《interview 2023.5.25》
株式会社 土屋・重度訪問介護の営業の中でも、架電チームとしてその最前線に立つ梶原亜希。「介護のことは何もわからなかった」ところから、自ら学び、多くのクライアントの小さな声を丁寧に拾って、サービス開始へと繋げてきました。福祉制度の入口に立ち、豊かな知識で“介護の地図”を案内する梶原。彼女が日々見ているのは、どんな景色なのでしょうか。
株式会社 土屋
架電チーム
株式会社 土屋
架電チーム
株式会社 土屋・重度訪問介護の営業の中でも、架電チームとしてその最前線に立つ梶原亜希。「介護のことは何もわからなかった」ところから、自ら学び、多くのクライアントの小さな声を丁寧に拾って、サービス開始へと繋げてきました。福祉制度の入口に立ち、豊かな知識で“介護の地図”を案内する梶原。彼女が日々見ているのは、どんな景色なのでしょうか。
CHAPTER1
「生まれも育ちも福岡なんです」と話す梶原。3年前に転勤となり、現在は宮崎に暮らしています。
「生まれも育ちも福岡なんです」と話す梶原。3年前に転勤となり、現在は宮崎に暮らしています。
梶原「私はもともと、小さい時から保育士になりたかったんです。幼稚園には2年間通っていたんですが、幼稚園の先生が大好きだったんですよ。優しくて、こんな先生になりたいってずっと思っていました。
でも高校に入学して、いざ保育士を目指そうとしたら、『保育士になる人が多過ぎて余っている』ということがわかって。『大学の保育科に行けたとしても就職難になるよ』という話を先生やいろんな方から聞いて、あわてて文系から理数系に方向転換したんです。
今まで全く踏み込んでいなかった分野に急に行くことになったので、『それだったら、コンピューターの勉強をしてみようかな』と思って、情報処理の専門学校に入りました。最初の2年間は『これは一体、何をやっているんだろう?』という感じで授業を受けていましたね(笑)」
専門学校を卒業後、梶原はプログラミングの会社に就職。
ちょうど「2000年問題」が取り沙汰されていた時期で、銀行のA T Mのシステム等を変更する仕事に関わります。
梶原「最初に携わったのは、『デバッグ』と言って、ウィルス感染したプログラミングをテストする仕事でした。正常に動いているかどうか、どこかでエラーが出ていないか。テストを何度もして、最後に『オッケー!』が出た時の喜び。それが凄く嬉しかったですね。
途中でエラーが出ると、『どこが違うんだ?』と考えなければいけない。そこをクリアしていくのも楽しかったんですが、『これは1からプログラムをつくったら絶対に楽しいだろうな』と思って、そこからコンピューター言語にハマってしまいました」
「プログラミングというのはチームでつくっていくものなんです」と話す梶原。仕事を共にするチームの中で、よき出会いもありました。
梶原「同時期に入社した女性がいて、1歳違いで友達のような感じだったんですが、その方が毎日、常に楽しそうに仕事をされていたことにすごく影響を受けました。
当時の私は『ただ働くだけ』なんて気持ちで働いていたんですが、彼女は『○○したら、相手がこんなふうに喜んでくれる』ーー例えば、納期までに問題をクリアして、商品をお渡しした時にお客様が笑顔になってくれたり、感謝をされたりーーを常に考えながら仕事をしていて。彼女と一緒に働くようになってから、仕事の楽しさや『どうしたら自分が楽しく仕事ができるか』という考え方を学んだ気がします。
仕事中も会社の中で音楽をかけて、堅苦しくなく、仲間と意見を言い合って、お互いが納得しながら楽しくやっていける働き方があるんだ、ということを教えてもらいました」
2年ほどプログラマーを勤めた梶原。
その後、結婚、出産を迎え、育児に専念します。それからは「こどもがまだ小さい時期だったので、その間に働ける仕事となると接客しかなく」、飲食の仕事を経験。今からは想像もできませんが、「元々は人と関わるのがすごく苦手だった」と言います。
梶原「接客は今もまだ苦手ではあるんです。営業の電話をするのも一息ついてからじゃないとできないですし(笑)。
