第13話 予感

「はい、あーん」

「なあ……」

「ほら食えって。治るもんも治らねえぞ」

「いやさ……なんであーんしてんのがお前なんだ、燈真」


 あれから数時間後。病院で怪我の具合を見てもらったあと、引き取りに来た伊予が「入院した方がいいですかね?」と医者に聞くと、光希は「注射怖い、注射怖い」と繰り返したので医者も苦笑して「彼の生命力なら平気でしょうし、稲尾さんが診てくれれば安心ですよ」と言って、帰宅を許可した。ただ、一応一週間したら検診に来てくれと言われたが。

 その光希は片方の尻尾の毛が薄くなったことを気にしつつ、今は擬態形態(つまりケモ耳に人の体だ)で横になり、燈真からおじやを食べさせられていた。


「なんだよすけべ、椿姫か万里恵がいいのか?」

「そうは言ってねえだろ……あいつら女傑すぎるし乱暴だしむしろ嫌だ」

「注文が多い病人だな」


 二口目のおじやを食べる光希。食欲はあるらしい。体のあちこちに包帯を巻いているが、これは本来の姿が擬態化した際にどの部位に当たるか——というものである。まあ、傷跡が残っているので、予測しなくてもわかるが。

 そこに柊が趣味で植えている薬草などを煎じたものを塗っておいただけだが、化学薬品よりは効く。妖怪の血は、むしろ自然にあるもののほうが効果的なのだ。


「わっちがあーんしてあげよっか?」


 隣で見ていた菘がそういった。燈真からとんすいとスプーンを受け取った菘が、光希にあーんをする。


「癒される〜。野郎より可愛い子に看病される方が戦う甲斐もあるもんな〜」

「なんて現金なやつだ」


 燈真が呆れていると、竜胆が冷却シートを持ってきた。


「光希、お疲れ様。今伊予さんが梨剥いてるからさ」

「おう、梨はいいよな。そーいや昨日聞いたが、氷雨さん帰ってくるみたいだぜ」

「えっ」


 竜胆がシートを落としかけた。燈真がキャッチしようとするも、彼は落とさずしっかり保持していた。持て余した手を閉じたり開いたりしながら燈真は聞く。


「氷雨さんって?」

風吹氷雨ふぶきひさめさんつってな、うちに昔からいる雪女だよ。薬の調合師なんだけど、錬金術にも齧ってて……その錬金術を学ぶために、少し家を離れてたんだ。菘、もっかいあーんして」

「にゃーん」


 燈真は竜胆を見た。彼はいそいそと光希の額にシートを貼って、「よし」というが、声が上擦っている。

 なるほどそういうことか——これは、つまり、男女のそういう話題である。

 こういうときあまりからかわない燈真は、周りから真面目と言われるが……ふざけて拗れさせて恨まれるよりずっといい。それに光希がいじらないということは、竜胆は真剣に好きだということだ。

 稲尾家の跡取りが生まれるかも知れない大事な機会である。邪魔してフイにすることは許されないだろう。


「はい、さいごのあーん」

「ん……美味かった。ちょっと出汁入ってんのな。食べやすかった」

「ひいらぎが、つくってた。わっちもかぜひくと、これたべるの」

「へえ……稲尾の家庭の味か」


 と、伊予がやってきた。ちなみにここは光希の部屋である。

 茶色系、木目調の家具で整えられた部屋で、彼の趣味なのか虎と狼の絵が描かれたポスターが貼られている。たしか、一番好きな動物は虎とか言っていたはずだ。狼は十中八九、彼とその姉・秋唯が憧れる魅雲村最強の雷獣が理由だろう。


