市長のSNSと危機感

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8月以降の市長は、1年後の市長選を睨んでSNSの活用を特に強化しています。

その動向を見てみましょう。

まずは、最近のXからです。



10月1日 すごく昔の動画が掘り起こされていたので、元の動画を幾つか紹介しておきます。


10月4日 広テレの特集がYouTubeにアップされました。


10月4日 8月生まれの私は免許証の写真がいつも軽装になっていたので、今回は正装で臨みました。


10月6日 「市長、老害に負けるなよ!わしの年は老害の側だけどな!!」(中略)最後まで生き方を間違えない、そうあろうと思います。


10月6日 今度はホームテレビの特集です。(以下略)


10月7日 「政治に期待が持てない」(56.7%) 私がそうでした。だからこそ、何とかしてみたいと思います。皆が未来に希望が持てるように。


10月7日 (略)病名を用いた悪口など差別の極みであり、許されません。



市長が抱えている二つの裁判の判決が、12月13日、26日と出てきます。

敗訴するであろう市長の危機感からでしょうか、裁判には一切触れず、「生き方を間違えない」「皆が未来に希望が持てるように」「悪口など差別の極み」と、「よく言うよ」と呆れる様な白々しいツイートや性格とは真逆の「さわやかさ」を演出するポストを連ね、唯一の頼りである編集影像の製作を促すポストを繰り返しています。

市長選挙を前にして、この傾向は益々強まるでしょう。



一方で、これまでの市長賞賛の映像は、記者会見や議会の影像を編集して発信されていましたが、ここに来て新たな形態をとる「トモチャンネル」が出現しました。

このトモチャンネルは、兵庫県や岡山県で政治とは全く関係のない「大食い挑戦」等を発信していますので、兵庫県もしくは岡山県に生活拠点があると思われる二人組です。

このトモチャンネルは、1ヶ月余り前から安芸高田市内に出入りし、市民や議員のインタビューや情報提供(いわゆる、特定の人しか知らない「裏情報」を含む)を受けて映像を発信しています。

ここが今までの映像とは違うところです。



気になるのは、最近他県から出入りするようになった彼らが、議会や行政に関わった関係者でしか提供できないような資料を、簡単に手に入れて使っていることです。

例えば、2004年4月発行議会だよりの本会代表と清志会議員が並んだ写真、2021年5月議会だよりの本会役員の傍聴記、2007年当時の市幹部職員名簿等は、関係者が掘り出さない限り手に入れることはできない資料です。

つまり、こうした資料は市内の関係者から提供されていることがわかります。



また、このチャンネルでは、熊高議員も絶賛され、最近「安芸高田市にもいた!数少ない正統派議員!独占インタビュー」を皮切りに5本の映像が配信されているのが注目されます。

市長や熊高議員は自分の声を直接配信するチャンネルを確保したことがわかります。

一方で、その裏返しとして、「ここまでしなければならない」強い危機感を持っていることもわかります。
 


しかし、こうした市長の努力は報われているのでしょうか。

また、私たち市民は、最近の市長のSNSの閲覧・再生回数やコメントを見て、市長のネット社会での人気に驚いていますが、その実態はどうなのでしょうか。

「がにめ」さんに教えていただいた興味深い調査結果を紹介します。


「好き嫌い.com」の「石丸伸二のこと好き?嫌い?」投票(10月8日現在)

○ 好き 1575票 30.82%  ○ 嫌い 3535票 69.18%




最近では「嫌い」が増え続けています。ネット社会でも市長の人気はこれくらいのものです。
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次に、山根議員側弁護士(以下 弁護士)による尋問への市長の証言です。

弁護士は9月30日と10月20日の全員協議会でのやり取りを中心に尋問し、市長が自分の主張を証言するという形で進みました。

しかし、何点か新しい事実が出てきましたので紹介します。



○ まず、弁護士は、市長には「9月30日のメモ」しか証拠がなく、「恫喝発言があったとの証言」に根拠がないことを指摘されました。


○ 弁護士が「山本議員が武岡議員の診断書(原本写し)を市長に手渡した」ことを確認し、その診断書の取り扱いについての尋問で、市長は「中身を見ないでそのままシュレッダーにかけた」と証言しました。

