第15話 オロチより出ずる魍魎

「行け」


 ケンが指示を下すと、無数の魍魎が山を駆け降りていった。

 山——村の東、稲尾家のやや南。狙いは退魔局である。魍魎は幸か不幸か目標に一直線で、余計な寄り道は一切しない。顕現から二時間。すでにヤオロズモドキ発生地点周辺は迅速な避難が進んでおり、民間人はいない。

 別段ケンは一般人がいようがいまいが目的を止めるつもりはなかった。いずれにせよあと二年と生きられない体だ。次代を生きる弱小妖怪が住み良い土地になればと、今ある命を燃やすだけである。


「永遠なる闘争世界の実現……或いはそれが、私の、キキや綾乃さんやリンのためか」


 ケンの金髪は、その根元が赤黒く染まっていた。両目も白目が黒く濁り、山吹色だった瞳も赤黒く染まりつつある。


「やれっ! 退魔局を落とせ!」


 声を張り上げ、彼女は大蛇のそばで腕を振る。

 この、百鬼夜行の音頭取りとして。


×


「オロチ? あれのコードネームですか」

「そうだ。アレとかソレじゃ混乱を招くからな。相手の要求は」


 瞳が「綾乃という呪術師の解放です」と宗一郎に答えた。


「魍魎の組織的な攻撃、オロチの顕現……それだけのことをしているにしては要求が控えめだな。怪しすぎる」

「同感です。むしろ退魔局を落とすこと自体が目的のように思えます」

大瀧おおたきが離席しているのが悔やまれるな。まあいい、魍魎を通すな。局ビルに侵入を許すんじゃない」

「はっ」


 地下二階のオペレーションルームでそのようなやり取りをする。大小いくつものモニターには、このビルに向かう魍魎を食い止める退魔師の様子が映し出されていた。

 飛ばしている偵察用のドローンの映像だ。

 魍魎は操れるような物ではない。あれらは極めて本能的な生物である——が、発生元の意識に左右されることが時々あるのだ。魍魎が発する不明瞭な言葉がときどき指向性を帯びるように。

 そしてこの場合、発生元はオロチ=ケンであろう。先ほど、ケンがオロチを手懐けている様子が確認できたので間違いない。

 であればケンの意思、命令に従っていても——或いは、不思議ではないかもしれない。


「防衛隊に物資を回せ。護符も呪具も優先して配布するんだ。対魍魎狙撃砲の準備が終わるまで時間を稼げ!」


×


 稲尾家にも避難用の迎えが来ていたが、柊たちは自前の車で逃げると言ってそれを返した。

 伊予が車に乗り込んでエンジンをスタートし、竜胆と菘、怪我妖けがにんである光希を乗せる。燈真は柊が準備するのを待つ間、黒い着物に襠高袴を履き、準備を進めていた。

 自分の部屋を出ると、柊がそこに立っていて目を細める。


「逃げるにしては気合が入った格好だな、燈真」

「逃げることに賛成なんてしてないだろ」

「ならんぞ。あれと戦うには早すぎる。安らかに死ねれば御の字。それが魍魎の王との——」

「椿姫や万里恵が戦ってるのに俺一人逃げられるかよ。俺のことをだって認めてくれたひとたちなんだ」


 黙り込んだ柊の脇を燈真は通り抜けた。


「燈真」

「……何」

夕餉ゆうげまでには帰ってこい」

「——わかった。あいつを倒すから、晩飯は寿司か焼肉にしてくれ」


 柊はふっと微笑んで、燈真に「退魔局へ行くといい。何か策があるだろう」と言い、見送った。

 燈真は堂々と玄関から出て、運転席の伊予に呆れられた顔で見送られながら自転車を漕いで駆け降りていった。

 骨盤を立てて前傾姿勢になり、空気抵抗を減らしてペダルを動かす。重量級妖怪用の自転車でさえ軋みを上げるほどの猛スピード。

 と、目の前に魍魎。タコのような頭足類の魍魎がそこにいた。

 燈真は自転車に妖力を流し、乗り捨ててぶつけさせる。


「ぐおっ」


 地面をゴロゴロ転がり、燈真は攪拌された三半規管のせいで平衡感覚を失いながらなんとか立ち上がると、素早く影の腕を肩甲骨の辺りから形成した。さながら、四本腕の多腕妖怪のようである。


