渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

排気量区分け ~二輪運転に重要な概念認識~

2023年10月09日 | open



最近動画やウェブサイトでの
誤認が多いのが排気量の表現。
オートバイの排気量は、各
排気量ごとの数字で表現され
るが、50と言ったら排気量は
「50cc未満の車両」の事を指す。
400と言ったら排気量400cc未満。
仮に400ccピッタリの排気量
の二輪があったとしたら、それ
は大型二輪免許がないと乗れな
い。
1975年時でホンダのCB400Four
は408ccで、新設の自動二輪
中型限定では乗れなくなった。
そこで急遽ホンダは全く同じ
車体(後席ステップの位置は異)
でボアダウンの398ccのヨンフォ
アを作ってリリースした。
2ストベスパのように100ccと
いうピッタリの排気量の二輪
は珍しい。
大抵は国産車の場合は、排気量
に基づく免許制度に合わせた
車両排気量となっている。
大型自動二輪車以外はすべて
「未満」だ。

なので、最近実に多い誤謬たる
表現の「以下」
と表現する動画
配信者やウエブ
表記者は明らか
に大きな誤りを犯している。

125のオートバイは125cc未満
の車両を指す。「125cc以下」
ではない。

しかし、なぜかここ最近、その
誤りが
非常に多い。「以下」と
排気量を表現するのだ。

それは法的にも数学的にも誤り。

・白色ナンバー・・・50cc未満

・黄色ナンバー・・・90cc未満
・桃色ナンバー・・・125cc未満
・白色ナンバー・・・250cc未満
・白緑枠ナンバー・・・250cc以上
という区分けに日本の車両は
制度化されている。
さらに、普通二輪免許で乗れる

のは「400cc未満」の車両であり、
「400cc以上」の排気量の車両
は大型自動二輪免許を取得して
いないと乗れない。乗ると無免
許運転となり、即免許取り消し。
大型二輪が自動二輪枠の時代は、

自動二輪の中で限定付(中型)
か限定解除(大型)かの規制
だったので、中型限定で大型
二輪を運転してもそれは条件
違反のみだった。
だが、1996年以降は免許が
中型と大型は同一区分では
なく別免許と改正されたので、
中型=普通自動二輪で400cc
以上の大型車両を運転したら
条件違反ではなく無免許運転
となる法改正が成立した。
「未満」と「以下」の概念が
あやふやだと、チューンナップ
でボアアップなどした場合に、
違法行為を犯す危険性がある。
「未満」と「以下」では数学的
概念上も、
規制制度の指すとこ
ろも大違いである
ので、この間
違いは非常に
よろしくない。

どうでもいい事ではないのは
法的にもそうなのであるが、
私があえて言いたいのは、そ
の概念のあやふやさは別な危
険をも
呼ぶからだ。
速度規制の捉え方などもそれ

にあたる。規制の法令条文が
「未満」なのか「以下」なの

かでは大きく法律行為の実行
で差異が出て来る。

他には、あやふやな概念が及
ぼす目に見えない害としては、
例えば、速度等を含む走行技法
等で「自分の限界値」を自己
判断する時、「未満」と「以下」
では大きく内実が異なってくる。
10段階の判断基準があるとして
自分が今実行している実走行で、
技量の限界点が仮に「10」だと

する。
すると、9.99999.....という10
未満
の領域は安全圏であるが、
「10以下」
とする10を含めた
それより下
というのは、10の
限界点に達して
おり、安全圏
からは逸脱する
のである。
つまり、危険領域に自分が足
を踏みこんでしまっている。

この概念の厳格化は二輪走行
に取り組むときには非常に重
要な幹となるものだ。
理由は、二輪走行というもの
は、技法の取捨選択と実行に
おいて、「知力」を動員させて
実践行動に移すものだからだ。
危険回避案件については、なお
さらその「知力」が必要になる。
二輪を走らせるのに必要なのは
腕力でも体力でも表層的な技術
力でもなく、人間としての知力
だ。知力こそが二輪運転には
一番必要な大動脈となる。
二輪運転のメインストリート

は知力。これは真実だ。

「未満」と「以下」は、二輪
乗りは厳密に概念化させたほ
うがよい。
「どっちでもええねん」という
のは無い。排気量における法
規制の面からも、速度規制の
解釈の面からも、二輪運転で
は最重要要件である知力の面
らも。


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