第12話 ただそこにあるだけ

 女が駆け込んだ空き倉庫は、ガレージのようなところである。表の看板は既にないが、雰囲気からしてちょっとした自動車工場だったに違いない。

 機材の多くは撤去されているが、空の一斗缶が転がり、天井にはフックが提げられ地面には車を持ち上げる台座がある。

 この村に来て数年の尾張姉弟の片割れにすぎない自分にはわからないが、万里恵や椿姫ならここを知っているだろう。

 高校からの距離は、直線で約六〇〇メートルほどか。半ば、山から続く森林に飲まれている。手入れは届いておらず、あちこち蔦が這い回っていた。


「お前、お仲間は呼ばねえのか? 確か一匹狐がいたろ。椿姫が引き分けたつってたぜ」

「お前、じゃない。キキだ。狐ではなくケン。私とあいつは綾乃さんに拾われ、世話をされた。強さではケンが上だが、私たちは綾乃さんを姉のように慕っていた」


 ガレージの中に入る。その辺にあった発電機のスターターを引いて手元のスイッチで電源を入れると、明かりが灯った。外から入ってくる光は、曇り空ということもあって薄暗い。

 なぜ電気をつけたのか——その理由は、壁を見て理解した。


「あれ、は……」

「驚いたか。その絵図に描かれているのはお前たちの家の当主が千年前に封じたヤオロズだ」


 壁には赤い塗料で、龍が描かれていた。八つの目、二対の角、ムカデのように生える脚。それらを乱暴に描いたものが、目の前にある。

 普通の者が見たって、それが何なのかを察することは困難だ。しかし、この裡辺の、この村の妖怪であれば別。

 あれがかつて顕現した際、この地に柊がいなければ裡辺は、日本は滅んでいたのだから。


「ヤオロズが、どうして……」

「隠し立てするつもりはない。私たちはアレの力を吸い取るテストのためにここに来たんだ」

「何? なんでだよ、あんなもんの力なんぞ、誰だろうと制御はできねえぞ!」

「だからテストするんだ! 私たちみたいな行く宛のない弱小妖怪はな、お前たちが思うほど恵まれちゃいない!」


 激したキキが、首を鳴らした。


「その日の食い物にも困る、寝る場所もない、油断していれば駆除される。薄汚い男に体を売り、ゴミを漁って、臭い廃屋で眠る……。お前のように恵まれた家に生まれればそんな心配はいらないが、私たちは違う! 汚い仕事も、薄汚れたことでもせねば一端の暮らしさえままならない!」

「だからってヤオロズに手ぇ出すやつがあるか! 下手すりゃお前らだって生きていけねえんだぞ!」

「黙れ! 私たちにはもう、これ以外方法がないんだ!」


 キキが小太刀を振った。暴風が逆巻き、激しい烈風が光希に迫る。

 くるりと回転しつつそれを回避。さらに迫る風の斬撃を、独楽のように回転しながら次々避ける。背後のコンクリの壁が轟音を立てて切り裂かれていった。

 光希は尻尾を軽く振って、毛を飛ばす。撚り合わせて硬化させた大きな針——多くの獣妖怪が扱う基礎的な術の一つ、毛針千本けばりせんぼん。術の開祖は実際に千本の毛針を飛ばし相手を針山にしたらしいが、光希が放ったのは数本である。

 相手は風の勢いで毛針を回避する。針が床に突き刺さり、そしてそれは微かに帯電していた。あるいは電気をつけなければ、発光していたので気づいたかもしれない。


「〈閃電雷光せんでんらいこうつう〉」


 パンッ、と電磁が弾ける音。光希がナイフから放った電撃は近くの針に流れ、そこから別の針を避雷針に駆け巡り、キキへ打ち付けられた。


「————ッッ‼︎」

「俺の電撃は大先輩には酷く劣るが、それでも焼けるように痛えだろ」


 毛針が解け、硬化も解ける。光希はそれをわかっているので、もう一度毛針千本を放った。


「させるかッ!」


 キキが暴風を巻き起こして毛針の軌道を大きく逸らした。ほとんど跳ね返された毛針はあらぬ方向に散らばり、光希自身は雷電によって己の筋力を底上げしていることもあり、なんとか近くの鉄骨に捕まって耐えた。

 筋力は強化されているが、体重は人間の成人男性の半分ほど——約三十キロだ。鬼である燈真であれば平然と耐えられる暴風も、軽量な上表面積の大きい人の姿では抵抗が大きくなり耐えづらい。

