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【テキスト版】「木原事件」安田種雄さんご遺族《公開インタビュー》「一向に進まない捜査に今、何を思うのか」【9月28日開催】

「週刊文春」編集部

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 木原誠二前官房副長官の妻・X子さんの元夫・安田種雄さんの“怪死事件”。「週刊文春」による最初の報道から約3カ月が経過した。


 この間、安田さんの遺族は記者会見を行い、警察に対して再捜査を求める上申書を提出するなど、あらゆる手段を尽くしてきた。だが、再捜査はまだ始まる兆しを見せていない。

 

 そんな中、9月28日に「週刊文春」編集部の“木原事件取材班”の齋藤史朗記者が安田さんのご遺族(父、姉)に公開インタビューを実施した(アーカイブ動画は近日公開)。以下がその一問一答である。

一連の報道を振り返って

――3か月前に取材をはじめて以降、私どもは再捜査の際の捜査関係者などの取材を並行して進め、一度は捜査が閉じられていた事件が世間の注目を集めるようになりました。その後の一連の報道を振り返ってみて、どう思われますか。

種雄さんの父(以下、父) 文春さんから最初に電話があったとき、家で会うことになりましたが、正直、不安を感じました。怪しいし、信用もできないじゃないですか。私は家に一人だけだったし、詐欺かもしれない。それでまず、妻に電話をしましたが、つながらなかったので、孫に電話しました。とりあえず文春の記者が家に来るという事実をね、伝えておこうと思って。

種雄さんの父

電話したんですけれども、孫からは「おじいさん、怪しいから入れない方がいいんじゃないの?」といわれて。「一回信用してみよう。家に来ることになったからね。今、こっちに向かっていると思うよ」といったら、「おじいさん、殺されるかもしれないから気を付けてね」と、心配そうにいわれました。それが初めての時ですね。

ーーお姉さんの方はどうですか。

種雄さんの次姉(以下、姉) 何年か前にも取材に来られた方がいたんですけど、結局報じられることがなかったので、文春さんが取材にいらした時も、どうせ報じられないだろうという思いがありました。取材はお断りするように父に電話したんですけど、電話した時にはもう取材が終わった後だったんですね。どうせ報じられないだろうということで、全然期待してなかったんですけど、(6月25日に)取材を受けた数日後にはすぐ記事になっていたので、家族一同、驚きと衝撃の連続でした。

「週刊文春」が報じた記事

2018年の再捜査が始まって少ししてから、(X子さんが)木原誠二さんと再婚をしていて、お子様も2人いると刑事さんから聞いたことがあるんですね。そのときは何度も「本当ですか?」と確認をして、刑事さんからは「本当ですよ」と言われ、捜査のハードルが上がっている様子は伺えました。当時、木原さんがどんな方だったのかまったく知らなかったので、何度も検索してみたんですけど、やっぱり国会議員さんで間違いなかったんですね。まさか政治家の方と再婚をしていたなんて、本当に驚きました。

前官房副長官の木原誠二氏

再捜査の時には、刑事さんから詳しい捜査内容は話してもらえず、かいつまんだ、ほんの少しの事しか聞けていなかったのですが、文春さんが発売される度に、事件の内容を知ることができて、記事の内容と当時刑事さんから聞いていたことが、このことだったのだと合致することが多々ありました。現場で捜査してくださっていた刑事さん方が一生懸命やってくれていたことに感謝の思いがこみ上げました。

――取材開始から約1か月後の7月末、週刊文春はX子さんの元取調官・佐藤誠さんの記事を掲載しました。この記事はどう受け止められましたか。

 佐藤誠さんの記事を読んだとき、ちょうど私、仕事の休憩中だったんですね。でも、仕事にならないくらいもう大号泣で。再捜査が始まった時に、刑事さんから「捜査をしてこういう結果になりました」と報告を受けるとばかり思っていたんですけど、そうではなく、まさか文春さんの記事で、この事件についてこれだけ多くを知ることになるとは、本当に思いもしなかったです。その後の佐藤誠さんの記者会見は気絶ものですね。まさかまさかの連続でした。

佐藤誠氏の会見 ©文藝春秋

――佐藤誠さんが登場した回の記事は、週刊文春も総力取材でした。その後の世論や、メディアの反応についてはどう感じられましたか?

