104.第5章「映画とテレビでトップをめざせ!不良性感度と勧善懲悪」
第5節「東映ゼネラルプロデューサー岡田茂・映画企画の歩み⑥東映ポルノ映画」
6.岡田茂・天尾完次による東映ポルノ映画:鈴木則文(のりぶみ)と池玲子&杉本美樹
1971年8月、大川博の逝去で岡田茂が社長に就任、名実ともに東映のゼネラルプロデューサーとなった岡田は、京撮(京都撮影所)プロデューサーの天尾完次が命名した「ポルノ」映画に積極的に取り組みます。
岡田からの命を受けた天尾は、『温泉みみず芸者』を担当した鈴木則文監督、新人ポルノ女優池玲子と杉本美樹を主演に起用して、より多くの直接的ラブシーンや裸体を売り物にした東映ポルノ映画を次々と企画して行きました。
① 東映ポルノ映画:池玲子『女番長(すけばん)ブルース 牝蜂の逆襲』
まずは、大信田礼子が去りシリーズが終了した東撮(東京撮影所)の『ずべ公番長』を、京撮で池を主役に置き、より過激な女番長映画として企画。天尾は、池・杉本に加え『ずべ公シリーズ』のレギュラーだった賀川雪絵を入れた『女番長(すけばん)ブルース 牝蜂の逆襲』を10月に公開します。
この池玲子主演第2作では、日活で人気の和田アキ子主演『女番長(おんなばんちょう) 野良猫ロック』で使われた『女番長」という言葉に「すけばん」という読み方を初めて付けました。実は天尾完次が「ポルノ」と言う言葉と「すけばん」という言葉の名付け親だったのでした。
天尾は、作品の話題作りとして、8月に日本ヘラルド配給のフランス映画『色情日記』のプロモーションで来日していたポルノ女優サンドラ・ジュリアンに出演を依頼します。しかし、サンドラの体調不良によってこの作品への出演はかないませんでした。
とはいえ、池と杉本、二人の新人若手女優の活躍でこの映画もヒットし、『女番長(すけばん)』のシリーズ化が決まります。
②『日活ロマンポルノ』誕生
東映のこの動きに対し、11月から日活が、後に東映ビデオの子会社セントラル・アーツで活躍する映画本部長黒澤満が中心となってポルノ映画に進出、「日活ロマンポルノ」を旗揚げしました。
第1作の西村昭五郎監督白川和子主演『昼下がりの情事』と林功監督小川節子主演『色暦大奥秘話』の2本立て興行から始まり、大きな反響を呼びます。
③ 東映ポルノ映画:池玲子&サンドラ・ジュリアン『現代ポルノ伝 先天性淫婦』
日活に負けじと天尾は、国際部を通じて再度サンドラに出演交渉を行い彼女の了解を得ると、池対サンドラ「日仏二大ポルノ女優の共演」をキャッチコピーにした『現代ポルノ伝 先天性淫婦』を企画、12月に公開しました。
この直接的な過激タイトルも、この年公開されていたMGM配給のアルゼンチン映画『先天性欲情魔』からインスパイアされた岡田が命名した『現代ポルノ伝 先天性毒婦』を少しだけ改題したものでした。
脚本に石井輝男監督異常性愛シリーズを支えた掛札昌裕を起用した池玲子主演第3作東映ポルノ映画は、大きな話題を集め大ヒットしました。
1972年2月には『女番長シリーズ』第2作、池玲子主演第4作『女番長(すけばん)ブルース 牝蜂の挑戦』を公開します。
この作品には、東撮『不良番長』シリーズで人気の梅宮辰夫が不良番長神坂弘役で出演しました。
逆に東撮の梅宮主演3月公開『夜のならず者』、4月公開『不良番長 のら犬機動隊』に池が出演します。
④ サンドラ・ジュリアン&杉本美樹『徳川セックス禁止令 色情大名』
天尾は、京撮での前作の撮影時、時代劇に興味を持ったサンドラ・ジュリアンを再び招聘、鈴木監督『徳川セックス禁止令 色情大名』に主演させました。
