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マイストーリー①:ハワイでの電撃結婚。幸せへの道のりへのはずが・・・


これから私のSTORYを数回に渡ってお話ししていきますね^^

昔から強がりのわたしは弱みを人に話すのが怖いけど。すごく怖いけど、過去の辛かった自分と向き合いながら筆を進めていきたいと思います。

ハワイで出会って3ヶ月で周囲もびっくりの電撃結婚をしたのは2015年のこと。

わたしは直感に従うタイプで条件とか理由とか全然考えないから

周りに「なぜ?」と言われても

「結婚したいから」としか答えようがなかった。(獅子座の説明のできない直感w)

夫には前の妻との間にできた3才の子供がいて

その子との時間を過ごすために週2しか働いてなかったからすごく貧乏だった

今考えれば本当に世間知らず苦労知らずのお嬢様だった私は貧乏ってどういうことかわかってなくて

「子供のために働く」のではなく「子供との時間を確保するために働かない」選択をしていた彼のチョイスの斬新さにただ感銘を受けた(貧乏だけど愛さえあれば幸せみたい世界に興味を持ったw)

子供と関わる機会がそれまで皆無だったわたしは

「え、子供?ちょーかわいいじゃん!」みたいな軽いノリで連れ子がいることなんか結婚する上で全然気にならなかった

むしろ急に家族ができたみたいで嬉しかったし、ダディのガールフレンドとして短時間一緒に遊ぶ上ではすごい良い子で可愛いかった

子供って天使だね〜とか、

今考えたらほんとに物事の表面しかみないで言っていた

その子の母親は子供を産んでからも毎晩飲みにいって家に帰ってこなくて子供が1歳になる前にボーイフレンドを作って家を出ていってしまったらしい。

そんな話を聞いて母親に捨てられた可哀想な子供をわたしが愛してあげるんだ。ってちょっとしたヒーロー気取り。本当に浅はかだった。

そう

実際に継母としてその子と真正面に向かい合うことがどれだけ苦しいことで

これだけのドロドロした感情があったなんて

それを子供がこれでもかというぐらい引き出していくことになるなんて。その頃は考えもしていなかった

わたしは恵まれた家庭で育って

両親の仲も良かったし兄弟仲も良かったし

友達づくりにも友達付き合いにも苦労した覚えはあまりなく

裕福な家庭で何の不自由もなく育った3兄弟の真ん中。

私立のお嬢様学校に通わせてもらっていたから当然周りの友達も裕福な家庭で親から愛されて大事大事に育てられた、余裕のあるお嬢様ばかり。

愛されること、愛することが特別ではなく

「自分は愛されて当然の存在」という価値観で育ったから自己肯定感だけはすごくある(笑)

結婚する前までは、子供が虐待されたというニュースをみると「ひどすぎる」とか再婚相手が虐待とかいうニュースも、「子供相手によくそんなひどいことができるな。」とか「大人の都合で子供を振り回しておいてさらに虐待とかマジで信じられない」と思っていた

町で母親が子供を叱り付ける姿とか見ると「ヒステリック〜子供かわいそう〜」とかって子育ての大変さなんか何も知らないのにジャッジだけは立派にしていた

まさか

まさか

まさかわたしが

子供大好きなはずのわたしが

いつも明るく天真爛漫のはずだったのに


ステップサン(旦那の連れ子)との関係にあんなにも追い込まれてドロドロな精神状態になって自分が怖いぐらいコントロールできなくなって

虐待すれすれ(てかアウト?)まで追い込まれることになるなんて


結婚を軽い気持ちで決めた時はそんなこと

考えてもいなかった

つづく

(あー震える。。)

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☝️独身の頃はヨガにハマって色んな国に旅してた。そんなわたしとヨガのSTORYはこちら

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💋パトンあきこ

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パトンあきこ

ママでも自分の人生を自由に生きることを表現していきたいです

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元薬剤師→世界へヨガの旅に出る→旅の途中にハワイで電撃結婚→11年間続けたアシュタンガヨガに産後に違和感を感じヨガ難民→骨格ベクトレに出会い身体のことをいちから学び直し中。アメリカの田舎に住む4児のママ
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