五世紀に登場した世親(アサンガ)は瑜伽行唯識学派を立てたんですが、浄土教関係の論書で「浄土論(またの名を往生論)」を書いています。
これ略語で、詳らかには「無量寿経優婆提舎願生偈(むりょうじゅきょう うばだいしゃ がんしょうげ)」と言いますよ。
これは、浄土三部経の中の「無量寿経」と「阿弥陀経」の注釈書です。
尤も、これに「観無量寿経」を加えて、浄土三部経と言い出したのは日本の法然上人なのですよ。
お詳しい方は置いといて・・・
「そもそも、日本には様々な仏教宗派があるが、何故なんだい?」と不思議に思っていらっしゃる方の為に、
ちょいと猫にもわかる宗派仏教のお話です(^^)
えとね、それに先立って「宗教」と言葉の意味が、実は明治から変わっちゃった事を言っておこうかな。
今で言う「宗派」のことを本来は「宗教」と言います。
今は違うよね。
イスラムもキリスト教もユダヤ教もヒンドゥー教も全部、神様の話をする教えは「宗教」と言うよね。
黒船がやってきて、開国し、これ以降、海外語ね。
これに訳語を当てる作業をしたんだけども、この時にレリジョンreligion(意味は束縛)に「宗教」という訳語を当てたので、神様の事を言って、お約束を守らせる連中のカテゴリーを宗教者としてしまったの。
つまり、仏教諸宗に限定された言葉が本来は「宗教」なんですよ。
Natureも「自然」という訳語を当てていますが、双方の意味は全く異なります。
というか、真逆なのね。
「Nature」は、飽くまでも神が作りたまい、人に与えた環境を指しています。
しかし、自然というのは「自ずとそこにある」という意味で、神が創造したという考えを拒んでいるの。
憶えといてね、いつかこれに触れるかも知れないのでね。
で、先に大乗非仏説を書いた時に、大乗の人々がニセのお経を沢山生産した話をしました。
これを「八万四千法門」と比喩的に表現しますよ。
膨大にある訳ね。
そこで、「お釈迦様は素晴らしいけど、わたしはどのお経を信仰の拠り所とすべきだろうか?」
というお経の価値判断と選択の問題が各信仰者に立ちはだかります。
そこで・・・
伝教大師・最澄は・・・・・法華経こそ真実で最勝である。
弘法大師・空海は・・・・・大日経、金剛頂経こそ最勝。
立正大師・日蓮は・・・・・法華経
法然・親鸞は・・・・・・・・・浄土三部経
このような選択をそれぞれがされました。
(なお、法然と親鸞は宗派を建てる事に関心は無かったようです。弟子がおっ立てたのでしょう。また、日蓮は仏教者というよりも、チェ・ゲバラのような思想的改革運動をされた方とすべきだと思います)
そこで、みなさん、
従来の教えは、わたしは賛同出来ない!
自分の頼りとする経典を拠り所とし、新たにセクトを建てよう!として一宗を開きました。
禅宗はね、「不立文字、教外別伝、以心伝心、脚下照顧なので、お経に頼らない!」
としたんだけども、六祖慧能が「金剛経」によって悟りを開いたので、金剛経と般若心経は一応「拒絶」することはありません。しかし、所依とするお経はないです。
で、鎌倉時代以降はみんな互いに拒絶(※殺し合いした)するようになったんだけども、それ以前はね。
奈良時代から伝わる「南都六宗」という↓を
- 三論宗・・・ナーガールジュナの中論などを学ぶ (消滅した)
- 成実宗・・・成実論を学ぶ (消滅した)
- 法相宗・・・唯識をやる 奈良の薬師寺と興福寺
- 倶舎宗・・・アビダルマをやる (消滅した)
- 華厳宗・・・華厳哲学 奈良の東大寺
- 律宗・・・・・上座部に伝わる律を学ぶ 奈良の唐招提寺