 記事が出てからテレビや新聞で報道されると期待していたのですけど、期待はむなしく。記者会見では多くの取材関係者が来られていたので、いよいよ報道される日がくるんだなと期待していたのですけど、それもまた撃沈でしたね。私たちは権力もお金もありません。少しでも多くの方々にこの事件を知ってもらって、声をあげてくれることが何よりも私たちの力になります。この事件を風化させないように、皆さまこれからもどうぞお力添えよろしくお願い申し上げます。

警察とのやり取り

――事件が再び注目を浴びるようになったことがきっかけで、安田さんは、事件当時に捜査を行った大塚警察署に、再捜査を求める上申書を提出しました。それを受け、警察からは説明をしたいとの連絡を受けたわけですけれども、実は警察署には3回出向かれていますよね? それぞれ、どのような経緯があったのかお聞かせ願えないでしょうか。

 7月17日付で上申書を提出したあとに、大塚警察署の方から連絡があり、一週間後の7月24日に家族で大塚署へ訪問しました。お部屋の方へ通されるとスマホは回収され、ボディチェック、荷物チェックをされたあとに説明を受けたんですけど、「再捜査で捜査は尽くしています。事件性はない」の一点張りでした。私たちから「○○はどうなんですか」という風に質問をしたんですけど、説明をしていただけず、20分足らずでその日は終わってしまいました。

遺族が提出した上申書

――警察関係者に取材しましたが、家族への説明に際してボディチェックまでするということは、なかなか考えにくいことのようですね。その後はどのような動きがあったのでしょうか?

 その翌日に慌てた様子で「もう一回説明をしたい」「今日の夜遅くでもいいので説明できないか」という電話があったんですよ。その様子に私たちは違和感を覚えたので、その日はお断りし、改めて日程を調整し、8月2日に世田谷警察署のほうで説明を受ける事になりました。

1回目の対応が理不尽で、私たちだけでは不安だったので、弁護士さんに同伴を依頼したのですが、「弁護士同伴では説明できない」「どの遺族の方も弁護士同伴で説明はしません」というような説明をされて。お部屋の外で弁護士さんに待機してもらいたいという提案もしたんですけれど、それもダメだということで、少々の押し問答があって、その日は何も聞かずに帰ってきました。

――署の受付のところで、少し移動しようとしただけで周りの警察官が寄ってきて、強引にエレベーターに乗せて説明を受けるように促されたそうですね。弁護士さん抜きで、説明したという既成事実を作ろうとしたというような、そういう雰囲気があった。その後、警察からはどのような対応がありましたか?

 翌日に、大塚署から再び弁護士なしでの説明を、という連絡が入りまして、これを受けて8月9日に、世田谷警察署に3回目の訪問をしました。事前に安田家の方から提出した質問に沿って回答していただいたのですが、先方から能動的に何かを説明をされることはありませんでした。当時の種雄の手の写真を見せられたんですけど、自殺の場合につくと思われる手の傷はほとんどなく、アカギレのような小さい傷だけで、納得しがたい説明ばかりでした。

亡くなった種雄さん(遺族提供)

「事件は送致してはじめて終わりになります」という説明がありましたが、まだ送致はしていないとのことでした。また説明の時間をつくってくださるとおっしゃっていたのですが、その後警察からは、今のところなんの連絡もない状態です。

――取材班の方から補足させていただくと、死亡事案が起きて、事件性が疑われるとなった段階で、検察から警察に対して、この事件を立件しなさいという、立件票というものが交付されます。それに基づいて捜査を行って、警察は捜査を尽くしたという書類をそろえて、検察にそれを送致しなければならないという流れになります。それがまだ行われていないので、事件はまだ終わっていないということですね。再捜査という言葉を我々はよく使っていますけど、正確にいうと、捜査を継続してほしいというのがこちらの意向ということになります。

その後の動き、今思うことは?

――7月上旬から、かなり長い期間、週刊文春でも報道を行いまして、今一旦、毎週記事にすることはやめているんですけれども、その後の動きや、今思うことについて少しお聞かせいただけないでしょうか。

 大々的に報道がされないので、知らない方も多くいらっしゃると思いますが、私たちが思う以上に、ネットの世界では騒がれていることを知りました。少しずつではありますが広がっているのではないかと感じています。実は、報道各社さんからの取材の依頼は徐々にきています。事件を風化させず再捜査につながるよう、機会があれば是非、皆さん報じていただきたいと思っています。

安田さんのご家族について

――安田さん遺族が、どのようなご家族なのかということについても教えていただけますでしょうか。

 私は韓国籍、妻は日本籍で、種雄が6歳の時に家族で日本に移り住みました。種雄の祖父母や妻の兄弟は日本に住んでいて、妻の戸籍も残っていたので、一家で移住することを決めました。

