朝鮮人が暴動を起こす-。事実無根のデマをもとに多くの無辜(むこ)の命が奪われた悲劇があった。1923年の関東大震災直後、横浜でも起きた朝鮮人の虐殺だ。恐慌と迫害の嵐が吹き荒れるなか、朝鮮人をかくまった大川常吉鶴見警察署長のエピソードは、美談として広く知られる。それから90年。大川署長の精神を伝えるべく奔走してきた人たちは今、何を思うのか。
鶴見で流言が広がったのは震災翌日、9月2日の朝だった。「朝鮮人が集団で略奪、殺人、強(ごう)姦(かん)、放火を行っている。鶴見も襲撃される」「朝鮮人が井戸に毒を投入して歩いている」
信じた住民たちは、朝鮮人を探し始めた。京浜工業地帯として発展しつつあったこの地域では、朝鮮からの出稼ぎ労働者が多く暮らしていた。当時、日本の植民地の民だった朝鮮人への差別意識と迫害の裏返しとしての恐慌を背景に、虐殺は始まった。
デマをきっぱり否定し、中国人を含めた400人以上を警察署にかくまったのが大川署長だった。
群衆は暴徒化し、「朝鮮人を出せ」と署庁舎を包囲した。町議会も「県外に追放するべきだ」と主張した。大川署長は町議会で訴えた。「職を求めて来たのであり、反乱など起こす人々ではない」。粘り強い説得で議員らも折れ、この地域では以後、朝鮮人や中国人を一般の被災者として遇することができた。
「立派な人」か
大川署長が眠る鶴見区潮田町の東漸寺。本堂脇に一つの石碑が立つ。大川署長への感謝の言葉が刻まれ、「在日朝鮮統一民主戦線鶴見委員会」の名が添えられている。日付は1953年3月21日。
「鶴見の朝鮮人は大川さんに感謝し、そのことを覚えていた。震災翌年には大川さんに感謝状を贈り、30年後にこの石碑を建てたのです」
そう説明するのは、大川署長についての研究に取り組む横浜市立中学校の元社会科教師、後藤周さん(64)だ。
朝鮮人虐殺の史実を語り継ぐフィールドワークや講演を続けるなかで、大川署長のことも伝えてきた。通り一遍の「立派な人」という視点からではない。
いま、在日コリアンに対する憎悪をむき出しにしたデモを街中で行う人たちがいる。排外の空気を感じるからこそ、伝えたい教訓がある。「大川署長は、暴徒に襲われてけがをした朝鮮人を病院で無料で治療させるなど、彼らを迫害から守ることこそ警察官の仕事、と確信して行動した。根底には、人を人として尊重するヒューマニズムがあった」と後藤さんは言う。
当時の日本人にとって、朝鮮人は植民地からやってきた「二等国民」だった。日本人と同等に扱うべき存在と考えることができたのは、少数だった。警察官が住民を守るという当たり前のことが美談としてたたえられる社会状況。その異常さにこそ、目を向けなければならないはずだ。大川署長は、その背後にある虐殺という歴史の暗部を照らし出す存在でもあるのだ。
ごめんなさい
95年12月。韓国・ソウルの病院に大川署長の孫、豊さん(61)=横浜市=の姿があった。集まった病院スタッフ約200人を前に、こう切り出した。「このような歓迎にお礼の言葉もありません。しかし、祖父がしたことはそんなに褒められることなのでしょうか」
豊さんが生まれたとき、祖父はすでにこの世を去っていた。祖母からは「偉かったんだよ」と教わっていたが、詳しい事情は知らなかった。
それを知ったのは、在日韓国人2世の作家、朴(パク)慶南(キョンナム)さん(63)=相模原市=によってだった。
朴さんは92年、エッセー「ポッカリ月が出ましたら」のなかで大川署長を紹介した。その取材で豊さんのもとを訪れていた。
大川署長の逸話は韓国でも感動を呼んだ。作品を読んだソウルの病院長が、「ぜひ職員の前で大川さんの話をしてほしい。子孫にもお礼をしたい」と朴さんに頼み、2人は連れだってソウルに飛んだ。
豊さんは、祖父の行動が持ち上げられることに違和感を覚え続けていた。病院職員に、その思いを率直に伝えた。
「当時、日本人が韓国朝鮮の方にあまりにひどいことをしたため、当たり前のことが美談になってしまった。だから私が日本人としてみなさんに申し上げる言葉は、これしかない。『ミアナムニダ』(ごめんなさい)」
会場は大きな拍手に包まれた。当初、韓国の人たちがどのような反応をするか怖かったという豊さんだが、温かく迎えられ、「受け入れられた」と実感できたという。
国と国を結ぶ
朴さんはソウルでの豊さんの言葉を忘れない。「自分がその場にいたわけでなくても、本当に苦しい思いをして殺された人たちの側に立ち、痛みをちゃんと感じ取る思い、感性、歴史認識。国と国を結ぶ大事なものだと思った」と振り返る。
各地の学校を回り、子どもを前に行う講演のなかで大川署長のことに触れる機会も多い。伝えたいのは「大川さんの行動はすばらしいが、本当は当たり前のこと。すばらしくなるような社会にしてはいけない」ということ。そして、「大川さんの行動を生んだひどいことから、目をそらしてはならない」ということだ。
もし自分ならどうしただろう、と朴さんは考える。「平和で身が守られている状況でなくなったとき、後で悔いがないように行動できるだろうか」。大川署長のエピソードは、誰もが抱えている弱さ、愚かしさといった人間の根源までも問うているとも感じている。
今年に入り、東京都の高校日本史と横浜市の中学生向けの副読本から「虐殺」の2文字が消え、「殺害」などに変更された。自分たちに心地いいだけの歴史へ、書き換えが進んでいるかのようだ。加えて、在日コリアンに対する排外的な言動-。
現状に閉口することもある豊さんだが、一方で信じている。「今、国と国が対立しているが、国があおっている部分がある。一般の庶民は、決してそんなことはない」
豊さんは日常の暮らしのなかで、在日の人たちへのむき出しの憎悪に接したことはない。街中の排外デモも一部の出来事、と感じている。
◆朝鮮人虐殺 1923年9月1日に関東大震災が発生した後、「朝鮮人が襲って来る」「朝鮮人が井戸に毒を入れている」という流言が東京、横浜、千葉など被災地に広く流れた。これを信じた日本人らは住民有志による自警団を結成。場所によっては軍隊、警察も武器を手にし、無実の朝鮮人を殺害した。政府が実態調査を行わなかったこともあり、正確な被害者数や虐殺の様相は分かっていない。
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