第10話 余韻と、新たな一日と
祭りが終わり、燈真たちは家に引き上げることにした。神社から家までは距離があるため、伊予が運転する車に乗る。行きは運動のため歩いたが、帰りは流石に戦闘を挟んだのもあったので、伊予の好意に甘えた。万里恵は退魔局に一旦出向き、状況整理をしている。主君である椿姫に楽をさせるため、そして大恩ある柊のため残ったのだ。
竜胆は燈真の隣で、みんなに申し訳なさそうに「ごめん」と繰り返していた。だが、悪くもないのになんでそこまで自罰的になるのだろう。
柊が軽く見たところ、乱暴された様子はない。おそらくは、素人考えになるが催眠術の尾を引いているのだろうと思われた。
しばらく
次第に竜胆は燈真の肩に頭を預け、眠ってしまった。こうしてみると年相応の少年だ。
目尻に涙が浮かんでいる。強がってはいるが、さらわれた時に脅されたりしたに違いない。
そう思うと、あの狸女を力一杯殴っておくべきだったと後悔する。
妖怪の争いには、性別も年齢も関係ない。一度その個体の生存と尊厳、力量差の証明をかけた戦いの火蓋が切って落とされればあとは第三者が止める余地などなく、どちらかが敗北を認めるまで戦いは終わらない。それこそ、場合によっては相手が死ぬまで終わらないこともある。
「燈真、怖い顔してると竜胆や菘が怯える」
椿姫が助手席でそう言った。三列目の席で光希と柊、菘が何か話しているが、こちらには首を突っ込まない。燈真はその距離感をありがたく思いながら「悪い」と答えた。
車は稲尾の屋敷に入り、ガレージに停車する。降りて、竜胆を抱えた。狐としては超重量級、人間にしてみれば栄養失調を疑う三十キロほどの体重は、鬼の因子が目覚め『半妖』として覚醒した燈真には二リットルボトルを持っているのと、体感的には変わらない。
砂利を踏み締めると、思いの外足が沈み込む。
「……俺、こんなに重かったか?」
「鬼になったんだから、普通よ。鬼の平均体重は幅があるけど、軽量級でも二五〇キロは超えるし」
「マジ? 学校行ったら、床抜けそう」
「大丈夫よ燈真君。今は裡辺の多くで妖怪向け建材が使われているから。魅雲村はそのはしりだから、鬼が学校に行っても、ちょっと走ったり跳ねたりしたくらいじゃ床なんて抜けないわ」
伊予が笑いながら言った。
西暦二〇七五年現在、二〇二五年に起きた太陽フレアや二〇三四年に北欧の島国ワグノール共和国で起きたとある事件以来、科学技術は原則平成末期ほどのそれに制限されているが、主に生活上必須となる技術に関しては二〇三四年——人類の技術がピークだった頃のものが流用されている。
食品における遺伝子・妖力改良技術や、超法規的医療技術、そして建築技術である。
「風呂入って寝るぞ。竜胆はそのまま寝かせてやれ。不安だろうし、妾が共に眠ってやるでな」
「……むぅ」
「なに嫌そうな顔をしておる。さては起きておるだろう」
「寝てるよ」
「元気があるなら風呂入れ馬鹿者。全く、これだから男は生意気坊主ばかりで……」
柊が不貞腐れたように言うが、尻尾は嬉しそうに上下していた。
椿姫も苦笑しつつ、竜胆を撫でる。燈真は彼を下ろした。菘が竜胆の手を握って、家に入っていく。
燈真は今一度己の掌を見て、閉じたり開いたりした。
自分に妖怪の血が流れていて、半妖として覚醒している。血の比率に関しては、転々とし続けてきた心臓を持つ者から受け継いだもの、そして心臓そのものを受け継いだことでよくわからない状態だが——それでも人間の血が入っていることは事実であり、自分は半妖なのだ。
明後日から学校でどう振る舞えばいいのだろう。妖怪としての過ごし方などわからない。自分に妖怪としての暮らしが余儀なくされるなど、想像もしていなかったのだ。
「大丈夫、燈真」
椿姫が小首を傾げて問いかけてきた。
「なるようになるさ」
そう答え、燈真は肩をすくめた。
×
日曜日は退魔局からやってきた使い——
竜胆はその場で、トイレに入った際個室でいきなり喉を締め上げられ、札によるインスタントだが強力な催眠術で従わされたと答えた。
十中八九その手の強力な催眠術道具は禁具とされる類のものであり、余罪追求を牢にぶち込んだ化け狸から行うと、揚羽は力強く約束した。
そして、特殊な分身体であるというそれを解いて揚羽が去った後で、燈真は光希と菘、そして竜胆を誘ってビデオゲームに興じた。椿姫と万里恵は「ちょっと甘いもの買ってくる」と言って、二人でふらふらと出ていった。
そうこうして穏やかに過ごした日曜が明け、九月二十三日・月曜日。
村立魅雲高校の生徒は「えっ、漆宮君鬼だったの?」「マジ?」「黒い角とか初めて見たわ」と口々に囁いていた。
燈真は気恥ずかしくなりながら、それでもなぜかみんなと同じ土俵に立てたという妙なシンパシーを感じていた。半妖というだけで無闇に
