浄土経典とタントラ

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中観のナーガールジュナと唯識のアサンガによる、浄土系仏教の注釈書が有るんです。

 

 

ナーガールジュナは中論のような哲学書や論理書ばかり書いてるんだけど、一つ毛色の違う理論書が有るんですよ。

 

その名も「十住毘婆沙論」(じゅうじゅうびばしゃろん)

 

先に、「十地経」という大乗の菩薩の修行階梯を10段階に分けて論じたものがありまして、これの注釈書がナーガールジュナの「十住毘婆沙論」なのね。(十地経は華厳経に編入されます)

 

 

で、いいかな?

わたしはここを強調したいのだけども、ナーガールジュナに言わせれば、何の為の大乗なのか?

と言うに「大乗の菩薩道において、不退転の位に至ることである」と。

 

彼はつまり「阿羅漢は退転がある」と、考えてたのね。

わたしが以前から言ってる事です。

 

恐らくテーラワーダの方は信じないと思うけど、阿羅漢は落ちます。

伽藍や道場に留まって、そこでずっと修行の話や法に関する会話をしている間はいいです。

が、そうで無いと阿羅漢は落ちます。

新宿にマンション借りて、一人で暮らしだせば一年後にはしっかり落ちていることでしょう。

情報に対する防御力が集中とか観照なんだけど、大乗は違う要素を持っています。

 

 

なので、言い方を逆に言えば、それを固定(不退転)させる目的で生まれたのが大乗なのです。

声聞、縁覚で成就すると、それが理解できないだろうから、初期大乗は「彼らはダメだ」と言ったようなのね。

初期大乗とは「法華経」「維摩経」です。

 

 

 

 

で、ナーガールジュナはこの論書で、般舟三昧を易行道として語っているのね。

 

どういう事かと言うと、ホトケの観想(般舟三昧)をすると、楽に早く(易行道)行くよと言ってます。

 

 

で、その具体的な方法論として、色界の身体、「報身」を得る為に(三十二相八十種好)を観想せよ。

更に「法身」を得る為に六神通や※十力を観想せよ。

その後「空観」を行ぜよ。

これが念仏(ホトケを念じる)という修道法なのだ、ということなんですね。

これは「止観」という瞑想の方法ではなくて、タントリックな「生起次第」の観想なのです

そして、それを易行とナーガールジュナは言っている。

 

 

 

ここ前にも書いたのですが、大乗の本質って

  1.  報身を得て、色界で自在に活動する。
  2.  法身を得て、無色界で活動する。
  3.  次にブッダに至るために十力を備える。

これが大乗の狙いとすることなんです。

 

「大乗は周囲を巻き込み、多くの衆生を救済する」あれは、嘘とは言わないけれども、それだけが真の狙いではありません。

勿論、心意気はそうだけど、ブッダに至る功徳を獲得するには、他人の修行をお助けして、自分が上向する因が必要なんです。

また、様々な解脱のプロセスをを観察出来るのは経験として自分の内側に残るから、これは有利なんですよ。

 

ナーガールジュナは2世紀頃活躍した方だけど、ちゃんと知っていたんですね。

 

 

日本には、このところが伝わって無くて、大乗のキャッチコピーだけが伝わった訳です。

つまり、大乗は固定が狙いということが理解できなくて「多くの人を救済する」と言うプロパガンダのことね。

そのプロパガンダだけが伝わったようです。

 

 

しかも、慧解脱する為の具体的なハウツーは中国でバッサリ落とされたから、日本には羊頭狗肉というか、

残滓だけが伝わりました。

先に明かしたように、禅は莊子の教えだしね。

 

もはや、仏教とは異なるものね。

 

 

唐の時代に、浄土仏教と禅宗が起こるんだけど、日本の鎌倉辺りから念仏の意味が随分変わっちゃうの。

 

もう、一遍上人に至ると「一度、南無阿弥陀仏と言えば救われる」と極限まで変更を加えたんですね。

                           

当時としてはそれが正しい救済だったのです。

次から次へと戦火や災害の中にあって、人々の多くは文盲だし、死後の極楽往生というアンジン(安心)を与える事が救済に他ならないでしょう?

 

ホトケの観想から、称名念仏に変わり、それも遂に「一度唱えれば極楽に行くんだよ」と。

 

 

これね、同じ意味合いなのが、チベット仏教の「マニ車」なんですよ。

「わたしは功徳少なく、文盲で高度な解脱修行は出来ませんが、どうか来世はブッダがましまし、弟子となり修行の身に与れますよう」

                                  

そんな願いをこめて、「オンマニペメフーム」という文字を刻んだマニ車を回すのね。

  (チベットの人々薄幸で気の毒・・・。どうか、中共の支配から一刻も早く解放されますよう。法王が国に

平和にお帰りになられますよう。パンチェン・ラマがお戻りになりますよう。願って止みません)

                          

 

オンマニペメフームは観世音のご真言ですので、どうか皆様、100万回お唱えくださいませ。

 

 

 

なので、現在は元の念仏に戻すべきだとわたしは思っている訳なのね。

 

今の浄土系の浄土真宗とか真宗がね、どんな実践するのか知らないけども、親鸞聖人はちゃんと般舟三昧を成就していらっしゃるし、完全に現世の煩悩を断って解脱を成就されていらっしゃいます。

 

その親鸞聖人が「弟子、一人も持たず」と言ったのは、ご自分の修行を誰にも伝授されていらっしゃらないのじゃないかな?と思ってます。

ただもう、多くの衆生に安心を届けたい一心で、お弟子に構っている暇が無かったのかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

続きますよー(^^)

 

 

※十力