なーんだ、祖国に179人の虐殺者名簿あったじゃん!
李承晩がつくった被殺者名簿
平成25年(2013年)に韓国大使館の移転作業時に震災虐殺被害者名簿が発見されたことは、以前にもお伝えしているが、西村直登氏の「関東大震災朝鮮人犠牲者名簿」という論文で、その詳細が明らかにされていた。この論文の主張する要旨については、全く賛同できないが、中に大変興味深い資料が多数あった。
まず、李承晩大統領は、日韓請求権協定の交渉の為に、韓国国務院に「植民地期の人的被害や経済収奪10項目」として、調査と集計を命じた。
10項目のうちの一つとして関東大震災被害者名簿の作成が進められた。
つまり、交渉を少しでも有利に進める為に、名簿を作成したのだ。
こんな場合、被害者側は、一人でも多く、全力を挙げて、被害者を探しだし、名簿を作成すると思うのだが、なんと被殺者は、179人しかいなかったのだ。しかし、この論文では、収集の難しさを縷々論じつつ、実際の被殺者はもっといただろうと結論づけている。いずれにしろ、6000人の数字の、異常さが浮かび上がる。
ここでは省くが、この時の名簿は「本籍、姓名、被殺当時の年齢、被殺日時、場所、被殺状況及び、認定者の住所の住所、姓名」などを調べ挙げ、遺族や知人などの申告も加えて作られた、とある。なーんだ、失礼ながら、韓国だって、本気になれば、調べる事が出来るのだ!。
元来、本国の方で、家族と連絡が取れなくなった人々を、調べれば、6000人の姓名など、すぐ判明するはずではないか。大切な家族や知人がいなくなってしまった人々が、何年も、訴えない、などということがあるのだろうか。
日本の虐殺研究者は、口をそろえて、虐殺された人数も、名前も、一切分らないと、結論づけている。しかし、祖国が、きちんと調べ上げ、179人と判明している事をスルーしている理由を語るべきだ。
6000人虐殺碑を守る人々は、それほど、韓国の発表する数字を信じていないのか、はたまた、国際法に違反して、勝手に、李承晩ラインをひいてしまう人物の言うことは眉唾だとでもいうのだろうか。
(出典韓国・国家記録院・管理番号:033224)
西村氏はこの179人を被殺者数としている。
しかし、なぜか、李承晩は、日韓交渉中に、この名簿を持ち出さなかった。
李承晩が、名簿を根拠薄弱とみなしたのか、あるいは、逆に、震災当時のテロ行為による凶行を指摘されたら、却って、交渉が不利になると、考えたのか、様々、想像は出来る。
そして、何より忘れてならないことは、
昭和40年(1965)に、漸く、調印された日韓基本条約で、日本が無償3億ドル、有償2億ドルの経済協力資金を払うことで、韓国は、日本に対する一切の請求権を放棄していることだ。
東京都の虐殺記念碑に書かれている6000人という数字。
誰の目にも、この、インチキな数字を日本の公の公園に残してはいけない。
(文責・鈴木)