――それで日本に来て、ご家族で力を合わせて、生活されてきたわけですね。

種雄さんと家族への想い

――種雄さんと一緒に日本で育ってきて、どういう思いで種雄さんを見つめてきたのか。その想いを教えていただけますでしょうか。

 私たち家族にとっての種雄は末っ子でもあって、小さい時からわんぱく小僧で目が離せなかったんですね。明るくてすぐ友達ができるので、学校が終わった後とか、勝手に友達と遊びに行っていなくなることが多かったのと、遊びに夢中になって、夕方になっても帰ってこないので、よく探し歩いた思い出があります。

友人も多かった種雄さん(遺族提供)

両親が仕事で、兄弟3人で留守番をすることが多かったのですが、長女が一番強くて、喧嘩をすると私が良く泣かされていたんですけど、種雄はいつも私を慰めてくれて。姉に立ち向かってくれるのですが、結局、種雄もやられて、こてんぱんにやられて帰ってくるので、いつも私と二人でよく慰めあった記憶があります。本日、参加できなかった姉からのメッセージがあるので、読み上げます。

「厳しい父、おおらかな母のもとで私たちは育ちました。長男で末っ子の種雄は母にとってかけがえのない存在でしたので私たち姉妹はそんな弟をうらやましくもありました。

 

あまり裕福な家庭ではなかったので贅沢をすることはあまりありませんでしたが母の日や父の日、誕生日などはささやかながら家族でお祝いは欠かしませんでした。

 

兄弟がそれぞれ家庭をもってからも年末年始は親の元に集まり、夏は川でBBQをしたり、節目やイベントの時は集まって近況報告をしたりしました。頻繁に連絡を取り合わなくても困ったときはお互いに助け合う、そんな家族です」

――お姉さんの想いも、よく伝わってきます。種雄さんという名前、少し珍しい名前ですけれども、その由来を教えてもらえませんか?

 種雄の名前の由来は、韓国の私の家系図があって、種雄の代には「種」の漢字をつかわなくてはならないんですね。娘たちも種雄も、韓国名では「種」という漢字が名前についているのですが、日本へ移住した時に祖父母が韓国の名前から1文字とって「種雄」という日本名をつけてくれました。なかなか珍しい名前ですが、名前でいじめられることもなく、印象にも残るので、すごいいい名前だと思っています。

「週刊文春」の報道後に改めてわかったこと

――報道が始まって以降、ご家族ご自身たちでも、事件当時、警察からどのような説明受けたかのメモなどを改めて掘り返しています。私の伺っている範囲では、「種雄さんの喉の傷の深さ、10センチ」などとする走り書きもあったようです。そのほか、何か改めて分かったこと、どんなことがあるかというのを教えていただけますでしょうか。

 報道後、なぜ捜査がきちんと行われなかったのかといろいろ考えているうちに、ふと思い返したことがありました。2006年4月10日、事件現場から大塚警察署へ遺体が運ばれ、翌日には司法解剖を行うと説明がありました。ところが、司法解剖が行われる前の10日の夕方には説明があり、「事件性がない」「何も事件性がないと考えて矛盾しません」と担当の刑事に言われたのです。

――事件性があるかどうかを判断するための司法解剖が行われる前に、担当の刑事さんに言われた。

 本当に言葉を失ったというか、体の力が抜けてね。どうやって家まで帰ってきたのか覚えておりません。ショックを受けました。犯人についての説明を期待していて、逮捕したとかそういうことをいわれるのかなと思っていたら、その正反対のことをいわれた。本当に衝撃でした。

――佐藤誠さんも話されていますが、自殺と断定したら司法解剖はしないわけですね。

 司法解剖の結果も半年くらいかかると言われたていたんですけど、結局、結果の説明も聞かされず、再捜査で他殺の可能性が高いと聞いたことが最初で最後になります。2006年事件当時の警察の説明は納得のいくものが一つもなく、事件発生から数日後の、現場検証の日程よりも前にですね、あちらの家族は事件現場の家に出入りしたり、荷物を運び出したり、整理したりしていたと聞いているんですよ。

弟の遺品が欲しいと連絡をしたんですけど、弟の下着数枚と、弟が使っていた工具が何本か送られてきただけですね。後から、事件があった家の電気代の請求書がうちの方に送られてきたきりで、そこからは会ってもいないし、何の連絡もしていない状態です。

――弟さんが使っていた工具というのは何だったんですか。

 弟は、ラジコンとかプラモデルとかが大好きで、小さいドライバーとか、結構あったんです。たぶんそのドライバーのうちの何本かだったと思います。

質疑応答

――読者の方から質問をいただきました。いくつかご紹介させていただきます。

Q.刑事告訴はされるのですか?

