【レビュー】特別展「マリー・ローランサンとモード」名古屋市美術館で9月3日まで 狂騒の時代を駆け抜けた二人の女性
| 特別展「マリー・ローランサンとモード」 |
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| 会場:名古屋市美術館 (名古屋市中区栄2-17-25 芸術と科学の杜・白川公園内) |
| 会期:2023年6月24日(土)~9月3日(日) |
| 開館時間:午前9時30分~午後5時、金曜日は午後8時まで (※いずれも入館は閉館30分前まで) |
| 休館日:月曜日 |
| 入場料:一般 1,800円、高大生 1,000円、中学生以下無料 |
| 展覧会ホームページ:https://www.ctv.co.jp/marie-laurencin-nagoya/ |
2つの世界大戦に挟まれた、1920年代のパリ。自由でエネルギッシュなその時代を生きた女性たちの代表ともいえるのが、画家のマリー・ローランサンと、ファッション・デザイナーのガブリエル(ココ)・シャネルです。名古屋市美術館で開催される本展では、ともに1883年に生まれた2人の活躍を軸に、ポール・ポワレ、ジャン・コクトー、マン・レイ、ジャンヌ・ランバンなど、時代を彩った人々との関係にも触れながら、美術とファッションが互いの境界を超えてダイナミックに展開する様子をたどります。東京(Bunkamura ザ・ミュージアム)、京都(京都市京セラ美術館)に続く人気の巡回展です。
レザネ・フォル(狂騒の時代)を迎えたパリ
第一次世界大戦が終わり、第二次世界大戦の足音が聞こえるまでの間、1920年代のパリはつかの間の繁栄を謳歌します。第一次世界大戦の影響で女性の立場や価値観が大きく変わり、平和を取り戻したパリには多くの外国人が集いました。創造のエネルギーが渦巻き、あふれ、芸術文化が境界を超えて花開く時代となったのです。マリー・ローランサンとガブリエル・シャネルという2人の才能ある女性は、この「狂騒の時代」のパリで頭角を現しました。
41歳、肖像画家として人気が出てきた頃の作品
左奥:マリー・ローランサン《ヴァランティーヌ・テシエの肖像》1933年 ポーラ美術館
凝った背景にも注目! イメージに合わせてブルーやピンクの壁紙が誂えられています。
軽やかな色彩で女性を描き続けたマリー・ローランサン
パリに生まれて絵の道に進んだローランサンは、ピカソやジャン・コクトーなど時代の最先端をゆく芸術家たちと交流を持ち、独特の明るく淡い色合いでセレブの肖像画を描くことで人気を得ました。詩人アポリネールとの熱愛は有名です。
右:マリー・ローランサン《アポリネールの娘》1924頃 名古屋市美術館
結ばれなかった恋人、アポリネールとの間に生まれたかもしれない想像上の娘の肖像です。物憂げな表情と淡い色合いが相まって切なさを感じます。なお、本作は名古屋市美術館のみの展示です。
この頃、パリの社交界では、ローランサンに肖像画を描いてもらうことが一種のステイタスでした。
また、当時人気の高かったバレエ・リュスのプロデューサー、ディアギレフとも知り合い、バレエ「牝鹿」で舞台美術を担当したり、親友ニコル・ポワレの夫で装飾美術家のアンドレ・グルーによる依頼で装飾デザインも手がけるなど、絵画に留まらず幅広く活躍しました。
タペストリーの下絵として作成されたもの。
第二次世界大戦後は、賛否両論を受けながらも、夢見るようなタッチからよりはっきりした力強い画風へと変化してゆきました。
右:マリー・ローランサン《アンドレ・グルー夫人(ニコル・ポワレ)》1913年頃 マリー・ローランサン美術館
同一人物を描いた2つの作品を比べると変化の幅がよくわかります。ニコル・ポワレはファッション界の帝王と言われたボール・ポワレの実妹で、ローランサンとは生涯親密な関係にありました。