 かといって本来の姿に戻るのは切り札だ。いや、普段の姿になるだけならいいが、その状態で戦うとなれば加減一切なしの全力勝負となる。その後の消耗を考えれば、万が一仕留められなかった場合たやすくカウンター気味にトドメを刺されるだろう。

 妖怪がわざわざ人の姿で呪具などを使って戦うのはそういう理由があるのだ。決して、RPGのボス気取りというわけではない。


 小太刀が振るわれ、光希はナイフでそれを弾く。常に電撃を流しているが、相手は雷獣と戦うことを考えてか絶縁の護符を持っているようだ。その絶縁を越える電撃——絶縁破壊を起こせる出力でないと、ダメージは通らない。

 抵抗器などによるものではないから、一度絶縁破壊を起こしてもすぐに回復してしまうのも厄介だ。

 光希自身、決して妖力が少ないわけではない。しかし電撃を起こすというのは存外に力を使うのだ。おまけに彼は放電が苦手、という家系の雷獣である。常に己に電気を流し強化する、擬似的なフィジカルキーパーだった。


 光希は己の尻尾を掴んだ。何度か撫でる。


「どうした雷獣、尻尾を献上して逃がしてもらおうと?」


 軽口を叩くキキにも、光希にも浅い傷が走っている。妖怪基準の浅い傷だ。人間であれば立派な大怪我だろう。

 血を流す腕でナイフを握り、光希は毛を大量に刈った。


「俺の毛は伝導率がいい。電気が流れやすいんだ。超伝導素材にもなるって言われてんだぜ、俺らの毛って。……この、毛を」


 光希は毛を妖力で操り、ナイフに纏わせた。二倍の刃渡りに伸びたそれは、毛針千本の応用——毛針ナイフである。


「不格好になるからやりたくねえんだけど、これなら電気の出力を底上げできる」

「狡賢いやつだなッ!」


 キキが小太刀を振った。上段から迫るそれを光希はナイフで受け止め、瞬時に通電。パンッ、と弾けるような音が響き渡る。

 相手は電気が流れこんでくる直前に風圧で己の体を吹き飛ばし、回避。それから彼女自身もイタチの尾を振って毛針千本を放つ。

 光希は反時計回りに駆け出し、針を次々避けた。廃材が串刺しにされ、薄い鉄板が貫かれ、段ボールの山が爆発したように吹き飛ぶ。

 もうもうと舞い上がる土埃の中で金色の雷光が弾けた。

 光希が帯電した極太の毛針千本を放ったのである。それはナイフにまとわりついていた、あの毛だ。


「!」


 キキはそれを前に奥歯を噛み締め、そして——。

 本来の姿を現した。

 妖気の圧が毛針千本の術を阻害して解かせ、電撃が伝導体を失い拡散する。体重四十キロ超の細長くしなやかな肉体が顕になり、赤褐色の毛皮に覆われた、尻尾が短いニホンイタチが顕になった。

 顔はイタチ特有の、どこか愛嬌のあるそれとは違う。獰猛な狩人を思わせる、さながら虎のような顔立ち。

 コフゥー、と熱く獣臭い息を吐き、ギィーッと吠えた。


「外来種の俺には羨ましいぜ。でも、今じゃお互いに害獣仲間だよな? ちっとは加減ってのを——」


 光希が軽口を叩いていると、キキは飛びかかってきた。光希の体に頭突きを繰り出し、段ボールの山にぶっ飛ばす。さらに前足で上体を支え、下半身を鞭のようにしならせて尾を叩きつけ追撃。ゴゴッ、とくぐもった破壊音が響き渡る。


「害獣などではない! 私たちは!」

「ごもっとも。俺らの先祖だって江戸時代に連れてこられただけだぜ。でも、だからってヤオロズはやりすぎだと思う。一線は超えちゃいけねえだろ」


 ハクビシンは台湾から持ち込まれたという説、江戸時代にオランダから連れてこられたという説がある。光希たちの先祖は江戸時代に、すでに妖怪であったハクビシンから派生して生まれた種族であった。だから姉は幕末の時代に剣客として腕を鳴らしたし、妖怪であったから野生下では昭和時代まで見つからなかったのである。


 光希自身、ハクビシンが勝手に連れてこられた挙句害獣呼ばわりされる現状には思うところがある。けれど、それとこれとは別だ。

 ヤオロズは、関わってはならない。あんなものは、存在してはならない絶対悪なのだ。


 キキにはシンパシーを感じる。ありえないifを夢想して、友達になれるかもと思う。だが、だからこそ光希は彼女を止めると決めた。妖怪が悲しく恐ろしい存在だと知れたら、彼女の思うところではないだろう。


