自殺する人間のブログ

今年いっぱいで自殺する予定。

相談

歯列矯正の医者に相談に行った。

イかれたやつだと思われただろう。

もう思われていただろうけど。


死ぬ前にできることはやりたいと思う。

迷惑をかけるな、って別に法律に触れるようなことはやってない。


僕は来世はあると思う。

こんなに報われない魂が、生まれてくるはずがない。あまりにも不条理が過ぎると思う。

(人は簡単に、自分の価値観でこれを否定する。)


僕の頭がもっと鈍ければ、夢の中で一生を終えることができたかもしれない。


自殺を考えるようになってから、逆に頭が冴えてきた。

悔恨


昔から容姿のことを言われ続けた

中学生で顔が悪いと言われ
高校生で顔の特徴を言われた
その後も言われた。
本当に容姿が悪いと、いつまでも言われ続けるのだ。

その度に僕は力なく笑って弱々しく言い返した。
どうしようもないことなのに皆はどうして僕を責めるのだろう

思えばそれを受け入れて自分の他の能力を伸ばすような生き方ができればよかったのだけど、僕は容姿を誰かに愛されたいと思うようになっていた。

父親が欲しかった。僕を守ってくれる庇護者が欲しかったのかもしれない。

この試みは思いの外上手くいった部分があった。

僕はもっと認められたいと思った。容姿さえ変えればもっと認めてくれる人が現れるとばかり思っていた。

僕は歯の矯正をした。どんな顔になるかは考えもしなかった。前に出た口元を下げれば、もっとマシな顔になれると。

そんなことはなかった。僕は時間とお金を使って、顔の自然さと、人間らしい表情を失った。
普通に笑えなくなった。引きつった笑顔に変わった。歯茎は変形し、不自然に倒れた歯列に変わった。元の顔にあった愛嬌みたいなのも失って、ただただ気持ち悪い顔になった。

僕は自分で世界から遠ざかった。今の僕にあるのは悲しみと後悔だけ。
自分の力で生きていくべきだったのに、僕は僕を守ってくれる人を求めていた。
容姿も心も醜く、なんて愚かだったんだろう。

コンプレックスが歪めた心は、まっすぐ育つことができない。

誰かに救われたいなんて、考えちゃいけなかった。
僕を救えるのは僕だけだ。僕は、本当に汚れてしまう前に、せめて最後に自分の魂を救ってあげたい。
僕は心底から自分を嫌いになりたくない。

無題


文章を書いていないと今にも消えてしまいそうだ。


暗闇に帰りたいと思う。

暗闇は普通の人には冷たく寂しいかもしれないけど、僕みたいな人間には暖かくて優しい。


でも僕がもし生まれつき目が見えなかったら、こんな自分の姿でも目が見えるようになりたいと思うのだろう。


僕よりはるかに恵まれた人が、僕より先に死んでいる。


だけど、僕がこのままずっと生きながらえたとしても、彼らの短い一生より実りはないと思う。


自傷的なことを言う人の気持ちがわかる。

本当は生きたい。元気に、生きててよかったと笑いたい。

食欲


不思議なことに、死ぬと決めてからは少し食欲がでてきた。

少し前は、多分鬱病になっていて、ご飯を食べないせいで体重が10kg以上落ちてしまっていたんだけど、今はコンビニのご飯を一日一食か二食食べている。


僕は前にコンビニで働いていたことがある。今思えば、僕みたいな人間を人前で働かせてくれたことを不思議に思う。

普通に信じられない。


店長さんはとてもいい人で僕がミスをしたら、笑ってそれをカバーしてくれた。

ありがとうございます。


僕が世界に拒絶されていなかった時のことは、今考えると夢なんじゃないかと思う。


今生きているこの現実も夢だったらいいのに。

実際日に日に現実感が薄れていくような感じでそれはすごく良い。


脳が急速に退化してるのかもしれない。

感謝の気持ち


僕を好きでいてくれた人に、ありがとうって伝えたい。

こういうのは言葉にすると嘘っぽくなるから、気持ちだけを伝える方法があるといいのにと思う。

あるのかもしれないけど僕の頭は痩せてしまったから、思いつかない。

死ぬと決めてから、どんどん気持ちが素直になっていく。

僕が嫌だったことや、辛かったことも今なら口に出して言える。言ったところでその人たちには一笑に付されてしまうのだろうけど。


素直な気持ちを堂々と伝えられる容姿と自信を持って生まれたかった。そうだったら今こうやって死のうなんて思わないんだろうけど。


まだ小賢しく生きようとする自分がいる。

このブログがどこかにいる心優しい誰かの目に止まって、僕を助けてくれないだろうかとか少しだけ思ってしまっている。

どんどん自分が嫌いになっていく。


生まれてからずっと牢獄の中にいた。


誰かの心にもし良い意味で存在できていたなら僕は生きていてよかった。

僕みたいな人間を受け入れてくれた人たちには感謝してもしきれない。

この感謝が嘘になる前に一年と言わずすぐに死んだほうがいいのかもしれない。


幼稚な文章だな。

生きる努力


今日も生きる努力をたくさんした。

髪を切った。普通に喋る練習をした。



コンプレックスはその人の人生をめちゃくちゃにしてしまう。

笑って生きれたはずの命が、消えていく。


次は僕の番だ。


自殺まで一年の猶予を自分に与えた。普通に生きてたら一年なんてすぐだ。


異常に生きてたって、一年なんてすぐだろう。


好きな本とか

僕は読書が好きで、太宰治が好きだ。


それは、かぶれとかではけしてなくて、素直に心から共感できるところが沢山あるから。


太宰治は、僕と同じように醜形恐怖症とパーソナリティの障害を抱えて生きていたと思う。幼少期に家族からブサイクブサイクと言われていたとよく書いているけど、それが彼の人格を歪めてしまったのかもしれない。とにかく他人の顔のことは言うもんじゃない。


(その結果、素晴らしい文学ができあがったのだから、良いのかもしれないが)


太宰治は世界に何も訴えていない。ずっと自意識と戦い続けていただけだ。生涯。

太宰の文学からは、内省以外の何も読み取れない。

罪の意識とか、自虐風の描写はポーズだけど、僕にはそういう表面的な人格の向こう側にある太宰の自意識がよくわかる。


こういう視点は、文学評論とかの世界では当たり前なのかもしれないけど、僕には太宰の気持ちがこの上なく陰にこもった共感をもって理解できる。


僕には太宰ほどのバイタリティが無いし、頼るあても無いから、太宰治にはなれないけれど。


自殺した魂は救われないと仏教とかで言うけど、この世界に居場所がない魂はいったいどこで救われたらいいのだろう。