女性のための新しいデザインを創り続けたガブリエル(ココ)・シャネル
ローランサンと同じ1883年に生まれたシャネルは、田舎の貧しい家の生まれでしたが、帽子デザイナーとしてパリのアパルトマンの一室で店を開くことから始め、たちまちセレブに人気のファッション・デザイナーとして有名になります。働く女性のための、シンプルで動きやすい衣装をデザインし、モダンなファッションの担い手として活躍しました。そして、シャネルもまたディアギレフとのつながりがあり、バレエ・リュスの公演「青列車」で衣装を手掛け、スポーツウェアを転用したバレエの衣装が当時としては斬新でした。
直線的なシルエットに膝丈のスカートは、動きやすさと優美さを兼ね備え、当時流行したモダンガールのスタイルを反映しています。
左奥:ジャンヌ・ランバン《ドレス》1936年 島根県立石見美術館
右奥:ガブリエル・シャネル《イブニング・ドレス》1920-21年 桜アンティキテ
短く切った髪型に膝丈のスカート、ウエストをしめつけない直線的なシルエットのドレスに身を包んだモダンガールが流行した1920代前後は、女性の衣服が大きく変わった時代でした。1910年代にポール・ポワレがコルセットを使わないオリエント風の衣装をデザインして流行に乗り、続いてシャネルやジャンヌ・ランバン、マドレーヌ・ヴィオネといったデザイナーがモダンなファッションに取り組んでいきました。
右手前:シャネルN°5の広告 『ヴォーグ』誌1936年12月号掲載 桜アンティキテ
シャネルは香水も手掛け、デザインも香りもそれまでの既成概念を破る斬新なものが生まれました。
微妙にすれ違うローランサンとシャネル
同時代に同じ街で活躍し、共通の友人もいた2人でしたが、どうしたわけか微妙にすれ違ったまま、親しくなることはありませんでした。
実は、シャネルは当時のセレブたちの例にならって、ローランサンに肖像画を依頼したことがあります。完成した肖像画は、ローランサン特有のパステル調の色合いで、物憂げな女神のように描かれており、これに納得できなかったシャネルは描き直しを要求しました。しかし、ローランサンは「しょせんはオーヴェルニュの田舎娘」と突っぱねたと言います。それ以来、2人の距離が縮まることはありませんでしたが、ローランサンはシャネルの服を愛用し続けました。
個人的なつながりは生まれなかったものの、ローランサンもシャネルも、才能を活かしてうまく時代の波に乗るしなやかさと強さを持ち、また、女性の視点から新たに女性のための美を創り出したという点で、良きライバルだったと言えるかもしれません。
右:マリー・ローランサン『ヴォーグ』誌(アメリカ版)1931年4月1日号表紙 文化学園大学図書館
右:シャネルのドレス『ヴォーグ』誌(フランス版)1929年6月号掲載 島根県立石見美術館
右:マリー・ローランサン《日よけ帽をかぶって立つ女》1912年 マリー・ローランサン美術館
シャネルといえば帽子。帽子は当時の装いには欠かせないアイテムで、ローランサンも様々な帽子を被った女性たちを描いています。
百年近い時が流れ、カール・ラガーフェルドが生み出した「和解」
肖像画事件から約90年を経て、シャネルのアーティスティック・ディレクターを長きに渡って務めたカール・ラガーフェルドが、2人の創意工夫を再び交差させました。2011年の春夏コレクションで、マリー・ローランサンの絵画の色彩に着想を得て、淡いピンク、光沢のあるグレー、全体を引き締めるかすかな黒、といった色使いのドレスを発表したのです。
時を超えても古びないローランサンの魅力、シャネル亡き後も連綿と受け継がれるブランドの力。ラガーフェルドによる「和解」は、2つの才能の見事なマリアージュと言えるのではないでしょうか。
ローランサンらしい淡いピンク色が用いられた作品です。ラガーフェルドはこの色合いに着想を得てシャネルのコレクションを発表しました。(ライター・岩田なおみ)