「死ネ、シね、しね、コロす」


 右影腕を剣に変え、鋭く振るう。タコ魍魎が飛びかかってくるのに合わせて切り払い、別の一体——小鬼の魍魎が這い寄ってくるのを生身の右腕で殴り飛ばす。拳には妖力が纏わりつき、より効率的に魍魎にダメージを与えていた。


「ヒと、食ウ、殺ス、オかす」


 左——全長二十メートル、太さ直径二メートルに達する大蛇が迫る。燈真は左影腕で頭部を鷲掴みにした。妖力を介してフィードバックされる勢いに、燈真の足が擦過。刃鋼い草で編んだ草履がザリ——と路面を滑る。

 燈真は右の影剣を引き、素早く突き刺した。右の眼窩から刃が滑り込んで頭蓋骨を粉砕、脳みそを引っ掻き回して後頭部から赤く染まった影剣が突き抜けた。


 剣を引き抜くと、バシャっと血が舞う。

 三体の魍魎がザァッ、と霧散した。


「こいつら……純粋な負の念だけで形成されてんのか」


 さっきの言葉。通常の魍魎は、大勢の負の念が混ざり合い様々な——似通った——言葉がいくつもの声で放たれる。

 しかしこいつらはいずれも全く同じ声、同じトーンで、しかもほとんど同じ意味と指向性をもった言葉を放った。

 知らせに来た退魔局の術師——依澄揚羽の分身が告げたように、こいつらはオロチという大元……ヤオロズの上澄みから生まれただということだ。


 燈真はぐしゃぐしゃになった自転車を見て閉口する。これは燈真のものではなく、現在家を出たという竜族の自転車だ。顔は知らないがクラムという女性らしく、菓子折りでも持って謝るしかないと判断した。

 燈真は影の腕を解除せぬまま進む。道中迫る魍魎——四等級程度なら遭遇して一撃、三等級ならそれでも二、三の攻防で祓葬ばっそうできる。影鬼という鬼と影女の混血種である妖怪の力は、存外に凄まじい。

 体があったまってくる——燈真は己の身に妖気の高まりを感じ、テンションが上がりすぎないよう深呼吸する。


「助けてぇっ!」


 と、半壊した家屋に取り残された若い男性が助けを求めていた。種族は一つ目小僧か。小柄で、覆い被さるようにのしかかった瓦礫の間に挟まって動けないようだ。しかも火の手が迫っており、悩む時間はない。