この時、池玲子が突然ヌードを拒否し歌手転向宣言を行ったため、サンドラとのW主演に杉本美樹を起用します。
撮影時、時代劇初体験の杉本のため、京撮のベテラン女優牧淳子が横について艶技に至るまで所作指導を行いました。牧は「殺陣(タテ)師」に対して「ヨコ師」と呼ばれ、その後の鈴木のポルノ作品で活躍します。
4月に公開されたこの成人映画はまずまずの評価と成果を残しました。
岡田がこの年5月に設立した洋画部は、日本での知名度が高まったサンドラ・ジュリアンのフランス映画『私は多淫な女』と『色情狂の女』を輸入公開します。
サンドラは東映洋画部の立ち上がりにも貢献しました。
『温泉みみず芸者』から『徳川セックス禁止令 色情大名』まで東映ポルノ映画を成功させた天尾と鈴木は、京撮企画部長の渡辺達人から知る人ぞ知る大津のすっぽん料理店で労われます。
この時、杉本の主演第2作で温泉芸者シリーズ第5作『温泉スッポン芸者』のアイデアが生まれました。
⑤ 杉本美樹主演『女番長(スケバン)ゲリラ』と『恐怖女子高校』
この後『女番長シリーズ』は杉本美樹が主演となり、すぐにヌード拒否を撤回し復帰した池が助演の第3作『女番長(スケバン)ゲリラ』が8月に公開されます。
今作のタイトルテロップには『女番長』にすけばんとひらがなのルビが付けられていますが、ポスターではスケバンと片仮名のルビがふられています。
この映画の主役杉本の役名は幸子、相手役のボクサーを演じる成瀬正孝の役名は一郎で、当時ヒットしていた「赤色エレジー」の歌詞を踏まえており、劇中にあがた森魚が出演し歌っています。
主題歌『女番長流れ者』は主演の杉本美樹が唄いました。
前作まで主役を張っていた池玲子とのスケバン対決でも引けを取らずに主役を演じた杉本美樹の人気が上がります。
続いて杉本主演で池が助演する新たな作品『恐怖女子高校 女暴力教室』が9月に公開されました。
女子高校を舞台にした暴力エロス映画は、安藤昇主演佐藤純彌監督『やくざと抗争』に併映されヒットし、シリーズ化します。
この作品でも主演杉本の評価は高く、人気の高い池と共に東映ポルノの女王の座は池玲子、杉本美樹のツートップで担って行くことになりました。
監督の鈴木則文は、東映時代劇では片岡千恵蔵と市川右太衛門、そして中村錦之助と大川橋蔵。東映任侠映画では鶴田浩二と高倉健・・・。東映ポルノでは池玲子と杉本美樹。ライバルスターによるツートップ体制はスターシステムを標榜する東映京都撮影所の伝統だと語っています。
⑥ 池玲子主演復帰作『エロ将軍と二十一人の愛妾』
続いて池玲子の主演復帰作を企画するにあたり、天尾と鈴木は、ライバルとなった杉本が初主演して評価を高めた時代劇を考え、ゼネラルプロデューサーの岡田に話をしました。
了解を得て、岡田から与えられたのが『エロ将軍と二十一人の愛妾』という岡田自信作のタイトルで、12月上旬に公開することまで即座に決定します。
すぐさま天尾と鈴木は『徳川セックス禁止令 色情大名』と同じく脚本家の掛札昌裕を交え、マーク・トウェインの『王子と乞食』をもとにした脚本作りに取り掛かりました。
脚本が完成後、時代劇の京撮が初挑戦の池にタテもヨコも指導して、日本ポルノ映画史上これまでもそしてこれからもないであろう豪華絢爛たる京撮ポルノオールスター時代劇が完成します。そして予定通り12月2日に公開されました。
この作品には、主演の池の他、杉本、鈴木組の女神三原葉子、松井康子、女屋実和子、渡辺やよいといった女優陣、由利徹、大泉滉、岡八郎、汐路章と先代将軍家治役で作家の田中小実昌、そして準主役の家斉役林真一郎に名和宏。天尾作品でおなじみのメンバーが出演しています。ヨコ師牧淳子も出演参加しました。
