・創始者 北川慈敬教主
・本部所在地 神奈川県横浜市

教団の沿革
 創始者・北川慈敬は、1937年9月12日、大阪の阿倍野で生まれる。その後母親の中村房江は病院の慰問をしていた秩父宮勢津子に偶然会い、その縁で妃殿下の先導をしていた婦人会会長の援助を受け、名古屋で青葉洋裁店と言う洋裁店を開業する。1945年、北川は越前海岸にある父親の実家へ疎開する。
 北川が小学生高学年の頃、父親は別の女性と関係を持ち、両親が離婚する。それから間もなく近所の人から「解脱会」を薦められ、11歳の時に母親と共に解脱会に入信。小学6年生の頃には、生長の家の谷口雅春、立正佼成会の庭野日敬、天理教の中山みきなどの著作を読み始め、カトリックの教会にも通っていたという。
 中学生の頃、母親の腕に一升瓶の破片が腕に刺さったため、手がだめになり、青葉洋裁店を閉業。その後、もともと我の強い母といると、自分の人生もだめになると思い、母親と縁を切る。その後父方の伯父の松河松雄が運営している日伸ビルという会社に務め、1957年10月、北川が20歳の時に夫・北川和夫と結婚する。その後母親を迎え、母親は看護婦になる。
 1966年11月、父親が63歳で亡くなり、その11年後に母親も亡くなる。

 1997年9月12日、真言宗醍醐派総本山・深雪山醍醐寺の真如三昧耶堂で、真如苑教主の伊藤真乗夫妻の姿が現れ、「私たちの教団は、霊界にこういう世界を作っております。ここは会員さんが亡くなった後でも、穏やかで安らげるように作った場所です。そして私たちが作ったように、あなたもあなたの霊界をどうかお作りになってください。見えないところへ行った人々を救ってあげてください」と告げられる。
 1999年2月、北川の次男の悠仁(フォークデュオ「ゆず」のメンバー)のスキャンダルが雑誌に取り上げられ、解脱会ではこれが問題になり、これを機に教団を脱会。その年の5月に「かむながらのみち」を立教する。

教団の教義・特色
 この教団では、「セミナー」(セミナーは一人一人の「魂の覚醒」だという)、「リーディング」(人間の表面意識と潜在意識の間にある「本質意識」を読み取っていくという)などを行っている。
神は三宅島を噴火と言う形で禊いでおり、北川は三宅島の上に巨大な井上正鐡神(禊教教祖)の姿を霊示したという。なお、人には必ずカルマがあり、どんな事をしてもそのカルマからは逃れられないと説く。

教団の関連企業
㈱ETLジャパン北川精密工業㈱、長男の悠仁が所属、三女の幸子が経理を務める㈲仁社がある。なお、ワンワールド・ワンピープル協会というNGO団体と若干交流があるという。

関連リンク
公式ウェブサイト