弁護士が「普通なら中身を確認するはずだが」等と繰り返し尋問しても、市長は「個人情報だから見なかった」と言い張りました。




*市長がこの診断書を見ていれば、武岡議員を糾弾してきた「診断書は見たこともなく、黒塗りの診断書しか見ていない」という前提が崩れ去りますのでさすがに頑なに否定しました。

しかし、市長は元山本議長に診断書を手元まで届けられたことは認めても、「中身を見ないでそのままシュレッダーにかけた」、「個人情報だから見なかった」と不自然な主張を繰り返し、白を切り通しました。



○ 市長が提出した証拠のメモから、「数名から恫喝」とある「数名」とは、発言順に「塚本、児玉、山根、山本」であることを明らかになりました。



*ここで新たな事実が出てきました。

市長がXで指摘した恫喝発言や脅しに近い発言は「議会を批判をするな。選挙前に騒ぐな。敵にまわすなら政策に反対するぞ。夜道には気をつけろよ」という4つのフレーズです。

特に最後の「夜道には気をつけろよ」という発言は100%恫喝発言です。

仮に山根議員がこの発言をしていれば、この発言を含めて本裁判が対象とする発言(本件発言)になったはずです。

しかし、この発言は「本件発言」にはなっていませんので、「夜道には気をつけろよ」という発言は、山根議員を除く3議員の内の一人が発言したことになります。



市長は、なぜ10月20日の全員協議会で、この発言をした議員に、山根議員と同じように「その真意、その理由等」を聞かなかったのでしょうか。

なぜ山根議員だけ名指しをして問い詰めたのでしょうか。

いくら巧妙に組み立て取り繕っても、ウソからは必ずボロは出るものです。



しかし、市長は、裁判官から「偽証は偽証罪に問われる」ことを告げられ、「ウソ偽りの証言はしない」と宣誓までしても、平然と虚偽証言を最後まで繰り返しました。

この市長の精神の異様さには恐ろしさを感じざるを得ません。



最後に裁判長から「これで結審し、判決は12月26日午後2時」であることが告げられました。



閉廷後、弁護士による報告会が開かれました。ポイントを紹介します。



今回の法廷での弁護士の尋問は全体的に淡々と行われ、市長側弁護士の尋問は「市長の主張を裏づけ、一連の言動の整合性を示す」ことを意図した尋問であったと感じられました。

弁護士によると「事前の書面でのやり取り等で一定の整理が付いる」との説明を受けました。



また、「争点が絞られていたこと」、「今回で結審し判決が想定より早く出る」等から、本法廷までに「裁判官の心象はすでに固まっていたのではないか」と指摘され、勝訴に自信を示されました。



最後に弁護士が、今回の裁判は、山根議員の裁判であるとともに、石丸市政を問う裁判でもあると指摘され、市長をここまで増長させた議会の責任について触れられたのが印象的でした。
今回の通信から、市長の証人尋問に入ります。



まず、わたしたちが驚いたのは、市長は9月30日の全員協議会の開始後の録音されていない時間帯に、恫喝発言があったと強弁し、新たな証拠が事前に提示されていたことです。

その証拠は「9月30日に自分が作成した」と主張する「メモ」で、録音されていない時間帯の発言順にローマ字の頭文字で記されたものですが、後に「塚本 児玉 山根 塚本 山本」だと判明します。



