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会話

ほぼ漫画業界コラム第24 回顧録13【サイコミ】 【出向社員】 2018年。僕は40歳になっていた。そしてその頃、僕は頻繁にCygamesの渡邊社長に会いに出入りしていた。Cygemesは漫画事業にも進出していた。その名はサイコミ。『グランブルーファンタジー』や『アイドルマスターシンデレラガールズ』などの自社ゲームのコミカライズを中心に展開している漫画アプリだ。渡邊さんはそこの漫画事業部の事業部長を探していたのだ。そして僕は小学館を辞め、それをやろうとしていた。事業部長…つまりはCygameの漫画事業部の完全な責任者だ。当時の漫画事業部は約100人。僕がマンガワンで組織崩壊を招いたときの最終的な人数は14人。小数で躓いてしまった僕がそんな数の人をまとめていくことが出来るのか? 大丈夫に感じた。僕は『三国志』を読み終わっていたからだ。もちろん初読ではない。だが、組織マネジメントの観点から全冊読み直すと、新たな発見があった。人は感情で動く生き物だ。そしてそれは組織も同じだ。理だけで動くわけではない。ホモサピエンスという種の、ある種の行動パターンが理解できた気がしていた。そのような経緯があり僕は、マンガワンの村山編集長に辞表を出した。が、ありがたいことに様々な人から粘り強く慰留された。僕はサイゲームスに行く理由をこう答えた。「自分はマンガワンを組織崩壊させた人間です。なのでCygamesを急速に成長させた渡邊社長から組織マネジメントを学びたいのですと。すると、当時の役員は言った。「出向して学んで来れば良い。」そんな訳で僕は小学館社員のままCygemesの事業部長になった。何の資本関係もない会社へ事業部長として出向とは前代未聞の人事劇だ。僕は安定したエスタブリッシュカンパニーの小学館社員という立場で、Cygamesという超成長企業で働けるのだ。このような特例処置をしてくれた小学館と受け入れてくれたCygamesにはとても感謝している。しかも今後の仕事の事を考えると小学館との事業提携はとても重要だ。僕には小学館アライアンス事業室の室長と言う肩書きが与えられ、同時にCygamesの漫画事業部の部長となった。 【マネージャー】 2018年4月。僕はCygamesでの僕のミッションは組織改革だ。あまり上手くいっていない漫画事業部を再生するという使命を与えられていた。僕は信用出来る部下を二人連れいく事にした。一人は僕がマンガワンの時に契約していた業務委託編集者、梅崎勇也氏だ。梅崎氏には小林翔に並びマンガワンのエースを張ってもらっていた。膨大な編集業務を完璧にこなしながら彼は文句ひとつ言わかった。当時は彼に大して報いてやれなかった。社員にもしてやれなかった。だが、今回は部長として高待遇を提示することが出来た。彼は後に『明日、私は誰かのカノジョ』などを超ヒットさせる。優秀な編集者には価値がある。そしてそれらを纏める編集長にはもっと価値がある。よく、新規事業で漫画ビジネスを始める会社がわかっていないのはそれだ。失敗しているところは、総じて編集者の給与が低い。編集長も低い。ヒット編集や編集長には必ず報いるのをお勧めする。そうしなければ彼らは作家を連れて出ていく。僕が何度も見て来た光景だ。 更にもう一人連れて行った。戸塚たくす氏だ。裏サンデー発足時の奇作『ゼクレアトル〜神マンガ戦記〜』の原作者である。彼はゼクレアトル終了後、なんと引きこもりになってしまった。僕の責任だ。僕はその彼をなんとか社会復帰させたくて、当時、マンガワンのゲームを作ってたいた会社に就職させたりと、親戚の叔父さんみたいな気持ちで見守っていた。実際共に働くと彼は仕事が出来た。僕の周りにあまりいない理系の優秀な人間だった。そこで彼を僕の参謀としてCygamesに連れて行く事にした。 そして勤務開始。通常の社員と同様に机が与えられ名刺が配られ挨拶をした。一番驚いたのは組織構造だ。僕は漫画編集部しか知らない人間だ。出版社の漫画編集部の組織構造はたった一つ。編集長とその下に漫画編集者がいるだけだ。副編集長やデスクなどの肩書きは存在するが、明確に役割が違うのは編集長だけけである。出版社の編集長の権限は実は大きい。ポジション的には課長だが、それ以上の権限がある。所謂、ヒト、モノ、カネの管理であるマネージャーとしての権限と、自分が管理する媒体のコンテンツを決めるディレクターの権限。その両方を兼ね備えているのである。だがディレクターとしての職能とマネージャーとしての職能は別物なので両方を兼ね備えるのはとても難しい。