自見はなこ議員を訪問しました
9月2日夕方に、自然分娩推進協会の4名(写真)で参議院会館に参議院議員で内閣府大臣政務官である自見はなこ先生を訪ねてきました。
目的は、「こども家庭庁」設置に邁進されている自見先生に、自然分娩の大切さと自然分娩推進協会の存在を知って頂くことです。
自見はなこ議員のご活動について
その前に自見先生の活動について少し紹介しておきます(先生は福岡が地元で比例区2期目当選の参議院議員)。
今年6月15日に、参議院本会議で「こども家庭庁設置法案」と「こども基本法」(ともに令和5年4月1日施行)が成立しました。
「こども家庭庁」は、2018年12月8日に成立した議員立法である「成育基本法」で規定された行政組織です。この「成育基本法」の発案から成立、そして「こども家庭庁設置」に至るまで、その全過程を通じてずっと中心存在であったのが自見先生です。どちらも母子保健関係者には大いに関係のある法案であることは言うまでもありません。
「成育基本法」ついては、私も静岡県の医師会理事時代に、その成立やCDR(法律に含まれている、全ての子供の死因究明)の制度の報告を聞きに上京し、その意義や重要性について理事会で報告したことを思い出します。
また「こども基本法」は1989年に連合国(国連のこと)の総会において採択された「児童の権利に関する条約(いわゆる子どもの権利条約)」の日本版で、日本は1994年にこの条約を批准しているにもかかわらず、これまで国内法を整備してこなかったのですが、28年後の今、こども基本法として整備されたということです。
これについても思い出があります。
私はかつて名古屋の「子どもの権利市民オンブズマン」に関わっていました。十代女性の中絶を相談するところがなくオンブズマンの弁護士さんから度々相談を受けていたのがきっかけでした。条約批准後に日本だけが国内法の整備が遅れていましたが、なんと今頃?と知り驚いています。
しかしそれだけ意見の乖離があったのも事実です。
というのも当時、左翼系の教師や弁護士たちが子供の権利を主張する一方で、伝統的な家庭観やしつけの大切さを主張する人もあり、大きな相違を目の当たりにしました。
知り合いで厚労大臣も歴任された小宮山洋子さんなども、こどもの権利条約には大変熱心な方でしたが、法整備には至らなかったのでしょう。
これを国内法にまとめるには時間の経過とまとめ役の出現が必要だったのだと思います。
つまり伝統的な国家観や家庭観を持つ年配議員さんを懐柔する一方、権利主張の激しい人を歩み寄らせるには、明るい人柄と優しい小児科医のイメージの自見先生が必要だったのではないかと思います。自見先生たちの人柄と行動がこれを成就させたのでしょう。
自見はなこ議員とのお話
さて訪問の話に戻ります。
両者を知る井上弁護士からの事務挨拶に続いて、私が自己紹介をさせて頂きました。
長年、周産期医療に携わってきて「日本のお産はこれで本当に良いのか?」と自問して「頑張れ助産院」を書いた経験から、「自然分娩がなくなるとまずいことになります」と説明すると、
自見先生が「わが意を得たり」(と私には感じられた)
「だからこども基本法案には、
『2. 子育てに伴う喜びを実感できる社会の実現に資するため、就労、結婚、妊娠、出産、育児等の各段階に応じて行われる支援』
と定義して、わざわざ“出産”を入れたのです」
と話されました。
様々な利害や思惑が錯綜する法案の中に、出産の2文字を忍ばせたことは隠れた意図があったのです。
そのあと北島先生を含めてオキシトシンのことや嘱託医問題、院内助産院のこと、お母さんを守り支援するネウボラのことなど多数の話題で盛り上がりました。
つまり自見先生は北島先生と同じ小児科医の経験もあり、出産の重要性や産婦人科医に気づいてほしいことなど同じような視点を持っておられたのです。またSBSK副代表の松岡先生の専門である比較文化人類学は「大切なジャンルで、しかも大好き」だと話されました。これまた私たちと同じ目線でお産文化をとらえていらっしゃることが分かり、嬉しくなりました。松岡先生からも後日著書を謹呈されることになりました。
さらに偶然ですが、昨年のシンポジウム「嘱託医問題の解決を目指すシンポジウム」に参画いただいた信友浩一先生の厚労省時代の話や信友先生の奥様の、鄙びた(荒堀の表現です)助産所の話も自見先生から持ち出され、自然分娩や自然分娩推進協会を益々身近に感じて頂ける会談となりました。
僅か30分の面談でしたが、内容は豊富で明るく楽しく、今後こども家庭庁やこども基本法、その大元である成育基本法の目指す社会について、自見先生には大きな期待を寄せると同時に、自然分娩推進協会としても協働すべきことが多いことを確認してお別れしました。
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