今回のゲストは俳優の近藤芳正さんです。
近藤さんは1961年生まれ、愛知県の出身。
15歳の時の『中学生日記』出演をきっかけに、劇団青年座研究所に入所。
俳優として才能を開花させ、映画『ラヂオの時間』、『THE 有頂天ホテル』、ドラマ『真田丸』、舞台『笑の大学』など、三谷幸喜作品に数多く出演。
その他ドラマに舞台に映画に、さらにバラエティにと幅広く活躍。
現在は"ラコンチャン"として舞台制作やプロデュース作品も手掛け、時には作・演出にも関わっておられます。また、俳優向けのワークショップも主宰するなどエンターテインメント界のオールラウンダーと評されています。
そんな近藤さんは2020年より京都に拠点を移し、地元KBSテレビの「おやじ京都呑み」
冬の貴船を舞台にしたヨーロッパ企画の長編映画「リバー、流れないでよ」にも出演。
対談ではエンターテイメントについて、また京都のテレビ、京都の知人、結婚相手など京都の印象をお聞きしましょう。

絢爛豪華な祇園祭。
その始まりは、疫病が流行るたびに、
時の朝廷が怨霊を鎮めるために行った御霊会(ごりょうえ)。
中でも祇園の御霊会が最も効果があると、
祭礼は勅祭として恒例の行事になりました。
恐ろしい疫病(えきびょう)から逃れるために
疫病(やくびょう)の神、いわゆる「疫神(えきしん)」を送ろうとしたのです。
もっと華やかに、賑やかに。
人々の願いはやがて観衆を意識した壮大な祭りへと変わってゆきました。
苦難の時代にいつか必ず復興すると、あえて休み山となった山鉾は
大船鉾、鷹山の2基が見事に復活。
コロナ禍を乗り越え、町衆の思いを乗せた山鉾は京都の街を堂々と巡行します。
時代に合わせ、変遷を繰り返しつつ、大切なものを守り続けて。
2023年祇園祭。
今年は制限のない本来の祭りが実現します。
さまざまのご苦労をのりこえてこられた山鉾連合会木村幾次郎理事長に
今年も米團治が迫ります。

今回のゲストはデュオ夢乃さん。
琴・三味線奏者の木村伶香能(きむら・れいかの)さんと、 チェロ奏者の玉木光(たまき・ひかる)さんによる夫婦ユニットです。
二人はニューヨークと日本を拠点に、邦楽とクラシックという和と洋それぞれの伝統に根ざしつつ、新たな室内楽を開拓されています。
始まりは2008年、アメリカ、フォートウェインさくらフェスティバル。
初共演を果たした二人は翌2009年から本格的にデュオ活動を開始しました。
代表作のひとつがアメリカの著名なオペラ作曲家、ダロン・ハーゲン氏に委嘱し、完成した壮大な5部作「平家組曲」。
さらに源氏物語等古典と音楽の融合にも挑んでいます。
日米での活動と並行して、海外にも活動の場を拡げ、2019年、カーネギーホール・ワイルリサイタルホールでのデュオ10周年記念リサイタルはソールドアウト公演となりました。
二人の和と洋の楽器が響きあい溶け合い引き立てあって生み出される新たな音楽は海外でも高い評価を得ています。
対談ではお二人がそれぞれに歩んできた道、西洋のクラシックと、日本の伝統楽器が出会ったときのインスピレーション、新たな室内楽の境地などについてお話をお聞きします。

今回のゲストはシンガーソングライターの
遊佐未森 (ゆさみもり) さんです。
彼女は宮城県仙台市出身、子どもの頃から歌が大好きで
小学生の頃からピアノを使って作詞作曲をしていたそうです。
中学では声楽を学び、声楽家をめざします。
しかし高校、大学とさまざまな音楽に触れるうちに
シンガーソングライターへの道を志すようになりました。
1988年ファーストアルバム『瞳水晶』でエピックソニーよりメジャービュー。
自然からインスピレーションを得る音楽は癒しブームの先駆けでした。
独創的な音楽観から生み出される楽曲は誰にも似ていない「遊佐未森の音楽」。
つねに「遊佐未森」でありつづける彼女のスタイルは
独創的なライブやコンサートと相まって
多くのファンやメディアから高い評価と支持を得ています。
彼女にとってうたうこととは、癒しとは、オリジナリティとは
表現者として相対する米團治とじっくり話し合っていただきましょう。

葵祭も終わっていよいよ京都に夏がやってきます。
古くは加茂の祭りと呼ばれていた祭りは
人々が神聖な葵を飾って祭りを行うことから葵祭と呼ばれるようになりました。
なぜ、人々はこの植物を神聖なものとみなしたのでしょうか。
「あおい」は文字で表すと「あふひ」。
この「ひ」とは生命力や神霊を指すといいます。
あおいは「ひ」にめぐり「あふ」、つまり神と出会うという意味になります。
神に会いたいと願うなら「葵」を飾って待て。
はるか昔、加茂の神は人々にそう告げたのです。
そして。降臨した神を祀ったのが上賀茂神社の始まりとされています。
人々は毎年葵を身につけて神に願い、感謝を捧げました。
そうして1400年もの時を刻んできました。
かつては当たり前のようにあった葵は今では少しずつ姿を消しつつあります。
この葵を守るプロジェクトがあります。葵を守り育て、祭りを支援することは日本の伝統文化と自然とともにあるという日本人の心を見つめ直すこと。
今回は一般財団法人 世界文化遺産 賀茂別雷神社 葵の森保全葵プロジェクトより
理事の高瀬川薫子(かおるこ)さんと
事務局次長・野町真之助さんをお迎えしました。
その活動についてじっくりと語っていただきます。

