アルツハイマー病新薬「レカネマブ」は治療の転換点になるのか
ジェイムズ・ギャラガー保健科学担当編集委員
アルツハイマー型認知症による脳の破壊を遅らせる新薬が誕生し、専門家らから「重大」で「歴史的な」出来事だと評価されている。
「レカネマブ」は、アルツハイマー病治療をめぐる数十年にわたる挫折を終わらせ、新時代の可能性を示した。
しかし、「レカネマブ」の効果は小さく、日常生活への影響には議論の余地があるという。
また、同薬はアルツハイマーの初期段階に効果があるため、その時期を見極める新たな方法が見つからなければ、多くの人がタイミングを失するとみられる。
「レカネマブ」は、アルツハイマー病の人の脳に蓄積されるアミロイドβ(ベータ)と呼ばれるねばねばした物質を攻撃する。
失敗や絶望、落胆の多い医療界にとって、「レカネマブ」の試験結果を勝利に向けた転機と見る向きもある。
イギリス慈善団体「Alzheimer's Research UK」は、研究結果について「重大」だとコメントしている。
アミロイドを標的にするというアイデアは30年前に見いだされた。その先駆者の1人であるジョン・ハーディー教授は、「レカネマブ」の結果は「歴史的だ」と述べ、「アルツハイマー病の治療が始まった」と前向きな見方を示した。エディンバラ大学のタラ・スパイアーズ=ジョーンズ教授は、「この研究は長い間、失敗率100%だっただけに、(この結果には)大きな意味がある」と話した。
現在、アルツハイマー病の患者には症状を管理するための薬が投与されているが、病気の進行を変えるものはない。
「レカネマブ」は、脳からアミロイドを除去するよう免疫系に指令を出す抗体だ。
アミロイドは、脳のニューロンの間に入り込むたんぱく質で、アルツハイマー病の特徴である「アミロイド斑」を形成する。
臨床試験は、初期のアルツハイマー病の患者1795人を対象として行われ、2週間に1回の頻度で「レカネマブ」が点滴で投与された。
米サンフランシスコで開かれたアルツハイマー病臨床試験会議と、医学誌「New England Journal of Medicine」で発表された研究結果は、奇跡の治療薬だとするものではなかった。病気は進行し、被験者の脳の機能を奪っていった。しかし18カ月間の試験中、その速度は4分の1ほど遅くなったという。
治験結果はすでにアメリカの医薬品当局で審査されており、近く認可の是非が判断される。「レカネマブ」を開発した日本のエーザイと米バイオジェンは、来年にも他国での認可取得手続きを始めるとしている。
英ケント在住のデイヴィッド・エッサムさん(78)も被験者の1人だ。
アルツハイマー病によって、エッサムさんは家具製造の仕事をやめざるを得なくなった。戸棚の組み立て方や、道具の使い方が分からなくなってしまったからだ。アナログ時計の針も読めなくなったため、現在はデジタル時計を使っているという。
妻のシェリルさんは、「彼は以前の彼ではなく、ほとんどのことに手助けが必要で、記憶もほとんどない」と話した。しかし、この臨床試験が家族に希望を与えたという。
エッサムさんは、「もし、誰かがこの病気の進行を遅らせて、最終的に全部止めることができるなら、それは素晴らしいことだ」と話した。
アルツハイマー病の患者は全世界で5500万人以上に上り、2050年までに1億3900万人まで増えるとみられている。
「レカネマブ」は世界を変えるのか?
「現実世界」での「レカネマブ」の効果について、科学者や医師の間では議論が続いている。
同薬が病気の進行を遅らせたかは、患者の症状の評価で分かる。認知症は、健常から深刻な病状まで18ポイントの段階で評価される。「レカネマブ」を投与された患者は、そうでない患者と比べて0.45ポイント分進行が遅かったという。
スパイアーズ=ジョーンズ教授はこの結果に付いて、病気への効果は「小さい」と指摘。しかしその上で、「劇的ではないが受け入れたい」と話した。
「Alzheimer's Research UK」のスーザン・コールハース博士は、「ささやかな効果だが(中略)少しでも足がかりにはなる」と述べ、次世代の薬はもっと良くなるだろうと話した。
「レカネマブ」にはリスクもある。被験者の脳をスキャンしたところ、17%に脳出血が、13%に脳浮腫がみられた。全体では、被験者の7%が副作用を理由に「レカネマブ」の投与を止めざるを得なかった。
重要なのは、18カ月の臨床試験後にどうなるのかだが、その答えはまだ憶測の域を出ていない。
イギリスの国民保健サービス(NHS)でアルツハイマー病患者を診ているエリザベス・コートハード医師は、軽度の認知障害が始まった人は平均6年間、独立した生活ができると話す。
病気の進行が従来の4分の1遅れるなら、これがさらに19カ月延びることになるが、「どうなるかはまだ分からない」と、コードハード氏は述べた。
コールハース博士も、より長期間の試験で効果が高まる可能性は科学的に見ても十分にあり得るが、「決めつけることはできないと思う」と話した。
病気の進行を変えられる今回の薬の開発によって、医療機関にそれを使う準備ができているかという大きな問題があらわになった。
「レカネマブ」は、脳へのダメージが大きくなる前の、病気の初期段階に投与する必要がある。だが、記憶専門クリニックに紹介されて来る人のほとんどは、病気の後期に当たる。
つまり、患者は記憶に問題が生じた最初期に医療機関に来る必要があり、医師もそうした人々に脳スキャンや骨髄検査を受けさせてアミロイドを検査し、何らかの認知症を発症しているか判断しなければならない。認知症患者のうち、こうした検査を受けたことがある人はわずか1~2%だという。
コートハード医師は、「現在提供できる医療サービスと、病気の進行を変える治療を提供するために必要なこととの間には、非常に大きな隔たりがある」と説明。現時点では、大きな医療センターの近くに住んでいるか、私費で検査費を払える人しか恩恵を受けられないだろうと述べた。
一方で、アミロイドはアルツハイマー病を構成する複雑な要素の一部に過ぎず、治療の唯一の焦点にするべきではないと指摘する声もある。
認知症には免疫系と炎症が大きく関わっており、実際に脳細胞が死んだ部位からは、「タウ」という有害なたんぱく質が見つかっている。
スパイアーズ=ジョーンズ教授は、「私ならこの点に投資するだろう」と語った。
「我々は問題を十分に理解する手前まで来ており、10年後くらいにはより大きな変化をもたらすものを手に入れられるはずだと、非常にわくわくしている」