⑦ 杉本美樹主演『〈スケバン〉女番長』大ヒット
池も主演復帰し、名実ともに杉本美樹とツ-トップとなった京撮ポルノ班は、休む暇もなく杉本主演にて『女番長シリーズ』第4作『〈スケバン〉女番長』にとりかかり、1973年1月に公開します。
この作品からタイトル『女番長』のルビもスケバンと記され、女番長=スケバンという呼び方が定着しました。
この作品は、関東小政役の杉本美樹率いるジプシー団、ゴロメン燎子役衣麻(きぬま)遼子率いる黒菊団、学ラン摩耶役池玲子率いる学ラン会と3つの女番長グループが登場し、小政と摩耶が対立しながらも最期に天津敏の巨大ヤクザ組織と戦う集団対決物の定番ストーリーで展開します。
『〈スケバン〉女番長』は1973年1月公開の深作欣二監督『仁義なき戦い』に併映され、大ヒットしました。
⑧ スウェーデン女優クリスチーナ・リンドバーグ参戦
映画での「目玉」を常に探す天尾は、フランスから招聘した女優サンドラ・ジュリアンに続き、国際部の薦めるスウェーデン映画『露出』の主演女優クリスチーナ・リンドバーグを招聘します。
クリスチーナは日本滞在中に 京撮にて時代の異なる2作の映画に出演しました。
第1作目の池玲子主演鈴木則文監督『不良姐御伝 猪の鹿お蝶』は、2月、菅原文太主演山下耕作監督『まむしの兄弟 刑務所(ムショ)暮し四年半』と2本立てで公開されます。
この映画は、明治期を舞台にした任俠映画で、スケバンアクションで鍛えた池の、入浴時に襲われ全裸で相手と斬りあうアクションやラストの血まみれになりながらの身体を張った殺陣シーンが圧巻でした。藤純子の『緋牡丹博徒』の様式美とは違ったリアルなアクションの魅力があります。
クリスチーナも、短期間の間に覚えた片言の日本語でセリフをがんばりました。
もう1作は、中島貞夫が監督し荒木一郎が共演、岡田命名の『ポルノの女王 にっぽんSEX旅行』で、3月に公開されます。
しかし、クリスチーナ・リンドバーグ作品はサンドラ・ジュリアン作品ほど話題になることもなく終わりました。
⑨ 1973年『恐怖女子高校』シリーズ化
この後、岡田は『恐怖女子高校』をシリーズ化し、3月に第2作天尾企画、杉本主演、池助演、鈴木が監督した『恐怖女子高校 暴行リンチ教室』を公開します。この作品から脚本に日活で『ハレンチ学園』を担当した鴨井達比古が参加しました。また、当時人気テレビ番組だった『11PM』で「ミス・スケバン」に選ばれた、叶優子と佐分利聖子が映画初出演しています。
この作品の後、鈴木則文は東映ポルノから離れ、ヤクザ映画『まむしの兄弟 恐喝三億円』を監督しました。
そのため、『恐怖女子高校シリーズ』第3作は、これまで助監督だった志村正浩が昇進、池玲子主演の『恐怖女子高校 不良悶絶グループ』を監督し、9月に公開されました。
そして9月に東撮に異動した天尾に代わって三村敬三、杉本直幸が企画を担当し、前作と同じく池主演、志村監督の第4作、『恐怖女子高校 アニマル同級生』が12月に公開されます。
この第4作で杉本が2作、池が2作主演した『恐怖女子高校シリーズ』は終了しました。
『恐怖女子高校シリーズ』全4作
1)1972年9月『恐怖女子高校 女暴力教室』鈴木則文監督・杉本美樹主演、池玲子助演
2)1973年3月『恐怖女子高校 暴行リンチ教室』鈴木則文監督・杉本美樹主演・池玲子助演
3)1973年9月『恐怖女子高校 不良悶絶グループ』志村正浩監督・池玲子主演・衣麻遼子助演
4)1973年12月『恐怖女子高校 アニマル同級生』志村正浩監督・池玲子主演、衣麻遼子助演
⑩ その後の『女番長シリーズ』