でも、飲食で接客の仕事をしていた時に『あなたがいるから、私は毎日ここに来るんだよ』と言ってくれたおじいちゃんがいたんです。店内では、いつも遠くに座ってらっしゃったんですが、遠くから手を振ってくれたり、『昨日あなたがお休みだったから何も買わずに帰っちゃったよ』なんて言ってくださるのが嬉しくて。そこから『接客は楽しいんだな』と思うようになりました」
「人前に立つと言葉が出ない……なんてことが今もあるんですよ」と笑う梶原。
梶原「対面での接客に関しては、相手の方が笑顔になってくれることを知って苦手意識はだいぶなくなったんですが、今、している電話での営業の仕事は、アポなしでいきなりお電話をするので、相手から何を言われるのかがわからないという緊張感がいまだにあります。
ただその緊張感を辿っていくと、質問をされても、自分自身の勉強不足で『答えられない、どうしよう』という強い不安があったんですね。でも今は勉強を重ねて『何を聞かれても大丈夫!』ってなりました。もちろん今も緊張はしますが、どんな質問が来ても答えられるということが自信に繋がったのかなと思います」
CHAPTER2
子どもが大きくなり、「ある程度、自由な時間で働けるようになってきた」頃。梶原は、「事務の仕事をしてみたい」と、仕事を探し始めます。
梶原「事務職の求人と思って連絡をしたんですが、面接に行ってみたら、実際は電話での営業の仕事だったんです(笑)。『あれ、事務じゃないんですか?』となったんですが、『受電と架電、どっちがいい?』なんて聞かれて、その場で『ぜひ来てください』と仰っていただいたんですよ」
ひょんな出会いから、梶原は重度訪問介護(重訪)の架電の仕事をスタート。介護という職種に携わるのは初めてのことでした。
梶原「入った当初は『まさにベンチャー』という感じで、部署に先輩はおらず、仕事を教えてくれる人もいなくて手探り状態でした。
『何か聞かれてわからなかったら、すぐにマネージャーにパスしていいから』と言われたので、最初はその通りにしていたのですが、相手の方から質問をされて『わからないので改めてマネージャーから連絡をします』とお伝えすると『いやいや、今、分からないんだったらいいよ』と言われることが何度もあって。『これってどうなの?』って思ってしまったんです。『私たちが勝手に電話をかけているのに、質問に答えられなくて、それで相手の方から、いいよって言われるのっておかしいよね』って。同じ架電チームで入ったもう一人の方とやり方を見つけていったんです。
その当時働いていた福岡の事務所の隣が、ケアカレッジだったこともあり、スタッフの方に『こういう質問には、どう答えたらいいですか?』とすぐに質問もしました。一人が電話をしている間は、もう一人が電話をかけないようにして、質問を受けたらその場ですぐに検索して、質問に答えて。二人でそうやっているうちに、介護について、重訪についての知識がどんどん増えていきました」
障害福祉や介護にはどんなサービスがあり、クライアントに最も相応しいサービスはどれなのかーートライ&エラーを繰り返しながら、“重度訪問介護への案内図”をつくっていった二人。その先にクライアントの自立生活があるように、梶原自身も、試行錯誤しながら自分たちの仕事を自らの手で切り拓き、つくっていきました。
梶原「これはプログラミングの仕事から繋がってくる話だと思うんですが、どんどん勉強して、それが相手にも伝わって『ありがとう』という感謝をいただける。それを『よかったな』と思えたことで自信もついて、今までにないやりがいと面白さを感じるようになりました。
私は介護業界自体が初めてだったし、実際に現場には入っていなかったので、現場でのコミュニケーションについては全くわからなかったんですが、いろんな知識を得ると『介護ってこんなに楽しいんだ!』という面白さを感じたんです」
架電という仕事は、訪問看護やケアマネージャー、病院等、地域を支えるケアのスペシャリストたちと、事業所のマネージャーを繋げていくという役目を担っています。クライアントが望む生活や介護を、関わる人たちから引き出す。直接的ではないやりとりだからこそ“橋渡し役”としての専門的な技術や知識が求められます。
梶原が受ける電話の中には、クライアント本人からの直接の問い合わせもあるそうです。
