悔恨
食欲
不思議なことに、死ぬと決めてからは少し食欲がでてきた。
少し前は、多分鬱病になっていて、ご飯を食べないせいで体重が10kg以上落ちてしまっていたんだけど、今はコンビニのご飯を一日一食か二食食べている。
僕は前にコンビニで働いていたことがある。今思えば、僕みたいな人間を人前で働かせてくれたことを不思議に思う。
普通に信じられない。
店長さんはとてもいい人で僕がミスをしたら、笑ってそれをカバーしてくれた。
ありがとうございます。
僕が世界に拒絶されていなかった時のことは、今考えると夢なんじゃないかと思う。
今生きているこの現実も夢だったらいいのに。
実際日に日に現実感が薄れていくような感じでそれはすごく良い。
脳が急速に退化してるのかもしれない。
感謝の気持ち
僕を好きでいてくれた人に、ありがとうって伝えたい。
こういうのは言葉にすると嘘っぽくなるから、気持ちだけを伝える方法があるといいのにと思う。
あるのかもしれないけど僕の頭は痩せてしまったから、思いつかない。
死ぬと決めてから、どんどん気持ちが素直になっていく。
僕が嫌だったことや、辛かったことも今なら口に出して言える。言ったところでその人たちには一笑に付されてしまうのだろうけど。
素直な気持ちを堂々と伝えられる容姿と自信を持って生まれたかった。そうだったら今こうやって死のうなんて思わないんだろうけど。
まだ小賢しく生きようとする自分がいる。
このブログがどこかにいる心優しい誰かの目に止まって、僕を助けてくれないだろうかとか少しだけ思ってしまっている。
どんどん自分が嫌いになっていく。
生まれてからずっと牢獄の中にいた。
誰かの心にもし良い意味で存在できていたなら僕は生きていてよかった。
僕みたいな人間を受け入れてくれた人たちには感謝してもしきれない。
この感謝が嘘になる前に一年と言わずすぐに死んだほうがいいのかもしれない。
幼稚な文章だな。
生きる努力
今日も生きる努力をたくさんした。
髪を切った。普通に喋る練習をした。
コンプレックスはその人の人生をめちゃくちゃにしてしまう。
笑って生きれたはずの命が、消えていく。
次は僕の番だ。
自殺まで一年の猶予を自分に与えた。普通に生きてたら一年なんてすぐだ。
異常に生きてたって、一年なんてすぐだろう。
好きな本とか
僕は読書が好きで、太宰治が好きだ。
それは、かぶれとかではけしてなくて、素直に心から共感できるところが沢山あるから。
太宰治は、僕と同じように醜形恐怖症とパーソナリティの障害を抱えて生きていたと思う。幼少期に家族からブサイクブサイクと言われていたとよく書いているけど、それが彼の人格を歪めてしまったのかもしれない。とにかく他人の顔のことは言うもんじゃない。
(その結果、素晴らしい文学ができあがったのだから、良いのかもしれないが)
太宰治は世界に何も訴えていない。ずっと自意識と戦い続けていただけだ。生涯。
太宰の文学からは、内省以外の何も読み取れない。
罪の意識とか、自虐風の描写はポーズだけど、僕にはそういう表面的な人格の向こう側にある太宰の自意識がよくわかる。
こういう視点は、文学評論とかの世界では当たり前なのかもしれないけど、僕には太宰の気持ちがこの上なく陰にこもった共感をもって理解できる。
僕には太宰ほどのバイタリティが無いし、頼るあても無いから、太宰治にはなれないけれど。
自殺した魂は救われないと仏教とかで言うけど、この世界に居場所がない魂はいったいどこで救われたらいいのだろう。