 親身になってくださる弁護士さんと出会う機会があり、準備を進めているところです。真相がわからないまま、私たちは焦らされたり、中断されたりしているので、もうここで終わらせたいです。私たちも残りの人生を楽しく生きていきたいので、正直、もうここで終わらせたいと思っています。

Q.民法のメディアでこの件を詳しく報じるところがありません。その後、安田さんのご家族が取材インタビューを申し込まれたことはありますか。

 少しづつではあるんですけれども、いちおう取材依頼のほうを今、していただけています。

Q.大手マスコミに言いたいことがあれば教えてください。

 本当に、記者会見では驚くくらいたくさんの取材関係者さんが来られていたので、私たちは本当に世論の力がないと何もできないというか、本当に力が無いので、ぜひ報道していただきたかったんですけど…。なぜ今までですね、報道されないのかは本当に疑問に感じています。この事件は、よくできたミステリー小説のような内容なので、ぜひ遠慮なく報じていただけたらなという思いです。

Q.警察や政府から圧力を感じたことはありますか?

 思い過ごしであれば一番いいんですけど、警察署を出たあとに尾行されてるんじゃないかっていうこと、あと、自宅を定点観測されているんじゃないかということ。あと家に盗聴器を仕掛けられているんじゃないか、そういう私たちの生活を脅かされているのではないか、という心配は正直あります。実際、あったわけではないですけど、何かされるんじゃないかなという心配は、あります。

Q.遠くに住んでいて直接的な支援ができない場合、どんなことでしたら安田さんのお力になれるでしょうか。

 まずは皆さんの応援の気持ち、とてもありがたいです。報道されないので、少しでも多くの方にこの事件を知ってもらいたいですね。お友達にお話をしていただいて、少しでも多くの方に広めていただけることが、私たちの力になるので、広げていただければとても助かります。

Q.どうして事件直後の警察の捜査が十分ではなかったのだと思いますか。

 自分が事件当日に感じたのは、事件性は無いって言われた時に、これはおかしい、もしかしたら警察の上層部から圧力があって、それでおかしい方面に流れてるんじゃないかなと、そんな疑いはありました。事件性がないということは、その当時から信じていなくてね、力もないから本当に泣き寝入りするしかないなと思って、どうしようもなかったんですよ。

帰ってきて葬式が終わったあと、いろんな人に聞いたんですよ。これを再捜査をしてもらうためにどうしたらいいかと言ったら、警察署に言った方がいいじゃないかと、そんな話もされたんですけど、弁護士さんを立てないといけないのでね。弁護士さんを立てるとお金が相当かかるからと、そんなことを言われて。

僕にはお金もないしね、何の知識もないし力もないからね、だから諦めるしかなかったんですね。それが2018年、再捜査がはじまって、すこし希望が出てきてたときに、また、1年もたたないうちに絶望感に陥って。今に至るんですよ。

 私たちも知りたいんですよ。2006年に何があって、なんで捜査をしなかったのかというのを、本当に疑問に思っていまして。担当してくださった刑事さんが当時2名いらっしゃいまして、2018年に再捜査をしますということで来ていただいた刑事さん。2006年と2018年の刑事さんを比べると、話し方から全てにおいて、2006年の刑事さんは、全然私たちを思いやってくれない。

話し方も冷たかったし、「あーやってますやってます」と、何を質問してもそんな感じで、ちゃんと対応してもらえなかったんですよ。それが刑事さんなのかなって言う風に思っていたんですが、2018年の刑事さんはとても丁寧で、すごく遺族を思って話をしてくれたんですね。2018年の刑事さんがたぶん本当の刑事さんなんだろうなって。2006年、なんで私たちをそういう目に遭わせたのかは、いまだに疑問です。何があったのかを本当に知りたい。

読者の皆さまに伝えたいこと

――最後にご遺族のお二人から、今の率直な気持ちと、皆さまに呼びかけたいことがあればよろしくお願いします。

 繰り返しになってしまうんですけど、しっかり再捜査をして、真実を知りたいですね。もう終わりにしてほしいんです。もう何回も何回も同じようなことで、私たち結構ダメージを受けているので、辛いんですよ。大手マスコミの方々が報じてもらえないので、近所の人でもお友達でも、本当に小さい力が積み重なれば大きな力になるので、少しでも多くの方にこの事件を知っていただいて、応援していただけることをお願いしたいと思います。

 再捜査が始まって、真相が明らかになってほしいだけです。報じてくれる方々、応援してくれる皆さんに感謝感謝です。これからも応援よろしくお願いします。

種雄さんの写真に語り掛ける父

source : 週刊文春 電子版オリジナル

genre : ニュース 社会 政治

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