僕は明らかにディレクター側の編集長だった。だが、なんとサイコミには編集長とは別にマネージャーが存在したのだ。慧眼を得た。そうか役割を分ければよかったのか。マネージャーと編集長。分けることで事で編集長はヒトモノカネの管理から解き放たれ、ディレクションに集中できる。最高の環境ではないか。サイコミには長谷川太介氏という大手書店のホールマネージャーも務めた優秀なマネージャーがいた。 【編集長】 サイコミの編集長は葛西歩氏と言った。コミックメテオで『ブレイクブレイド』など複数のヒット作を立ち上げた経験がある優秀な編集者だった。だが、サイコミでは苦労しているようだった。面談を重ねるうちにその苦労の原因が分かってきた。彼は自分が行けると思う作品をサイコミに掲載できていなかった。現場の編集者の意見に耳を傾け、ゲーム部門の実力者たちの要望に応え作品を掲載していた。これはダメだ。編集長は絶対者であるべきなのだ。作品の掲載権は全て編集長が握る。そこにはいかなる干渉も発生させてはいけない。全作品の掲載権を握る代わりに、全作品の責任を背負う。出版社や新聞社ではこの権利を“編集権”という。編集長の編集権には社長と言えども口を出せない。マスメディアが表現の自由を守るために作りあげた不思議な概念、それを僕はサイコミに導入した。編集長が掲載作品に責任を持っていなければ、そのメディアが伸びるわけがないからだ。僕は葛西編集長に強力な編集権を付与することを徹底した。まずやるべき事は打ち切りだった。彼がサイコミに必要でないと思う作品は、全て打ち切れるような環境を作った。それは部長の僕の関わる作品だろうが、社長の関わる作品だろうがという意味だ。一才の忖度は必要ないと言い続けた。 結果、サイコミ編集部に戦慄が走った。それまでは皆が平等で、皆が思い思いの好きな作品を載せていた。そこに突然、独裁制を敷いたのだ。人気ゲームのコミカライズも終わった。独創的な実験作も次々と終わっていった。牧歌的な漫画編集者生活を楽しんでいた編集者たちは次々と去っていった。そして葛西編集長、梅崎副編集長を中心に新しい編集部を組織した。更に葛西編集長には部下と距離を取ることを勧めた。葛西編集長は孤独になったと思う。それを僕と長谷川マネージャーで支える体制を作った。近年『識学』と呼ばれるマネジメント論が評価されているが、そのファーストステップはこれだ【部下と距離を取れ】。僕がマンガワンで出来なかった事だ。僕は部下と友人のように飲みに行き情で編集部をコントロールしてきた。裏サンデーのような5、6人の組織ならそれで充分機能する。だがマンガワンのような大きなビジネスになるとそれは無理だ。結果組織崩壊を招いた。もうあんな事態を招くわけにはいかない。 そして、大分編集部の整理は出来た。あとは簡単だ。ヨーイドンで残った編集者に平等な場所で戦う競争の場を与えてやればいい。そのためサイコミのリニューアルを決めた。それだけで媒体は伸びる。裏サンデーで使った手法を使おうと思った。だが、僕はある日、渡邊社長に呼ばれた。 【石橋さんも作品作って、力を見せてくださいよ。】 えー、嫌だなあ。もう現場やりたくないなぁ。それが僕の本音だった。僕はもう随分長く現場をやっていなかった。もう41だ。漫画編集者としてのピークはとっくに過ぎている。漫画編集者に必要な能力を、僕は感・理・伝の3つで考えている。つまり感じる力、理論化する力、伝える力。後者2つは経験と努力で、伸ばせるが、最初の【感】が難しい。感性は年齢とともに鈍くなる。当時のマギを読み返すと分かる。僕の感性のピークは30代前半のあの頃だ。世の中の様々な事に、様々な影響を受け、それが作品に反映される。もう、あんな作品は作れない。その状態で、今漫画編集者として絶頂期にある梅崎とかと競争したくないなぁと思った。・・・が、またふと気付いた。組めばいいのだ。僕は事業部長だ。部下を使ってもいい。若くて有能な漫画家や編集者と組めばいいのだ。そんな中、事業部の隅っこで奇妙な人間を見つけた。朝、談話室に行くと珍妙な動きをしている若い男がいる。その男は・・・丸山恭右というなの若き漫画家だった。 【TSUYOSHI〜誰も勝てないアイツには〜】 丸山恭右…丸山さんはCygamesで業務委託で働いている漫画家だった。信じられない事に、当時の漫画事業部には沢山の漫画家がいた。いや漫画家だけではない。シナリオライターもいた。なんとサイコミは漫画スタジオを作ろうとしていたのだ。ただ、厳しいと思った。漫画はローコストで作るエンタメだ。こんなに人件費をかけて作ったら勝ち目はない。 