梶原「検索をして土屋を見つけて、本当に切実な思いを持たれた方がホームページの問い合わせフォームから連絡をくださることもあります。『事業所が撤退してしまって、明日から支援をしてくれるところがなくなってしまう』という方、僻地に住んでいて『支援をしてくれる事業所がないから、どうにかお願いできないかな』という方。『自治体が時間を出してくれず、支援に入ってもらえなくてどうしたらいいんだろう』と本当に困っている方のお話もいただいています。それをなんとか解決できるようにマネージャーの方に繋げているんです」
「クライアントの困り事や、問題を解決できる。そのことがとても嬉しい」と言う梶原。重訪を使って、在宅生活を始めたクライアントの話を聞くと、「もっと頑張ろう、と思います」。
梶原「在宅支援全体で言えることなのですが、短時間の支援というのは受け入れてくれる事業所が少ないんです。そういう相談を受けた時、その場で『これは短時間の支援だけれども、重訪の支援につなげられる』という可能性があるものは、すぐにマネージャーの方に『こういう状況だから相談支援事業所に掛け合ったり、ご家族様とお話していただけませんか』とお伝えをしています。
重訪自体、まだまだ発展途中の制度なので、行政と交渉していく中で支援時間が増えたり、柔軟に対応してもらえた例が日本全国にたくさんあるんです。ですから、短時間でも在宅支援がスタートし、『ゆくゆくは重訪に繋げていきます』というマネージャーの方からの報告をいただくと『よかったなぁ』と思いますね」
CHAPTER3
これだけ架電をしていてもまだまだ重訪のサービスの制度そのものが浸透してない……というのが実感
梶原「この仕事を始めて約2年になりますが、重訪のサービスの認知度に関しては、正直なところ、当初から全く変わってはいないな、と感じています。これだけ架電をしていてもまだまだ制度そのものが浸透してない……というのが実感です。
ただこれまでは、電話をしても『うちは障害福祉は関わってないから』なんてすぐに切られてしまうことも多かったのが、最近は『障害福祉に関しては全く知らないけれど、ぜひ話を聞いてみたい』と言っていただける事業所ーーたとえば制度とは関係ないところにいる介護保険を担当されているケアマネージャーの方等ーーが以前よりは増えたように思います。
私たちも知識を得て『どう伝えたら、福祉に関わる方たちに重訪への興味を持ってもらえるのか』という話を営業チーム内で共有し始めたことも関係あるかもしれません。もう少し根本的なところを考えてみると、“病院を出たら、施設へ入る”という流れが日本ではまだまだ一般的で、“病院から家に戻って、在宅支援で生活していく”という考えはほとんどない、という話をどの事業所の方からもよくお聞きします。そこでも、必ずお伝えしているのは『国が在宅支援を推奨しているんですよ』というお話です。住み慣れた地域で、必要な医療や介護サービスを受けながら、安心して自分らしい生活を実現できることを国が推進しているんです。
ただ、在宅になったところでご家族様にもご負担があるかもしれません。でも、だからこそ私たちがいるんです。私自身は直接、ご家族の方とお話できるわけではないのですが、『ご家族も一緒に私たちがケアをします。ご家族の負担をやわらげるのも私たちの仕事なんです。私たちがいることで、みなさんが一緒に生活できるんですよ』ということはお伝えしています。
話をしているうちに、ケアマネージャーの方から『そうよね、家族の方にも話してみるわ』と言ってくれたり、『私から話すのが難しかったら一緒に話ししてくれないかな』と言ってもらえたこともあります」
クライアントと家族の思い、そしてクライアントの背景を知るケアワーカーとのやりとりを丁寧に編みながら、“みんなが本当に幸せになる道”を探っていく。それぞれが持つ痛みや、固くなってしまった心を、やんわりとほどく方法を梶原は知っているようです。
梶原「架電という仕事は、いわば“土屋という会社の顔”として、その地域で活躍されているケアワーカーの方たちのネットワークに入っていくので、まず相手に失礼のないように、ということを第一に話をしています。
