私はオートバイなど人には薦め
ない。
危険な乗り物だからだ。
オートバイなどは、自分自身が
興味を持って自発的に乗ろうと
決めて乗り出す人だけが乗るの
がいい。
人から薦められて、どれ乗って
みようか、などと安易に踏み
出すと、とんでもない危険が
待ち受けている、そんな乗り
物がオートバイだからだ。
二輪に興味を示している人には
言うには言う。
「乗らないの?」と。
その時、「乗りますよ」と言下
に即答える人は、大抵はやがて
自分から免許を取りに行き、その
うち二輪に乗り始める。
逆に、興味を示しながらも、私
のその問いに少しでも逡巡を示
す人は、大抵は乗らない。とい
うか、ほぼ100%の確率で乗ら
ない。
口では「乗りたいんですよ~」
などと言うのも共通パターンだ
が、その類型の全ての人は乗ら
ない。本当に乗る気あるなら
とっとと行動して乗っている。
その手は二輪になど乗らなくて
いいと思うし、乗らないほうが
いい。
オートバイは倒れたら自分で
起こさなければならないという
自立的な人間が乗る乗り物だ。
人から薦められたり、誘われた
からと乗ろうかなと思うような
あやふやな心持ちで乗るには、
あまりにも危険が多すぎる乗り
物が二輪だ。
「わ~、楽しい」だけではない。
その楽しさとは常に危険と背中
あわせなのだ。
そういう乗り物。
そして、人の薦めや誘いで何か
を始めようとするのは、それは
発心でも発起でもない。自覚的
な自立性も無い。
つまり、主体が欠落している。
そういうタイプは一番オートバイ
に乗ってはいけない類種だ。
そうしたあたりで二輪に乗り始
めると、確実に転倒したり事故
を起こす。
そして、事故を起こしても「よく
ある事」などと自分を含めた二輪
に乗る者に甘い事を言って本質
を見ようとしない。
現代はそうしたナンチャッテの
二輪走らせ人が異様に増えてい
る。
危険を危険ときちんと認知して、
察知して、その危険を回避した
り、繰り返さないように砕身し
たりするつもりのない人間は、
実はオートバイだけでなく、
四輪だろうと道路を走っては
ならない。
オートバイ人口の裾野を広げる
とか、二輪を広めようとか、私
は個人的にはくそくらえだ。
自分から乗る気がある人のみが
二輪には乗ればいいし、それが
危険回避と安全追求への近道だ。
例え他人を見ていて「よさそうだ。
やってみるか」となったとして
も、自分から自分の足で一歩踏み
出さない人は危険な二輪になど
乗らないほうがいい。
そして、私は二輪乗りの世界に
人を誘わない。勧誘も広報もし
ない。いいぜ~、とは個人的感慨
の吐露として言っても。
「今度、あの映画観に行かない?」
というようなノリでは絶対に二輪
を人には薦めないし乗り始める事
に誘わない。
「乗るの?乗らないの?」とだけ
訊く。
そして、前述のように、その答え
により明確に一様に進路が分かれ
る結果となるのが興味深い。
一つの不動の真理に近いものが
そこにはあるのだろう。
ない。
危険な乗り物だからだ。
オートバイなどは、自分自身が
興味を持って自発的に乗ろうと
決めて乗り出す人だけが乗るの
がいい。
人から薦められて、どれ乗って
みようか、などと安易に踏み
出すと、とんでもない危険が
待ち受けている、そんな乗り
物がオートバイだからだ。
二輪に興味を示している人には
言うには言う。
「乗らないの?」と。
その時、「乗りますよ」と言下
に即答える人は、大抵はやがて
自分から免許を取りに行き、その
うち二輪に乗り始める。
逆に、興味を示しながらも、私
のその問いに少しでも逡巡を示
す人は、大抵は乗らない。とい
うか、ほぼ100%の確率で乗ら
ない。
口では「乗りたいんですよ~」
などと言うのも共通パターンだ
が、その類型の全ての人は乗ら
ない。本当に乗る気あるなら
とっとと行動して乗っている。
その手は二輪になど乗らなくて
いいと思うし、乗らないほうが
いい。
オートバイは倒れたら自分で
起こさなければならないという
自立的な人間が乗る乗り物だ。
人から薦められたり、誘われた
からと乗ろうかなと思うような
あやふやな心持ちで乗るには、
あまりにも危険が多すぎる乗り
物が二輪だ。
「わ~、楽しい」だけではない。
その楽しさとは常に危険と背中
あわせなのだ。
そういう乗り物。
そして、人の薦めや誘いで何か
を始めようとするのは、それは
発心でも発起でもない。自覚的
な自立性も無い。
つまり、主体が欠落している。
そういうタイプは一番オートバイ
に乗ってはいけない類種だ。
そうしたあたりで二輪に乗り始
めると、確実に転倒したり事故
を起こす。
そして、事故を起こしても「よく
ある事」などと自分を含めた二輪
に乗る者に甘い事を言って本質
を見ようとしない。
現代はそうしたナンチャッテの
二輪走らせ人が異様に増えてい
る。
危険を危険ときちんと認知して、
察知して、その危険を回避した
り、繰り返さないように砕身し
たりするつもりのない人間は、
実はオートバイだけでなく、
四輪だろうと道路を走っては
ならない。
オートバイ人口の裾野を広げる
とか、二輪を広めようとか、私
は個人的にはくそくらえだ。
自分から乗る気がある人のみが
二輪には乗ればいいし、それが
危険回避と安全追求への近道だ。
例え他人を見ていて「よさそうだ。
やってみるか」となったとして
も、自分から自分の足で一歩踏み
出さない人は危険な二輪になど
乗らないほうがいい。
そして、私は二輪乗りの世界に
人を誘わない。勧誘も広報もし
ない。いいぜ~、とは個人的感慨
の吐露として言っても。
「今度、あの映画観に行かない?」
というようなノリでは絶対に二輪
を人には薦めないし乗り始める事
に誘わない。
「乗るの?乗らないの?」とだけ
訊く。
そして、前述のように、その答え
により明確に一様に進路が分かれ
る結果となるのが興味深い。
一つの不動の真理に近いものが
そこにはあるのだろう。