「待ってろ、今行く!」


 燈真が駆け出し、しかしそこへ魍魎が二体降り立つ。隆々とした肉体に、三つ目。カラスの翼を持つ、鴉天狗モドキのような魍魎だ。

 等級はおそらく二。燈真は二等級相手に二体一の状況となったことを歯噛みする。


「死ネ——ね、シね、ね、ね、しね」「殺ス、こロス、ここ、ころす」


 一つ目小僧の青年を助けたいが、こいつらがいては無理だ。しかし、タイムリミットはわずか——。


「伏せろ!」


 凛とした鋭い声がして、燈真は反射的に屈んだ。頭上を飛び抜けていったのは一本の短刀。それが三つ目の一つに突き刺さり、悲鳴をあげたところへ女性が切り掛かる。

 一閃——いや、実際には、三度は斬撃が襲ったのだろう。微かに電磁が弾け、三つ目の魍魎の一体が切り崩された。


「秋唯さん!」

「私だけではない」


 頭上。電柱の上から飛び降りたのは一人の若い女。日本刀を逆手に持ち、三つ目の頭上から突き下ろして踏み潰す。

 ずがんと音を立てて地面に亀裂が入り、三つ目が消滅した。


「鬼灯さんまで……」

「主人のためですよ。あの方は任せてください。燈真は先に行って」

「わかった、ありがとう」


 光希の姉・尾張秋唯と、二本角の鬼・鬼灯童子が青年を助け出す。あの二人なら、生半可な魍魎の群れ程度瞬殺である。任せて問題はない。

 街の方まで降りてくると、防衛隊がこちらに気づいた。


「漆宮五等⁉︎ あなたは避難したはずじゃ……」

「足手纏いにはなりません。状況はどうなってますか」

「魍魎の群れが退魔局を狙っている。向こうの要求は綾乃という呪術師だが、そんなわけがない。だが万が一、本当にそうなら呪術師を別の場所に移送し、狙いを逸らすことができる。そのうちに対魍魎狙撃砲の準備を進め、オロチを討つ」

「狙撃砲? ……いや、わかりました。俺はその移送を手伝います」

「頼む」


 年嵩の防衛隊員——普段は事務員として働いているが、退魔師等級四等級以上を所持ししている者の一員だ——に、拳を左胸に当てる退魔局式の敬礼をして走り去る。

 なぜか無性に椿姫に会いたいが、燈真は首を振って雑念を払った。なぜこの状況であんな凶暴女狐に会いたいのかわからない。どうせさっさと逃げろだのと尻を蹴飛ばしてくるだろうに。


 燈真が退魔局エリアの工場を何気なく見ると、その製造工場の屋上に対艦砲のようなものが顔を出しているのが見えた。ややぼこぼことした砲身で不恰好だが、ひょっとしたらあれは多薬室砲と呼ばれるものだろうか。漫画で読んだことがある。


「魍魎に普通の弾なんて効かねえだろ……? 何を撃つんだ……」


 ふと、燈真は立ち止まった。

 地面が微かに揺れている。その揺れはだんだん大きくなり、燈真は四つん這いになってなんとか転ばされるのを耐えた。


「なんだっ、くそ……!」


 退魔局ビルまでわずか。駆け込もうと燈真は決め、内部に入る。

 するとあろうことかそこには魍魎が発生していたのだ。


「なんで……一匹も通ってきてないだろ!」


 愚痴めいた怒鳴り声が、頭を食い潰された受付の屍が転がるロビーに響く。

 燈真は影の腕を構え、目の前にいるカマキリのような魍魎を睨んだ。


「殺ス——シね、食う、くウ、クウ!」


 鎌を振り上げ、襲いかかってくるカマキリ。燈真は左の影腕を手刀の形に変えて妖力を接触面に集中。相手の鎌を受け止めて拮抗し、右の影剣を振り下ろす。

 だがカマキリは空いていた方の左鎌をかち上げて燈真の剣を弾き、目の前に三角形の大きな顔面を突きつけてくる。

 顎がギチギチ鳴り、燈真は生理的嫌悪をねじ伏せて生身の右拳を叩き込む。複眼と複眼の間、人間で言えば眉間に食い込んだ拳が外骨格を圧迫し、ヒビを入れる——しかし、それだけだ。

 カマキリがギチッと顎を鳴らして、燈真の右前腕に食らいついた。


「が——っ、あ……ぐぁああああっ!」


 ブツッ、ブチッと肉をひっぺがす。肘から手首にかけての肉がべろりと剥がれ、筋繊維と骨がところどころ剥き出しになる。

 大量の血が溢れ出し、燈真は止血法を考える。


(考えろ、考えろ……何か手がある。くそいてぇ……!)


