でもってですねー。
続きです(^^)
チベット仏教に伝わる「七支供養」という素晴らしい瞑想修行があります。
これはグル・ヨーガというこれまた言語に絶する仏道修行の極致かと(まだ、入門)思うほど優れた瞑想修行を成す、1つのパートです。
イラストはここから拝借しました。絵はパドマサンバヴァ、グル・ヨーガの主神。
グル・ヨーガは機会があれば皆様に紹介したいとてつもない、それはそれは優れた瞑想修行ですのよ。
しかし、わたしはイニシエーションに属する行法次第を勝手に説く資格が無いため、概要だけね。
チベット仏教には他にも多くの優れた瞑想修行があります。
今日はグルヨーガの中の「七支供養」の徳目を上げますね。
- 礼拝・・・師にご挨拶
- 供養・・・修行をお助けくださいますようと祈り供物を捧げます
- 懺悔・・・無智なるが故、過去世から積み重ねた悪業により苦に埋没した自己を心から反省します。
- 祈願・・・どうかわたしを真理へとお導きくださいますよう。
- 懇願・・・常にわたしを見守りください。わたしにお留まりください。
- 讃嘆・・・師の偉大さを認識する。師こそわたしの最も身近なブッダである。
- 回向・・・自分の修行が多くの苦しめる魂の利益となりますよう。
さて・・・どうしてここから話が始まったかと申しますとね。
無著(アサンガ)が瑜伽行唯識学派の見地から説いた「浄土論」という、浄土教の理論書ね。
そこに修道法を付加してるの。
それがこれ。
- 礼拝門
- 讃嘆門
- 作願門・・・シャマタを修行せよ。
- 観察門・・・仏国土をイメージせよ。
- 回向門
どうですか?似てますよね?
ここから敷衍してきてるんだなと想像に難くないでしょ?
インド仏教は、13世紀にイスラムがインドに侵入して、仏教の大学を破壊したのね。
ヴクラマシーラ寺院とかナーランダー寺院という大学です。
これらがイスラムにより破壊されたため、仏教僧はチベットに修行や研究の場を移して、仏教を続けます。
この辺は時代的に、仏教に関わらず、既にヒンドゥー教も密教化していました。
なのでチベットに移って、研究の中心は唯識と中観を織り込んで、それらの教えをどのように生かして、密教化するかという課題だったのでしょう(これは推測)。
大っきな課題は、アーラヤ識(潜在意識や更に深い意識)にアプローチする方法だった筈なのね。
普通に瞑想してても、中々深い意識操作はとても難しいです。
表層の意識で、「嫌悪してしまったー」とか反省を言ってても途方もなく時間を要します。
煩悩の根源に手を加え、そこを改造するとか、破壊するとかしないとね。
そこで人間は自律神経が有るでしょ?
目が醒めている時は、緊張型の交感神経が優位ね。
眠っている時は、緩和型の副交感神経が優位でしょ?
ところが、呼吸に関しては、その両方の橋渡しが出来て、且つ意識で呼吸をコントロールすることが出来ます。
なので、呼吸を使うと、意識しながら潜在意識の領域にタッチすることが可能になります。
また、何千回という修習ね。
同じことの繰り返しが遂に夢の中まで仕事をしていたり、趣味に興じてた、とかあるでしょ?
ジャパ・ヨーガとかマントラ・ヨーガというのは、それを狙っています。
空海も虚空蔵菩薩のマントラを短時間に何万回も唱えて、求聞持法を成就しました。
ヤントラに集中するのもそうね。
ちょっと話がそれちゃったけど、仏教僧たちは五感を通して深い意識領域にアクセスする方法を研究したんですよ。
で、そこで浄化とか功徳を植え付けようと。
それがタントラの本質だとわたしは思っています。
また、有る種のキノコやサボテンの成分から潜在意識にアクセスする方法もあります。
護摩に供物をくべるんだけど、あれに麻薬成分のある植物を使用したんじゃないかな?
なにぶんドラッグは危険なので絶対お勧めしません。
さて、このように俯瞰すると浄土教というのはタントラの嚆矢だったのだなと、わたしは考えます。
性的ヨーガというのは、インドの屍林に集って黒魔術を行う魔女たちから学んだようです。
これについては、書くほどの資料が揃って無いので詳しく書くことが出来ません、悪しからず^^;
しかし、江戸時代に江戸で流行した真言立川流については、ちょっと資料が有るんですぜ、エヘヘへへ(^^)
いつか書きまする、乞うご期待!