羅刹王のラーヴァナが正義の化身であるラーマ神の矢に倒れた時、死の間際で説いたとされる教えがあります。
ラーマ神が弟のラクシュマナに、ラーヴァナから成功した人生を送るための秘訣を学ぶことを望んだからでした。
10の頭を持つラーヴァナは羅刹王でありながら知識に卓越しており、ラーヴァナにしか示すことのできない教えがあったからです。
虫の息のラーヴァナに恭しく近づいたラクシュマナに、ラーヴァナは 3 つの教えを授けます。
最初の教えは「Shubhasya Shighram(シュバシャ・シーグラム)」でした。
この言葉には、善良な意図や願望がある場合、すぐにそれを実行すべきであり、さもなければ、後で何らかの障害が起こる可能性があるという教えが秘められています。
ラーヴァナはラーマ神の偉大さに気づいていたにもかかわらず、最終的にラーマ神に帰依したのは死の床においてでした。
最初からラーマ神に帰依していれば、多くを巻き込む争いを引き起こすことなく、自らも破滅に苦しむようなことにはならなかったという事実を、自身の経験を通じて説いています。
吉兆な行為(高潔で優れた行為)に関しては、遅滞なく即座に為されるようにすること。
不吉な行為(罪深く卑劣な行為)に関しては、決して為されないように可能な限り遅らせるということ。
この教えには、時間が限られた資源であり、善良な目的や機会においては速やかに行動しなければ、その潜在的な利益を逃すことになりかねないという教えも秘められています。
これは、「鉄は熱いうちに打て」ということわざに似ているものです。
物事は時機を逃さないよう、関心や情熱があるうちに実行しなければ成功しにくくなるという教えです。
事業であれ、学習であれ、吉事であれ、前途が順調に見えたら迷わず進むようにという戒めであり、成長、習得、幸福の機会をつかむように促してくれるものです。
揺れ動く心の働きを持つ私たちは、さまざまに思い悩み、躊躇し、思いもしない方向へ進んでしまうことがあります。
それはまさに、叙事詩のラーマーヤナにおいて示される、自らの誤った選択と高慢さによって狂ったラーヴァナの歩みが物語っています。
高潔で優れた行為は迷わずに行い、神聖な時間の流れを大切に生きることが、人生における成功だけでなく、魂の成長と究極の解放へと繋がるということをラーヴァナは教えてくれています。
このラーヴァナが最後に遺した教えを心に留め、日々の行動に反映させることで、私たちは真に意味のある人生を送ることができるはずです。
(文章:ひるま)
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