樺沢潤の達成感

●死は「幸せな区切り」という考え方
「あらゆる病気を克服し、テクノロジーの力で最後まで生き切ることができれば、死をもはや不吉でネガティブなものと思う必要はないかもしれません。むしろ死は、達成感を伴う『幸せな区切り』として受け止めることもできるかもしれないとさえ、私は思っています」。著者のこの考え方は非常に重要である。死を恐れる必要がなくなるということは、人間にとって最大の悩みが消失することを意味するからだ。
 

樺沢潤の死を超えるもの

人生を輝かすかどうか出来るかどうかは「この人のためなら死んでも惜しくない」「これが達成できるなら私は死んでも構わない」死を超えるものに打ち込めることほど幸せなことはない。

「人は今生を生きているうちは生きることを懸命に考えなければならない。我々は摂理によって創られた自然の一部であり摂理によって生かされている。

樺沢潤の人生の意味

人生の意味を問うのではなく、自身が問われたものとして体験する。人生とは人生の意味を問う問題に正しく答える事であり、与えた使命を果たすことであり日々の務めを行うこと。
人の命とはつくづく不思議なもの。確かなことは自分で生きているのではない。生かされているのだと言うことです。どんなところにも必ず生かされていく道がある。すなわち人生に絶望なし。いかなる人生にも決して絶望はないのだ。
 

樺沢潤の死とは

寛大に!「また会えるから」
死とは新しい世界への旅立ちである
 

樺沢潤の永遠

宇宙の始まり=無からの創造
永遠のうちでは現在と過去と未来は同時
先祖から子孫へ連続する一つの生命体
先祖の命=自分の命=子孫の命
子孫の命の中に永遠に生き続ける
「善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」
人間、働くために生まれてきた!
 

樺沢潤の悟り

・業=人間の世界が先祖の営みによって創られていること

仏陀の悟りは過酷な修行と迷走が左脳を停止させて右脳で悟りを導いたのでは?
言語に支配された脳を解放して分別的な認識に現れる世界でない「もう一つのこの世」に気づいた。
 

樺沢潤の生命の永遠のドラマ

・もう一つのこの世=命も未分化で死が存在しない・空間も時間も無い、よって仏陀は不死を得て「死が怖ろしい」思いを超えることができた。

・生命体は次の生命体に引き継ぐ=生命の永遠のドラマ
 

樺沢潤の死ぬことを超えること

死ぬことを超えること
・我欲=死にたくない
・自然の恵みをいtだいて生きる自給自足の暮らし
・ひとつながりの命=慈悲の源
・環境から生命体へ生命体から環境への分子の流れ
・宇宙の運動=もう一つのこの世=己がその一部である時間を超えた生命に気づく
 

樺沢潤の死の恐怖もない

肉体も消滅も死の恐怖もない!不安は自然に消えていく。
自分と他者、世界の『境界』も『葛藤』や『苦悩』も無い。
この『浄化力』によって『自我』はその存在意義を失い消える。

『自我』という『苦しみの根源』を消し去っていく強い力である。

『私たちは死なない=死は存在しない』
 

樺沢潤の無意識

『無意識』とは『深層自己』の無意識(『超個的無意識』や『超時空的無意識』)
『無意識の声や力』はOPF内の『深層自己』の『大きく賢明な無意識』と繋がることなのである