また会場の雰囲気は、市長の余りの強弁に傍聴席がざわつき裁判官に注意されると、市長は振り向きキィッと睨みつけるというような雰囲気の中で進行していきました。



③ 市長側弁護士による尋問への市長の証言です。


○ 9月30日の全員協議会の場は、「幾人か」が憤慨していた。


○ いらだった幾人かの議員が、総じて感情的に発言した。


○ 山根議員の「恫喝発言」は、外の議員の発言にかぶせて、短いフレーズで言った。




* (録音では終始和やかにもかかわらず)全員協議会の場は当初から感情的になっており、「恫喝発言が出やすい」状況であったことを主張しています。

そして、山根議員の「恫喝発言」は「外の議員の発言にかぶせて、短いフレーズ」で、聞き取るには注意が必要で、聞き取れない議員もいた可能性があることを示唆しています。

市長は、後に議会は恫喝発言の有無について調査をし、全議員が「恫喝発言はなかった」と回答していることに対して、「本当は聞いていない議員もいるのでは」と調査結果の信頼性に疑問を呈しているのです。


○ (議会事務局は、市長との協議の時間は「30分程度とメモ」を残しているにもかかわらず、市長は)私の思いでは40分から50分程度だったと思う。



* 議会事務局職員は、全員協議会の場から離れることはありませんし、非公開だとはいえメモをとり、会議の開始終了時間は記録します。

つまり「4名の議員の発言があった」と主張し、その時間を確保するためには、10分から20分の時間を延長せざるを得なかったのです。


○ (この時の恫喝発言に)私は反論してない。

反論はツイートでするためにしなかった。




*これもおかしな発言です。

市長のこの間の言動を見れば、「自分が非難される」と何をおいても反撃する市長が、反論もしていないというのです。

その理由は、「反論はツイートでするため」ということですから、「完全に仕組んだ」と言っているのです。

さらに10月3日のXで、(途中で退席をしていないのに、恫喝発言の直後に)「その姿勢は「その姿勢はこれからも変わらないと伝えて退席しています。『夜道には気をつけろよ』を気遣いと受け取るお人よしはいない」とツイートしたのはなんだったのでしょうか。


○ (10月20日の)全員協議会の場で議員が恫喝発言を否定すれば、この問題は終了にするつもりであった。

しかし、その後山根議員は「自分はしていない」と触れ回っているから、Xでの発信を続けた。




*果たしてそうなのでしょうか。

市長は議会が回答をした10月30日までは静観していたようですが、その回答に「国語的には0点だ」と反撃し、それ以降山根議員への選挙妨害を意図したツイートを連発していきます。

そして、議会に「居眠りと恫喝発言について対話がしたい」と迫り、「それは解決済み」と拒否する議会との溝を決定的にしていきます。

こうしたその後の経過をたどれば、議会が恫喝発言を認めることはないことを知りつつ、「認めれば終了にするつもりであった」はずもなく、恫喝発言を否定しない山根議員に責任を押し付けています。

余りにも詭弁を弄しているといわざるを得ません。

今回は、山根議員の証人尋問から報告します。



なお、市長は「数名から議会に批判をするな、選挙前に騒ぐな、事情を補足してやれ、敵にまわすなら政策に反対するぞ、夜道には気をつけろよ」と恫喝されたとツイートしていますが、本裁判における「本件発言(恫喝)」は「敵にまわすなら政策に反対するぞ」のみを対象にしています。

たぶん事前の協議の中で決定したと思われますが、それは後日記す市長の証言の中で垣間見ることができます。



② 山根議員側弁護士の尋問です。

これまでの山根議員の主張に沿って証言されており、特段記すことはありません。

ただ、「市長には『がんばって』と思ってきただけに、10月20日の全員協議会で、私の発言を『恫喝だ』と受け止められたことは残念だった」と、当日の心境を語られていました。しかし、恫喝発言については、きっぱりと「なかった」と証言されています。
  


次に、市長側弁護人による尋問です。



このやり取りは、市長側弁護人が執拗に、しかも証拠番号だけを示しての尋問でしたので、十分速記できていません。

たぶん山根議員も整理が追いつかない部分もあったのではないかと思われます。

そこで、論点になったところを要約します。



市長側弁護人の尋問のポイントは次のとおりです。



10月20日の全員協議会で、「山根議員はなぜ恫喝発言を否定しないで、『弁明』をしたのか」を追及することで、「山根議員は恫喝発言を認めていた」ことを示そうとしました。



