風に語りだした。
「ええ、Bクラスの中心人物らしいですね。男女ともに隔てなく、人望に厚いとか」
実際噂になっているかまでは知らないが、こうして話をしていればこの程度の人物像を把握するなど、有栖にとっては容易いことだろう。
「あはは。やー、そんな大層なものじゃないよ。
私、生徒会に入りたいと思ってるから、クラスの皆の声を聞くのも、その一歩と思って」
「それはそれは、ご立派な志ですね」
有栖からの称賛に対し、素直に照れた様子を見せる一之瀬。
護と神室には、心のこもらない社交辞令にしか聞こえなかったが。
「しかしそれなら、このお昼も他の方々と親睦を深める貴重な時間でしょう。
わざわざお一人でどうなさったのですか?」
質問という形式をとりながらその実、内情を見透かしたかのように一之瀬を見つめる有栖。
一之瀬は誤魔化そうとするかのように苦笑を浮かべながら答えた。
「あはは、なんだかお見通しって感じだね。うん、実はちょっと聞きたいことが有ったんだけど、大勢でお邪魔するのも失礼かなと思って、クラスの子達には遠慮してもらったんだ。
あ、けどお話ししてみたかったのも本当だよ?」
「フフ、そう言って頂けるとは光栄ですね。それで、聞きたいこととは何でしょうか?」
「えっと……三人は来月の支給ポイントが下がるかもって話、知ってるかな?」
その言葉を聞いた瞬間、神室は僅かに目を見開いたが、護と有栖は落ち着いたものだった。
二人にしてみれば、幾らクラス内で箝口令を敷いても、情報が洩れることは想定内。
既に4月も折り返しを過ぎた今、そろそろ他クラスにも広まる頃だとは予想していた。
「ポイントが下がるですか。確かにそのような噂は聞いていますが、一之瀬さんはどこでそれを?」
質問に対して素直に肯定するのは悪手のようであるが、すでに有栖達に狙い撃ちで接触している時点で、一之瀬にはある程度の確信があると予想できる。
知っている筈のことを知らないと否定するのは、逆に相手に対し確証を与えるようなもの。
有栖はすかさず思考を働かせ、情報の漏洩源を知るべく逆に問い返した。
「実のところ、具体的に誰が言っていたのかはわからないの。
クラスの何人かから、そういう話をしている人達が居たって聞いて」
「おや、では何故私たちにその話を?」
「えっと、どこから話したらいいかな。……ポイントが下がるとなれば一大事だよね?
だから噂を聞いた後、すぐに担任の星之宮先生に聞きに行ったんだけど、具体的な答えはもらえなくて、その代わりに――」
『そうねぇ、どうしてそんな噂が流れてるか知らないけど、気になるならAクラスの五条君と坂柳さんに相談してみたら?
あの子たち、すごく頭が良くて目立つ子達だから、そういう噂にも詳しそうよ?』
「――って言われたの」
その話を聞いて、護と有栖はなるほどと納得した。
教師から生徒へ直接情報を与えることはできないが、情報を持っている生徒を間接的に教えることはできる。
このような肩入れをしているあたり、この学校では生徒だけではなく、担任も自クラスの評価によって何かしらの査定を受けているのかもしれない。
星之宮としても、有栖達が素直に情報を漏らすとは思っていないだろうが、問答の中で何かを隠している気配を匂わせたのなら、それだけで判断材料にはなりうる。
失敗したとして損することもない。
(抜け目ないな、あの人)
職員室で会った時は随分と緩い雰囲気の先生だと思ったが、中々に狡猾な性格をしているらしいと、護は星之宮に対する評価を改めた。
「なるほど、そうでしたか。しかし、そういうことでしたらご期待に沿えそうもありませんね。
私達も噂以上のことは、知りませんので」
当然、有栖としても必要以上の情報を渡す義理はないのでこう答える。
「そっかぁ、ごめんね。変なこと聞いちゃって」
あっさりと引き下がる一之瀬だが、護にはむしろその態度が、すでに欲しい答えを得たが故に引き下がったように見えた。
(多分気付いてるなこの娘)
噂の出所がわからないと言っていたが、そんなことは少し聞き込みをすればAクラスが発端とわかりそうなものだ。
そこで担任から聞かされた名前の人物を結びつけるのも自然な流れ。
一之瀬としては、星之宮から名前を聞いた時点で、有栖達が問題の中核にいることは察していたのだろう。
今回の対話はあくまでそれの確認作業。
そして、それは有栖の方も察している。
クラス間の争いは既に始まっている。
互いに笑顔を向け合っている少女二人を尻目に、護はそれを実感した。
(……ほんと、この学校面倒くさいわぁ)
こういう腹芸が日常茶飯事になることと、呪霊と殴り合うのが当たり前の日常。
果たしてどちらが楽なのかと、割と本気で悩みそうになった。
2022/10/25 改稿
当初、今話において一之瀬さんと一緒に神崎君も登場させていたのですが、2年生編8巻発売に伴い、坂柳と神崎この両名に過去面識があることが発覚したため、神崎君の存在自体カットしました。
まぁ、別にこの二人意図的に会うのを避けていた訳でもなさそうだし、そのままでもいいかなとも思ったんですが、初対面みたいなムーブさせるのも「久しぶり」みたいなムーブさせるのも違和感があり。
元々今話で登場させる意味もほとんど無かったので全カットとしました。