「梨、食べるでしょう? みんなの分もあるから」

「伊予さんにあーんしてもらいてえなあ」

「マザコンかお前は」

「コルルァ、俺は年下好きだ。こう、清楚で可愛い少女っぽい子が……」

「ロリコンかよぉ」


 菘がドン引きしていた。


「違うって、違うんだ……こう、後輩くらいの年齢差がさ……」

「いいから、食べようよ。菘も変な言葉を使わない。誰が教えるのさ、そんなこと」

「おねえちゃん」

「姉さんかよ……」


 伊予がくすくす笑いながら、大皿を置いた。布団で横になる光希の口に、伊予が爪楊枝で刺した梨を近づける。彼はそれにかじりつき、もしゃもしゃ咀嚼した。

 燈真も一つ指で摘んで口に入れる。リンゴとは違うすっきりとした瑞々しい甘味が広がった。シャリ、シャリ、とした食感も、甘さの軽やかな魅力と味わいを補強する。

 形はリンゴと同じ、強いて言えば色が違うくらいの違いなのに、食べると全くもって別物だ。


「土建屋にいた頃、よく監督が買ってきてたな」

「はあ? 燈真お前いくつよ」

「十六。俺、十四の時に近所のおじさんに頼んでバイトさせてもらってたんだ。土建屋やってたおじさんで、そこで」

「家庭の事情よね。義理の母親が酷かった、って聞いたけど」

「うん。食えるもんつったらあの女と弟の食べ残しくらいか、ゲロ甘なお菓子だったから。だから人並みに食うにはそれしか方法がなかったんだよな」

「とうま、いいこいいこ」


 菘が立ち上がり、あぐらをかいている燈真の頭を撫でる。ついでに角を少し触る。


「こら菘ちゃん、鬼の角に触らない。菘ちゃんだって勝手に尻尾触られたらびっくりするでしょう」

「ご、ごめんなさい。ごめんね、とうま」

「大丈夫。次からは言ってくれ、な? 別に断らないから」

「うん」


 燈真はあのコッツウォルズのような街の明白町にある土建屋で、あの事件が起きるまでバイトをしていた。おかげで体が鍛えられ、体力がついたのだ。

 それに、現場仕事なので難しい勉強の必要もなかった。寸法の取り方や道具の使い方は見て盗み、やって覚えた。ただ、それによって得た体力を中学時代は喧嘩に使っていたし、とても褒められたものではない。

 今思うと、あの事件で濡れ衣を着せられ周りがそれになびいたのも、過去の悪行が原因でもあるのだろう。因果応報とはよく言ったものだ。


「土建屋ってさ、時給どれくらい?」

「俺は一二〇〇円もらってた。まあ、その日の飯代にしか使わなかったから余ったのは弟にお菓子とか、本とか買ってたな。こっそりだけど」

「燈真は……その、弟さんのこと嫌いじゃないの?」


 竜胆の疑問はもっともだ。憎き義母の子であるし、父親だって豹変している。その間に生まれた子供を可愛がることは、普通中学生くらいの子供にはできない。


「いや……嫌いではないかな。正直複雑で、好きにもなれないけど……でも酷い扱いしたら、それこそ俺みたいにグレちまうだろ」

「燈真君は本当に浮奈ちゃんの息子ね。そういうところはそっくり」


 伊予がそう言って、微笑んだ。


「どういうこと?」

「この家で浮奈ちゃんが修行してた頃ね、竜胆君や生まれたばかりの菘ちゃんを弟や、それこそ我が子のように可愛がって接してたの。椿姫ちゃんのことも姉妹のように思ってね。柊が燈真君の面倒を見るって言った時、うちの誰も反対しなかったのもそれが理由よ。みんな恩返しがしたかったのね」

「浮奈さんっていい人だったんだな。俺のかーちゃんは豪傑だったからなあ……」


 光希が目を細めて言う。秋唯のような女性なのだろうか。


「あったかいては、おんなじ。とうまもうきなも、おおきくてあったかいてをしてる」


 菘が燈真の手を取って、にぎにぎする。筋肉が多いから代謝が高くてあったかい——おそらく、そう言う意味ではないんだろう。

 減っていく梨を見て、燈真は一つ菘にあーんさせた。彼女は燈真の指で摘んだそれを、ばっちいとか思うことなく平然と口で受け止めて咀嚼した。


「うみゃい」


 菘が狐のように微笑んで、そう言った。

 竜胆が梨に指を伸ばそうと右手を出し、ふと二の腕のあたりをさする。


「どうしたの、竜胆君」

「いや……なんだろ。筋肉がひきつっただけかな」

「四十肩か?」

「そんなわけないだろ光希」


 菘がじっと竜胆を見つめる。


「どうした菘? あの梨は竜胆のだぞ」

「……にいさん、なにかとられた?」

「え……」

「いよ、ひいらぎにつたえて。……よくないことがおきるかもしれない」


 そのとき光希がハッと息を呑んだ。


「そういやあのキキってやつ、ヤオロズの上澄みを掠め取るとかなんとかって……できるのかよ、そんなこと?」


 伊予が勢いよく立ち上がった。普段こんなに慌てることなど決してない彼女が、である。


「みんな、今日は家を出ないでね。質問も条件もなしよ。いいわね」


 有無を言わさぬ希薄に、燈真たちは黙って頷くしかなかった。

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