「恫喝発言があったことにする」には、10月20日のこの場面を追及することと、市長が「あくまで恫喝発言はあったと強弁する」以外にないからです。



これに対して山根議員の証言の要旨は次のとおりです。



山根議員は、10月20日の市長発言の「あの場で私にご忠告を下さった」の「忠告」を意識して、市長の発言直後は、まさか自分を指している(恫喝発言をしたと特定された)こととは思わずに、「9月30日の自分の発言の説明をした」と証言しています。

当然恫喝発言を肯定する発言は一切ありません。



結局、市長側弁護人の執拗な尋問が続きましたが、議論はかみ合わないまま終了しました。



さて、この裁判は「安芸高田市」も被告に立っています。

それは市長が「今回の恫喝発言に係るXや一連の言動は『市長』としてやった」と主張して、安芸高田市を巻き込んでいるからです。

こうした事情があるからでしょう、安芸高田市の顧問弁護士は、開廷前の写真撮影が終わった開廷直前にバタバタと入廷し、証人尋問は傍観するだけで一切加わろうともしていませんでした。

聞くところによると、顧問弁護士はこの裁判に安芸高田市が被告として参加することに否定的で、全く関わっていないといいます。

これが市長サイドの実態です。

本日(10月3日)、「恫喝発言でっち上げ」裁判の証人尋問行われました。



傍聴席はほぼ満席で、民事裁判にしては珍しい光景です。



争点は、事前に裁判所の指示で、恫喝発言があったとされる9月30日、数名から山根議員に特定された10月20日の全員協議会での発言に絞られていました。



[注] 弁護士と証人のやり取りが早く、全ては筆記できませんので要点を記します。

なお、本会の4名の会員が速記し、本通信をチェックしていますので、発言要旨に間違いはないと思っています。

なお、アンダーライン部分は新しい情報です。



① 最初の証人は山本優議員です。まず、山根議員側弁護士の尋問です。


[9月30日の全員協議会]

○ 武岡議員の診断書(原本写し)は、私が市長に手渡した。

○ 全員協議会へは、市長が「自ら説明する」と言って出席した。

○ 山根議員は「恫喝発言」はしておらず、アドバイス的発言をした。



[10月20日全員協議会]

○ 私はマスコミを呼んでいないので、呼んだのは市長自らだと思う。

○ 当日、市長が「恫喝発言」について発言するとは思わなかった。(当初の議題になかった)



[市長への回答書及びそれ以降]

○ 議員に個別に「恫喝発言」の有無を調査し、全員が「なかった」と回答しており、この問題の片は付いたと思った。

○ 市長はこの回答書に、「納得していない。記者会見で述べる」と言った。

○ (市長がこの回答に「国語的には0点」とツイートしたことは、)議員を侮辱する発言で、怒りを覚える。

○ 以後、議員が市長に対応すると、すぐXで流すので、放っておくことになった。


 (注 これ以降市長の山根議員お呼び議会へのX攻撃が激化しています)

○ 1月の全員協議会で、市長は「恫喝発言」を取り上げようとしたが、議会は対応しなかったので退席した。(当初の議題になかった)

○ それ以降、議員は市長に意見を言われない状況になった。




次に、市長側弁護士の山本優議員への尋問です。


問 10月1日の市長のXに、なぜ抗議しなかったのか。

○ 市長は、Xには何を書いても(ツイートしても)いいという姿勢だった。


問 10月20日の全員協議会で、山根議員は「恫喝発言」を否定しないで、弁明しているが。

○ 山根議員は、自分の発言の説明をしたと思っている。

(以下、10月20日の山根議員の発言の解釈について尋問が続く。略)



山本議員は、「恫喝発言はなかった」ことを淡々と証言しています。



また、市長側弁護人は、「10月20日の全員協議会で山根議員はなぜ弁明をしたのか。

弁明をしていることは、恫喝発言を否定していない」ことに焦点を当てていることがわかります。