呉座側の代理人をつとめた弁護士の吉峯耕平氏が、相手方の全面勝利和解ではないという認識をツイートしていた。
被告側としては「全面勝利和解」と捉えているようですが、互譲によって合意が成立した解決ですから、当方はそのほうに認識しておりません。なお、被告側の公開している和解条項は、本日の法廷での語句修正も反映していない不正確なものです。(正確な和解調書は作成され次第公開します。)
もちろん一般的に和解は双方が許容したことで成立するが、訴訟を起こした側が全面的に主張をとりさげたことを敗北ではないのだとすると、訴訟をつかった圧力自体が目的だったのではないのかと疑いたくなってくる。
そして千野氏が上記ツイートを引用リツイートして、「どっちが上品か」という観点から考えてしまうと語っていた*1。
〈全面勝利和解‼️〉
と凱歌を挙げている人たちと、〈私は驕り高ぶって道を誤り、不適切なTwitter利用により多くの方の心を傷つけた人間です〉
と自分の落ち度を認め、相手のしたことのうち批判すべき点は批判している人と。ここは「どっちが上品か」で考えちゃうなあ。
しかし訴訟をおこされたオープンレター「女性差別的な文化を脱するために」の起草者や署名者には、津田大介氏などの呉座氏から誹謗中傷された当事者もふくまれていた。
オープンレター訴訟、僕は訴訟には参加しなかったのですが、呉座氏から訴訟に参加してない僕に謝罪と慰謝料請求があったため、途中から補助参加人として参加することになりました(せざるを得なくなったとも言える)。なので一部発起人とは異なり、こちらから支払いなどはしておりません。そもそも騒動の発端となった鍵垢で僕が呉座氏から中傷されていた件についても、その後彼から何の対応もないので「こういう感じで終了ですか、空しさだけが残りますね……」といった感想です。皆さん、ネットの発言には気を付けましょうね。
https://note.com/kambara7/n/n5d73b7f453d0
それでも「女性差別的な文化を脱するために」は呉座氏の問題をコミュニティの問題としてとらえた声明として書かれ、原因を呉座氏個人にもとめないよう抑制されていた。
一方で呉座氏は、自身の誹謗中傷を発端として声明が出されたことに対して、無理やり訴訟をおこないながら全面的に引きさがった。最初に和解を報告するエントリでも末尾で反省しつつ、全体として声明への不満をもらしていた*2。
いわば加害者側が訴訟をおこしながら引きさがり再び反省するにいたった瞬間と、重ねて負担をかけられた被害者が勝利をいわっている瞬間を切りとって、「どっちが上品」で考える意味はあるのか。
千野氏のツイートは、旧ジャニーズ事務所の記者会見において追及する記者へ事務所側がルールを守るようもとめたことが連想される。
井ノ原快彦「子供も見ているので」にネットは非難轟轟 会見場の記者から拍手が出た異様|日刊ゲンダイDIGITAL
井ノ原は終始冷静かつ穏やかに対応し、「こういう会見の場は全国に生放送で伝わっておりまして、小さな子供たち、自分にも子供がいます。ジャニーズJr.の子たちもいますし、それこそ被害者のみなさんが『自分たちのことでこんなに揉めてるのか』というのはぼくは見せたくないので、できる限りルールを守りながら、ルールを守っていく大人たちの姿をこの会見では見せて行きたいって思ってますので、どうか、どうか落ち着いてお願いします」と懇願する姿勢を見せた。
この井ノ原の言葉に対し一部の記者たちから拍手が上がるなど、異様な光景となった。
念のため、呉座氏とジャニーズ事務所の問題の重みは違うし、組織内で被害と加害があった問題では責任の所在も複雑だ。
しかし加害と被害の問題が論じられている場面で、加害者側がルールをもちだして、その瞬間の態度が論評されているところはよく似ている。
瞬間の上品下品を論じることが必ずしも誤りだとは思わないが、あくまで文脈から切りはなされた論評で、いわゆるトーンポリシングになりがちという自覚は必要だろう。
*1:京都女子大教授の江口聡氏がリツイートをしていたので見かけた。江口氏自身は、おそらくリツイートへの論評として、「名を捨て実を取った、なのかその逆なのか……」とツイートしている。
*2:なぜか削除されているが、いくつかの文章は引用して記録している。 hokke-ookami.hatenablog.com