僕は漫画スタジオを縮小させるつもりだった。まあ、そんなスタジオに所属している丸山 さんを僕はすぐに気に入った。彼はなんと太極拳を習っていた。先程、談話室で見た珍妙な動きはそれだった。彼は映画『イップマン』を見て影響を受け、太極拳を習っているという。か、変わっているなあ。僕は彼の画を見た。上手い。派手ではないがデッサンがしっかりしているし、何より表情がかけている。ちゃんとやれば当たるだろう。 僕は彼の担当をする事にした。打ち合わせを開始し、共にストーリーを組み立てていった。太極拳を使う眼鏡の男が無双するアクション漫画だ。主人公は共感を呼びやすいコンビニ店員とした。ストーリーは最初は話し合って作っていたが、徐々に自分でシナリオを書くようになった。僕はマギの12巻ぐらい以降、自分がシナリオを書く事はなかった。僕は作者ではない。著作権も貰えない作品でもうシナリオなんか書きたくなかった。だが、自分の力を見せるためにはそんな事を言ってられない。僕は再びシナリオを書くように戻っていた。いや、正直に言おう。当時、既に僕はいずれ独立する事を決めていた。僕は小学館でもう出世する事はないだろう。僕は社内政治が苦手だ。理ではなく、それぞれの感情で動くそれを僕は嫌悪した。だが、サラリーマンをやる以上、それが出来なければ話にならない。ならば仕方ない、フリーになるしかない。そしていずれ起業する。その時僕を支えるのは漫画原作の著作権だ。僕は膨大な漫画原作を抱える会社、現在のコミックルームを既にぼんやりと想像していた。 丸山さんは、僕が独立する時に著作権を分けてくれる事を約束してくれた。これには本当に感謝している。彼はコミックルーム立ち上げの最大の恩人の一人だ。僕はまず漫画原作者になることにした。だが、それは僕がクリエイター側に立つ事になる。ならば担当編集は別に必要だ。僕は編集部をぐるりと見回した。若くて元気で感性が豊かな編集者を求めた。そして一人の青年を見つけた。その名は鍵谷亮、後ににコミックルームで大ヒット漫画を立ち上げまくる漫画編集者である。マギが大好きだという彼を僕は気に入り、原作が僕、作画が丸山さん、担当が僕が鍵谷君になった。 【連載漫画セミナー】 もちろん、本業は事業部長だ。マネージャーと編集長と僕の3人で連携を組み、Cygamesの漫画事業部をスケールするための挑戦が始まった。やはり3人は強い。圧倒的なスピードで物事が決まっていく。裏サンデーで学んだ手法で、僕は仕事を進めていった。編集部でも同様の手法で作品を作っていった。葛西編集長と僕と梅崎副編集長の3人で協力し合い、新連載企画を作り続けた。僕も5本現場を手がけた。だが、まだまだ数が足りない。そこで僕はマンガワンで試した連載マンガセミナーを復活させた。会議室に一同に作家と担当編集を集め、企画の立て方、物語の作り方、などの講義をした。週一の講義で生まれた作品は22本。既に40歳を超えて僕は年間週刊連載を30本近く立ち上げるという過去最高の立ちあげ本数をこなした。 さらにさらに僕はサイコミのシステム開発の方にも入り込んだ。マンガワン時代は開発会社に丸投げしていた部分だ。だがサイコミは内部に開発を抱えている。学ぶチャンスだった。僕はサーバーエンジニアとクライアントエンジニアのリーダーと、こちらも3人で打ち合わせを重ね、新しい課金システムを設計していった。出版社はエンジニアやプログラマーを内部に抱えない。さらに広告出稿の方法や、プロモーション、事業部長として全ての会議に出席し、マンガワンで得たノウハウを伝えていった。そう、後発アプリのサイコミでマンガワンを抜くのが目標であった。そして僕がサイコミにやってきてから約半年後の11月29日新しいサイコミが再創刊した。サイコミはあっという間に登録者数を伸ばした。まずは男性読者を『TSUYOSH』が引っ張って登録者数は50万人に迫った。さらに『明日カノ』の超ヒットによってそこに女性読者が流入し、2020年になるとiOSランキングで日によってはマンガワンを抜くようになった。葛西編集長は逞しい編集長に成長し、新しい編集者が育ち始めヒットを生み出すようになっていた。僕は役目を終えたと感じた。僕は事業部長を降りて、独立の準備をするために小学館に戻った。苦手だった組織マネジメントにも自信が持てるようになっていた。マンガワンで失った自己肯定感を僕はようやく取り返すことができたのであった。ただ。それよりも漫画業界に新たな異変を感じていた。ついにWEBTOONが流行り始めたのである。
40.6万
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