介護のことに詳しい方もいらっしゃれば、障害福祉に全く関わったことがない方もいらっしゃいます。対面で資料を見せながら話ができない分、より詳しくわかりやすい説明をしていますね。
その中でも、心掛けているのは、“相手に興味を持ってもらえるような話し方”。こちらから一方的に説明をしてしまうと、相手の方は『はい』で終わってしまいます。ですから、重点を少しずつお伝えしていきながら、『こういうことをお伝えしたら興味を持ってもらえるかな、質問をいただけるかな』と考えながら話を進めているんです」
CHAPTER4
架電の仕事を続けてきた梶原には今、あたらしい思いが芽生えていると言います。
梶原「私たちが電話をして、短時間支援や重訪の支援を現場のマネージャーの方に受け取ってもらっても、どうしてもクライアントとアテンダントがマッチングしない現場が出てきて、『今、人が足りないので支援に行けません』とお断りをしてしまうことが、正直なところ、ずっとあったんです。
そんな状況を聞いているうちに、『それなら私が入るのに』『私だったら入れるのに!』と思ったことが何度もあって。これまでしてきた架電での営業は、ひと通り勉強をして、ある程度答えられるようになったので、今度は実際に、自分が支援現場に入ることで視野がもっと広がるんじゃないかな、と思っています。
ただ、現場にこだわって……というよりは、『私が役に立つことがあるんじゃないか』『私が入れたら役に立てたかもしれない』と感じることが多くて、資格を取って、支援現場に入ってみたいな、と思うようになったんです」
土屋内で行なう子ども食堂についての話を聞いたり、医療的ケア児の問題にも関心を持つ等、ケアに関するさまざまな情報に「常にアンテナを張っている」と話す梶原。
「自分がどこかで貢献できる部分があるんじゃないかな」――そんな思いが常にある、と言います。
梶原「うちは下の子が支援学校に通っていました。その中で、『こどもを預かってくれるところがない』『障害を持つ人と健常者が一緒に生活する場所がない』という話をあちこちで聞いてきました。だからこそ、『今、身の回りで足りないところ、足りないものはなんだろう』『そのために私に何ができるのかな』というのは常に考えています。
うちの子は、今、流行りのTikTokやYOU TUBEのやり方を友達や放課後デイサービスのスタッフからどんどん教えてもらうんです。本人もそれが楽しくて、どんどん吸収してます。私よりもパソコンやスマホの使い方がうまいですよ。親から見ると『いやー、それはちょっと無理だろう、できないよね』って思ったことも、親ではない人から教えてもらうと、より吸収するんでしょうね。『そんなの、いつ覚えたの?!』って。そういう刺激って、こどもにとっては一番大事です。
たとえば重度の障害を持つ方がいて、意思疎通が難しくても、もちろん感情はあります。だからこそ同じ障害を持つ子ばかりではなく、その中に私たちが入ることで、その方の感情がやわらいだり、私たちにできることがある。そんな交流の場はお互いにとって勉強になるんじゃないかなって思ってます」
クライアントとケアワーカーの間に立ち、声を運ぶ――梶原と話していると、私たちに聞こえない声が聞こえているのかもしれない、と感じることが何度もありました。
梶原「土屋で掲げている『小さな声』の部分ですね。今まで表に出てこなかった、出し切れなかった部分を、営業である私たちが掘り起こして、なんとか現場のマネージャーの方たちに繋げて、一人でも多くの方の支えになりたいなぁと思っています。
最終的に、マネージャーの方に繋げるまでが私たちの仕事です。『より詳しく話をさせて頂きたいので、ぜひ訪問させてください』と言ってもらえるところまで。ですから、現場の方たちには『ぜひ、私たちが繋げたバトンのご対応を、よろしくお願いしますね』と渡していきたいです」
「お休みの日は犬の散歩をして、一緒に遊んでる時間が、自分の中でほっとする時間かな」と話す梶原。
細やかなアンテナを持って、電話の先の「小さな声」に耳を傾け、命のバトンを繋いでいく。福祉に携わることの誇らさとともに――。重度訪問介護における営業とは、そんな仕事です。