今回のゲストは俳優松平健さんです。
松平さんは今月5日から新歌舞伎座において5月薫風特別公演「伊之吉の千両茶碗」に主演されます。
その演目は桂米朝が復活させた古典落語「はてなの茶碗」をもとに書き下ろされた新作芝居。
米團治も重要な役どころで共演するという縁で今回の対談が実現しました。
松平さんは俳優で歌手、そしてタレントとしても大活躍。
テレビ時代劇「暴れん坊将軍」シリーズでは、およそ25年にも渡って主演を務められ、
また、「用心棒」「王様と私」など、時代劇からミュージカルまで様々なジャンルの舞台公演で人々を魅了しています。
今回の公演の第二部でも披露されるおなじみの「マツケンサンバ」では、
従来のシックなイメージを超える華やかさに意表をつかれた方も多いことでしょう。
今回の対談では舞台「伊之吉の千両茶碗」についてのお話や稽古でのエピソード、
またなじみの深い京都についてもざっくばらんに語っていただきます。

今回のゲストは木ノ下歌舞伎主宰の木ノ下裕一さんです。
木ノ下さんは1985年和歌山市生まれ。
小学校3年生の時、上方落語に出会い、以後中学生で「歌舞伎」、高校生で「文楽」、大学生で「能・狂言」と、日本の古典芸能への造詣を深めていきました。
京都造形芸術大学、現京都芸術大学での専攻は映像・舞台芸術。
いつしか培ってきた古典の知識をいかし、古典を使った現代演劇を作れないかと考えるようになりました。
2006年に歴史的な文脈を踏まえつつ、現代における歌舞伎演目上演の可能性を発信する団体「木ノ下歌舞伎」を旗揚げ。
古典がもつ世界観を現代に再現し、多くのファンを獲得しています。
木ノ下さんが仕掛ける古典の現代化とは。
演出家を固定せず、作品と演出家、役者をコーディネートするスタイルの意図は。
桂米朝師匠が大好きで、米朝落語から古典の世界に入ったことが現在の自分に大きく影響していると語る木ノ下さんと米團治の対談。
どんな化学反応が起きるのか、楽しみに聴きください。

今回のゲスト宮川花子さんは1954年大阪府大阪市生まれ。
高校卒業後、警察官を経て、チャンバラトリオに弟子入りしました。
1976年にガードマンの仕事をしながらお笑いをあきらめず100本もの漫才台本を書いていたという大助さんと結婚。
1979年に宮川大助・花子を結成、夫婦漫才の第一人者となりました。
上方お笑い大賞など受賞多数。
誰もが憧れる理想の夫婦としてテレビ、映画、CM、講演会などで活躍しました。
大人気を博す中、1988年花子さんのがんが発覚
さらに2007年には夫大助さんが脳出血で倒れてしいました。
一時は命の危険も...。
なんとか復帰を果たすも2019年、今度は花子さんが症候性多発性骨髄腫を患い余命宣告。
命の危険をそれぞれが献身的に支え合って乗り越えました。
奇跡の回復力で2021年に夫婦そろって舞台に復帰。
いまでこそ語れるこれまでの宮川花子の人生とは
米團治を相手にマシンガントークを披露していただきしょう。

今回のゲストは嵯峨大念仏狂言保存会より保存会事務局長・加納敬二さんをお迎えしました。
京都には能楽の狂言とは別に狂言師ではなく一般人が演じる狂言の伝統があります。
それが念仏狂言。仏の教えを身振り、手振りで演じることで多くの人に広めようという宗教的な背景があることが特長です。
京の三大念仏狂言として知られているのが
千本ゑんま堂、引接寺の「ゑんま堂大念仏狂言」
壬生寺の「壬生大念仏狂言」
そして清凉寺、嵯峨釈迦堂の「嵯峨大念仏狂言」。
特に「嵯峨大念仏狂言」は鎌倉時代に始まったとされ、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
現在「嵯峨大念仏狂言」は清凉寺境内の狂言堂で年に数回開催されており
そのひとつが春の公演前の3月15日、清凉寺のお松明式に合わせて行われます。
500年もの長きにわたり、人々に受け継がれてきた大念仏狂言、その歴史や文化について、また保存会の人々の思いについてお聞きします。

3月3日は桃の節句、ひな祭り。
平安の昔、貴族の姫たちに愛されたままごと遊びの人形、雛(ひいな)。
このひいな遊びはその後節句の行事と解け合い、おひな様を飾ることによって節句の祓いをするようになりました。
江戸時代以降は厄災を祓うという意味も薄れ、女の子がおひな様を飾って遊ぶ行事へと形を変えていきました。
「雛人形」といえば「京雛(きょうびな)」
宮中の風習が色濃く残る京都で育まれた優美な伝統、そして技。
今回は有職京人形司として父子相伝の技を伝えておよそ100年、
三代目大橋弌峰(おおはしいっぽう)・大橋義之さんをゲストにお招きしました。
ひな人形は頭(かしら)、髪、手足、道具、衣装の3000もの工程を経て最終的に着付司とも呼ばれる人形司が完成させます。
かたちではなく姿を作るという職人の矜持とともに、
変わらぬ伝統と時代に合わせて変化する人形と人の関りについて。
今回は京人形のあれこれをじっくりとお聞きします。