これまで鈴木則文が監督してきた『女番長シリーズ』は、鈴木本人の希望でポルノ映画を離れることになったため、中島貞夫が第5作杉本主演『女番長(スケバン) 感化院脱走』を監督、この作品が1973年5月に公開されます。
9月には天尾の異動もあり、第6作の企画は杉本直幸と奈村協にかわり、助監督の関本郁夫が監督に昇進し、池玲子主演、衣麻遼子助演で『女番長〈スケバン〉 タイマン勝負』というタイトルにて1974年1月に公開されました。
第7作の関本監督『女番長(スケバン) 玉突き遊び』は、企画が三村敬三、脚本松本功、主演も叶優子に代わり、1974年10月に公開されます。
そして、この第7作で『女番長(スケバン)シリーズ』は終了しました。
『女番長(スケバン)シリーズ』全7作
1)1971年10月 『女番長(すけばん)ブルース 牝蜂の逆襲』鈴木則文監督・池玲子主演・賀川雪絵、杉本美樹助演
2)1972年 2月 『女番長(すけばん)ブルース 牝蜂の挑戦』鈴木則文監督・池玲子主演・杉本美樹助演
3)1972年 8月 『女番長(スケバン)ゲリラ』鈴木則文監督・杉本美樹主演・池玲子助演
4)1973年 1月 『〈スケバン〉女番長』鈴木則文監督・杉本美樹主演・池玲子、衣麻遼子助演
5)1973年 5月 『女番長(スケバン) 感化院脱走』中島貞夫監督・杉本美樹主演・叶優子助演
6)1974年 1月 『女番長〈スケバン〉 タイマン勝負』関本郁夫監督・池玲子主演・衣麻遼子助演
7)1974年10月 『女番長 (スケバン)玉突き遊び』関本郁夫監督・叶優子主演・衣麻遼子助演
『女番長 感化院脱走』の後、杉本美樹は東撮に移り、1973年5月公開三堀篤監督『前科おんな 殺し節』、1974年5月公開野田幸男監督『0課の女 赤い手錠』に主演します。
『0課の女 赤い手錠』は、杉本の寡黙で抑揚のない演技がクールに決まっており、彼女の魅力が十分に発揮された作品でした。
この作品を終えた杉本美樹は東映を一旦離れ、ATG作品などに出演。1976年に京撮で渡瀬恒彦主演深作欣二監督『暴走パニック 大激突』に相手役で出演した後、1978年に結婚、芸能界を引退しました。
⑪ 天尾、鈴木の異動
1973年9月、天尾が東撮に企画部長として異動します。
天尾は、徳間書店の成人向け劇画雑誌『コミック&コミック』で鈴木則文が原作した『聖獣学園』の原作権を鈴木から預かり、東撮で多岐川裕美を主演に企画すると早速京都から鈴木を招聘、監督を依頼しました。
この作品は興行的に振るわず、鈴木は岡田からの指示でヒット作が出るまでそのまま東撮で監督を続けることになります。
その後、天尾とこの作品の担当プロデューサー高村賢治は、鈴木監督で志穂美悦子の主演の空手映画シリーズを作り、1975年からは大ヒットシリーズ菅原文太主演『トラック野郎』を立ち上げました。
⑫ 中島貞夫と風俗ドキュメンタリー映画シリーズ
1968年2月公開藤純子主演『尼寺㊙物語』を監督した後、岡田茂に呼ばれた中島貞夫はルポライターの竹中労が企画した風俗ドキュメンタリー映画の監督を命じられます。
およそ1年間かけて竹中と中島が取材、撮影したノースターのドキュメンタリー映画『にっぽん'69 セックス猟奇地帯』は、翌1969年1月に公開されました。
1968年の新宿花園神社境内での唐十郎の状況劇場や返還前の沖縄の様子、性的な場所だけでなく当時の風俗などの貴重な風景が数多く撮影されています。ちなみに、タイトルデザインは横尾忠則が担当しました。
この映画の大ヒットで風俗ドキュメンタリー映画がシリーズ化されます。
第2作京撮 1971年 1月 『驚異のドキュメント 日本浴場物語』中島貞夫監督
