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1582年にあった本能寺の変の前夜、織田信長の御前であった囲碁の名人対局で、「不吉の前兆」とされる「三コウ」と呼ばれる珍形が出現した――。直後に信長が命を落としたことと結びつけられ、今に伝わる逸話だ。ただ、途中まで記された2人の対局とされる棋譜の手順では三コウは確認できない。「逸話は創作だった」ともされる中、島根県出雲市のプロ棋士が、三コウが発生するまでの手順を見つけた。(中村申平)
囲碁の日本棋院によると、三コウは、盤上の同じ場所で互いに際限なく石を取り合うことができる状態で、ルールでは対局者同士の話し合いで無勝負になる。1万局に1回程度しか出現しない珍しい現象とされる。
本能寺であった信長の御前対局に挑んだとされる名人は、信長、豊臣秀吉、徳川家康に囲碁を教えたとも伝わる本因坊
勝敗がついていない128手までを記した2人の対局とされる棋譜が残る一方で、三コウの逸話を裏付ける史料はなく、算砂が優勢のまま勝ったとする説や、2人の対局自体が本能寺ではなかったとする説まである。
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