今の時代において、真の父母の使命を担って出発した文顯進会長と一つになる事の大切さを、前回に続いて書きたいと思います。

 

文顯進会長は、「いずれ皆さんは、私の子女とアベル・カイン関係になる」と、何度か言われています。これは、今は文顯進会長が父とアベルを兼ねるような立場にあり、いずれは、アベルの使命は文顯進会長の実子が担う事になるという意味だと解釈されます。父とアベルを兼ね、さらに韓半島統一という国家レベルの中心に立つわけですから、文顯進会長に様々な摂理的使命が圧縮されている、という事になります。

 

8月の会議の最中に、文顯進会長は「摂理の中心人物が誰か」という事を悟ることと表現することの大切さを、何時間も、リーダー達とやりとりしながら、教えることがありました。

 

文鮮明師が存命の頃は、真の父というのがどれほどの権威と天運の中心の位置にあるのか、祝福家庭に説明する必要もありませんでした。でも、今はそうではありません。

 

今は、文顯進会長が真の父の使命を担っているという事を消化するのも簡単ではない中で、「文顯進会長がしていること、言っている事に疑問がある」とか、「文鮮明師の御言に合致しているのか」とか、様々な思いを持つようになる可能性がある時です。

 

それが、「文顯進会長の下にいるリーダー達の言っていることはおかしい」という形で表現されることもあります。私は過去何十年と文顯進会長の下で働く中で、これを何度も体験しました。その代表的なものが、「郭グループ」という呼び名でした。

 

もちろん、「文顯進会長は間違っているし、親不孝で反逆者だ」と、統一教会のリーダー達が直接的に文顯進会長を攻撃したのも、皆さん知る通りです。

 

文顯進会長の下で30年以上働いてくる中で、文顯進会長と一つになることの難しさも、反逆する人たちのことも、アラインメントと呼ばれる、神様からの縦的軸の中で、文顯進会長と一つになる感覚も、様々に今まで経験して来ました。

 

2009年から2回の7年路程を経て、今年は第三次7年路程の出発の年です。蕩減の14年からの、転換の時です。故に、年頭標語も、以下のように、創造原理の具現が語られていると考えられます。

 

「真の父母、真の家庭、神主権の理想の定着を通して、創造原理を具現化する天宙的使命を相続しよう」

 

もし今でも統一教会にいるのなら、多分、この年頭標語の意味するところはつかむことができません。言葉の一つ一つはわかっても、その背後にある精神にアラインメントすること難しいはずです。

 

では、私たちは完全にそれができるのかと言うと、そうではありません。例えば、来年からグローバルな祝福が始まりますが、それを文顯進会長の持つ理解で、理解しているのかと言えばそうではありません。また、時代と状況が違う中で、文鮮明師のお話に照らし合わせていれば良いのか、と言うと、そうでもありません。

 

創造理想と創造目的の達成のために、創造原理と復帰摂理の中で、文顯進会長の持つ位置と状況の中で、何がどうされなければならないのか、何が可能なのか、という事を、神様に祈りながら自分が捉える努力をしないと、アラインメントするのが難しいです。

 

過去の例でも、文顯進会長を支持しているようでいながら、次第に反発を表現し、修正ができないところまで行ってしまうという例も、珍しくはありません。

 

一つになるという事を、アラインメントに結びつけて、感じるところを書こうとしましたが、少し抽象的な内容になってしまいました。具体的に書くと、衝撃も大きいのではないか、と思うところもあります。

 

「今も統一教会員であることは、もはや祝福家庭ではない」という事を意味するという時代となったのも衝撃的な事です。しかし、衝撃的な事はこれだけではありません。「衝撃的だから、言わないで欲しい」と、文顯進会長に言えるわけでもありません。分立の時だからです。

 

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