 ハッと閃いたのは、咄嗟のこと。燈真は〈閤闇影禍ごうあんえいか〉の術を負傷した腕に付与し、角の物質を影で真似た外皮を形成した。右腕の前腕が、角のように黒いグラファイトのようなもので覆われ、青い脈が這い回る。

 さながら影角えいかくによる籠手だ。


「くウ——ウマい。にク、ウマイ……ギィ、ひひ、ヒひ……」

「くそ野郎が。後悔させてやる」


 燈真の右剣と、右拳が同時に炸裂。相手は鎌で致死性の剣を防ぐが、見誤っていたのは影角籠手の右拳である。強烈な打撃が左の複眼を潰し、黒い血を噴き上げさせる。

 怒りを起爆剤にして攻撃速度が上がる——冷静さを失うなと理性が忠告し、同時に絶望して泣き喚くよりずっといいと、冷淡に計算。


 カマキリが左にステップし、燈真の生身の腕を落とそうと鎌を薙いだ。

 即座に左の影腕を盾に変えて防ぎ、そのままシールドバッシュ。相手の姿勢を崩したところへ素早く右の影腕を槍に変え、突き刺す。

 だが素早く左の鎌で槍の刺突を逸らしたカマキリは後ろに跳びのき、背中の翅を展開。激しく打ち鳴らし、羽音と衝撃波を生む。周りのソファやテーブルが押しやられ、窓ガラスがビリビリ悲鳴を上げ始めた。

 燈真の鼓膜にも著しいダメージ。しかし腕の応用で影角物質で耳栓を作り、防いだ。


 腰を落とし、左リードの構えを取る。影の腕もそれに倣い、より鋭く洗練されたカウンターの構えをとった。


「来い、虫野郎」

「食う——食わセろ、食ワせロ、クワセロ!」


 足で地面を蹴るようにして、さらに翅の力を借りて加速。あまりの速度に逆巻く突風が吹き荒れ、衝撃波を伴う疾風となる。

 しかし既に鬼の肉体を手にし、早くも体重一五〇キロに達した燈真はびくともしない。

 鎌が薙ぎ払われ——燈真はそれを、左影腕の小楯でパリィ。そして、右の槍を相手の頭部から胸にかけて突き下ろした。

 ドガンッと轟音が爆ぜ、妖怪向け耐圧コンクリートが陥没。発生した風圧が書類を大きく派手に枚上げ、ガラスコップやマグカップを破砕した。

 強化ガラスの二、三枚が、破裂音を立てて毛細血管状のヒビが駆け抜ける。


 細かく粒子となったカマキリ魍魎が霧散し、燈真は荒くなった呼吸を整えた。

 髪の毛も乱れ、攻防の中で破片でも飛散したのか額が切れて血が垂れている。それを着物の袖で雑に拭い、燈真は周囲を改めた。

 勤めていた事務員は良くて三等級の退魔師資格である。そして、事務員の全員が資格持ちなわけではない。

 食い荒らされた死体、両断された死体、言葉にするのも憚られるほどの損壊を受けた死体が転がっている。


「くそ……!」


 忘れていた。

 忘れるべきではなかった。

 これが魍魎の恐ろしさ。呪術師の邪悪さだ。

 魍魎が一体発生し、人里に放たれるだけでこういうことが起こるのだ。

 燈真は壁を殴りつけた。影角籠手に覆われていたせいで、それとも鬼の膂力ゆえか思わぬ威力が出てコンクリ壁が拳の形に凹む。


(どうする……ここで魍魎を止めるために殿になるか? 綾乃ってのはあの化け狸だろうが……あいつを放り出せば根本的な解決になるのか?)


「あー、あー、燈真君。私だ、久留米だ」


 館内放送だ。燈真は顔を上げる。


「そのまま聞いてくれ。先ほどのカマキリが発生してからすぐ避難を開始し、非戦闘員の多くは地下に来てもらっている。漆宮君、君にはそのまま別区画の地下一階にある独房に向かって欲しい」

「綾乃ですか? わかりました」

「助かる。状況が状況だ。死を悼む暇すらないが……いや、急いでくれ」

「……はい」


 燈真はエレフォンを取り出し、退魔局アプリ『あやかし堂』を開く。館内マップを出した燈真は、それに従ってさっさと走り出した。

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