第3作京撮 1971年10月 『セックスドキュメント 性倒錯の世界』中島貞夫監督
第4作東撮 1972年11月 『セックスドキュメント トルコの女王』鷹森立一監督
第5作京撮 1973年2月『セックスドキュメント エロスの女王』中島貞夫監督
第6作東撮 1973年5月『セックスドキュメント モーテルの女王』高桑信監督
第7作東撮、1973年9月『セックスドキュメント 金髪コールガール』野田幸男監督
以上京撮4作、東撮3作の7作、1973年まで作られました。
⑬ その後の東映ポルノ映画
刺激の強いポルノ映画が飽きられ、低迷し始めた1974年。
2月に京撮小沢茂弘監督『激突!殺人拳』が公開され、千葉真一とその一門ジャパンアクションクラブ(JAC)による空手アクション映画ブームが興ります。
8月には東撮にて石井輝男監督『直撃!地獄拳』、鈴木則文脚本山口和彦監督でJACの志穂美悦子主演『女必殺拳』が大ヒットし、ヤクザ映画の併映作はポルノ映画から空手映画へと代わって行きました。
その中で、石井輝男、鈴木則文が築いてきた東映ポルノ映画を引き継いだのが、京撮の関本郁夫と牧口雄二、東撮の内藤誠、山口和彦、小平裕(ゆたか)など若手監督たちです。
京撮の関本郁夫は『女番長シリーズ』2作の後、京撮にて1975年5月公開芹明香主演『札幌・横浜・名古屋・雄琴・博多 トルコ渡り鳥』、10月公開ひし美ゆり子主演『好色元禄㊙物語』、1977年2月公開松田英子主演『大奥浮世風呂』などを監督しました。
牧口雄二は、1975年5月公開潤ますみ主演『玉割り人ゆき』、11月公開五月みどり主演『五月みどりのかまきり夫人の告白』、1976年6月公開泉ピン子主演『戦後猟奇犯罪史 』、9月公開『徳川女刑罰絵巻 牛裂きの刑,』、1977年1月公開東てる美主演『毒婦お伝と首切り浅』、9月公開田島はるか主演『女獄門帖 引き裂かれた尼僧 』など1977年まで京撮ポルノ映画を引き継ぎました。
東撮の内藤誠は、『不良番長シリーズ』や『帝王シリーズ』など梅宮辰夫主演作品の監督を手がけた後、1973年6月公開山内えみ子主演デビュー作『ネオンくらげ』、9月公開山内主演『番格ロック』と監督し、高い評価を得ます。
『ずべ公番長シリーズ』の山口和彦は、1973年12月公開山内えみ子主演『ネオンくらげ 新宿花電車』の後、梅宮辰夫が主演し、アメリカの有名ポルノ女優シャロン・ケリーが出演して話題を呼んだ1974年6月公開『色情トルコ日記』を監督します。そして、1975年1月に公開された、新人大原美佐が主演し谷ナオミが助演する『怪猫トルコ風呂』という怪作も監督しました。
小平裕の監督デビュー作、三東ルシア主演の『青い性』も話題を集めました。
東映好色映画は多くの非難を浴びながらも、映画界が危機的状況にあった1960年代半ばから70年代前半にかけて、ヤクザ映画と共に東映の経営を支えました。
そのなかでも異常性愛シリーズそれに続く東映ポルノ映画は、そこに時代のニーズを感じた岡田茂がアイデアを出してネーミングし、天尾完次が具体的な企画を練って作り出したもので、石井輝男が橘ますみを主演に生み出し、鈴木則文が池玲子と杉本美樹を見出し育てた毒々しくも華麗な花々でした。
⑫ 国会図書館で閲覧できる映像資料
石井輝男監督 40作(異常性愛シリーズ全9作など)
鈴木則文監督 48作(女番長4作、恐怖女子高校3作、温泉芸者2作、『エロ将軍と二十一人の愛妾』、『日本ポルノ伝 先天性淫婦』、『徳川セックス禁止令 色情大名』『不良姐御伝 猪の鹿お蝶』など)
トップ写真:クリスチーナ・リンドバーグと岡田茂