現在編集中です中々量が多いです。
しかしまだ全部ではありません。
①大量虐殺、あるいはそれに準ずるもの
・徐州大虐殺(武帝紀荀彧伝陶謙伝曹瞞伝・・等)
・屯雍丘。太祖攻圍數月、屠之(呂布伝)
・屠彭城(武帝紀)
・曹操攻屠鄴城(後漢書孔融伝)
・太祖征三郡烏丸、屠柳城(公孫度伝)
・淵與諸將攻興國、屠之(武帝紀)
・冬十月屠枹罕斬建(武帝紀)
・公攻屠之(武帝紀)
・仁屠宛斬音(武帝紀)
※曹瞞伝や管寧伝の記述を読む限りでは
民の負担が重かったので反乱発生
→范曄後漢書によると「屠」は
大量の殺戮が行われたときに用いられる
・餘衆偽降、盡坑之(三国志袁紹伝)
・太祖令曰「城拔、皆坑之」(曹仁伝)
※この命令が結局実現したのかは不明
→「坑」は生き埋めのこと。白起の生き埋めと同様
・赤壁の敗走中に自軍兵士を踏み台に(山陽公載記)
・吉邈・吉穆・韋晃、少府らの反乱(獻帝春秋)
②処刑 殺害系
・呂耆奢(死亡詳細は複数パターンあり)
・崔琰
・孔融
・華佗
・楊脩
・婁圭
・許攸
・侍中の臺崇、尚書の馮碩(後漢書献帝紀)
・琅邪王の劉熙(後漢書献帝紀)
・王模、周逵(三国志陳羣伝)
・辺譲(複数パターンあり)
・袁忠(曹瞞伝)
・桓邵(曹瞞伝)
・周不疑(零陵先賢伝)
・皇后伏寿(複数パターンあり)
・献帝の息子二人(先主伝等)
・趙彦(後漢書 陳琳の激文)
※献帝に処世術をした者は内外で
曹操に多数殺されたがその代表例として名前あり
・寵姫(曹瞞伝)
※曹操を起こさなかったため曹操に殴り殺される
・兵糧の担当官(曹瞞伝)
※兵糧不足の不満を抑えるために殺される
・禁令を犯した者を皆棒で殺害。
代表例が小黃門蹇碩の叔父(曹瞞傳)
③拷問・処罰・連行系
・楊彪
・毛玠
・何夔(何夔に限らず日常的に杖で属官を叩いていた)
・淳于瓊
・司馬懿(晋書宣帝紀)
・長坂の戦いで逃げ出した民を追撃し連行
・長江流域の民を連行
④その他
・張済の妻を略奪(これを怨んだ張繍を殺そうとする。)
・秦宜禄の妻を略奪(蜀記)
・新婚の妻を刃を突き付けて略奪(世説新語)
・梁の考王(前漢・景帝の弟)
→陳琳の激文によると曹操は文武の百官で墓荒らし・略奪を行う。
・若い頃の犯罪
曹操の代わりに夏侯淵が罪を引き受けたが'重罪'だった
太祖、居家、曾有縣官事。淵代引重罪(夏侯淵伝)
⑤陳寿三国志内での評価
・武帝紀冒頭から曹操は徳業がダメと明記。
太祖少機警、有權數。而任俠放蕩不治行業(武帝紀)
・曹操の性格は厳しくて、掾属をよく叩いていた
太祖性嚴、掾屬公事往往加杖(三国志何夔伝)
・曹操の性質は忌だった
初、太祖性忌(三国志崔琰伝)
・武帝紀最後の総合評価では能力の絶賛にあふれてますが、よくよく見ると人格的には特に評価されていません。能力を引き合いに出す際の人選は皆道徳的には疑問符の付く人ばかりでした。
評曰。漢末、天下大亂、雄豪並起、而袁紹虎眎四州、彊盛莫敵。太祖運籌演謀、鞭撻宇內、擥申商之法術、該韓白之奇策、官方授材、各因其器、矯情任算、不念舊惡、終能總御皇機、克成洪業者、惟其明略最優也。抑可謂非常之人、超世之傑矣。
・商鞅、申不害→過酷な秦に採用された法家
・白起→捕虜大量生き埋め
※官渡の捕虜生き埋めと類似
・韓信→非道な斉攻略を行う
※諸葛亮は孫権と会話した際に劉備を非道な侵略者(韓信・項羽)から斉を守った田横に例える。曹操の場合、徐州を二回非道に侵略したことが韓信・項羽と類似している。