渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

二輪の走行時間

2023年10月09日 | open
 


高校大学の時には延々と長距離
を走り続けた。
練馬から日光などは片道150km
なので近場だが、四国に東京港
からフェリーで渡り、徳島から
今治まで海岸線を走った時は
下道250kmなので多少あった。
その間、ノンストップだ。
学生時代には原付50で神奈川
川崎から広島県三原まで24時間
以内に走り抜いた。
途中何度か休憩はしたが、基本
は給油して即走り出し。
トイレ休息や食事はパッと済ま
せ、タイヤをチェックし、チェ
ーンを締めてまた走り出し。
実走行は21時間ほどで800km
を走り切った。

アラシックスでも夜明け前に
広島県三原を立って阿蘇まで
450kmを走っている。6時に
広島県内宮島SAで集合し、6時
半に出発して朝8時台には別府
で給油していた。
そこからやまなみハイウェイを
通って、途中で腹にハンバーガー
を詰め込んで阿蘇の外輪ルート
を一気に走った。
食事と給油を除けば17時間程
走り続けだ。

これは夜明け前の午前3時に家
を出ての午前中の阿蘇。

この歳で1日走行750kmとかは
ここ2~3年で何度もやっている。
ちょいとハードだったのは、九
州の行橋市まで行って平尾台を
走って飯食って帰って来た日帰
りの時。
あれは同じ750km走行でも、
密度が濃かったので、ややきつ
かった。還暦だからなぁ(笑

大学の時の50cc原付でのハマ
からの800kmは、さほどきつ
くはなかった。若いからだ。
ただ、いつまで経っても到着
しないので「200km/hでねえ
のかよ」と途中思った。眠く
なるのだ。
その時、生まれて初めて「関
東炊き」という謎のおでん
もどきを知った。明石のR2
沿い街道の屋台で。
あんなの関東には無いよ(笑
ギトギトの真っ黒い醤油ダレ
でおでんの具を煮込んでいる。
試しに食べたがしどいもんだ
った。醤油にすりゃ関東だと
いうステレオ思考におったまげ
たが、当時はネットもなく、
また、テレビ放送も東日本
と西日本できっぱり分かれて
いた時代だ。東京で関西弁を
話す人間はほぼ皆無だったし、
それは関西にあってもそう。
関西で「だからさぁ」なんて
口にしたらシカトされたし、
北九州などでは「なんか、
きさん!東京もんか?くら
すぞ(殴るぞ)、ゴルァ!」
と胸倉掴まれるのがオチだった。
これ、まじで。(後輩が経験
あり)
中華人民共和国では自動車な
どは党幹部しか乗っておらず、
中国人民全員が国民服を着て
自転車に乗っていた時代だ。
上海と香港(英国領)を除いて。
韓国は軍事独裁政権で一切の
自由は存在しなかった。
無論、モーターサイクルレース
を開催しているのはアジアでは
日本のみだった。
日本は世界第二位の先進国で
あったからだ。アメリカの次。
しかも、圧倒的な豊かさだった。
中国、北朝鮮、南朝鮮などは
極貧国だった。また、周辺アジ
ア諸国も同。
なので、アジア人の多くが日本
に出稼ぎに来ていた。
今、南米やフィリピン、ベトナ
ム、タイ、インドネシア人が
多く日本に来るように。

一日の走行距離は各人によるが、
本当の事をいえば、1時間ちょ
いくらいで休憩を取るのが望ま
しいのでは。
疲労運転回避のためだ。
私は高速道路では2スト250の
場合140km程しか走らないの
で、給油の毎に数分休憩をし
ている。
400の場合は180kmで給油。
給油してそのまままた走る事
もあるが、給油時が丁度1時間
強~2時間の連続走行になるの
で、休憩には頃合いが良い頃だ。

休息も山歩きや行軍と同じで、
食事以外では20分以上休息を
取るとかえって疲れる。これは
アウトドア活動をする人はよく
知っているだろうが。
休憩は10分ちょい程度が疲労
回避には良いようだ。

岡山県のモトカフェZ-YARDな
どはうちから50kmちょいなの
で、ほんの近所だ。上を使え
ばゆっくり行っても40分程で
着く。
店に到着するまでに周辺の高原
ロードを満喫してから店に行き、
そして帰る。すると一日で大体
300km程の走行になる。
日帰り乗りには丁度いい塩梅
の距離。
ベースがあるのは助かる。
そこで一服つけて休憩してから
「さ、けえんべ」とやれるから。
帰りは弾丸ですぐに家に着く。







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