燈真は教室で自分の席に座って、家から持ってきたステンレスの断熱マグボトルを取り出した。中には作り置きのアイスコーヒーが入っている。稲尾家にはカフェインが毒にならない種族の妖怪もいて——今は出払っていたりするが——、彼らが使っているものであるコーヒーメーカーを借りて、燈真はエスプレッソ抽出したものを常に冷蔵庫にストックしてあった。
豆にはこだわりがないので、スーパーで売っているブレンドを使っていた。
一口飲むと、目が覚めるような苦味が冷たさと共に喉を降りていくのがわかる。
「何飲んでんだ? 一口くれよ」
「雄途、おはよう。言っとくがこれ、カフェインたっぷりだぞ」
「うわっ、マジか。たんぽぽコーヒーじゃねえの?」
「生えたのが角じゃなくて尻尾だったら、そうしてたかもな」
言わずもがな狐はイヌ科。カフェイン中毒で肝臓が障害を起こしたり、腎臓が不全を起こすことになる。しかし今雄途が言った通りたんぽぽコーヒーであれば、カフェインを含まないため飲めるのだ。
魅雲村をはじめ、妖怪数が人口に対する比率を上回りつつある裡辺では、各地のスーパーにこのたんぽぽコーヒーが置いてあった。それにこれは、カフェインが含まれないため妊婦にも優しく、実は人間にもありがたい飲み物なのだ。
「お前さー、それブラック?」
「変か?」
「よく飲めるな。俺カフェオレじゃねえと無理だわ」
「燈真はカッコつけたがりやだからブラックで飲んでんだろ」
光希が英訳を今頃やりながら吐き捨てた。ちなみに自分で訳しているのではなく、雄途のノートを参考に書き写していた。なんて
「義理のお袋がクッソゲロ不味い甘ったれの食いもん食わしてきたから、甘いもんがダメなんだよ」
「あ、そういう理由なんだな。悪い、今まで知らねえで、からかってたわ」
「俺も悪い」
「いいって、気にしてない」
光希と雄途が素直に謝罪する。ころころ意見が変わるのではなく、素直に己の立場と非を認められるだけだ。掌返しと、非を認めることは全くもって別物である。
「フルーツとかアイスは食えんじゃん、燈真」
椿姫が上着のブレザーの袖を腰で結ぶ、いわゆるギャルスタイルで席に座った。隣には来校証を首から下げた万里恵がそれとなく立って、「青春の匂い〜」などと鳴いている。ちなみに、人の姿ではなく猫の姿だ。大きい猫が、照明を首に巻いて椿姫の机に乗っかっているのである。周りの生徒は「猫又忍者じゃん!」と言いながら酔ってたかってちょっかいをかけていた。
「あれは別だろ。アイスは母さんが……俺を産んだ方の母さんがご褒美にくれてたからな。しるこバーをよく買ってきてたっけか」
「あれってアイスじゃなくて金槌じゃね」
雄途があるあるネタを言った。確かに、と光希は頷く。
「人間の子供があんなん齧ったら乳歯取れるだろ」
「よくわかったな、俺は前歯があれに刺さって、抜こうとしたらこう……バーに歯が刺さってたんだよ」
「ぎゃははは! なんだそれ!」
「燈真の抜歯はさておき、光希さっさと写せよ。もうすぐ予鈴鳴るぜ。俺のノート借りパクすんのなしだからな」
「やべっ待って、あと二分くれ」
「なんで家でやんないのよあんたは」
光希が猛スピードで、達筆(?)で書き写してノートを返した時、ちょうどショートホームルームの予鈴が鳴った。
生徒たちが生真面目に席につく。
お化けには学校も試験もない——と、かつて言われていたらしいが、現代にはあるのだ。人間社会での暮らしを学ぶ上で、やはり学校や試験は合理的なシステムである。こういったものを中世の頃には大学という形で作り出す人間の発想力は、凄いものだ。
「おはようさん。お祭りはどうだった? 先生は巫女さんの話術にハマってお守りをいっぱい買ってきました。男ってバカだね、可愛い子が話しかけてくるだけで財布の紐が緩くなる」
「
「そーだよ。だから数少ない小遣いは大事にしたかったんだよね。さて、と……出欠をとるぞ。若干一名妖怪になってるが、まあいいだろ。狐が妖狐になるように人間が鬼になったって別に不思議じゃない」
担任の御薬袋が放った一言は言葉のあやではなく、実際のことである。
人間から妖怪に昇華するケースはある。後天的に妖怪になる手段としては、例えば吸血鬼から血をもらうことで仲間にしてもらったり、燈真のように妖怪の臓器を移植するケースもある。また、おどろおどろしいがストレスや怨念が、その人物を異形に変えることもあるのだ。
絵の具のようなシミが付いている白衣を翻し、御薬袋がエレパッドという電子タブレットを取り出した。
そうして出欠を取り終わると、彼はぽりぽりと無精髭が散った顎を撫で、
「はい、全員出席ね。じゃあ日直、挨拶」
「はい、起立、礼」
燈真は頭を下げ、なんとか胸を撫で下ろした。
鬼になったことは、多少の驚きこそあれ概ね受け入れられているらしかった。
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