 砂埃が振り払われる。そこには、二本のうち片方の尻尾の毛が不格好に削がれた巨大なハクビシンがいた。光希もまた獣の耳と尻尾に人の体という仮の姿を捨て去り、本来の姿に戻っていた。

 茶色の毛皮に、顔は黒っぽいが耳の下や顔まわり、そして鼻筋が白いどこかおしゃれな色。しかしその目は金色に染まり、目下までいかづちの帯電が続いている。

 鋭い牙は、それこそ猛獣のそれ。その気になればカバの肉さえ断ち切り、食いちぎりそうな獰猛さ。


 両者が睨み合い、そして咆哮を上げた。

 同時に取っ組み合い、キキが光希のマウントを取った。顎を開き、食らいつかんとするキキの顎に前足を押し付けて腹を蹴り付ける。尻尾を巻き付けて引き剥がし、バチッ、と帯電。

 キキが突風を巻き起こすとガレージが悲鳴のような音を立て、屋根が吹き飛んだ。ガラガラと瓦礫が落ちてくるが、両者は気にせず殺し合う。


「殺してやるッ! お前にっ——私たちの何もかもをわかっていないお前に、負ける気などない!」

「話のわからねえやつだな!」


 光希の帯電状態はあくまで身体強化だが、それでも電気である。一般の妖怪が触れれば激痛に苛まれるだろう。しかし絶縁の護符を取り込みつつ本性化したキキはその程度では止まらない。

 キキが光希の首筋に噛み付いた。咄嗟に毛を硬化させた光希は抵抗し、相手の頭を前足でホールドする。キキは構わず光希を壁に打ち付け、コンクリートを粉々に砕いた。牙が肉に埋まり、光希の首から血があふれた。


 激痛に奥歯を噛み締め、光希は耐え忍ぶ。


 キキはさらにそのまま床に打ち付けて、おろし金でそうするように光希を地面で擦り引きずり、外まで引き連れ回した。

 光希は怒りに任せて大放電。正確には、避雷針を狙わぬただの発電だが、それでもキキには効果があった。


「がはっ……!」

「クソアマ! せっかくいいツラに生まれたのに、痕ついたらどーすんだ!」


 光希が毛針千本を撃つ。が、相手も同じタイミングで、全身の毛皮から放った。

 互いに撃ち合いながら移動。あたりの木々やら塀やらはあっという間にヤマアラシもかくやと言わんばかりの有様に変じた。

 光希にもキキにも無数の針が突き刺さっている。毛皮が血で赤く染まる。

 すでに光希には発電能力が減退していた。己の強化を維持するだけで精一杯——それは、先ほどの大放電でキキも察していた。だから、避雷針にもなる毛針をあえて受けているのである。

 互いに毛針を撃ち終え、決着がつかない——となれば、やはり組み付く。


「グルァァアアアッ! ギャワウッ!」

「ギィーッ、ギギギッ!」


 取っ組み合い、引っ掻き合い、喰らい付き合う。

 駆けつけた椿姫と万里恵が目撃したのは、妖怪同士の苛烈な殺し合いだった。

 術すら使っていない——互いに術に回せる妖力を使い切った以上、ああなるのだ。


 手出し無用、そう言われているのは明らかだ。椿姫も万里恵も、無言で見守る。


「グゥ——ギャァァアアッ!」


 光希が死力を振り絞って、相手の喉笛に喰らい付いた。

 そのまま咬筋力をフルに絞り、そしてバキッ、と喉ごと首の骨をへし折る。

 毛皮と大動脈が断ち切られ、絵の具をぶちまけたように生臭い血が振り撒かれた。


 キキの瞳から光が失われ、全身から力が抜け落ちる。

 光希は仕留めた獲物をおろし、そこでようやく椿姫たちに気付いたという様子で目をそちらに向けた。


「よぉ……、呪術師の……一匹の、首は、奪ったぜ……」

「ええ、お疲れ様」

「かっこよかったぞ〜光希ぃ」

「だろ? 悪い……少し、寝る……」


 光希が本来の姿のままその場にくずおれ、瞼を閉ざした。

 椿姫たちは彼に駆け寄って、呼吸があることを確認するとひとまず安堵した。


「退魔局と伊予さんに連絡しなきゃね。万里恵、退魔局の方お願いしていい?」

「ええ。それにしても……これで残りは椿姫が追い払った狐だけね」

「苦い経験だわ。認めたくないけど、あの狐は強い」


 光希が聞いた、ケンという妖狐。椿姫と同じ五尾。——そして、この連中の参謀。

 椿姫はなにか嫌な予感がしたが、それが何なのかを言語化することはできなかった。

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